アート

皇室の名宝展 日本美の華 1期

 東京国立博物館『皇室の名宝展 日本美の華』を観た。1期は江戸から明治までの絵画と工芸品(1期は11月3日まで)。金曜の午後だったがけっこう混んでいたので、肩越しに覗いて飛ばしてしまったものもあるが、観たいものは頑張って観てきた。

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 狩野永徳の唐獅子図屏風って面白いなあと唸って順路を歩いていくと、圧巻なのが伊藤若冲の動植綵絵三十幅。若冲、そーんなに好きじゃないけど、一堂に会しているので見応えアリ。しかし、すごい人。
 思いがけずといっては失礼だが、とても感心したのが川島甚兵衛(三代目)の「春郊鷹狩・秋庭観楓図壁掛」。これが織物なのだから、気が遠くなりそうな作業だろう。河並靖之「七宝四季花鳥図花瓶」も、黒の地に桜色と青紅葉の緑が美しかった。
 そして最後に展示されている松園の「雪月花」。雪が『枕草子』、月が『源氏物語』、花が『伊勢物語』から題材をとったという。描かれている人物の表情といい、色といい、とっても優しい気持ちになる三幅。
 
 今回改めて認識したのが、御物と三の丸尚蔵館所有の物との違い。御物は皇室の方々のもので、御物を国に寄付されたものが三の丸尚蔵館に納められているんだとか。三の丸尚蔵館にあるものも御物だと思っていた。

  秋の庭園開放をしていたが、まだ紅葉にははやいようで。

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ゴーギャン展 2009

 中村紘子リサイタルの帰りに寄ったお店で、マスターから「もう、行けそうもないから」と、ゴーギャン展 2009のチケットをもらった。会期は23日まで。ありがと、マスター! シルバーウィークのイベントが二つになった。

 というわけで、行こうと思いつつ、なーんとなくグズグズしていた近代美術館のゴーギャン展へ。あの画風が好きか、と問われれば、そうでもない。これがグズグズしていた理由。でも、日本初公開には弱い。

 観て良かった。ゴーギャンの作品が50点ほどあるのだが、やはり今回の目玉でもある日本初公開の「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が、大作だけあって印象的だった。展示の前に見た映像の解説が、わかりやすいが、ウルサクないのもいい。

 ずいぶんと哲学的だったんだな、ゴーギャンって。その題材をタヒチに求めたのはなぜ? 彼は生粋のフランス人じゃないから、パリの生活(それを文明と呼んでいいのか、どうか)が息苦しかったのかもしれないが、アルルの次に、幼少期を過ごした母方の祖国ペルーに行くという手もあったんじゃないか? しかしタヒチである。ゴーギャンの伝記をいくつも読んでいるわけではないのだが、入門書や、このゴーギャン展の解説では、タヒチ行きについて「西欧文明に背を向け」とか「文明と野蛮」といった言葉で語られている。でも、見方を変えてみると、彼は、あえて自分がコミュニティの外の人間である場所に行きたかったんじゃないかとも思えてくるのだ。

 国内の美術館所蔵の作品もけっこうあって、日本人って案外ゴーギャン好きかも。
 入場までは待ち時間ナシだったがやはり会期終盤、会場内は混んでいた。
 

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堀内誠一 旅と絵本とデザインと

 世田谷美術館で行われている「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」に行った(9月6日まで)。

 私の、最初の愛読書は『たろうのおでかけ』。それから『ぐるんぱのようちえん』。小学生のときに夢中になって読んだ『人形の家』(ルーマ・ゴッテン作)の挿絵、谷川俊太郎訳の『マザーグース』『わらべうた』。意識していたわけではないが、幼い頃からずーっと、堀内誠一のイラストがいつも側にあった。そして、堀内がアートディレクターをしていた『an・an』も、よく読みました。

 その、堀内誠一の展覧会だというから「行かねば!」と思っていたのに、気がつくともう9月。 最後に慌てて滑り込んだ。 
 今回の展示会で、お父さんもデザイナー(当時は図案家といったらしい)と知った。戦後の混乱期に家族を養うために、14歳で伊勢丹に勤め始めたというから大変な苦労をしたと思うが、天職だったのだろう。お嬢さんは、私とほぼ同世代で、親しみを感じる。

 『ぐるんぱのようちえん』の原画を見られて、うれしい! 数え切れないぐらい読んでいる。文は西内みなみで、堀内ではないが、 コトがうまくいかないときに「しょんぼり」という私の口癖は、たぶんぐるんぱから影響を受けたものだ。『たろうのおでかけ』がなかったのは残念だった……。
 私にとって堀内は絵本画家なのだけれど、今回の展示で改めて認識し、面白かったのは、デザインとか、旅のエッセイのレイアウトデザインをふまえた原画。それを観て、昔、手で線を引いてレイアウトしていた頃を思い出した。

 今回の期間中、文学館のトイレの表示が、男子トイレがポパイ、女子トイレがオリーブに変わっている。堀内がマガジンハウスの社屋用にデザインしたものだそうだ。粋な計らい、世田谷文学館もやるね!

 ウチに帰って、本棚から『たろう』と『ぐるんぱ』を久しぶりに取り出してみた。昔々の、簡単な装丁の絵本。大好きだったから、ぼろぼろなんだけれど、捨てる気にはなれない大事な宝物。懐かしいだけじゃなくて、今につながっている。私が、いまの私に育った”理由”のような気がするのだ。
  
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上村淳之展-唳禽を描く-

 吉祥寺美術館で、「上村淳之展-唳禽を描く-」を観た。

上村淳之は、上村松篁の子、ということは上村松園を祖母に持つ。過日、山種美術館の「上村松園/美人画の粋」を観たので、なんとなく親しみをもって観た。
 花鳥画、というのだろう。鳥ばっかり集めた展示。淳之は、奈良の「唳禽荘」で、画題となる鳥たちを飼育しながら描いているそうだ。自分で育てている、ということは、愛情もわくのだろう、どことなく優しい印象を受ける絵が多い。上村淳之の作品を観たのははじめてで、他の題材の作品も観てみたいと思った。

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 絵はよかったのだけれど、ロビーに鳥の剥製が多数飾られていて、剥製嫌いの私は、なるべく見ないようにして通り過ぎた。あーん!

 

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サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ

  夏休みの一日。

 代官山のル・ジュー・ドゥ・ラシエットで、ランチ。夜は、渋谷でお芝居だから、少々控えようと思いつつ、けっきょくディナーのように食べて、飲んでしまう。
 
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写真はデザートの桃のコンポート。ジュレをのせ、夏らしく涼しげで、美しい。美味。桃好きの私は、超満足の逸品。もちろん前菜も、メインも美味しかった。ついつい皿数の多いコースにしてしまうから、ダメなのよね。でもお休みなのだし、ね。

 お店を出たときは、もう夕方になっていた。代官山をぶらぶら散歩しながら、渋谷に出る。JR新南口のほうで珈琲を飲みながら休んでいたら、いきなり雲行きが怪しくなって、PARCOに行くまでに土砂降りになってしまった。だったら、PARCOに行ってからお茶すればよかった。
 渋谷の中でタクシーを使う。はじめてだよ、PARCOにタクシーでいくなんて。
 

 PARCO劇場で、『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』を観る。
(作曲・作詞 スティーヴン・ソンドハイム/台本 ジェームス・ラパイン/演出 宮本亜門 /翻訳 常田景子)
 

 19世紀のフランス、点描画で有名な画家ジョルジュ・スーラを主人公にしたミュージカル。「グランド・ジャット島の日曜日の午後」 の制作過程をモチーフにした第一幕。恋人とのあいだに子供がいたというエピソードを基に、第二幕は、スーラのひ孫が現代芸術と向き合う。
 ジョージに石丸幹二、恋人のドットに戸田恵子、母に諏訪マリー、ジョージの友人ジュールに山路和弘と好きな俳優さんばかり。元東京サンシャインボーイズの野仲イサオもいいなあ。 

  「芸術とは?」という問いかけが根底にある。人と人の「つながり」、「家族」もキーワード。優しい結末を迎えるのだけれど、癒やされるような、癒やされないような。難しい。 たぶん、ストーリーよりも、曲のが難しさが、そういう気持ちにさせるのだろう。
 

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上村松園/美人画の粋

山種美術館の『上村松園/美人画の粋』に行った。

 若い頃は食わず(観ず?)嫌いだった日本画も「いいなぁ」と思うようになってきたが、美人画はいまだに、ピンと来ない。でも松園の描く美人は「いいなぁ、綺麗だなあ」と思うんだよね。
 だから、じっくり観てみようと思って。

 
 松園の作品18点の他、並び称された鏑木清方はじめ、奥村土牛、小倉遊亀、伊東深水や、鈴木春信、喜多川歌麿の浮世絵の美人画も展示されていた。
 
 松園の作品を一度にこんなにたくさん観たのははじめて。じっくり見て、私は、構図や色遣い、表情はもちろん、この日本髪の描き方が好きなんだとわかった。生え際のぼかし具合や結った髪の流れがとっても自然。「髪の流れを出すために筆を入れました」って感じじゃない。日本髪って、ともするとペタっと平面的な印象になりがちなのに、この人のはちゃんと結った髪に見える。それによって、女性の表情が生きてくる。
 私にとっては発見だった。

「山種美術館の上村松園」というブックレットを買う。解説代わりに松園自身が語った話が載っていて親しみやすい。
 
 この展覧会の会期が7月26日に終わると、山種美術館は広尾に移転(10月1日オープン予定)するのだそうだ。春に「桜 さくら サクラ」を楽しませてもらっていたので千鳥ヶ淵の印象が強いが、千鳥ヶ淵も11年間と案外短い。
 帰りに、同じ沿いにあるイタリア文化会館で開催されていた「イタリア アンデルセン賞」という絵本のイベントを覗く。美術の専門学校か大学か、30人ぐらいの生徒が引率の先生とともに来ていた。絵本の世界もまた楽しい。知っている絵本もあって、親しんだ作品なのに「作者はイタリアの人だったのか!」と改めて思ったり。
  
 こうやって山種とイタリア文化会館とかけて寄れなくなるし、散歩が楽しめるこの界隈も好きなので残念だけれど、見るからに狭だから移転もしかたがないですね。新しい美術館に期待しましょう。

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ラウル・デュフィ展 ~くり返す日々の喜び~

三鷹市美術ギャラリーで開催されている、『ラウル・デュフィ展 ~くり返す日々の喜び~』に行ってきた(6月28日まで)。
 「日本初公開となるロデヴ美術館所蔵、および個人コレクター所蔵の作品を中心に、13歳の頃の水彩画から心臓発作で亡くなる晩年の作品まで、デュフィの生涯にわたる作品約75点」とのことで、画家の一生を追っていく。


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<競馬場のギュギュスト>(1890年)と<畑の祝祭>(1943年)を使った、綺麗なチケット。

 私が知っていたデュフィの作品は、<畑の祝祭>のような軽いタッチの楽しげなイメージ。音楽や競馬、水辺を題材にしたものも多い。でも、初期のタッチはずいぶんと違っていて、軽くも華やかでもなかった。マティスの影響を受けて、それからセザンヌのキュビズム、装飾美術を手がけ、後年の画風に変わっていく。その変遷が面白かった。

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 若い頃の<自画像> (1904年)

 音楽に造詣が深い一家に生まれたが、貧しく、14才で社会に出て、翌年から美術学校の夜間クラスに学んだという。そうか、だから<五重奏>とか<オーケストラ>とか、音楽にちなんだ作品が多いのだな。苦労したからこそ、絵を描ける喜びというものを知っているのだな、と納得。後年、上流階級の遊びを描いたのも、なんとなく気持ちがわかる。”色の魔術師”はちょっと遊び人風だけど、明るい作風で心が和む。
 そうそう、思い出した。黄色や赤と比較しながら「青色は、どんな色調であっても青色だ」というようなことを、美術評論家のインタビューで答えたという解説があったのだ。この人のベースにあるのは、青なの? 黄色とか赤のイメージもあるんだけど。

 最後は<電気の精>(1953年)という10枚組のカラーリトグラフ。パリ万博の電気館に描かれ、現在はパリ市立近代博物館にある巨大壁画のリトグラフ版。ワット、オーム、キュリー夫妻、エジソン、モールス等々(順不同)、物理に弱い私にはどんな功績があったのかわからない偉人も数知れず、電気の歴史に出てくる学者たちが大集合し、いかに電気が人間の”希望の星”だったか!! 半世紀前のことだが、今はより一層、電気がない生活なんて考えられないし…。 
 シルクハットに燕尾服でカーニバルに行く時代と現在は、つながっていた。

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国宝 阿修羅展

( 「Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶 」「平成館のバリアフリー」から続く)

 そして奈良・興福寺の、阿修羅展。他にもいろいろ展示してあるが、阿修羅と八部衆像が面白かった。

 昨年の薬師寺展と同じように、正面から眺めた後、阿修羅像の周りを一周して拝観できるのがミソ。こんなチャンスは一生に一度、たとえ奈良に行っても、後ろのお姿は拝めない。
 阿修羅って軍の神様で気性が激しいはずなのに、この静かな表情。横のお顔も決して厳しい表情ではない。きっとモデルになった美少年がいたに違いない。それにしても華奢だ。
 阿修羅像は興福寺に限らず、三面六臂のものがあるそうだが、だれが三面六臂を考えたのか。バランス的には異常に長く、肉付きがまったく感じられない腕。横からみると、正面の顔の耳が違和感があるのだが、それでも省略しないところもすごい。耳(聴くこと)は大事なのね。

 絶大な人気を集める阿修羅像で、この像だけが語られることが多いが、もともと八部衆像の中の一つ。今回他の八部衆も観られたのがよかった。といっても、二体は4月19日までの展示だったので、5体だったけれど。
 鳥の顔をした迦楼羅(かるら)。八部衆は異形で表されると説明されていたが、迦楼羅の他はみな人の顔を持っている。迦楼羅は、日本の天狗の祖先らしい。なるほど、「烏天狗」っていうし、天狗は鳥の系譜なのか。
 沙羯羅(さから)は一見童顔でかわいいのだけれど、頭に蛇を乗せている。だれか若者が「ピーターパンみたい!」と言っていたが、その発想はどこから? 頭の蛇がピーターパンの帽子に見えたの?
 
 6月2日で80万人、6月5日で88万人の入場者数と、記録を作っているようだ。私の周りも行った人が多い。
天平の昔からいままで残っていらっしゃることが奇跡みたいなものだ。平成の世にこんなに受け入れられるなんて、昔の人は思いも寄らなかっただろうね。

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平成館のバリアフリー

(「Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」から続く)

「国宝 阿修羅展」ついて書こうと思ったが、寄り道して、常々思っている平成館のバリアフリーの話を書こう。
 
 平成館は、エスカレータのすぐ前で特別展のチケットを確認し、エスカレータに乗って2階の展示室にいくようになっているが、バリアフリーの配慮としてはあんまり優しくない。エレベータを使いたい人は申し出ると案内してくれるのだが、エスカレータの乗り口でチケットを切っているので、車いすとかベビーカーとかエスカレータに乗れない人は申し出るだろうが、杖の人だと多少のリスクを感じていてもエスカレータに乗ってしまう。

 案内係はにこやかに「申し出てくだされば」と言うが、「申し出て」というのは案外クセモノだ。エレベータの位置が正面エントランスではわかりにくいので、エレベータという選択肢を浮かべにくい。杖ぐらいの不自由さの人だと、わざわざ自分からなにかを申し出るという習慣がない。別に案内カウンターもあるのだが、チケットを切る人のほうが目に入りやすく、そこに行くと目の前にあるエスカレータに”我慢して”乗ってしまう。目の前の誘導に逆らって何かを尋ねるのは、相手が思う以上に勇気の要ることだ。そこで質問したり引き返すと、後ろの人に迷惑になる、とも思う。

 本来は展示室の入り口でチケットを切るのがいいのだが、現在の設計では、2階のロビーが狭いので混雑に対応しきれない。また第一展示室、第二展示室の行き来が問題となるのだろう。エレベータを利用させると、輸送効率が悪かったり、優先マナーを巡るトラブルも予想される。
 いっそ玄関でチケットを切ってしまい、本館との通路にもチェックの人員を置くとか、なんとかならない?
 2階から降りるエレベータも表示はあるものの、ロッカーの奥に潜んでいて、「隠しエレベータか?」と思う。
 
 ホールでも地下鉄でも、2、3階分を貫くエスカレータが増えた。階段より楽だとは言え、この手のエスカレータは、バリアフリー(ユニバーサルデザイン)の盲点になりやすい。エスカレータの速度と同じ速度で乗り降りしなければならないので、ゆっくりとしか動けない人はそのタイミングがつかめない。そして、長いこと姿勢を保ちながらエスカレータに乗っているのは片麻痺や足腰が弱い人には辛い。階段は辛ければ途中で休めるのだが、エスカレータでは姿勢を保ち続けなくてはならない。大きな荷物を持った人が隣をガンガン歩いていくのも、あおられたり、荷物をぶつけられたりして、バランスを崩しそうだ。

 エスカレータ以外でも、”利用できなくはないが漠然と危険を感じている人”のニーズは、声になりにくい。そして高齢社会を迎え、いままでそんなに配慮しなくてもすんでいた、声になりにくいニーズ、声になりにくいリスクが増えている。
  

 エスカレータではないが、展示室入り口とフロアの上下移動の問題は、西洋美術館でもかつて見受けられた。
 西洋美術館の企画展示室は地下2階からはじまるが、地下1階でチケットを切って階段に誘導している。1階から降りる手段は階段とエレベータ。エレベータが地下1階止まりで、地下2階にいくためには乗り換える。
 2007年の『パルマ展』のとき、私が1階から階段を降りて行ったら、一歩一歩手すりと杖に掴まって降りているお婆さんがいた。「エレべータがありますよ」と教えてあげたかったが、半分ぐらいまで降りていたので、また上がっていくのでは同じことだ。
 階段のところで「パルマ展はこちらでーす」と係員が呼び込んでいたので、つい、お婆さんもつられちゃったのかもしれない。エレベータは階段の手前にあるのだが、表示が小さかったので見落としてしまったのだろう。階段の下り口にも、エレベータの案内表示があればいいのになと思った。

 その日私は忘れ物をして荷物を送ってもらったので、お礼のメールにこの件を書き添え、改善をお願いした。後日西洋美術館に行ったら、考えていたこととは違ったが、エレベータの前に大きく「エレベーター」の表示が出ていて、前よりもわかりやすくなっていた(私のメールがきっかけとなったのなら、1か月も経たないうちに対応してくれたことになる)。人的な誘導の仕方も気を配っていた。

 ちなみに西洋美術館の企画展示室は、地下1階でチケットを切っている。地下2階に降りる階段のすぐ手前に係員が立っていて、階段に誘導するようになっているが、エレベータで下りてきた人や階段が辛そうな人には、地下2階へのエレベータを案内しているようだ。

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Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶  

 日曜の夕方ならそれほど混雑していないんじゃないかと予想して、友達と5月24日東京国立博物館に行った。お目当ては「国宝 阿修羅展」、それと「Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」。

 まずは表慶館で、カルティエを観る。入り口は混雑していたので2階から巡りはじめたが、話題の「マハラジャ ネックレス」やグレース・ケリーのアクセサリーなど、メインの展示は2階だった。
一部の展示にビデオ解説があって、この技術が凄い。展示の奥に映像が出てくるのだけれど、ケースはガラス張りで反対側も見通せるのだ。横長の展示ケースの両側から観るのだが、反対側からは、こちら側の映像は見えないので、じゃまにならない。うーん、説明が下手だな。言っていること、わかってもらえるだろうか?
 ティアラに、ネックレスに、ブローチ…。ブローチって「襟元」を飾るものだと思っていたら、「胸元」なんですね。守備範囲が広かったのね、失礼しました。
 「マハラジャ ネックレス」の前では、「富」を考え、英国王室やグレース・ケリーの品々の前では、気品という言葉が浮かんでくる。 
 豪華な宝飾品の数々。キラキラまぶしいダイヤに圧倒されていると、後ろから「キラキラ酔いして来た」と若い女の子の声。言い得て妙。所詮、庶民はそんなものだ。
 
 平成館の前は行列ができていて30分待ちだという。キラキラ酔いもしたし、一息つきたいので、警備員さんに「あんみつ屋さんのところに行きたいのですが、入れますか」と尋ねると、「入り口で断ってくれれば大丈夫ですよ」と教えてくれる。一緒に行った友達は「えー、ずる賢い人なら、横入りできちゃいそう」とびっくりしていたが、ぼんやりしている私は言われてから、ああそうかと思った。もちろん私たちは、お休み処に行く。あんみつ屋さんというとぐっと庶民的なイメージだが、鶴屋吉信である。残念ながら、あんみつは、定休日前の夕方だったので売り切れ。つばらつばらという、どら焼きを上品にしたようなお菓子で一服しているうちに、平成館の行列がなくなっていた(「国宝 阿修羅展」につづく)。

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動物画の奇才・藪内正幸の世界展

 吉祥寺美術館で、「動物画の奇才・藪内正幸の世界展」を観た(5月24日まで)。大阪出身だが、高校を卒業して上京。晩年(1985年)吉祥寺東町に仕事場を構えたそうで、今回の企画展はその縁かららしい。


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 これまで、薮内正幸(1940-2000)という名前を意識したことがなかったが、『広辞苑』(岩波書店)や『世界大百科事典』(平凡社)の挿絵や、切手「自然保護シリーズ・アホウドリ」の原画「サントリー愛鳥キャンペーン」のイラストと聞けば、「ああ!」と思いあたるものばかり。井の頭自然文化園や多摩動物園など、動物園の案内板や解説パネルなら、子供の頃にお世話になったはず!


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ポストカードにもなっていたレッサーパンダ。写真より緻密なんじゃないかと思うほどだ。見飽きないが、描き手は気が遠くならないのかしら?
いやあ、面白いなあ。4月上旬からやっていたのに、会期の終わりの週にあわてて来たなんて、もったいないことをした。これなら何度足を運んでも楽しめそうだ。

 ひとつひとつの作品の緻密さにため息をつきながら回って、終盤の展示に笑った。
”裏ヤブ作品”。曰く、--藪内正幸は、(財)東京動物園協会が発行する友の会会員誌『どうぶつと動物園』に、多くの挿絵を提供してきました。編集担当者に渡す原稿を収めた封筒の裏には、毎回欠かさず同封の挿絵動物にちなんだダジャレ画が描かれるようになり、編集部ではこれを「裏ヤブ作品」と呼び、スタッフは毎回ひそかな楽しみにしていたそうです--(「裏ヤブ作品 POST CARD」から引用)

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「裏ヤブ作品 POST CARD」集を買った。
 吉祥寺美術館オリジナルだそうで、いいところに目をつけましたね。
表紙は、第一回裏ヤブ作品。ゾウの絵柄にターキン(ウシ科)が重ねられているそうだ。ゾウ+(ター)キンでゾウキンってわけ。ちなみにゾウは東京動物園協会の封筒のイラストなんだとか。こりゃあ編集者は楽しいし、嬉しいし、大切にとっておいた気持ちがよくわかる。

 ウチに帰って、古い『広辞苑』を引っ張り出してみた。ああ、これこれ。
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 この企画展、井の頭自然文化園のイベントと連動している

 
 常設展「浜口陽三記念室」は「生誕百年 partⅠモノクロームからの出発」(6月28日まで)。浜口は静物のイメージが強いが、今回の特集は女性の絵も展示されているし、原版も観られて、おもしろかった。
 吉祥寺美術館はちっちゃい美術館だけど、だんだん味が出てきて嬉しい。
 

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原研哉デザイン展 本 友人、原田宗典がモノ書きだったおかげで。

 地域の交流施設で、文章講座の講師をしている。受講者は年配の方が4、5名という小さな講座だが、知的好奇心が旺盛な方ばかり。古典文学の教養は、素直に教えていただいている。

 ある日、豊﨑由美の、尾辻克彦(赤瀬川源平)の『ライカ同盟』の書評を紹介したところ、次の回に受講者のAさんが単行本を持ってきてくれた。
 「ぼくは、赤瀬川さんのものは好きでよく読んでいたんだけれど、この書評に『ディレッタントの視線と味わい深い現代の名文』だとあって、改めてなるほどなと思った」。 こういう感想を聞くと、講師冥利につきる。
 私が持っている『ライカ同盟』は文庫なので、単行本の装丁に感心した。それに、Aさんが新品同様に綺麗に読まれていることも。「帯(腰巻き)まで傷んでなくて、綺麗に読まれてますね」と言うと、みなさん口々に「だって帯だって、紹介者が推薦文を考一生懸命えて書いているのだから」。そうか。私は帯はよっぽどデザインに影響がない限り捨てちゃっているし、読むときはたいていカバーも外して読んでしまう。読みやすさ重視で、読み終わったらカバーを掛けるのだけれど…。
 みなさん、装丁についても一過言あるようだ。

 そんな話がはずんだ後で、紹介したのが、原研哉『デザインのデザイン』。おっ、話が繋がってよかったと、内心ちょっと嬉しくなった。
 原研哉はデザイナーで、本のデザインも数多く手掛けている。『デザインのデザイン』は私の愛読書だ。講座で紹介したのは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』についての一節だが、私がもっとも感銘を受けたのは「あったかもしれない万博」の章だ。
「あったかも知れない万博」とは、愛知万博のはじめの計画で、森で開催される予定だった。自然と共存するサンプルを提示するはずが、「自然破壊だ」と世論が盛り上がり、計画が変更になった。その顛末を、当初のプロジェクトに参加していた立場から書いている。
 --しかしながら。このような挫折を経て僕はあらためて考えるのだが、仮にうまくいかない局面があったとしても、デザイナーとしての自分は意図の明確な、意志的な計画に関与したいと思う。「核反対」とか「戦争反対」というような何かを反対するメッセージをつくることには僕は興味がない。デザインは何かを計画している局面で機能するものであるからだ。環境の問題であれ、グローバリズムの弊害の問題であれ、どうすればそれが改善に向かうのか、一歩でもそれを好ましい方向に進めるためには何をどうすればよいのか。そういうポジティブで具体的な局面に、粘り強くデザインを機能させてみたいと考えている。--
 私はデザイナーではないし、非力だけれど、生き方としてとても共感する。
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 ところで、『デザインのデザイン』をお年寄りたちに紹介したのは、ちょうど市内の吉祥寺美術館で「原研哉デザイン展 本 友人、原田宗典がモノ書きだったおかげで。」という展覧会が開催されていたからだ(3月1日まで)。
 ブックデザインに特化した展示。副題に作家・原田宗典の名前があるが、私が原のデザインに最初に出会った(意識した)のも原田の本だ。

 小さな展覧会だが、原の本に対する考え方がわかる、素敵な展示だった。原はデザイナーであり、思想家なのだと思う。デザインも素晴らしいが、言葉も雄弁だ。
 本をモノとしても好きな人なら、覗くと楽しいだろう。

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加山又造展

 国立新美術館の『加山又造展』を観た(3月2日まで)。
 素晴らしい回顧展。山種美術館などで観た加山の作品が好きだったのだが、体系的に観るのははじめて。こんな人だったのかと、ワクワクを通り越してゾクゾクしてしまう。

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 チケットに使われた絵は、「雪」。雪、月、花、と一組になっている大作で、入場するとまずエントランスのこの作品に溜息が出る。

 次に続く動物の作品群にはびっくり。--ラスコーの壁画から、未来派、シュールレアリスム、そしてブリューゲルまで幅広く西洋美術から影響を受けています。--という解説なのだが、きっと、これらの加山の作品に影響を受けた西洋風?現代アートの人だちだって多いにちがいない。コレ観ちゃうと、日本画とか西洋画というようなカテゴリー分けなんていらないんじゃないかと、素人の私は思う。
 この中で写実的な「木枯」の風景にデジャヴ。冬の夕暮れどきに井の頭公園付近で空を見上げると、鳥が寝ぐらに帰っていく、こんな風景を見かけるのだ。だぶんこれは上野公園なんだろうけれど。

 屏風絵が6作品、どどーんと並んでいる中で、”琳派の影響”を浴びる。その中でも「千羽鶴」が好き。
 こんな裸婦も描いていたのかと思いながら進んで、釘付けになったのは「夜桜」(光記念館所蔵)。リンク先のページで見てほしいのだけれど、残念ながら部分だけなので、ぜひとも本物を観てください。咲き誇る桜の美しいこと。そして右隻にかかり火があり、立ち上る煙がなんともいえず、作品全体が繊細で優美。立ち止まって観ても足りず、しばらく前のソファーに座ってうっとりと眺めた。
 波の音だけが聞こえてきそうな、水墨画の「月光波濤」にも魅了された。波の迫力がすごい。作品の前を離れて歩いていても、ふっと視野に飛び込んでくる感じがするのだ。

 順路の途中、休憩室ではパソコンを使った習作を展示していた。晩年になっても、創作意欲とともに、素材への探求心が旺盛だったのだなぁ。すごいなあ。好奇心旺盛な人だから、日用品のデザインも手掛けたのだろう。”琳派”だし。
 
 出口まで行って、もう一度「夜桜」と「月光波濤」を観に戻った。会期がはじまったばかりの平日の夕方だったから、混み合っておらず、行きつ戻りつを繰り返しても、他の人の邪魔にならなくて良かった。
 目録を買おうか迷ったが、次に行く用事があったので、コンパクトなDVD を買った。余韻に浸ろう。

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 作品は「春秋波濤」(部分)

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2008展覧会 私的回顧 

 年末に行ったバーで、オーナーに「最近絵は観てます?」と訊かれて、「そうそう今年(08年)の前半は随分美術館を巡ったんだわ」と思った。10月頃から忙しくなり12月は風邪を引いて、美術展のベストシーズンだというのになかなか行けず、アレもコレも見逃している。

 たとえば『巨匠ピカソ展』。サントリー美術館の「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展は観たが、国立新美術館の「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展は見逃したので、なんだか消化不良だ。パリのピカソ美術館が改装中の世界巡回展だったというから惜しいことをした。2館にわけずに国立新美術館一か所でやってくれれば、親切だったのに。1月中旬で終わってしまうフジタにも行けるかなぁ。

 2008年一番感動した展覧会は、東京国立博物館『国宝 薬師寺展』。あの月光さん、日光さんの優美なお姿は忘れられない。二番目は『大琳派展』。これは琳派、とくに宗達が好きだから。宗達といえば『対決 巨匠たちの日本美術』も見応えがあったし、『王朝の恋 描かれた伊勢物語』も面白かった。「物語」繋がりなら、千年紀にちなんで五島美術館の『源氏物語絵巻』も挙げたい。
 小さな展覧会だったが、三鷹市美術ギャラリーの『中右コレクション 幕末浮世絵展 大江戸の賑わい──北斎、広重、国貞、国芳らの世界』も印象に残っている。これを観たあとで『ひらがな日本美術史 6』を読んだら「なるほど!」とか「へえ、そうなのか」と思うことが多く、いままで自分の中でバラバラだった一つひとつの作品の知識が、浮世絵同士あるいは他の美術と、はたまた江戸の歴史に少しづつ繋がっていくような気がした。作品そのものも面白いけれど、こういうことも楽しいんだよね。 
 ちなみに、私の日本美術のお師匠さんは(勝手ながら)橋本治と赤瀬川源平だから体系だって、というわけでもない。あんまり知識先行型の鑑賞も好きじゃないし。

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 海外のものでは、『フェルメール展』の帰りに寄った『ヴィルヘルム・ハンマースホイ  静かなる詩情』が強く印象に残っている。決して華やかではない、落ち着いているようでいて、ちょっと奇妙な画風。ハンマースホイはデンマークの人だから、北欧っぽいといえば、北欧っぽいのかもしれない。初めて観た感動も加わっているのだけれど、ロイヤルコペンハーゲンの食器を見るたびにチケットに使われていた「背を向けた若い女性のいる室内」を思い出す。

 それから番外編で『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』もルネサンスを体感できた貴重な展示だった。実際に小書斎の中に入れるなんて、これはなかなか味わえるものではない。
 この『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』と『国宝 薬師寺展』は、ある意味サプライズだったので、他の展覧会とは別格なのだ。


 

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大琳派展~継承と変奏~

 国立博物館で行われている『大琳派展~継承と変奏~』の、会期もあと僅か(16日まで)。

 この展覧会には二度足を運んだ。展示替えがある展覧会が多いので、何回か行きたいと思っても、実際に行けることはめずらしい。でも、琳派、大好きだから頑張ったのだ。
 
 二度目に一緒に行った相棒は、光琳というと、子どものときに買った「紅白梅図屏風」の切手を思い出すのだそうだ。私にとっても、それが”初”光琳、”初”琳派。子どもだったから美術史的なことはまったく知らなかったたけれど、綺麗なデザインだと思ったものだ。
 大人になった眼で見ると、光琳はなるほど洗練されていて美しいのだけれど、でも、なんといっても宗達がいい。
今回の「風神・雷神」の、宗達、光琳、抱一、其一のそろい踏みでは、やっぱりオリジナルに軍配があがるでしょう。
 「風神・雷神」で、もうひとつ気に入ったのが、其一の襖絵。襖にしたことで、風神雷神が暴れる(?)舞台が大きくなって、動きがあった。そうなんだよね、光琳、抱一の作品は綺麗なんだけれど、おとなしくなっちゃうのだ。 
 もちろん光琳だって、抱一だって好きなんだけど。

 今回の「大琳派展」は、つくづく贅沢な展示だと思った。
  その素晴らしさは興奮してしまうのだが…、それにしても残念なのは、東京国立博物館はバリアフリー対策がゆるいというか、お客に対してホスピタリティがないというか…。いや、夏の暑いときには傘を貸し出したりしているから、気配りがないわけじゃないんだけど…。ひとりひとりの係員も感じがいいんだけど…。詳しくはまた別の機会に。


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BRUTUS『琳派って誰?』

 『大琳派展』にあわせた特集のBRUTUSを発売日に買った。

 宗達が好きで『大琳派展』をとっても楽しみにしているのだけれど、今号の『BRUTUS-琳派って誰?-』で読み応え、見応えがあったのが、--アメリカが発見した「RIMPA」。--という記事。フリア美術館を中心に、アメリカに渡った作品の紹介だ。残念ながら門外不出の作品が多く、大琳派展でも見られない作品ばかり。「アメリカに行きた~い」とため息が出る。「BRUTUS」の美術特集って、写真がとっても綺麗だ。
 田中一光も好きなので、「20世紀琳派、田中一光を知っていますか?」も、嬉しい記事だった。 

 発売日にいそいそと雑誌を買いに行くなんて、私としてはめずらしいこと。書店のレジで『BUTUS』を差し出すと、隣から「ありがとうございます!」と声をかけられたので軽く会釈をした。『BRUTUS-琳派って誰?-』のポスターを抱えていたから、きっとマガジンハウスの営業の人なんだろう。絶対売れるだろう号でも、一所懸命営業しているんだなあ。頑張ってください。

  

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「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

先日、東京都美術館で行われている「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」に行った。

  フェルメールの作品が、「ワイングラスを持つ娘」「小路」「ヴァージナルの前に座る若い女」「手紙を書く婦人と召使い」「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」「リュートを調弦する女」と、7 点も揃うと聞いて、楽しみにしていた展覧会。平日の夕方だったので、混雑もなく、わりとゆっくり観られた。

 もともと現存する作品数が少ない画家だから、7点も見ると、この人の作品の傾向がなるほどなあと、伝わってくる。いくら画集で”お勉強”してもピンと来ないのに。これが本物を観る楽しさなのだろう。
 光と影にも納得するが、そのことに触れている解説が多いせいもあって”物語”を意識させられる。「手紙を書く婦人と召使い」の、婦人が書いている手紙や、召使いの視線の先はもちろんのこと、「ヴァージナルの前に座る若い女」の、あの頼りない表情はなんなのだろうとか。

 ただ、あまりにも期待が大きかったせいか、昨年の国立新美術館「フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展」の「牛乳を注ぐ女」のような、ただ見ているだけで幸せ、という興奮はなかった。そんな体験なんて滅多にないし、毎回していたら疲れちゃうけど、ね。

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崖の上のポニョ

 ようやく『崖の上のポニョ』(原作・脚本・監督 宮崎駿)を観た。

 ポニョは可愛いけれど、これは宗介と、宗介のお母さんの物語。この親子がとっても素晴らしい(以下、結末がわかってしまうが、悪しからず)。

 アンデルセンの『人魚姫』は、王子と結婚できず、海の泡になってしまう。王子が人魚姫を好いているとか嫌いとかの以前に、「身分」が邪魔をする。
 ディズニーの『リトル・マーメイド』は、王子との間に愛が芽生え、結婚できる。愛こそすべて、愛があれば報われる。

 現代の人魚姫ポニョは、人間の世界の庶民の子ども、宗介を好きになり、宗介のところに来る。宗介も、ポニョが好き。『人魚姫』や『リトル・マーメイド』と決定的に違うのは、宗介が、魚の姿のポニョも、半漁人の姿のポニョも、人間のポニョも好きで、どんな姿をしていても、なんの抵抗もなく、「ポニョ」として受け入れることだ。
 これは、すごい。いままでのおとぎ話なら、たとえば魔法にかけられた王子がカエルの姿で姫に愛を告白しても、カエルの姿のままでは姫には嫌われる。『美女と野獣』でも、野獣が美女の心をほどくには時間が掛かる。けれど、宗介は「僕も好き!」で万事了解なのだ。

 後半は宗介の成長物語と位置づけられているようだが、宗介は試練を試練と思っていない。淡々と、やるべきことをやるだけだ。むしろこの一件で成長させられるのは、試練を与えたはずの海に住む人たち(とくにポニョの父)である。

 宗介の母リサは不思議なことがいろいろあっても、動じずポニョを受け入れる。リサの心の広さ、強さは感動的だ。彼女はデイケアサービスセンター「ひまわりの家」の職員で、「ひまわり」の隣の保育園に通っている宗介は、「ひまわり」の利用者のおばあさん達とも仲良しという設定。宗介の父は船乗りで留守がちだが、リサと宗介を愛しているし、宗介も父を尊敬している。このような両親と環境があって、宗介は、異形の者であるポニョのことも、当たり前のこととして「好き!」と言えるのだろう。

 母子の気負いのなさは、実はこれからの共生社会の大事なポイントでもある。リサや宗介のように先入観を持たずに他人を受け入れられる人が増えたら、こどもたちはもちろんのこと、高齢者や障碍者、いや全ての人がもう少し生きやすくなるだろうと思わずにはいられない。
 いろいろなメディアで紹介されていて主題歌も大ヒット、話題になっているエピソードもたくさんあるが、なにより奧が深い物語だった。

 作品のキャッチコピーは、「生まれてきてよかった」だ。大人に観てほしい。

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ルオー 大回顧展

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 出光美術館『ルオー 大回顧展』に行った。
今年は没後50年であちらこちらで幾つか回顧展があるようだが、出光コレクションは400点以上、世界最大規模だそうだ。この回顧展は、--代表作の連作油彩画《受難(パッション)》、銅版画集《ミセレーレ》をはじめ、初公開を含めた約230点--を展示してあり、圧倒される。
たしか、松下電工の汐留ミュージアムもルオーのコレクションだし、キリスト教は少数派なはずなのに日本人はルオーが好き?

 画商ヴォラールとの契約で裁判になった有名な所有権問題から、300点以上の未完成の作品を焼いたといわれている。300点も未完の作品があるのも、ちょっとどうかと思うが、連作があったり、版画も手掛ける作家だったとはいえ、いったい生涯に何点描いたのだろう。

 ついつい絵の内容よりも、”量産”のほうに頭がいってしまう。油絵の量産時期にはヴォラールから厚塗りを禁止されていたようで、その反動なのか、晩年の作品の厚塗りの凄いこと、凄いこと、驚くほどだ。

 私は宗教画より、ピエロ系の題材が好きなのだけれど、重厚で個性が強いルオーの作品230点を見終わると、いささか疲れ、ロビーで皇居を眺めながら一息ついた。


 

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Over The Rainbow……? ~アリス的不完全穴ぼこ墜落論~

 青山円形劇場で行われた、タカイズミプロジェクト Vol.1『Over The Rainbow……? ~アリス的不完全穴ぼこ墜落論~』。

 まずは、高泉淳子が演劇創作に戻ってきたことが嬉しい。ファンとしてはどんなに待ち望んでいたことか。ライヴもいいけれど、この人の歌は、役者としての彼女がいてこその、歌だと思う。

 物語は、老いたアリスが、同じく老いているであろう友人、ドロシーにあてた、長い長い近況報告。いや、近況っていえない、初恋の頃からの回想が連なる。初恋の相手は山田のぼるくんそっくり、アリスが時計を背負っていたり、と、『僕の時間の深呼吸』を彷彿させるが、あの頃より、高泉の目は大人になって、人生と折り合えるというか、老いをうまく取り込むようになったのではないか。『僕の時間の深呼吸』を今観たらメチャクチャ面白いと思うが、そこで止まらないで、成長中? 進化中? 

 洗練された表現が、小粋だ。高泉自身が持つ「芸」といったらいいのか「技」といったらいいのかが、ギッシリ詰まっていて、それに山本光洋のパントマイム、遠藤守哉の声、羽田謙治の妖しさ、等々俳優達が見せてくれる。宇野亜喜良の美術も美しい。

 物語の力を信じていないわけではない。でも、俳優の身体が動きだすと、もっと面白くなる。俳優を信じているというか、俳優に厳しいというか。歌も、小道具もとっても効いていて。
 
 リーフレットに、高泉が書いている。
「台詞だけっきゃないお芝居なんて、いったいなにが面白いっていうのよ」
 ああ、これなんだな、彼女がやりたいことは。

 Vol.1だから、続いていくんだよね。どう進化していくのか、楽しみだ。

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対決 巨匠たちの日本美術

 東京国立博物館 平成館で行われている『対決 巨匠たちの日本美術』(8月17日まで)。

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運慶 vs 快慶 /雪舟 vs 雪村 /永徳 vs 等伯 /光悦 vs 長次郎 
宗達 vs 光琳 /仁清 vs 乾山 /円空 vs 木喰 /大雅 vs 蕪村
若冲 vs 蕭白 /応挙 vs 芦雪 /歌麿 vs 写楽 /鉄斎 vs 大観

 日本美術への興味はここ数年のものなので、まだまだ知らないことばかりだけれど、これだけの人名を並べられたら、あまりに豪華で目を回しそうな勢い。
 「 ”対決”させちゃっていいんでしょうか」という組み合わせもあるし、陶芸は観てもよくわからない無粋な人間なのだけれど、一堂にこれだけ観られるのは滅多にない機会なので、いそいそと行った。

 なかでも、とっても楽しみにしていたのが、宗達。『蔦の細道図屏風』(重要文化財)の前で釘付けになる。『松図襖』 (重文)も、迫力満点。私の中ではこの勝負、「ごめんね、光琳」って感じなのだけれど、光琳だって宗達に憧れていたんだもの、わかってくれるさ。8月11日からは二人揃って『風神雷神』が出るらしい。
 光悦 vs 長次郎のコーナーに展示されていた『舟橋蒔絵硯箱 』(本阿弥光悦書・俵屋宗達画)、『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』 (本阿弥光悦書・俵屋宗達画  重文)も観たかったんだ! 秋にはこの平成棺で「大琳派展-継承と変奏-」 が開催される予定だが、すでにこの展覧会で大盤振る舞い。

 応挙vs芦雪の師弟も、面白かった。虎対決、応挙の『猛虎図屏風 』と、 芦雪の重文『芦雪』 はスケールの大きさとその動きで 芦雪に軍配を上げたいが、この絵、去年観た、金比羅さんの応挙の『虎図』を思い出す。そうなると、お師匠さんのほうが一枚上手?

 比べて面白かったのは、永徳vs等伯。というか等伯の『松林図』。狩野派をライバル視していたのに、ここに行き着いたんだなぁと。
 

 グッズ売り場にガチャガチャが並んでいた。山口晃が描く、今回対決した(させられた?)巨匠達の肖像画のカンバッヂ。回してみたら(コインが詰まって、お姉さんを呼びに行く。子ども連れでもないのに、オバサン一人でガチャガチャやって、詰まっちゃって、恥ずかしいったらありゃしない。)乾山が出てきた。残念、焼き物わからないんだよう…、と思いつつ、この人も琳派。大琳派展は見逃せませんな。

 カンバッヂの乾山さんをご披露しようと写真に撮ったがうまくいかず、代わりにこちらで。

 


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フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重

東京国立博物館、表慶館で行われている日仏交流150 周年記念 オルセー美術館コレクション特別展『フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重』(8月3日まで)。

19世紀にフランスでジャポニスムが流行った頃、テーブルウェア(食器)にも、日本の浮世絵の図柄が使われた。その作品の展示。二つの窯元、ルソーとランベールのテーブルウエアと、本絵の浮世絵を対比してある。
 セルヴィス・ルソー(ルソー・セット)は下絵を転写する方法、セルヴィス・ランベール(ランベール・セット)は手書きだそうだ。

 ルソー・セットは北斎漫画の中の図案を組み合わせたものの展示が多いのだが、その組み合わせが突飛と思えるものもあって…。

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ランベール・セットは、こんな感じ(ポストカード)。<深皿 海に亀図>。元の絵は、河鍋暁齊<『暁齊楽図』 乾の巻 海に亀>。現存する数が少ないランベール・セットは、日本初公開だそうだ。

長方形のところを円形に、そしてお皿に映えるように、うまーくアレンジしている。綺麗ね。
ジャポニズムって意識しなくても、じゅうぶん惹きつけられる人がいたんじゃないだろうか。
でも、これで実際に食事をしたいかと言えば、私はNon! 飾り皿として、眺めたい。

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ナンシー関 大ハンコ展

 渋谷に出たので、PARCO FACTORYで開催されている『ナンシー関 大ハンコ展』(6月15日まで)を見ようとしたら、予想以上の長蛇の列で諦めた。一つ一つの作品が小さいので流れが悪いんだろうけれど、階段まで使って列がずーっと。大多数が若者。

 いや~、驚いた。亡くなってから6年経つので、二十歳ぐらいの人はあんまり覚えてないんじゃないかと思っていたのだが、この人気。彼女に代わる人がいなくて、むしろ存在感を増したと言われているようだが、なぜいま若者にナンシー関? 

 しかし、この企画に渋谷パルコという会場がとっても似合っている。というか、私の中では、「ほかにどこかありますか?」という感じ。PARCOもナンシー関も、ともに80年代カルチャーだから。来週、いけるかな~。

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英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展

 真夏のように暑かった日。午前中に都心で用事を済ませ、どこか美術展でも観て帰ろうかと、思い頭に浮かんだのが、上野の、芸大のバウハウス+都美術館のパリの100年展コースと、森ビルのターナー賞。いつもの私なら上野コースを選ぶのだが現代美術の展覧会をすぐに思い出すことはめずらしいので、それじゃあ行ってみようと、ターナー賞の歩み展を観た。

 現代美術ってよくわからない。先に発想ありき? 奇抜な発想が、現代美術なのかなあ? 軽井沢の『セゾン美術館』に行ったときも、マン・レイの作品は面白いと思ったものの…。
 といいつつ、なんとなく気になるのだ。

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 イギリスで1984年に始まったターナー賞。展覧会のタイトルが、現代史ではなく「現在史」になっているのは、現代美術の先端を行っているということか。現代美術の時間的な定義って曖昧だものね。
授賞式がテレビ中継される、国民的行事なんだそうだ。後半から映像作品が出てくるのは時代性? それとも…。
 トニー・クラッグのウエディングが楽しく、グレイソン・ペリーの一連の壺の作品が興味深かった。

 展覧会を観た後、森タワーの展望台に寄る。展望台、リニューアル中だそうだ。
 入るとすぐに、東京タワーの赤と増上寺の緑が目に飛び込んで来る。スタッフのお姉さんが「カメラか携帯電話をお持ちでしたら、東京タワーをバックに写真をお撮りしまーす」とサービスしていた。どんなに超高層ビルが建とうとも、やっぱり東京の絶景スポットは東京タワーなんだよね。

 国会議事堂と皇居の森も美しい。皇居、赤坂御所、上野恩賜恩賜公園、浜離宮、自然教育園、有栖川公園、明治神宮から代々木公園、新宿御苑と、まとまった緑が見えるところのほとんどが、皇室に所縁のある場所。乱立する超高層ビルを、それらの公園でどうにか食い止めているように見える。

 超高層ビルが、なぜこんなに東京に必要なのか、わからない。人口が減るって騒いでいるときに、建設業者や不動産会社は、未来のことなんて総合的に考えてないでしょ。
 四川の大地震があったばかりなので災害についても考えてしまう。たとえビルが地震で残ったとしても電気や水道がストップしたら、超高層ビルに住む人はどうやって援助を求めるのだろう。たまにレストランで食事をしたり、ホテルに泊まるのは楽しいけれど、建ちすぎちゃって、そういう魅力も半減だ。
 同じようなビルが建ち、同じようなテナントが入り、超高層ビルの使い捨て、ひいては東京の使い捨てになりませんように…。
 
 

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吉祥寺美術館 浜口陽三記念室


 2002年にオープンした吉祥寺美術館。吉祥寺に美術館ができると聞いたときには正直言ってピンと来なかったが、5年目ぐらいから行くようになった。
 企画展を観たあと、必ず立ち寄るのが「浜口陽三記念室」と「萩原英雄記念室」。二人とも武蔵野に縁がある版画家で、市に作品が寄贈されたのだとか。テーマを掲げて、ときどき作品を入れ替えている。実は、企画展は好みではないものもあるのだが、そんなときでも、この二人の「記念室」を観ると満足する。

 ここで改めて観るようになって、浜口陽三の作品が好きになった。纏まったコレクションが観られるのがいい。

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「蝶」

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「赤い皿」

 小さな美術館でも、常設展の魅力ってあるんだな、と思う。

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五味太郎作品展 絵本の時間 

 武蔵野市立吉祥寺美術館で、『五味太郎作品展 絵本の時間』を観た(6月11日まで)。

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 五味太郎の絵本は、絵も、色遣いも、言葉のリズムも好きだが、テーマへの視点が大好き。たとえば、桃太郎と鬼がいくつもの”合戦”の後仲良くなる 『ももたろう』とか、動物とうんちの絵を描いた 『みんな うんち』とか(いずれも前期に展示)。 『みんな うんち』は、人間の排泄も描いているから、読むと人間が動物の一種であること、排泄は大切なことを楽しく学習することになる。なんてたって絵本を読む年頃の男子は、うんちにとっても興味を持つし、目のに付けどころがさすが、元男子、なのだ。ちなみに1945年生まれと言うから、御年63歳。

 展示している原画は作品の一部だが、絵本が置いてあるので、お話しが読める。絵本以外にもデザインを手掛けた商品の展示や、創作過程を映したビデオも楽しめた。
 後期展示にもいかなくちゃ! 
 

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中右コレクション 幕末浮世絵展

 三鷹市美術ギャラリーで『中右コレクション 幕末浮世絵展 大江戸の賑わい──北斎、広重、国貞、国芳らの世界』を観た(6月8日まで)。

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 広重の「東海道五拾三次之内 蒲原」や葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」といった有名な絵もあるが、幕末に絞ってあとはノンジャンルの約150点。役者絵や美人画、開国の様子等々、当時の庶民の生活が垣間見えて、こういう切り口も楽しいものだ。 
 このコレクションを所有している中右英氏(国際浮世絵学会常任理事)、ご自身は洋画家だそうだ。

 チケットに使われているのは、「北亜墨利加洲華盛頓 副将「アハタムス」像」という大判錦絵。ペリーの副官だったアダムスのことで、デフォルメされ鬼の形相というかなんというか、面白い顔になっているが、この絵のとなりに穏やかな顔のアダムスの錦絵があって、こういう展示の仕方もいいな。他の風刺画もけっこうユーモラスで、いまより大らかな気風だったのかも、と思う。

 役者絵の歌舞伎役者はみな、同じ名を襲名している現代の役者さんに心なしか似ている。襲名とは、そういうものかと面白い。ナマズを描いた地震の絵があって、これがとっても気に入ったのだが、画像が紹介できなくて残念。

 作品の説明も丁寧で、でも多すぎず、観る側の想像をほどよく刺激する程度。美術展に行くとときどき気になる、空間と作品の関係という点でも、この美術館にこの展示はいい相性だった。
  

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正福寺と八国山

 ゴールデンウィークのある日、所沢にお出掛け。西武新宿線で、「東村山」を通る。帰りに”ぶらり途中下車の旅”。お目当ては、東京都唯一の建造物の国宝、正福寺の地蔵堂だ。

 駅前を再開発しているからなのだろうけれど、都内唯一の国宝建造物がある所にしては、宣伝も、目立つ案内図もなく、駅にフツーの地図が地味にあるだけ。途中不安になって、お総菜屋さんの店員さんに尋ねたら「知りません」。きっと地元の人じゃないのね。そのうち割烹着を着ているお婆さんとすれ違ったので尋ねたら、快く教えてくれた。この方は地元の人なのね。

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かなり近くなってから、みつけた案内図。

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金剛山 正福寺。鎌倉の建長寺派に属する臨済宗のお寺だそうだ。門の向かいに消防団分団の施設があって、さすが! 火事に一番気ををつけないとね、と納得する。

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地蔵堂は、円覚寺舎利殿とともに代表的な禅宗様建築。室町時代の1407年に建立されたそうな。

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この日は見られなかったが、お堂の中には沢山の小さなお地蔵さまが奉られているんだって。江戸時代、願い事がある人が奉られているお地蔵さまを借りていき、願い事が叶って、借りたお地蔵さまを返しに来るときに、新しいお地蔵さまを一体一緒に持ってきて奉納したのだそうだ。それが増えていって、千体地蔵と呼ばれるようになったなんて、善男善女の素朴で健やかな信仰なんだろう。

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境内にあった井戸。そういえば、道沿いの民家でも井戸のポンプを見かけた。

正福寺から、北山公園に出ようと思って、迷って少し遠回りをしてしまう。先ほど出会った案内図に西武遊園地の観覧車が描かれていたが、ほんとよく見える。減農薬農法の看板を掲げている畑で仕事をしていたおじさんに「すみません。北山公園ってどこですか?」と尋ねると、「すぐだよ。八国山の麓だから」と教えてくれた。ありがとう!

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正福寺の近くの案内図を観て気がついたのだが、八国山は『となりのトトロ』に出てくる七国山のモデル! 「ああそうか、この辺りがトトロの舞台なんだ!」と嬉しくなる。宮崎アニメの中で一番好きなので。そういえば、『トトロ』20周年なんだよね。線路沿いに戻ると小学校があって、これはきっとサツキちゃんが通った学校のモデル。その裏を出れば、北山公園。北山公園は、菖蒲の名所らしいが、まだ時期が早かった。

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北山公園から観た八国山の緑。ほんのちょっとの寄りのつもりが、国宝はもちろん、思いがけない自然にも出会えて大感激の東村山散歩。東京にも、まだまだいいところがたくさんあるね。

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国宝 源氏物語絵巻

 ゴールデンウィークのある日、上野毛の五島美術館に行った。「春の優品展」が行われていたが、お目当ては毎年ゴールデンウィーク期間中に公開している『国宝 源氏物語絵巻』。

五島美術館が所蔵しているのは蜂須賀家本のうち、「鈴虫」2場面、「夕霧」、「御法」の三帖分。元々は、「詞書(ことばかき)」と「絵」を交互に並べている絵巻だったが、保存上の問題から昭和7年に、詞書と絵を切り離して額装したのだそうだ。

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「御法」(部分)
病身の紫の上が、明石の中宮と源氏に別れを告げる場面。

それぞれの場面のオリジナルの横に、復元模写した絵が展示してある。
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「御法」復元模写 加藤純子
顔料を分析して色を出したそうで、こんなに鮮やかだったんですねぇ。

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「鈴虫 二」復元模写 加藤純子
描かれている男達はいずれも高貴な身分だし、プライベートな場面だからかもしれないが、男性の装束がみんな藍色だったとは。若干透けて見える下の着物が、家臣は赤みがかっているくらいで。もっと身分の差で、色が分けられていると思っていた。
 そんなに混んでいなかったので、それぞの場面の新旧の絵を思う存分見比べた。

 今年は源氏物語1000年紀なのだとか。横浜市美術館でもちなんだ展示を行うそうでチラシが置いてあったが、あの美術館に源氏、似合うかしら? 絵巻や浮世絵などは、あまり大きな空間で見たくない私。興ざめするのだ。逆に、「東山魁夷展」みたいに狭いのも困るけど。作品と展示室の空間との関係って(動員数も読まなきゃいけないけど)、すっごく大事だと思う。
 五島美術館は、ゆったりと時が流れる。庭園も、新緑が美しかった。
 


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メルシャン軽井沢美術館

 大賀ホールで楽しいコンサートを聴いたあと、軽井沢に1泊。翌日は美術館巡り。「セゾン現代美術館」でマン・レイを観たあと、しなの鉄道の御代田へ出て、「メルシャン美術館」へ。

 開催中の美術展は『モリスの夢見た日々』。ウィリアム・モリスが手掛けたステンドグラス、テキスタイル、壁紙、家具の展示。室内装飾といえばいいのかな。モリスは、生活に根ざした装飾品が工業生産されるようになった初期の頃の人で、近代デザインの父と呼ばれている。ほぼ同時代のせいか(国は違うけど)、先日観たガレを思い出した。
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 ステンドグラスはバックライトフィルム(って仕組みはよくわからないのだけれど)で再現されたものだそうだ。天井の高い美術館で、テキスタイルや壁紙を気持ちよく観られる。ここはもともとウイスキーの蒸留所で、美術館もウイスキーの樽貯蔵庫を改修して造られたのだとか。

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敷地内にある、ウイスキーの蒸留所を見学した(無料)。貯蔵庫の壁に絡まる蔦が、夏は生い茂り日光を遮り、冬は葉が落ち、温度管理になるという。いまは、若葉が出てきたところ。
世界一小さい蒸留所ながら、国際コンペで賞をとっているのだそうだ。
試飲したモルトウイスキー「軽井沢17年」、クリアーでまろやかで、美味しゅうございました。

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裏庭の展望台から、浅間山がくっきり。素晴らしい眺めだ。
中庭はちょうど桜が満開で、こぶし、小手毬などの花々も一斉に咲いていた。白樺やから松の緑もまぶしく、しばらくベンチに腰掛けてゆったりとした時間を過ごした。



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ガレとジャポニズム

 サントリー美術館『ガレとジャポニズム』に行った(5月11日まで。巡回・大阪 サントリーミュージアム<天保山>5月22日~7月13日)。

 ガレを体系的に観たのは、2005年に江戸東京博物館で行われた『エミール・ガレ展』。その人と作品の歴史に沿った展示会だった。
 今回のサントリーの展示は、ジャポニズムに焦点をあてたもの。参考作品として、「北斎漫画」や広重、宗達などの作品も展示されている。鯉やカエルのモチーフなんて、北斎漫画そのままだ。

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花器《バッタ》1878年頃

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花器《茄子》エミール・ガレ 1900年頃

 サントリー美術館蔵の作品も多く、その多くが(菊地コレクション)という。菊地さんって、どなた? 19世紀に海外に出た日本美術が、ヨーロッパの作家に影響を与え、その作品をまた日本のコレクターが収集する。さながら、合わせ鏡に写し出された日本美術、といったところか。

 ジャポニズムも面白かったが、照明が作品の魅力を引き出していて、一つ一つの作品を眺めるだけでも満足。サントリー美術館は照明のあて方が、素敵。

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モディリアーニ展

 国立新美術館の『モディリアーニ展』を観た(6月9日まで。巡回・大阪 国立国際美術館 7月1日~9月15日)。

 細面の顔、長い首、アーモンド型の目の肖像画を得意とする、エコールド・パリを代表する画家。展覧会のフランス語の題名が、Modiliani et le Primitivismedeで、--原始美術の影響を色濃く示す初期の<カリアティット>の作品群から独自の洋式を確立した肖像画にいたるまで、幅広い作品を紹介し、プリミティヴィスム(原始主義)に根ざしたモディリアーニの芸術がいかなる変遷をとげたのかを探ります。--とのこと。
 プリミティヴィスム(原始主義)って、19世紀末に流行っていたんですよね、たしか。モディリアーニは1884-1920年の人だから、時期的にはちょうどその頃というわけか。

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<カリアティッド>1914年
 思わず、その白い肌に触れてみたくなる。ギリシャ神殿の柱の彫刻「カリアティッド」はプリミティヴィスムの影響を受けているそうだ。カルアティッドの作品群は、そのモチーフの印象なのか、彼自身の取り組みがそういう時期だったのか、エネルギッシュな印象を受けた。
 もともとモディリアーニは彫刻家を目指していたが、持病の結核のために体力がなく、彫刻を断念したのだとか。観てみたかったな、彼の彫刻。展示されている約150点の作品は、油彩、スケッチあれど、すべて絵画。
 
 そして、カリアティッドの作品群はあるものの、基本は肖像画。体系的にモディリアーニを知る上では面白い展覧会だが、後半の展示は、細い首を傾げた人物たちばかりが並んでいて、ちょっと息が詰まった。去年観た『モーリス・ユトリロ展-モンマルトルの詩情-』を思い出してしまった。息抜きに違うモチーフがほしいといっても、ない物ねだりなんだろうけどね。

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<赤毛の若い娘(ジャンヌ・エピュテルヌ)>1918年。
 これは好き。まなざしに意思がある表情だから。モデルはジャンヌと言われているが、瞳の色が違うそうだ。

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フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ

『東山魁夷展』を観た後、新緑が瑞々しい北の丸公園を散歩しながら千鳥ヶ淵のイタリア文化会館へ。ロビーで行われている『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』を観た。3月の下旬、千鳥ヶ淵にお花見に来たときに前を通ったら、玄関の柱に、鷲鼻の男性と、たぶん彼の妻なのではないかと思われる女性の肖像があって、「なんのイベントだろう?」と思ったのだった。
 その日は寄らなかったけど、なんだか気になって、イタリア文化会館のサイトを観たら、ウルビーノ公国の君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公(1422-1482)がグッビオのドゥカーレ宮殿の中に造らせたストゥディオーロ(小書斎)の複製を展示してあるという。それは、見逃したら後悔する!というわけで、ギリギリセーフで観た(20日まで)。
http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/webform/SchedaEvento.aspx?id=249

 ストゥディオーロの壁は、遠近法を用いただまし絵の寄木細工。描かれているものは、剣や屋鎧の武具、太鼓やリュート、ハープ、オルガンなどの楽器、書物、書見台、球体のオブジェや分度器、コンパス等、ルネサンスの文化とはこういうものか、と感動。ちなみにイタリア文化会館玄関の柱の肖像画の男性がフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公で、女性は奥方。
 
 イタリアの地元の職人達が5年以上の歳月をかけて、複製を完成させたのだそうだ。世界初公開って、イタリアの人より、日本人が先に観せてもらって申し訳ない。
 国立西洋美術館の『ウルビーノのヴィーナス』と連動したイベントだったようだ。美術のお勉強的には重要なんだろうけど、ヴィーナス(裸婦)あんまり興味ないしなあ、と思っていて、まだ観ていなかったのだけれど…。行ってみたら、このストゥディオーロのようにルネサンスを目の当たりにできるかしら?
 
 

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生誕100年 東山魁夷展

 国立近代美術館の『生誕100年 東山魁夷展』 に行った。

 

 東山魁夷は90歳まで生きた人で、作品数も多い。主に自然を描く人で、「道」とか「緑響く」に代表される、緑や青色のイメージが強い。唐招提寺の襖絵を描いた人。そんな予備知識だった。

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「冬華」
北欧を旅したときの風景を描いたもので、樹の上で輝くものは、月ではなく太陽なのだとか。インターネットに載せると、なんとなく青味と赤味を帯びるが、もっと白黒の濃淡で、きりりとした冷たい空気が感じられたのだけれど。


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「窓」
自然をモチーフにした作品が多いと思っていたが、建物や窓の風景も多いのだそうだ。
ヨーロッパの町並なので洋風のイメージを受けるんだろうが、日本画と西洋美術の違いってどこにあるのだろうと思う。画材の違い以外、互いに良い意味でなんでも有りなのかな。すみませんね、素人の疑問で。

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「行く秋」
緑の自然もいいけれど、これも美しい。この落ち葉の上を歩くとき、足裏に伝わる感触まで見えてきそうな1枚。

 惜しいのは、スペースが狭いこと。東山魁夷の絵は、大きい作品が多いし、今回は出展数も多い。後ろにさがって観たいと思うと、向かいの展示を鑑賞している人の邪魔になってしまう。人気の画家だから会期中盤の平日でもけっこう混んでいる。近代美術館には悪いけれど、六本木の国立新美術館でゆったり観たかったなあ。

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国宝 薬師寺展

 東京国立博物館「平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展」(6月8日まで)、大興奮、大感動である。

 聖観音菩薩立像、慈恩大師像、八幡三神坐像、吉祥天像と国宝が惜しみなく展示されているのも素晴らしいが、展示の仕方もまた素晴らしい。今回は彫刻の周りを回って360度、全方向から眺められる。

 特に、日光・月光菩薩立像(国宝)に、釘付けになってしまった。スロープを上がっていくと向かって左に月光菩薩が見えて来て、右手に日光菩薩。やや高いところから正面の全体のお姿を眺めて、そこから下って、見上げるように二尊の周りを回る。
子どもの頃お詣りして好きだなと思ったのだが、こんな至近距離から拝見できるなんて。奈良の薬師寺に奉られているときは背中に金色に光り輝く光背があるし、正面からだってこんなに近づけないもの。

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月光菩薩

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日光菩薩 

 こんなことを言うのは不謹慎なのかもしれないが、ちょっと腰を傾けたポーズといい、手指の表情といい、肌の色艶といい、惚れ惚れするほどセクシーな、お姿だ(私、仏教への信仰心は希薄なのだが、二尊を敬う気持ちはある)。若干日光菩薩のほうがふくよかだ。あまりに美しいので、ずっと眺めていたい。この幸福感をどう表現したらいいのだろう。これが、信仰心に繋がっていくものなの?

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展覧会のトリを飾る「吉祥天画像」。思っていたより小さい絵だったが、これも至近距離で細部まで見られた。

 他にも重文クラスのものもたくさんあって、こんなに持ってきちゃったら奈良の薬師寺さん、寂しくないかなあと心配してしまうが、東博で薬師寺展を開いてくださり、ありがとうございます。
 会場を一回りした後、名残惜しくて日光菩薩、月光菩薩を、もう一度拝見した。
 
 この展覧会、また行きたい。また、二尊にお会いしたい。

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博物館でお花見を

 「博物館でお花見を」というコピーに誘われて、東京国立博物館でお花見!
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 4月6日まで庭園開放と、本館(平常展)で桜にちなんだ作品を展示している(春の庭園開放は4月20日まで)。東博の庭園、一度入ってみたかったんだ。写真のお茶室は春草蘆(シュンソウロ)、江戸時代、河村瑞賢が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所だそうだ。その後大阪、横浜の三渓園、埼玉県所沢市にある柳瀬荘と転々と移築され、昭和34年にここに移されたのだとか。アチコチ旅して、いやー、ご苦労様でした。

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 エドヒガンシダレ。
 大賑わいの上野公園から道路一本隔てて、庭園の趣を楽しむ大人の花見。ヤマザクラ、オオシマサクラ、カンザン、ロトウザクラ、ミカドヨシノ等々、それぞれに風情がある。本館や平成館の窓から、舞う花びらを眺めるのもステキ。
 前庭の桜も美しく、普段は行かない表慶館の裏手や黒門の方まで散歩をしたら、もう柳が芽吹いていて、新緑がまぶしかった。

 本館の展示は、とくに桜をあしらった作品にサクラマークがついている。
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国宝室は狩野長信「花下蓬莱図屏風」(部分)
 他に、勝川春潮の「飛鳥山花見」とか、歌川国貞「北廓月の夜桜」等々32点。刀の鍔(ツバ)「枝桜透鍔」は、超モダン。刀の鍔(ツバ)に桜?と思ったが、刀もサクラも武士の魂でしたね。

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 サクラマークではないけれど、順路の最初にあった「伝源頼朝坐像(でんみなもとのよりともざぞう)」 。横から見るとお腹が少々でているけど、正面からは実にシャープな姿。

 

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「千鳥ヶ淵」でお花見

 今年は、桜の開花宣言が出たと思ったら一気に満開。見頃を外したらもったいないので、週末の28日、千鳥ヶ淵に行く。 まずは、山種美術館の「桜さくらサクラ  2008」へ。
 
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石田武「千鳥ヶ淵」。山種美術館にちなんで描いたのだろう、美しい作品。山種では毎年この時期に「桜さくらサクラ」と題した展覧会を開催している。花見の名所ならでは。
 
 桜の遊歩道に出て、満開のアーチの下をそぞろ歩きながら、ときどきお堀の向こうの桜も愛でたり。なんでこんなに桜に浮かれるのかなあ。浮かれるといっても、桜の下の宴会は一度もやったことはないのだが、でも毎年ウキウキするのよね。きっと、DNAに桜の花の”彫り物”があるんだわ、と考えた。
 こうやってのんびり春が迎えられたことが、幸せ。

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運慶の大日如来像

 今日は「明日の神話」の他にも美術のニュースが。

 運慶の作とみられる「大日如来像」が、ニューヨークのオークションで、約14億円で、三越に落札されたそうだ。
http://www.asahi.com/culture/update/0319/TKY200803190004.html

三越というから、三井記念美術館ででもお目にかかれるのかと思ったら、”顧客の代行”だそうで、個人か団体かもあかせないって。是非公開してくだされ!

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明日の神話

 岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」の恒久設置場所が、渋谷駅のJR線と京王井の頭線の間の連絡通路に決まったそうだ。よかった、よかった。
http://www.taro-okamoto.or.jp/asunoshinwa.html

私の行動範囲でもある。展示されたら迫力あるだろうなあ。
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1日30万人が行き交う場所なのだとか。あそこなら、老若男女、アートに興味がない人にも、日頃「原爆」にピンと来ない人にも、日本人だけじゃなく世界各国の人たちにも、観てもらえる。唯一の被爆国の首都である東京に、原爆を意識する場所があってしかるべきだと思うのだ。
 

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ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展

森アーツギャラリーセンターで『ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 ~ピカソ、シャガール、ウォーホル~』を観た。

 その前に、馴染みのレストランでゆっくりランチ。ワインももちろん、飲む。ランチなのでグラスにしましたが。
 ワイン、大好き。好みはハッキリしている。でも、銘柄は詳しく覚えていない。
 はじめて行くレストランだったら、前に飲んで美味しかったワインのエチケットを持っていって相談したり、予算のページのワインリストを見ながら、好みの味を話して選ぶ。このとき話しが弾めば、相性が良いレストランだ。
 馴染みのレストランならこちらの予算と好みをすでにわかっているから(いつもと違うときは予約の電話で伝えて)、ソムリエがあらかじめ用意してくれているもののなかから、お料理に合わせて選ぶ。
 いずれにしてもソムリエに相談するのがベストチョイス。お勧めの中にはサプライズもあって、楽しい。
 
 その銘柄を覚えられない私でも、さすがにシャトー・ムートンの名は”知識”として知っている(でも残念ながらロスシルドは飲んだことありませんが)。印象深いのはあのエチケット。

 というわけで、「ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 」。我ながらミーハーですが。そうか日本では、アサヒビールが輸入元なのね、と思いつつ。なんかイメージ違うなあ。 ピカソ、シャガール、ウォーホルとあるが、カディンスキーとか、ローラサン、キース・ヘリングなどもあって、気に入ったのは58年のダリの羊。会場の途中にボトルのタワーが展示されていて、原画とは又違うエチケットの表情を楽しめた。美味しいワインとアートの融合。贅沢でした。
 でもなんでこの展覧会、「エチケット」じゃなくて、「ワインラベル」ってタイトルに使っているんでしょうね? フランスワインならやっぱりエチケットでしょう?


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北斎の「冨嶽三十六景」

 日本橋の三越本店、三越ギャラリーで行われている「北斎 富士を描く展 冨嶽三十六景と冨嶽百景」に行ってきた(2月19日~3月2日)。

 「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴(赤富士)」はお馴染みだし、何点かずつは目にしたことがあるのだが、全作品揃って観る機会がなかった冨嶽三十六景。この展覧会では、冨嶽三十六景全作品と、半紙本『冨嶽百景』(三冊)を一挙公開だそうで、名所絵が好きな私にとっては、「是非とも行かねば!」だったのだ。
  
 1月に江戸東京博物館で観た「北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-」展とは、どうも相性が悪かったのだが、今回はバッチリ。好きな”富嶽”に絞られていて、解説もシンプルだし、お客さんの入りも多からず少なからずで楽しめた。デパートのギャラリーだからといって、あなどるなかれ。
 昨年山形美術館で展示された企画で、東京、滋賀(佐川美術館08年7月19日~8月24日)、名古屋(松坂屋美術館08年10月25日~11月16日)と巡回予定。

 「冨嶽三十六景」は、実際には三十六景+十景+変わり刷り四図の50点。「富嶽百景」は図版を一つ一つ額装した102点に、初編、二編、三編の原本の155点。三十六景と百景はそれぞれ別のコレクターだそうだが、快く観せてくれて、ありがとう。嬉しいのなんの。

「三十六景」は裏打ちや洗浄、紙継ぎなどの補修跡がほとんどないのだとか!

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<神奈川県沖裏>
よく見ると右下の端に朱色の印があるのだが、林忠正という明治初期にパリで活躍したの画商の印だそうだ。”ジャポニズム”を紹介した人といえばいいのかな。この一枚も海外流出組だった?

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<尾州不二見原>
改まった晴れの場面ばかりではなく、こうやって日常の仕事の桶の中に富士山が見えるっていうのがいいねぇ。
この桶職人のオジサンは「今日も富士が拝めて縁起がいいや」なんて振り返ったりするんだろうか。
所は尾張の国らしいが、東海・関東の人にとっては富士山はありがたい山で日本のシンボルみたいなもの。でも、日常の風景でもあり親しみもある。その意識は、超高層ビルが建って富士山を見る機会が減った現在の東京でもそんなに変わらないが、東海・関東以外の人にとっては、富士山ってどんな存在なんだろう。

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<甲州三島越>
松の巨木が、近くに見える富士山を二つに割っちゃってますが。変わり刷りがあった作品。朱系の茶色や緑が入ると、また趣が全然違う。

 赤い山肌を、冨士講の人たちが登っていく<諸人登山>は、はじめて見た。富士を眺めるのではなく、三十六景(四十六景)中、唯一富士山中の風景だとか。私は眺める富士のほうがいいなあ。

 『富士百景』は墨刷りで地味ながら、素晴らしい保存状態で堪能。百景といいながら百二景で、なんでキリの良い百にしなかったのかなと思いながら観た最後の一枚、<大尾一筆の不二>。一筆でシンプルに、かつ雄大で。
「三十六景」から続く富士の連作、北斎も満足のいくものだったのだろう。

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ロートレック展 パリ・美しき時代を生きて

 サントリー美術館で開催されている「ロートレック展 パリ・美しき時代を生きて」(3月9日まで)に行った。
 
  オルセー美術館のコレクションから7点の油彩画と16点の素描が出品されたのと、晩年の作品をクローズアップしているのが展示の特色。

 面白かったのは、ダンスホールやカフェを描いた作品の、モデルとなった芸人たちが実際にどんな人たちだったかわかったこと。スカートを翻すダンスで人気だった「ロイ・ファラー嬢」や、人気歌手のイヴェット・ギルベールなどの資料がたくさん。ロイ・ファラー嬢のスカートの動きは決して誇張ではなく、本物のイヴェット・ギルベールは意外と美人だった。あんなふうに描かれては、スターのギルベールは怒るだろう。せっかく隠しておいた舞台裏を描いちゃって。でも、「イヴェット・ギルベール、ポスターの原案」は好き。しばらくポスターを部屋に飾っていたことがある。

 ギルベールには意地悪だったロートレックの視線も、娼婦たちには優しい。 
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「赤毛女の<身づくろい>」
 身づくろいといいながら、手を止めて溜息でもついているんだろうか。美しい赤毛を引き立てる薄い青が、寂しげな雰囲気を醸し出している。

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「ひとり」も大好きな作品。疲れ果てて、ぐったりとベッドに身体を沈めているけれど、右脚の腿に乗せた手が、自分自身の温もりや呼吸を感じているはず。悲しいとか、気怠いとか、そんな一言では言い表せない、生きることのやりきれなさと、まだ生きていることの安堵感と…。彼女の姿はロートレックの心情と、鏡合わせなんじゃないだろうか。彼女の身体の薄さが、なんとも言えない。

 いい構成の美術展だったが、会場の区切り方が悪くて、人が溜まってしまうところがある。たとえば、<
最晩年の日々の解説パネルの掲示場所が悪くて人の流れを邪魔している。ロートレックに広い会場は似合わないと思ったのだろうけれど。

 キャッチが「六本木ムーランルージュ」。たしかに六本木という街は歓楽街ではあるけれど、サントリー美術館ならびに東京ミッドタウンというところはたいへんお行儀がよろしく、ロートレックが好んで出入りするだろうか。

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ルノワール+ルノワール

Bunkamuraザ・ミュージアムの「ルノワール+ルノワール展」(5月6日まで)。

 印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと、次男で映画監督のジャン・ルノワールの日本初共演だそうだ。父の絵画をべースに、父の影響を受けた息子の映画シーンをスクリーンに映して見せる趣向。この企画は一昨年のパリ、シネマ テーク フランセーズで開催され好評を博し、ルノワール監督の映画の再ブームを起こしたのだとか。
 日本人にとっても父のルノワールは馴染み深い印象派の画家。では息子のルノワールはどうだろう?と思ったものの、映画に疎い私でも、聞いたことがある題名がずらり、見たことがあるシーンもあって、ああ、この映画の監督が、ルノワールの息子だったのね、と再認識する次第。

 同じBunkamuraのル・シネマではルノワール監督の映画が上映されている(ルノワール+ルノワール展開催記念「ジャンルノワール 映画の世界」。会場は他に東京日仏学院、東京国立近代美術館フィルムセンター)。なるほど、この手があったんですね。Bunkamuraは芸術の複合施設だから、絵画と映画を連動させるのは、わけない話で。

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「ガブリエルとジャン」 
 ガブリエルはオーギュストの妻(ジャンの母)アリーヌ・シャリゴの従姉妹に当たる人で、ジャンの子守役だった。ジャンはオーギュストが53歳のときの子どもで、兄で俳優のピエールとは9歳違い。陶芸家の弟クロードとは7つ違い。弟はもちろん、彼も、兄も、父からすれば年を取ってからの子どもで、もうすでに父は著名な画家だった。そんな父から影響を受けないわけはない。オーギュストは、子どもが生まれてから家族の肖像をよく描くようになったという。東京都美術館で観た「アリーヌ・シャリゴの肖像」も、この展覧会で観られる。長男出産の後だとか。年が離れた妻も子どもも愛おしく、大切だったのだろうな。

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「田舎のダンス」。モデルの女性は、婚約中のアリーヌ・シャリゴ。
 肝心の父と子の作品の共演というテーマはさておき、実は、今回の展覧会でとくに観たかった作品。子どもの頃、家族と行った「ルノワール展」で観た記憶がある。たしか「都会のダンス」と並んでいたのだ。どこの美術館だったのかも忘れてしまったのだが、この「田舎のダンス」は鮮明に覚えている。「女の人の表情がとっても楽しそうだったから」というのは少々後付の理由のような気もするが、一番最初の”大人”の美術展の記憶で、印象に残った作品だった。10歳ぐらいだったのかなあ。
 
 というわけで個人的な家族の想い出も蘇って、私にとっては楽しい美術展だった。この日は予定があわなくてル・シネマに行けなかったが、美術展の出口に立つ頃にはルノワール監督の映画が観たくなっていた。

 

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顔魂~KAODAMA~

 森アーツセンターギャラリーで開催されている『顔魂~KAODAMA~ 石井竜也展覧会/TATUYA ISHII EXHIBITION 2008』に行ってきた。

 3年前(?)「国境なきアーティストたち」の活動家・エクトル・シエラ氏から絵付け前の達磨を手渡されたことから「顔魂」の制作がはじまったのだとか。
 石井竜也は、それ以前から「顔」に興味を持っていたんだと思う。米米クラブのジェームス小野田のメイクが、そうだろう。人の顔にアートを描けば小野田のメイク、オブジェにすれば「顔魂」というわけだ。ファンにとっては、唐突に出てきたものではなく、ずっと繋がっていると理解する。

  森アーツセンターギャラリーには、約70点の「顔魂」が展示されていて、壮観。太陽のような顔、人間を思わせる顔、猪や鳥を思わせる顔、穏やかな仏像のような顔と様々。土着の、というか原始的宗教のイメージもある。
 中には薬師寺に奉納された作品もあって、その縁なのか(薬師寺でコンサートをしてるし)、4月11日に行われる「国宝 薬師寺展 開催記念トークショー」に、石井が出演するそうだ。

 ひとつひとつの作品の表情もさることながら、纏まって展示されることでのパワーを感じ、繋がっていくことを意識した作品展だった。

 

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北斎漫画

 江戸東京博物館で催されていた『北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-』(1月27日終了)を観たついでによった、『北斎漫画』展(江戸東京博物館常設展示室。2月11日まで)が、思いがけず楽しめた。
 
 「北斎漫画」は、版元の永楽屋東四郎より刊行した画集で、全15編。一編目は55歳のとき、60歳のときの10編で一応完結したものの、13、14、15編はなんと没後に刊行されたという。60年以上に渡る、人気作品だったのね。
 漫画というと、なんとなくユーモラスなイメージを抱くが、 人物画、動植物、風俗、建物、妖怪と、いろんな図柄があるから「漫画」だそうで。言われてみれば、なるほど精密な植物画やことわざを題材にした教訓的な絵もたくさんあるが、ユーモラスな面相や、太った人、痩せた人なんていうユーモラスでヘンテコな図のほうに目がいく。教養人や絵を習う人はいざ知らず、当時の庶民には、こういうほうが受けたんじゃないかなあ。

いっぱいあって、ひとつひとつ丁寧に観ていると目が回りそうだ。ふと、近所のお蕎麦屋さんの壁にある絵は、もしや「北斎漫画」の一つなのでは?と思いあたった。数ある図の中から、同じ仕草は探し出せなかったのだけれど…。

 版元の永楽屋の名が入っているものや、『冨嶽百景』の裏側に彫った版木も展示されていた。展示されている図版は、これらの版木から摺りなおされたものなのだそうだ。再利用とは、倹約しましたね。さしずめ江戸のエコライフ?

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やっぱりおかしい「北斎漫画」。こういうの必ずやってみるヤツって、いまでもいるよね。とくに小学生男子!


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横山大観「生々流転」と「焚火」「夜桜」

国立新美術館の『没後50年 横山大観―新たなる伝説へ』に行った。

 ほぼ制作年代順に展示されていて、「代表作 ずらり。」という通り、これもあれも教科書(?)で観た作品ばかり。見応えのある大観展だが、中でも今回の目玉は40メートル(全編)の「生々流転」だろう。広い会場なので混雑もそんなに気にならずに観ていたのが、絵巻物の「生々流転」の前に来ると、会場整理のお兄さんが呼びかけても、人がまったく流れず…。
 「生々流転」の展示の横の壁にあった、作品の見どころを解説したパネルを読んで予備知識を得ながら、比較的空くのを待つ。このパネルがまたえらくあっさりしたパネルで、すぐ読み終わっちゃうのだ。解説しすぎるよりいいけれど。

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「生々流転」(部分)
 生々流転という言葉は「万物は永遠に生死を繰り返し、絶えず移り変わってゆくこと」(広辞苑)で、この絵は一滴の雫がやがて川となり大海に注ぎ、最後は龍となって天に昇る、水の一生でそれを表現しているのだそうだ。なんで水が龍になるんだろうと思うが(仏教になにか故事があるのか?)、最後に黒い雲の中に龍が現れるのだ。「ほほう」と思って観ていたら、オジサン二人組が、覗き込みながら「龍、どこかわからないね」と話している。そりゃあ、せっかくだから教えて差し上げようと思ったら、もういない。すごい早足で通り過ぎてしまったのね。それじゃあ龍も見えないだろう。人混みに疲れてしまったのかしらん?

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 ちょっとユーモラスで好きだった「焚火」。
三幅の掛け軸。焚火をしているのは、寒山、拾得。唐の僧だが、寒山は文殊菩薩の、拾得は普賢菩薩の化身とも言われるそうで、文殊、普賢に例えられるとはよほど賢かったのだろう。変わったお坊さんだったらしいが…。なんだか笑っているようにも見えるが、二人で何を話しているのか。よくみると拾得(?)は裸足。

そして昨年大倉集古館で観た「夜桜」の屏風。今回はこれまた色鮮やかな「紅葉」と並べて展示されていて、豪華絢爛とはこのことだ。並べることによって生まれるインパクトを楽しんだ。
 「秋色」は、その影響が理解できるように尾形光琳の「槇楓図」と並んでいる。富士を描いた絵も多数。一緒に行った人が「大観といえば富士山」と言っていたが、言い得て妙だ。新鮮な富士山と、手慣れた感じの富士山と。

 3月3日までの期間中入れ替えがあって、「焚火」も、「夜桜」「紅葉」も11日まで。
しかし、「新たなる伝説」って、なあに?
 

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等伯の松林図屏風

 お正月に東京国立博物館平成館の「宮廷のみやび」展を観た後、本館にも寄った。お正月の国立博物館は、なんてたって「博物館に初もうで」という素晴らしいキャッチコピー。
 新春特別展示「子年に長寿を祝う」は、子年にちなんだ展示。「鼠草紙」は、サントリー美術館の「鳥獣戯画がやってきた!」にも出展されていたなあと思いつつ、早足で回って、お目当ては国宝室。

 長谷川等伯の、国宝「松林図屏風」。(リンクした国立博物館のサイトで画像をご覧ください)

 国立博物館の解説は--草稿ともいわれるが,靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を,粗速の筆で大胆に描きながら,観る者にとって禅の境地とも、わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をなし得た。--とあるが、なにげない風情にはとうてい見えない。禅の境地?悟りきってはいない感じ。前方の松葉の描き方なんて、力強いとか、迷いがないというより、荒々しく、怒りをぶつけているようだ。
 ここは、丘陵地の松林なのか? 霧(靄)がでているけれど、奥深い山にしては、松の並びに起伏がないし…。

 淋しげで、お正月に飾る、いわゆるおめでたい松の絵ではないなあ、なんて思いながら観ていた。
 
  一昨日(1月27日)のNHK「新・日曜美術館」でこの絵が取り上げられていた。
 狩野派との対立。狩野派の陰謀だという噂もあるという、跡継ぎの長男・久蔵の死後に描かれたというナレーションに、そうか、だからかと、合点がいった。「わび」の境地ではない。静寂の中に怒りが込められている、と思っていいよね。

 パティシエの辻口博啓さんにとっての「この一枚」。これは、海から見た能登の海岸の松林だと言う辻口さんが、番組で、実際に舟に乗って観るのだが、まさにその風景だった。これには驚いた。
 能登(石川県七尾市)の出身で、長谷川等伯と同郷なのだそうだ。都で成功することを心に誓い七尾から水路を使い京に上った等伯が、そのときに観た風景だろうと、辻口さんは推理する。長男を亡くした後に、原点回帰の意味を込めて描かれたと。
 
 この絵から秘められた決意みたいなものは感じなかったが、辻口さんが語る熱い物語のほうが、国立博物館の解説より、私の受けた印象に近い。
 その時々の心の持ちようによっても、絵の印象は変わる。この「松林図屏風」のように、制作経緯などに不明な点が多い作品なら、なおさら。次回、「松林図屏風」に再会するとき、私はどんな印象を持つだろう。それも、また、楽しみ。

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国宝 雪松図と近世絵画

 三井記念美術館のサイトに--「お正月は、「国宝 雪松図」で始まります。凛と立つ松と、光を浴びて輝く雪の結晶、冴え渡った空気とが、とりわけこの時期にはあらたまった気分を呼び起こします。当館では、この円山応挙の最高傑作を鑑賞することが、新春の日本橋の風物詩となるよう、毎年「雪松図」を中心とした展覧会を定例化しておりますが、今回は第2回目となります」--とあって、あれぇ、去年は見逃していたのだ。今年の会期も、1月31日まで。これは行かねば!

 入館時間が16時30分のところ、16時20分にチケットを買う。「当館17時までですが、よろしいですか」というご案内。そういえば前に来たときも閉館ギリギリで、そう言われたような気がする。でもいいのだ、今日は「雪松図」一点狙いだから。

 一点狙いとはいえ、「三井」に来たのだもの。まずはこれから。

「駿河町越後屋正月風景図」鳥居清長
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そして、目当ての「国宝 雪松図屏風」(右隻)円山応挙
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 展示されている第四展示室に入ろうとする時点で、正面奥から気品溢れる存在感か伝わってくる。例によって、近くで観て、遠くから眺めて、行ったり来たり。右隻は力強い老木、左隻は柔らかい曲線の若木。--凛と立つ松と、光を浴びて輝く雪の結晶、冴え渡った空気--都は、まさにその通りで、枝に積もった雪が落ちる音まで聞こえてきそうだ。どこか優しい印象を受けるのは、光、金泥の使い方?
 
大作の屏風絵のあとは、可愛く、ちょっとユーモラスな作品で心和む。
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 「東都手遊図」源琦
 北三井家六代高祐が、27歳離れた弟の誕生祝いに注文したものだそうだ。

最後の展示室「特集陳列 初公開・松坂三井家新規寄託品展」の中に、酒井抱一の仏画が。
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今年に入って行った『宮廷のみやび』でも『王朝の恋』でも、抱一の屏風を気に入っていたのだけど、この人の仏画は見たことあったかな? もともと「仏画はねえ(あんまり興味がない)」の私だから、「ふーん、こういう観音様を描くんだぁ(やっぱり屏風絵のほうがステキ)」と思って観ていたら、隣にいたおじいさんが「抱一にしては力がない。なんか違う」とつぶやいていた。観る人が観ると、そうなんですね、やっぱり。
 河鍋暁斎の「観音像」のほうが動きがあって、実にカッコイイ。行動派の観音様!

 絵画に集中したら時間に余裕があったので、もう一度 「国宝 雪松図屏風」を観て、帰った。 

 

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王朝の恋 描かれた伊勢物語

 出光美術館『王朝の恋 -描かれた伊勢物語-』を観た(2月17日まで)。

 お正月からバレンタインディの時期にかけての企画が『王朝の恋』とは、考えましたな、出光美術館!

 平安時代の恋愛短編集物語(歌つき)だが、江戸時代に流行して、「伊勢物語」を題材にした絵画も盛んに描かれたのだとか。そのせいか、展示作品のほとんどが江戸時代のもの。俵屋宗達(工房、伝を含む)の「伊勢物語図色紙」をはじめ、琳派の作品が多い。

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俵屋宗達「伊勢物語図色紙 大淀」

 なぜ「伊勢物語」と呼ばれるのか諸説あるようだが、男(在原業平)と伊勢神宮の斎宮(神にお仕えする、未婚の皇女)が恋に堕ちる話があって、そこから「伊勢物語」と呼ばれるという説がある。大淀は、兼平が伊勢から旅立った港の名。
 これは実話なんだそうだ。神に仕える斎宮は、人間の男となんか契ってはいけないので、当時の大スキャンダルだったとか。つまり、インパクトが強い段(話)から書名を付けた? 
 「伊勢物語」は、兼平の話が多く、藤原高子との恋愛(芥川)も伝えられているが、アブナイ恋に燃える人だったんでしょうね。
 
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「兼平東下り図」 鈴木守一 
 高子との駆け落ちに失敗した兼平が、京に居にくくなって旅に出るのが「東下り」。平安時代の人にとっては東に”下った”のでしょうけれど、下らないと富士山は観られないのですよ。江戸時代の江戸っ子の間では富士講も流行って、富士信仰が浸透していたらしいから、この画題は人気があったんだろうなあ。

「東下り」の「八ツ橋」にちなんで、酒井抱一の「八ツ橋図屏風(右隻)」。
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 「伊勢物語絵巻」(鎌倉時代 泉市久保惣記念美術館蔵・重要文化財)は2月5日から17日までの特別展。観たいなあ。また行けるかなぁ。


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土門拳写真展 日本のこころ

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 武蔵野市立吉祥寺美術館で、土門拳の写真展をやっている(12月16日~2月11日)。日頃あまり写真展を観ない私でも、土門拳の名前は知っていたので行ってみた。

 私が行ったのは後期になってからで、いわゆる有名文化人を撮った「風貌」、「古寺巡礼」、「筑豊のこどもたち」「こどもたち 傑作選」「傑作選(二)」「女優と文化財」と、テーマが盛りだくさん。前期・後期に分けてもこうなってしまうなら、活動のすべてを一気に紹介するんじゃなくて、テーマをもう少し絞って、また来年は別のテーマの展示を、というわけにはいかなかったのかな?

 心惹かれたのは、「古寺巡礼」の作品群。作品が大きくて、迫ってくる力強さを感じる反面、写真の仏像たちに囲まれて気持ちが落ち着くような。千手観音の手、菩薩の顔…。もう少し空間がゆったりしていたら、自分自身と対峙できたかもしれない。

 チケットに使われているのは「こどもたち」。傑作選の中では「帆かけ舟」。雑誌のグラビアページだったという「女優と文化財」はご愛敬だが、浜美枝の美しさが飛び抜けて今日的であることに、感心する。

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陽明文庫創立70周年記念特別展 宮廷のみやび 近衞家1000年の名宝

 東京国立博物館平成館で『陽明文庫創立70周年記念特別展 宮廷のみやび 近衞家1000年の名宝』を観た。お正月にふさわしく日本の歴史を恭しく拝見。
 書が多いからよけいそういう印象を持つのかもしれないが、豪華絢爛ではなく、あくまで上品に華やいで、という印象で、やっぱり武家じゃなく、お公家さんなのね。
 この展覧会、「見たことがありますか? 道長自筆の日記。」というコピーで宣伝されていて、その国宝「御堂関白記」は順路のかなり早い段階でお目にかかれる。でも、見ても、読めない哀しさよ。解説に従って見て、「そうなんだあ」と思うのが関の山。
国宝 「倭漢抄 下巻」は見ているだけでも美しいが…。
 
 しかし歴史的資料としても有名なものばかり。平安時代の書をこんなによい状態で閲覧できるなんて、なんて素晴らしいんでしょう!と感心しているうちに、以前NHKの『プロフェッショナル』で見た、文化財修理技術者の鈴木裕さんの仕事を思い出した。

数々の表具裂、官服裂も見どころのひとつ。
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官服裂 紺地龍八宝鶴鹿模様 中国・清時代のもの。

 覚えたのは21代当主、家熙の名前。博学だったそうな。書画の才能もあり、多くの作品を残している。10歳のときに描いたという「鍾馗図」がユーモラスで、どんな方だったのだろうと思いを巡らせた。
 
 御所人形や雛道具も愛らしかったが、「四季花鳥図屏風」に惹かれた。
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 四季花鳥図屏風(右) 酒井抱一
  
 2月24日(日)まで。

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ムンク展

 西洋美術館で行われている『ムンク展』に行ってきた。私の周りは、『フィラデルフィア美術館展』や「牛乳を注ぐ女」は観たけど、「ムンク展はいいや」という人が多い。実は私も、ムンクといえば「叫び」と「不安」という先入観があったのだが、リニューアルした出光美術館で、ルオーとムンクの併設展示コーナーを観たとき以来、「そういえばムンクをちゃんと観たことないなあ」と思っていたのだった。

 「ちゃんと」というのは、その人の作品を数多くとか、体系だって、という意味なのだが、1993年に「ムンク展」を開催した縁でオスロ市立ムンク美術館から年に3枚借り受けているそうなのだけれど、日本美術に強い出光美術館でムンクっていうのも、私にとっては意外だったので、その時のインパクトが強かったのかもしれない。自画像もいいなと思った。

 なので、その後、こんなに早く「ちゃんと」観る機会があるなら、「行かねば!」なのだった。
  
 西洋美術館の解説によると、--(ムンクは)最も中心的な諸作品に〈生命のフリーズ〉という名をつけました。それは、個々の作品をひとつずつ独立した作品として鑑賞するのではなく、全体としてひとつの作品として見る必要があると考えたからでした。しかし、彼が〈生命のフリーズ〉という壮大なプロジェクトによって達成しようとしていたことは、「愛」「死」「不安」といった主題からの切り口だけでは捉えきれないものです。--
 そして--ムンクの作品における「装飾」という問題に光を当てる世界でも初めての試み--だそうだ。

 一連の作品群として観ると見方も変わってくる…、というほどには至らなかった。やっぱりどこか「不安」(「叫び」は今回出展されていない)なのである。
 こども部屋の装飾に男女の姿を描いて、注文主からキャンセルされたというエピソードは面白いが…。

 イメージはなかなか覆らないなあと思いながら展示室を歩いていたのだが、最後の<労働者フリーズ>「オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト」に、おぉ! 画像がアップできなくて残念だが、逞しく生きる姿が描かれていた。「そうそう、人生『不安』だけではないのだ」と(的外れな解釈かもしれないが)、一人納得したのである。


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フィラデルフィア美術館展 印象派と20世紀の美術

 東京都美術館で開催されている『フィラデルフィア美術館展 印象派と20世紀の美術』を観た。

 印象派以降、でも現代美術の「これ、なあに?」的な不可解さはなく、わかりやすく、馴染みやすい美術展。

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印象派と言えば、ピエール=オーギュスト・ルノワール。「ルグラン嬢の肖像」は可愛いし、「大きな浴女」もルノワールらしいと思うけれど、私は「アリーヌ・ジャルコの肖像 (ルノワール夫人)」が好き。優しく穏やかな愛情を感じるのだ。

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 キュビズムの中では、やっぱりピカソ。「三人の音楽師」。

 『モリゾ展』を観た後だったので、アメリカの女流画家、メアリー・カサットやジョージア・オーキフの作品にも惹かれたけれど。

 『フィラデルフィア美術館展』に行った知り合いが、「都美術館ってあんなに狭かったっけ?」と言う。今回は彫刻も出品されていたし、ちょうど日本人のツボにはまる「印象派以降」だから混んでいるしね。新しい六本木の美術館と比べたら上野は狭いけれど、都美術館は人を呼べる、企画力がある美術館だと思う(12月24日まで)。


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MOTION DISPLAY &. PEDAL CAR 展

 東京駅から皇居に向かって、「行幸通り」という道がある。この道の地下の、通路の両脇にウインドウがあって「行幸地下ギャラリー」となっている。
 新丸ビルに向かって歩いていたら、こんなイベントが!

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『T.KITAHARA COLLECTION in Marunouchi MOTION DISPLAY &. PEDAL CAR 展~ウインドーを飾った夢のディスプレイ、子供達だけの憧れの乗り物~』..
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 ”子供達だけの憧れの乗り物”は、ゴーカートみたいに乗れる玩具のクルマなのだが、それよりなにより、カラクリ好きの私は、モーションディスプレイに釘付けになった。


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お馴染みのアリスとか、

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ダイヤモンドを精製している技師たち。

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こちらはダイヤモンドの鑑定士たち。
動くと、より可愛い。

こんなところで北原コレクションに会えるとは。事前に知らなかっただけに、うれしいサプライズ。贈り物をもらった気分になった。クリスマスの時期にぴったりでした(1月14日まで)。

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開館記念特別展 鳥獣戯画がやってきた!―国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌

 
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 サントリー美術館の「開館記念特別展 鳥獣戯画がやってきた!―国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌」に、行ってきた。
 
 東京ミッドタウン1Fの床に貼られていた、「鳥獣戯画がやってきた!」への道案内。

 はじめて知ったのだが、高山寺所蔵の「鳥獣戯画」は、現在甲巻・乙巻・丙巻・丁巻の四巻があるそうだ。
といっても、制作年代も画風もそれぞれ違って、お馴染みの、ウサギやカエルやキツネが出てくる甲巻が、いわば”元祖”らしい。時代を経て4巻の編成になったそうだ。この展覧会では、甲、乙、丙、丁、すべてを展示してある。 
 

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 また、「鳥獣戯画」の 模本も展示されていてオリジナルと比べたり、オリジナルが後世に切り貼りされ、編集されている箇所の指摘などもあったり、鳥獣戯画の系譜として「放屁合戦絵巻」や「鼠草子絵巻」が展示されている。


 でも、なんといっても甲巻が抜きん出ている。物語のセンスといい、絵の力といい”元祖”は強し。「野暮なことは言いっこなし!」って感じなのだ。それでいて、上品。今、流行の言葉でいうなら”戯画の品格”でしょうか。

 (~12月16日(日)まで。 前期 ~11月26日/後期11月28日~12月16日)

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キャバレー

 追加公演のチケットが手に入り、やっとの思いで観た、大人気の『キャバレー』(台本 ジョー・マステロフ/日本語台本・演出 松尾スズキ/10月17日/青山劇場)は、楽しい娯楽作品に仕上がっていた。

 旅のアメリカ人作家クリフ(森山未來)が、列車で知り合ったドイツ青年エルンスト(村杉蝉之介)の案内でベルリンの下宿屋に落ち着き、同じくエルンストに連れられてキャバレー「キット・カット・クラブ」に行く。「キット・カット・クラブ」の歌姫サリー(松雪泰子)とクリフの恋、下宿屋の女主人シュナイダー(秋山奈津子)と下宿人で果物屋のシュルツ(小松和重)の恋、そしてナチスの台頭。

 ナチスが台頭する世の中で悲しい恋に終わるのはシュナイダーとシュルツのカップルで、クリフとサリーは傍観者的存在になっているのだが、それはないんじゃないか? そりゃあクリフがアメリカ人で、サリーが英国人と、”よそ者”だからね、と片付けてしまうのは簡単だが、クリフがバイセクシャルで、「キット・カット・クラブ」が退廃的な出し物のクラブだということが生きていない。ユダヤだけでなく同性愛者もナチスの迫害の標的になったという背景が、客席に伝わっていない。クリフがバイであることをもっと活かしてほしいし、サリーがベルリンに留まろうとしたのも「ショウビジネスが好き」だけではないと思うのだが。好青年のクリフ(森山は本当に好青年)、蓮っ葉なサリーではないはずだよ。主役のはずの二人が弱く見えるのは、こうした描き方にも原因があるのだろう。
 
 世の中の流れにモロに巻き込まれる、秋山のシュナイーダーと小松のシュルツは存在感がある。ほほう、と思ったのがエルンストの杉浦。「キット・カット・クラブ」の場面は、阿部サダヲのMCが、歌って、しゃべって場をさらう。これがエンタテインメントとして実に楽しいのだが、もうちょっと阿部の持つ不気味さが出ると、退廃的になったんだけれど。

 恐らく松尾は、ミュージカル=わかりやすさ、と思っているのではないだろうか?  ミュージカルという思いに捕らわれ、”退廃”が型にはまっちゃったなあ、という感じ。何度も繰り返しても言うが、面白かったんだけどね。今が旬の阿部サダヲを観ているだけでも、楽しいのだが…。
 

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ベルト・モリゾ展

 損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている「美しき女性印象派画家  ベルト・モリゾ展」に行った。

 この春の「オルセー美術館展」でモリゾに魅せられたので、楽しみに待っていた展覧会。 --印象主義が登場した19世紀後半フランスにおいては、女性は正規の美術教育を受ける機会を十分に与えられてはいませんでした。そのような社会状況の中、ベルト・モリゾは第1回印象派展に参加し、その繊細な表現世界を開花させていきます。-- そういえば、日本でも画家は男が多いと気づく。

 正規の美術教育どころか、一人で屋外を出歩いてはいけない(はしたない)時代なのだ。そういえば国は違うが、映画『ミス・ポター』でも、外出時には使用人がついていたっけ。
 
 印象派の他のメンバーに影響を与えたのではないか、と思うような絵もあるのだが、女性の活動が限られていたからだろう。家族をモデルにした絵が多い。マネの弟、ウジェーヌと結婚した後は、娘ジュリーの成長を見守り、愛情を込めて描いている。絵が続けられたのもウジェーヌの支えがあったからこそ。

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Eugene Manet and his Daughter Julie in the Garden (1883)
「庭のウジェーヌ・マネと娘」 ウジェーヌの優しさを表現したような一枚。

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チケットにも使われている「コテージの室内」。これも、娘ジュリーがモデル。「ゆりかご」もそうだが、白の使い方が上手い。

 優しく、穏やかだけれど、どこか凛としている印象を受けるモリゾの画風。絵の所有は個人が多い。美術館が所有しないのは、女性ゆえに評価が低かったのだろうか。制約のあるなかで、これだけの絵が残せるのだから、素晴らしい才能だと思うけれど。

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THE LAST SUPPER IN DETAIL

10月29日付の日経新聞に、レオナルド・ダ・ビンチ「最後の晩餐」が、160億画素の映像でインターネット上に公開されたという記事があったので、さっそく観てみた。
http://www.haltadefinizione.com/jp/

 新聞には書いてなかったが、なんと、英語、イタリア語の他に日本語のサイトがあるので、びっくり。ニコンが技術協力しているからなのかと思ったが、ドイツの企業も協力しているみたいだけどドイツ語はない。日本人のダ・ビンチ好きは、世界でも有名? キリスト教国でもないのにね。
 
 ”作品に数センチの至近距離で鑑賞するような精密さ”なのだそうだ。デッサンの跡や傷みも見えて、作品としてはちょっと可哀想な気もするが、インターネットならではの美術鑑賞を楽しんだ。

 そういえば、NHKがCGで修復していたっけ。そちらは鮮明な美しさだった。デジタル技術ってすごいねえ。

 壁画って、飾られている場所の雰囲気にも左右されるし、大きさも実感したいから、現地に行ってみたいのが…。

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国立新美術館(トイレ考)


 行くたびに気になって覗いてしまう、国立新美術館のコーンの中の多機能トイレ。

 お断りしておくと、今現在の私は、多機能トイレのニーズがあるわけではない。いわゆる「女子トイレ」でOKだ。でも、将来歳を取ったときにお世話になることもあるでしょう。車いすの知り合いが苦労しているのも見ている。
 まだ元気なオバアサンが、「トイレが使いにくいところには、行けないのよね」という。乳児連れのおかあさんたちの話も聞いた。別にネホリハホリ、こちらから聞き出すわけじゃないけれど、何かの拍子に話題にのぼる。
 遊びたいから、外出したいから、その施設のトイレも気になる。たぶん共感してくれる女性は多いんじゃないだろうか? その延長上に、多機能トイレがあるだけだ。

 さて、コーンの中の多機能トイレ。
 洗面台の下にゴミ箱が置いてあって、それじゃあ車いすの人が手を洗うときに不便だろうという話だった。
国立新美術館(続)
日展100年

じゃあ、これはどう?071012_14040002

 ベビーシートの向かいが入口だが、車いすは便器にむかって斜めに動くだろうから、ここなら車いすの移動にも邪魔にならない。
 洗面台の側に手ふきのペーパーが備えてあるわけではないから、洗面台の側にゴミ箱を置く必要は、あまりない。むしろ、ベビーシートの側のほうがおむつ替えに便利でしょう。ベビーシートを開くのにも、邪魔にならない位置だ。すごーく素直に考えた。これならいいかも。 

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フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展

 国立新美術館の、新フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展』の入場者数が、10月19日で、10万人を突破したそうだ。 開幕から20日目(休館日を除く)というから、すごい人気だ。かくいう私も、10万人の中の一人。行って参りました。

 フェルメールと銘打っているから誤解しやすいのだか、この美術展に出展されているフェルメールの作品は、「牛乳を注ぐ女」ただ一つ。
 数々のオランダ風俗画が展示されているので、美術史的な興味としては面白いんだろうけれど、絵の存在感は群を抜いているのよ、「牛乳を注ぐ女」が。

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 例えば後ろの壁の部分に何か描かれていたとか、最近の研究でわかったことも解説してあったが、ただ観ているだけで、いい。
黙々と家事をこなしている人なのだろう。女性の腕から手、指に行くにしたがって白い肌が徐々に赤くなっていくその色の変化が、陰影だけではなく、炊事の水の冷たさを連想させるのだが、その腕に働く女がもつ逞しさと優しさがあって、とても魅力的だ。
 教科書や雑誌で、よく観る馴染みの作品なのだが、パンがキラキラと美味しそうだったり、思ったよりエプロンの青が鮮やかだったり。光と影、そして色の鮮やかな色使い。そんなに大きくない絵なのだが、この存在感はなんなのだろう。
 
 (私にとって)この美術展の見どころは、「牛乳を注ぐ女」。それでも大満足。一点豪華主義も悪くない(12月17日まで)。

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仙崖・センガイ・SENGAI -仏画に遊ぶ-

 出光美術館で行われている『仙崖・センガイ・SENGAI -仏画に遊ぶ-』展を観た(10月28日まで)。

 日比谷方面に用があって行ったあとに、出光美術館にふらっと立ち寄った。予備知識はなかった。
 仙崖って、どんな人? 
 
 博多聖福寺の住職さん。臨済宗の名僧なんだって。博多では親しまれているそうな。晩年、数多くの「禅画」を描いたことで有名で、その禅画は--きわめてユーモラスかつ自由奔放な作品で、斬新な表現や大胆なデフォルメにより、現代の私たちが見ても「楽しくて、かわいい」と感じる不思議な魅力に満ち溢れています。--とある。1750~1837年というから、江戸時代後期の人。
 
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 デザインされて、チケットにも使われていた「指月布袋画賛」。
布袋さんと、坊やで、月を指さして、どんな話をしているのだろう。坊やも布袋さんもほとんど裸ん坊だし。坊やなんて脚の付き方が人間っぽくないし(ツイストしてる?)、でも、とっても楽しそうな絵だ。緻密な仏画もあるのだけれど、本人も、崩した画風を好んでいたらしい。


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「円相画賛」。 --これくふて茶のめ--とある。これは、○。饅頭か、団子か、いやいや食べ物ではない。眺めているうちに、堪忍袋じゃないかと思えてくる。破裂しそうな堪忍袋を腹の中に収めて、一服すれば、すべて丸く収まる、と諭しているような。おお、これって禅問答?

 博多で親しまれた仙崖さん。しかしなぜ仙崖さんが東京の出光美術館へ?と思ったら、門司も出光美術舘がある関係なんですね。

 ところで東京の出光美術館が全館リニュアルオープンしてから、はじめてだった。新に、ルオー・ムンクの併設展示コーナーができていた。出光は日本美術のイメージが強いのだが、ルオーの「受難」のコレクションがあるのだとか。
 ムンクは、1993年に「ムンク展」を開催した縁で、ノルウェーのオスロ市立ムンク美術館から、ムンクの作品を毎年3点ずつ紹介しているのだそうだ。
 ルオーとムンクは同じこぢんまりした展示室だが、企画展から独立していて雰囲気も違うので、気持ちを切り替えて鑑賞できて良い感じだ。
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「<受難> 1 受難」
いつも思うが、ルオーの絵は、厚くて、濃い。

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サントリー美術館 開館記念特別展 ビオンボ BIOMBO/ 屏風 日本の美

 サントリー美術館の開館記念特別展『ビオンボ BIOMBO/ 屏風 日本の美』。BIOMBOとは、ポルトガル語やスペイン語で屏風のことで、南蛮貿易では貴重な輸出品だったそうだ。折りたためるから場所を取らないし、扱いもそんなに難しくないし、広げれば豪華絢爛、というところが、よかったんでしょうね。異国情緒もたっぷりだし。


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 レバント戦闘図・世界地図屏風のうちの、「世界地図屏風」。国名をひとつづつ読んでみる。

 
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「白絵屏風」
白い絵の屏風をはじめて観た。色はないけれど、とってもおめでたい柄。出産のときに飾られたのだとか。

 山水画や花鳥画もさることながら、私は当時の風俗がわかる屏風絵が好き。たとえば「豊公吉野花見図屏風」で、人々の表情を楽しむ。輿に乗った秀吉を探すのは、意外と簡単だった。

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四天王寺住吉大社屏風。
遠くから眺めるときの、金と緑の鮮やかなこと。金と緑ってこんなに相性いいんだぁ。近づいて観ると、人々の描写も楽しい。遠くから観るときは荘厳な印象で、近づいて観ると世間も垣間見える、このギャップときたら!

この展覧会、期間は10月21日までだが、作品の入れ替えが結構ある。また行きたいが…。

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青木繁と《海の幸》

 ブリヂストン美術館の夏の特別展示、『青木繁と《海の幸》 併設・常設展示』(9月30日まで)。

 青木繁は、明治のロマン主義の代表的な画家。福岡県久留米の出身で、その縁なのか、久留米市にある石橋美術館に、青木作品のコレクションがあるそうだ。
 今回は「海と神話」をモチーフに、『海の幸』『わだつみのいろこの宮』を含む6点を展示。

 「海の幸」は、22歳のときの作品。22歳という若さに驚くが、青木は28歳で病死したそうで、実質的な活動期間は、21歳から25歳までの4年なのだそうだ。

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 教科書でも馴染みの作品で、知っているつもりでいたのだが。獲物は大きな鮫。10人の裸の男たちが担いでいて、当然男たちは、みな逞しく、意気揚々と歩いていると思い込んでいたが、よく観ると、これが違った。

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 老年、壮年と年齢もマチマチの集団のようだが、ひとり、若い、いや、若いというより、「少年」なんだろう。幼さが残る白い顔と赤い唇。体躯の逞しさはわからないが、その表情は、大漁で嬉しいというより、まだ漁になれていないような、少し不安気な印象を受けた。彼もそのうち逞しい漁師に育っていくのだろうか。他の男達も、黙々と運んでいるみたい。
 
 実際の大漁の様子ではなく、人から聞いた話から、大漁の様子を想像して描いたという。そうだろうな。
 男達の歩く姿といい、足下の波しぶきといい、動きを感じる絵だ。デッサンの跡も、”動き”を表しているみたい。
 特別展は小さいが、「海の幸」が面白かったので、満足。

 今回は、青木繁の特別展を先に観て、それから常設展をゆっくり巡った。モネの「睡蓮の池」の前で、ずーっと。最後は、現代美術のセクションで、ジャコメッティの「ディエゴの胸像」に挨拶。この胸像、とぼけているようで、哀愁もあって、でも笑っているようにも見えて、観る人の気持ちを映し出す。ブリヂストン美術館に来たときは、絶対外せない大好きな作品だ。

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日展100年

 国立新美術館で行われている『日展100年』(9月3日まで)。文展(1907年=明治40年~1918年=大正7年)、帝展(1919年=大正8年~1934年=昭和9年)、新文展(1936年=昭和11年~1944年=昭和19年)を経て、日展(1946年=昭和21年~)。 ”我が国最大の公募展”と言われても、日展はいままであんまり興味がなかったのだが、会場には名だたる作家の名だたる作品がずらっと並んでいて、さすがに「100年」の歴史は重みを感じる。 


 それでも、最初は「フムフム」ぐらいの気分で観ていたのだが、和田三造『南風』を観たとたん、嬉しくなった。これ、竹橋の近代美術館で観た。それもはじめて観たのは中学2年の夏休み…。当時のことを思い出すと懐かしい。そうか、文展第一回のグランプリなのか。
 海原を行く漁船だろうか。南風を受け、船の中央に立つ厚い胸板の男が魅力的だが、よく観るとその後ろの白シャツの男の顔もキリッとしていてなかなか男前。この絵全体から伝わって来る、明るさ、力強さが好きだ。

 鏑木清方『三遊亭円朝像』は重要文化財。高座にあがっているときなんだろうか。湯飲みに見えるのは手ぬぐい?中村研一の『弟妹つどう』(1930年)はかなりの大作。研一のアトリエに弟妹が集まり、レコードを聴きながら、ダンスに興じている。弟の中村琢二の作品『赤いブラウス』(1955年)も今回展示されていた。 

 さて、粋な作品を二つほど。

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山崎覚太郎『漆器 空 小屏風』(1950年)
いまじゃ邪魔者扱いされている電信柱も、”絵になる”。


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なんてユーモラスなんでしょう!池田遙邨『稻掛け』(1981年)

日本画、洋画、書、彫刻、工芸と幅広く、東京(国立新美術館)の展示は約170点(その後、 宮城、 広島、 富山に巡回)。『南風』に再会し、『漆器 空 小屏風』と『稻掛け』に出逢えて、とても幸せ。


とろころで、粋な作品の後で恐縮だけれど、トイレの話を。
以前、国立新美術館のコーンの中のトイレの話を書いた。洗面台の下にゴミ箱が置いてあった多機能トイレを、今回覗いてみたら、今度はこうなっていました。

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 洗面台の下にあったゴミ箱をだれがずらしたのか知りませんが、たしかに洗面台の下はあいたけれど、この位置も車いすが洗面台に動くときの邪魔になるかも。便器とベビーシートの位置が違ったら(便器の向き?)、でっかいゴミ箱も邪魔にならずに置けたのにね。たぶん、設計段階でゴミ箱の置き場所を考えなかったんでしょう。せめてスリムなゴミ箱にするとか…。

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秘蔵の名品 アートコレクション展

 終わってしまったが、ホテルオークラで行われていた『第13回 秘蔵の名品アートコレクション展』は、企業や個人が所蔵していて日頃見られない絵画を展示した、「アートは世界のこどもを救う」とiいうサブタイトルのチャリティイベント。

 会場に入ると、まずは印象派の作品からはじまる西洋絵画、次は日本画、そして日本人画家たちの洋画と、全部103点。会場はいわゆる宴会場なのでカーペットの模様が若干気になったが、けっこうな見応え。
 
 大きな収穫が二つ。
 ひとつは、藤田嗣治の「猫の教室」という油絵(個人蔵)。画像がないのが残念なのだが擬人化した猫の授業風景で、ロングスカートで教壇に立つ先生猫と生徒たちが描かれている。最前列で得意気に答えている雌猫がいるが、床に寝っ転がっている子はいるわ、大多数の猫はお喋り(私語)しているし、”学級崩壊”なんである。1949年の作品だから、まだ先生(学校教育)が敬われていた時代だと思うんだけれど。先生はロングスカートだし、壁には「ABC」の貼り紙があって、外国かと思いきや、寝っ転がっている子の傍らには草履が描かれている。もしかして寝っ転がっている子は、嗣治? 海外(の教室)で、暴れているのか? 一匹、一匹の表情が生き生きしているし、木造の教室の質感もよく出ている。出展作品の中で一番ユーモアを感じた。


 もう一つは、チケットにも使われていたモディリアーニの「ボール・アレクサンドル博士の肖像」。
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 実は、モディリアーニはあんまり好きじゃないんだけれど、この作品は好き。モディリアーニの人物画って、いつも首を傾げている印象があって、アーモンド型の瞳と言われている独特な目も、それが物憂げでファンは好きなんだろうけれど、私はちょっと…。でもこのアレクサンドル博士にはちゃんと白目と瞳があってこちらをまっすぐ見ている。こういう肖像画は素直に、まっすぐな視線を返したくなる。

 

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解き放たれたイメージ『サーカス展』

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 損保ジャパン東郷青児美術館は、西新宿の高層ビル街の一角にある損保ジャパン本社ビルの42階。その42階に上がると、エレベーターフロアにサーカステントが出現?

 美術館の入口も、サーカステントの入口みたい。
解き放たれたイメージ『サーカス展』(損保ジャパン東郷青児美術館 9月2日まで)は、夏休みを意識した家族向けの企画のようだが、見応えのある美術展だった。 

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 ピカソ、マティス、ルオー、シャガール、レジェ、クレー、マリー・ローラサンなど9人の海外作家と、安井曾太郎、恩地孝四郎、東郷青児、川西英、牛島憲之など、日本の作家18人の作品が約90点。名だたる作家の作品が「サーカス」というテーマで集められる展覧会、なんて楽しくて、なんて贅沢なんでしょ。
 さらに一人の作家の作品が何点も纏まって観られて、その作家のサーカスに対するイメージがよくわかる。華やかな舞台だけでなく、その舞台裏、芸人達の素顔を描いた作品もある。たとえば、ピカソの『貧しい食卓』。
 

 近代サーカスは1770年頃に英国で生まれたそうだ。 以前、友だちに誘われて木下サーカスを観たことがある。
シルク・ドゥ・ソレイユのような派手なものではないが、空中ブランコや綱渡りでは、そのアクロバティックな演技に興奮した。でも、現代でも、興奮、歓喜とともに、どこか哀愁を感じたのはなぜなんだろう。
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 マルク・シャガール『サーカスより』自転車乗り達。

 展示のなかでは、とりわけパウル・クレーのリトグラフ『綱渡り』が好きだった。幾何学的な造形、綱を渡っている人は、楽しそうでもあり、緊張して不安そうでもある。 
 特筆すべきは丹野章の写真、「日本のサーカス」シリーズ。楽しむ観客の姿から、大技が失敗したスリリングな一瞬も写していて、臨場感があった。
 
 

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ちひろ美術館 開館30周年記念展「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」

 東京の上石神井にある、ちひろ美術館に行った。いわさきちひろの自宅だった敷地に、二階建ての美術館が建っている。

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 「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」(9月2日まで)は、ちひろの作品からなる「ちひろが願ったこと」、『ここが家だ‐ベン・シャーンの第五福竜丸』展、再現!「ベトナムの子供を支援する会」反戦野外展の三部構成。

 第一展示室では、夏の楽しげな子どもたちの姿と並んで、広島で被爆した子どもたちの手記に絵を描いた『わたしがちいさかったときに』からの原画が展示されている。絵には直接的な戦火や死の表現はないが、なんとも切ない。
 
 第二展示室には、晩年描いたベトナム戦争をテーマにした作品。ベトナム戦争の終結より前にがんで亡くなったそうだ。
 ベン・シャーンの作品も、素晴らしい。気持ちに寄り添い優しく包み込むようなタッチのちひろの絵に対して、ベン・シャーンは力強く頑固だ。テーマがテーマだけに、こういうのは不謹慎かもしれないが、野太さというか、生きていくために人間が持っているユーモアみたいなものも、感じる。ラッキードラゴンシリーズは、第五福竜丸事件の5年後の1959年に描かれたが、昨年日本で活動しているアメリカ人の詩人アーサー・ビナードが文をつけ、本になった。なぜ今、ラッキードラゴンなのかは推して知るべしだが、このシリーズを観られてよかった。
  
 再現!「ベトナムの子供を支援する会」反戦野外展は、メッセージも直接的で一段と強いが、田島征三、長新太、和田誠などの名前がぞろぞろ。

 お祖母さん(といっても60前後)と小学校高学年ぐらいの孫なんだろう。ベトナム戦争を描いた『母さんはおるす』の原画を静かに観ていたお祖母さんが、ふいに目頭を押さえて、「涙が出てきちゃった」と呟いた。その様子をじっと見ていた孫。日本は直接的な戦争体験を語れる人は少なくなっているが(それは本来いいことなんだが)、私たちは、こうやって平和の尊さを次世代に伝えていくのだと思った。

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芸大コレクション 歌川広重《名所江戸百景》のすべて

 東京藝術大学美術館で『金比羅宮書院の美』と同時開催されている『芸大コレクション 歌川広重《名所江戸百景》のすべて』(9月9日まで)は、すべてというだけあって、初代広重一一八枚に、二代広重の作品一枚、目録一枚の計一二〇枚を一堂に展示、制作年代順に並べている。全部いちどに観るのは始めてで、これがなんとも楽しい!

 大胆な構図が江戸百景の魅力。「浅草金龍山」の雷門の提灯、「水道橋駿河台」の威勢の良い鯉のぼり、「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」の丸窓、「深川萬年橋」の亀は「ほほぅ」だが、「四ッ谷内藤新宿」の馬のお尻には笑ってしまう。解説に--品の問題としては賛否両論だが--とあるが、いいじゃないね、糞まで落ちてて(笑)。

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 ゴッホが模写した「大はしあたけの夕立」。ゴッホの「夜のカフェテラス」は「猿わか町よるの景」の、モネの「睡蓮の池と橋」は「亀戸天神境内」の影響を受けている等々、印象派に影響を与えたというのも、有名な話。

 今の東京と比べながら、江戸の町に思いを馳せるのも楽しい。すっかり変わったところが多いが、面影を残しているところもあったり。ウチの近くの「井の頭池 弁天の社」、馴染みの地名が出てくるとうれしい。江戸百景の中で一番江戸市中から遠く、郊外なのだとか。市川の真間より、遠いのかぁ…。

 現代の東京と比べたい人のために(?)、こんなマップが作られていた。会場にもあったが、インターネット上で公開されている。

 後日、図録をネットのミュージアムショップから購入した。--送料・発送方法は、宅急便・メール便・郵便・冊子小包を利用、商品の重量・形状から判断し一番安価な方法でお送りいたします。--って、さすが大学のショップ、なんて良心的なんでしょ。ちなみに、ウチまでの送料は、クロネコメールで160円也。

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金比羅宮書院の美 応挙・若冲・岸岱

 東京藝術大学大学美術館で行われている『金比羅宮書院の美 応挙・若冲・岸岱』を観た(9月9日まで)。
展示には直接関係ないが、

 この夏は、
 上野の山へ
 シュラシュシュシュ。

というコピーが優秀。「金比羅船々」、歌っちゃうよ。

 金毘羅船々
 追い手に 帆かけて
 シュラシュシュシュ
 回れば 四国は
 讃州 那珂の郡
 象頭山 金毘羅大権現
 いちど まわれば

 でも、なんで知っているんだろう。たしか、音楽の教科書にも載っていたような…。
友だちは、「学校で輪唱した」と言っている。そういえば、先日観た『舞妓Haaaan!!!』でも、祇園のお座敷遊びで歌われていたっけ。

 今回の展覧会は、--表書院と奥書院を飾る襖絵130面を移動し、両書院の壮麗な絵画空間を可能な限り展示室に再現します。--ということで、床の間や壁で移動できない絵は見事な複製が造られていたり(なんでもCanonの技術なのだそうだ)、他にも畳敷を連想させる工夫もあったり、平面的な絵としてではなく、空間を体験できるのが嬉しい。3階の会場の造りもあって、表書院と奥書院がはっきり分かれた展示になっているのもいい。
 
 サブタイトルに、-応挙・若冲・岸岱-とあるが、なんといっても応挙。
 
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 円山応挙 「遊虎図」(部分) 表書院 虎の間 
雄々しく勇壮でいながら、どこかユーモラスな虎たち。

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 円山応挙 「遊虎図 」(部分) 表書院 虎の間 
 水を飲む姿が、なんともカッコいい! 

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 伊藤若冲「花丸図」 奥書院 上段の間 
 溜息がでるくらい、ひとつ、ひとつ丁寧に書き込まれているし、花で部屋を埋め尽くすような発想にも感心する。けれど、その部屋に自分が通されて座っていることを想像すると、息苦しいというか、なんというか。この部屋に長居はしたくないと思うのだ。室内装飾としてはどうなの?

 逆に美術作品の評価としてはどうなんだろうと思わないでもないが、通されて落ち着くなら富士山の墨画、頓田丹陵「富士一の間」が好き。
  
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 円山応挙 「遊虎図 」(部分) 表書院 虎の間 

 でも、やっぱり応挙の「虎の間」が最高! というわけで、展示会場をもう1周して「遊虎図」。
 目を見開いた虎が迫ってくるようで怖くない? あの太い脚で捕まえられたら…。
 いえいえ、可愛いじゃないの? この後、金比羅宮、三重、フランスと巡回するそうだが、フランスの会場はギメ美術館。太田記念美術館で観た『ギメ美術館展』の北斎の「虎図」も、可愛気があったのを思い出した。虎は、日本人に愛されていたのだなあ。
 
 この展覧会、3階の他に、地下2階にも「信仰の世界」と題して、絵馬や船の模型などが展示されている。
 江戸時代、民間信仰として、お伊勢参りとともに盛んだった金比羅参り。四国で本州とは離れているのに、どうしてそんなに親しまれたんだろう、と興味は美術以外のところにも。だって、後世の、海とも、四国とも縁が薄い私でさえ歌を知っているんだから、そりゃあ相当なものだろう。

 
 ところで芸大大学美術館は、エレベーターホールと階段が向かいあわせの位置ということもあるが、1階のエレベータホールで年配のお客が多いと「階段がおつらい方はエレベーターをご利用ください」、若い人が溜まっていると「階段もご利用ください」と、臨機応変に誘導していた。そうそう、これがいいのよね。自分一人に「階段がおつらい方は~」って呼びかけられると、それはそれでガッカリする人もいるだろうけれど、こういう誘導なら気にならないし、親切。
 『パルマ展』(国立西洋美術館)で忘れ物をして送ってもらったので、お礼のメールに、お節介ながら例の階段を一段ずつ降りていた人のことを書き添え「階段の下り口に、エレベータの案内表示があれば」とお願いしてみた。その後どうなっているだろうと思って、帰りに西洋美術館に寄ってみたら、エレベーターの前に大きく「エレベーター」の表示が出ていて、前回よりもわかりやすくなっててnice!
 

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サントリー美術館開館記念展Ⅱ 水と生きる

 お披露目所蔵品展第二弾『サントリー美術館開館記念展Ⅱ 水と生きる』。「水と生きる」って、飲料メーカーならではのテーマだと思ったけれど、サントリー本体の企業コピーでもあるのね。

 夏にふさわしく爽やかかつ涼を感じる「水」を表現した日本の美術品の数々。テーマ歌川広重の東海道五十三次之内「日本橋 朝の景」「庄野 白雨」などの浮世絵や、高嵩谷「雨宿り図屏風」などの屏風絵もいいが、ここの美術館で見たいのは酒器をはじめとする食器類。

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 「染付花文皿」鍋島。なんてモダンな柄なんでしょう。皿の裏の文様を写真で展示してあったけれど、鏡でいいから自分で覗いて見てみたかったなあ。 

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 薩摩切子「紫色ちろり」。うっとりするほど美しい。複製でいいからこのデザインのちろりで、日本酒を飲んでみたいと思うのだけれど。 「染付花文皿」のデザインも、飾り皿ではなく、実際にご馳走を盛ってもいい感じなんじゃないかと思う。他にも切子のグラスや、前回「日本を祝う」のときにも出品されていた「藍色ちろり」も再び展示されていたけれど、酒器や食器を美しいと思えば思うほど、使ってみたい。”器を楽しむサントリーのお店(飲食店)”なんて、そういう酔狂なこと、やらないかしらねぇ。

 作品の入れ替えがあって、中期(7月11日~7月30日)、後期(8月1日~8月19日)、8月19日まで。

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プラハ国立美術館展 ルーベンスとブリューゲルの時代

 Bunkamuraの『プラハ国立美術館展 ルーベンスとブリューゲルの時代』を観た(7月22日まで)。

 プラハは現在のチェコ共和国の首都。プラハと、フランドル絵画のコレクションが、どうも結びつかなかったのだけれど、展覧会のサイトによれば--フランドルは名門ハプスブルク家が支配する神聖ローマ帝国の一地方で、当時のプラハは芸術を愛した皇帝ルドルフ二世により、一大芸術センターとなっていました。そしてボヘミアの画家たちの手本となったのが、本展に出品されている作品群なのです。--だそうだ。ブリューゲルファミリーと、バロックのルーベンスが二大潮流と言う。農民画のブリューゲルと宗教画、王侯貴族の肖像画などのルーベンス、ホントに正反対だな。

 
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ピーテル・ブリューゲル(子)「緑のフランドルの村」。


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 ヨリス・ヴァン・ソン/エラスムス・クエリヌス(子)『果物に囲まれた子供の肖像』。子供のパートと、果物のパートを静物画家と人物画家の分業、共作だそうだ。

 
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 チラシやチケットにも使われているヤン・ブリューゲル(子)(帰属)『磁器の花瓶に生けた花』。残念ながら、実物より印刷物のほうが、鮮やかな色。

 宗教画がなんともなまめかしいのだが、その当時の社会(人間像)になぞらえているのだとか。『ブドウとクルミのある静物』は、ブドウとクルミそれぞれにキリスト教の暗喩が込められているなんて、へえ。飾り物のブドウみたいなんだけれどね。飾り物っぽいところには、暗喩は込められていないんですかね。工房制作(共作)が多いのもこの時代の特長らしい。複製が量産された時代らしく、複製画もいくつかあった。
 一つひとつの作品に解説がつけられていてお勉強になるが、心ワクワクとはいかなかったのはなぜだろう。

 

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パルマ イタリア美術、もう一つの都

  国立西洋美術館『パルマ イタリア美術、もう一つの都』(8月26日まで)が、思いの外面白かった。

 16世紀から17世紀のイタリア、パルマの美術。パルマと言えば、会場でも売られていたが、チーズにハムにワイン。文学ですぐ思い浮かんできたのはスタンダールの『パルムの僧院』。読んだのは遙か昔のことで内容は忘れてしまったけれど…。

 この美術展、宗教画が多い。『パルムの僧院』が頭に浮かんだので「さすがパロマ(パルム)」と結びつけたいところだが、16世紀から17世紀といえば、ヨーロッパのどの地域でもキリスト教絵画が盛んなわけで。
 
 聖書のどういう場面を描いたものか主題解説をしてくれていたので、案外と親しみやすかった。

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 コレッジョの『階段の聖母』。優しい絵だが、聖母マリアに抱かれたキリストはどこを見ているのだろう。賢そうというかなんというか、キリストの目が厳しい。


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リオネッロ・スパーダ『音楽会』。この展示会の中では、珍しいテーマ。賑やかで楽しそうだが、貴族に雇われている楽士たちなんだろうな。


そして、パルトロメオ・スケドーニ『キリストの墓の前のマリアたち』

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光と陰のコントラスト、迫力ある大画面。展示されている部屋に入ったとたん、順路はまだまだなのにその存在感に驚いた作品。少し離れた距離から、しばらく全体を眺めていた。これを観ただけでも足を運んだ甲斐があった。

 
 ところで、西洋美術館の企画展展示室は、最初に地下1階に降りるようになっている。私が階段を降りて行ったら、一歩一歩手すりと杖に掴まって降りているお婆さんが。「エレべータがありますよ」と教えて差し上げたかったが、半分ぐらいまで降りていたので、また上がっていくのも大変だろうし、そういうときに声かけるのも善し悪し…。階段の下り口に、エレベータの案内表示があればいいなと思った。杖の人って、辛抱強いというか、我慢しちゃうんだよね。

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モーリス・ユトリロ展-モンマルトルの詩情-

  三鷹市美術ギャラリーで行われてる『モーリス・ユトリロ展 -モンマルトルの詩情-』(7月8日まで)に行ってきた。

 絵を鑑賞するとき、その人が持つ”物語”が語られてしまう画家がいる。たとえば、このユトリロ。
 --私生児としての生い立ち。母への慕情。年期からアルコールに溺れ、アルコール依存症の治療のために、絵を描き始める。その絵の人気が高く売れるとわかると、母や義父から描くことを強いられ、本人も酒代のために筆をとる。アルコール依存症のために入退院を繰り返し、数々の奇行から刑罰を受けるが、最晩年にはパリ名誉市民を受賞した。--というあまりに有名な彼の淋しい物語が、予備知識となるのか、先入観となるのか、微妙。

 ユトリロの作品が約80点。ほとんどが風景画だ。しかも建物。風景の中にも人物は少なく、描かれていても顔(表情)がない。人物は下手だなあと思う。ルソーのように人物への愛情が籠もっている下手ではなくて、どちらかというとおざなりに描いたという感じ。というか、人物は描けないんだよね。治療のために部屋で描き始めたのだから。風景だって、写真(ポストカード)を観ながら描いたんだし。今回の展示では、何点か、元になったポストカードが絵と並べて展示されていた。

 評価の高い「白の時代」は、案外短い。

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『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』1920年

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『モンマルトルのラパン・アジル』1933年

 二点とも「色の時代」の作品。「白の時代」から繰り返し、繰り返し描かれてきた風景だが、その風景が好きとか、「白の時代」とは視点を変えて、というより、これしか描けないんだろう。それとも、人気がある風景を選んだのか…。

 後年の作品を観ていたら、昔、絵を描いていた知り合いが呟いた「売る絵はつまらん」という言葉を思い出した。でも、そこにユトリロの本音があるようで、たしかに「白の時代」の作品は素晴らしいが、後年の作品のほうが人間臭い気がした。

 愛好家にはたまらないのだろうけれど、これでもかこれでもかと建物がならんでいる展覧会は、ちょっと息苦しかった。本物に接した高揚感はあるものの、ユトリロの絵は、一点だけ、あるいは二、三点、レストランとかカフェで(どこかのお屋敷でもいいけど)観てみたい絵だ。

 会場の三鷹市美術ギャラリーが狭く、天井が低いのも、息苦しさを感じる原因だろう。大きめの作品は離れて鑑賞したいのに、うまい具合に距離がとれない。会場警備の人たちが鑑賞の邪魔になる(彼らも居場所がなくてかわいそう)。後半の幾つかは、展示パネルのつなぎ目や扉の敷居が作品に重なって目障りだ。狭いとはいえもうちょっと配慮してほしかった。わりと好きな美術館なのだが、今回は無理があったんじゃないだろうか。


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じっと見る 印象派から現代まで

 ブリヂストン美術館『じっと見る 印象派から現代まで』を観た(7月16日まで)。

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美術好きの知人が「企画展ばかり追いかけているようじゃ、まだまだ。常設展、所蔵品展がおもしろいのよ」と言う。国立新美術館のように所蔵作品を持たない美術館もあるけれど、ふらっと行って、好きな作品をゆっくり眺めるのがいいのだそうだ。話題の企画展に行ったって、他人の頭を見てばかりじゃね、って。
  
 その彼女が好きな場所が、ブリヂストン美術館。ああ、いいよね! 私も大好き。

 主に近現代の西洋画、彫刻を所蔵しているブリヂストン美術館。『じっと見る 印象派から現代まで』も所蔵品展で、副題通り印象派から(ホントはその前から)現代まで、日本の作家も含めて約150点を展示。マネ、ルノアール、セザンヌ、シスレー、モネ、ゴッホ、ゴーガン、ルオー、マティス、ピカソ、ルソー…とまだまだ沢山、画家の名前を挙げればキリがないほど。しかも「名画・名作」揃いで、印象派以降の西洋美術史のお復習いができてしまう。これが所蔵品展だとは恐れ入る。(一枚目はマネの「自画像」)。

 ワサワサとウルサイ人も来ないから、ゆっくり鑑賞できる。一度通して観た後で、お気に入りの絵を、それこそじっと見た。照明と壁の色、カーペットとフローリングの床、革張りの椅子…、ここは空間としてもとても贅沢。


 
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 藤田嗣治「猫のいる静物」。やっぱり藤田は猫が好き。この絵は静物というよい、動きを感じるんだけれど。


 そしてラウル・デュフィ「オーケストラ」。とっても楽しそうな一枚。
よく観ると楽器の配置が現代のポピュラーな配置とは違うけれど、どんな曲を奏でているんだろう。
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今日のお目当ての一つはジャコメッティの「ディエゴの胸像」(ブロンズ像)。ユーモラスでありながら、なんだか悲しいようでもあり。


  帰りに、ティールームに寄った。一人だったので、お店の人が「よかったら後ろにある本もどうぞ」と勧めてくれた。手に取ったのは『読む ブリヂストン美術館』。いま観てきた作品が、わかりやすく解説されていた。ここのコーヒーがまた美味しくて、本当に幸せな時間を演出してくれる美術館だ。

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ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007 

  東京オペラシティコンサートホールで『ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007』を聴いた(5月22日)。

 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、と11台のストラディヴァリウスに、コントラバス、ハープシコードが加わったアンサンブル。

・ヴィヴァルディ/2つのチョロのための協奏曲 ト短調 
・J.S.バッハ/ハープシコードのための協奏曲 第5番 ヘ短調
・ハーバー/弦楽のためのアダージョ 作品11
・バルトーク/ルーマニア民族舞曲
・ヴォルフ/イタリア風セレナード ト長調
・ドヴォルジャーク/弦楽のためのセレナード ホ長調

 こういうプログラムに行きたくなるのは、根っからミーハーなのだ。「これがストラディヴァリウスですな」とは聴き分けられないが、深くて柔らで艶のある音。澄んだ華やかな高音から重厚な低音まで、うっとりしちゃう。奏者はほとんどがベルリンフィルのメンバーだ。

 オープニングの「2つのチェロのための協奏曲」で吸い寄せられる。端整なイメージがあるストラディヴァリウスで「ルーマニア民族」を聴くなんて、ね! 

 アンコールは、
・チャイコフスキー 弦楽セレナーデ から
・モーツアルト  ディヴェルティメント から
・ヴィヴァルディ  四季 「春」

 演奏だけでもサーヴィス精神旺盛なのに、曲紹介してくれたトーマス・ティム氏(ヴァイオリン)が日本語で笑わせて、和ませてくれるオマケ付。最近とみにフランクになっているが、クラシックに堅苦しいイメージはない。

 二階のバルコニー席だったが、下(ステージ)を観ると案外一階席の人の様子が目につく。行儀が悪い人はけっこう目立つから、人の振り見て我が振り直せだわ。
 階段を降りるときに、この東京オペラシティコンサートホールにはお客さんが利用できるエレベーターがあるのかなって、ちょっと思った。杖をついているお年寄りや白杖(はくじょう・目が不自由な人が持つ杖)を持っている人がいたから。もちろん元気な人は階段を利用すればいいが、こういう人のためにエレベーターの案内があるといいのに。
  

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サントリー美術館 開館記念展I「日本を祝う」

 3月下旬にオープンした東京ミッドタウンの中のサントリー美術館で、開館記念展I「日本を祝う」
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 私が知っているのは赤坂見附にあるサントリー美術館だが、元は1961年に丸の内にオープンした美術館。二度も移転しているのね。ミッドタウンに移って、展示スペースは赤坂の二倍だそうだ。 『日本を祝う』は、新しい館内のお披露目展。所蔵品の中から、お祝いにちなんだ約150点を、<祥>・<花>・<祭>・<宴>・<調>のテーマにわけて展示している。


  作品の中で一番見入ったのは、重要文化財の『南蛮屏風』、桃山時代の狩野山楽の作品と伝えられている。南蛮貿易の絵柄の二双の屏風で、南蛮船は”宝船”でめでたいのだとか。一双は日本に上陸する南蛮人たちで、もう一双はなぜか建物や人物から察するに中国の様子。当時の南蛮船の一行に「日本に来る前に中国に寄ってきたんですよ」とか「次は中国にいくんですよ」なんて聞いていたのか。日頃見慣れてはいないだろうに、南蛮の風俗がよくわかる豪快で緻密な作品。南蛮人のほうが日本人や中国人よりちゃんと鼻も高いのだよ。ポストカードがなくて、ここに絵柄を紹介できないのが残念。
 これまた図柄がないのだが、江戸の年中行事が描かれている『十二ケ月風俗図屏風』(榊原豊種)とか『阿国歌舞伎図屏風』も面白かった。美しい花鳥画もあるんだけど、昔の風俗がわかる屏風絵に興味を抱いた。

 この展覧会のもうひとつの主役は、美術館の館内。美術館は、東京ミッドタウンのガーデンサイドの3階から6階
の一画(展示室は3、4階)にあり、入口が3階。今回の展示は、4階にエレベータで上がって、3階に降りてくる順路になっている。その4階から3階に降りる階段と3階ロビーの空間の素敵なこと! 和テイストの落ち着いた空間だと聞いていたが、縦子格子の窓からはミッドタウンガーデンの緑も眺められ、鑑賞の間にちょっと一息つくのにとてもいい場所だ(国立新美術館の休憩室は味気ないよね)。階段が苦手な人はエレベーターでの移動も可能で、私が行ったときも杖をついたお年寄りがエレベーターで降りていた。エレベーターと動線の関係もよさそうだ。

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それから、展示室の照明は最先端の照明技術なのだとか。どういう技術なのかはわからないけれど、なるほど鑑賞しやすい。とくにそれを感じたのが、『江戸切り子 三つ組み盃・盃盆』などのガラス工芸品で、とても美しかった。思わず光りの方向を確認してしまうぐらい、柔らかだが鮮明に作品を引き立てていた。
 
 くまなく歩いたわけではないが、東京ミッドタウンも大勢の人で賑わっているわりには、広々とした印象で歩きやすい。今度はミッドタウンをじっくり見学しようか。敬遠しがちだった六本木だが、国立新美術館、サントリー美術館のオープンで、ときどき足を運びたい場所になった。

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ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 初公開 浮世絵名品展

 先週、太田記念美術館で「ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 初公開 浮世絵名品展」を観た。

 美人画、役者絵も多く展示されているものの、観たいのは、広重の「東海道五拾三次之内」「木曽街道六拾九次之内」と、北斎の北斎の「富嶽三十六景」。まあオーソドックスな好みですが、浮世絵は風景画が好きなもので。


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 木曾街道のなかから、『軽井沢』。ゴールデンウィークに行ったので身近に感じる。昔は交通の要所だったんだな、なんて思ったり。


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 北斎の『大浪』こと、『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』。ダイナミックな浪に惚れ惚れ。『赤富士』『黒富士』も観られると聞いたが、それは展覧会の後期なのだそうだ。また来なければ! 『大浪は』前期のみ。

 


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 風景だけでは色気がないのでもう一枚。広重の団扇絵『江戸名所見立三光 両国月之景』。

 前期は5月27日(日)で終了。6月1日(金)から26日(火)まで後期。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知

 東京国立博物館で行われている『レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の実像』を観た。

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目当ては、なんと言っても『受胎告知』。国立博物館の敷地に入るときに、チケットチェック(ここでは半券を切らない)。『受胎告知』が展示してある本館第一会場では持ち物検査がある。警備が厳しいが、しかたがないか。待ち時間なくすぐに入れた。
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ちなみに、サイトに混雑状況を掲示してあるので、参考にしていった。
 
 『受胎告知』の、遠近法とか、マリアが使っている書見台の文様とか、ガブリエルの羽とか、細部の蘊蓄は仕入れていたが、絵全体に存在感があって素晴らしい。レオナルド20才の作品ということに恐れ入ると同時に、保存の良さに感心した。

 平成館の第二会場で魅せられたのが、テラコッタの少年キリスト像。優しく穏やかな顔をしていた。
 科学的な業績も多角的に展示してある。年譜をみると、レオナルドが画家として召し抱えられたのは晩年、フランスで。どうりでフランス人が『モナ・リザ』を「フランスの宝」というわけだ。婚外子だったことで苦労したようだが、その努力が天才を作ったのだろうか。描く絵は『モナ・リザ』を除いて宗教画だが、神の摂理に沿わない科学もみているわけだし、カトリック社会で婚外子、彼にとってキリスト教はどんな存在だったんだろう。
 
 会場は広い。ハイヒールを履いている女性がソファで脚をさすっている光景を見たが、ハイヒールは避けた方が無難。

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スウェーデン児童文学フェア2007

 子どもの日、スウェーデン大使館で行われている「スウェーデン児童文学フェア2007「ピッピからペッカ」 -東京発スウェーデン児童文学へようそ!-」に行った(5月13日まで)。

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 今年はアストリッド・リンドグレーン生誕100周年だそうだ。 リンドグレーンは、『長くつ下のピッピ』をはじめ、その作品が世界中訳90言語に翻訳されている、スウェーデンで一番有名な作家だ。私にとっても、ピッピは永遠のアイドルだし、「やかましむらのこどもたち」の世界も大好きだ。
 リンドグレーンを紹介するパネルに、”遊ぶことは、生きること”とあって共感。子どもはもちろん、大人も(想像力豊かに)遊ばないとね。(以前、「遊企画」というライターユニット名で仕事をしていたときに、某自治体の担当者から「遊という字が不真面目な印象だ」と言われたが、そんなことだから「行政は!」って言われちゃうんじゃないの?)リンドグレーンは児童福祉にも尽力した(写真は、ピッピ型の椅子に座るピッピの人形)。

 「小さなノーベル賞」と呼ばれているリンドグレーン記念文学賞も紹介されていて、2005年には日本の荒井良二氏も選ばれていた。荒井さんといえば、「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」でも紹介されていた挿絵画家だ。 

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 リンドグレーン以外の作家も数多く『小さい女の子と大きい女の子』(カーリン・ヴィールセン 作/クリスティーナ・ディグマン 絵)という子どもの心理をよく表している作品が紹介されていた。幼い女の子が、母親から「(まだ小さいから)○○しなさい」と言われ、あるときは「もう大きいから○○できるでしょ」と言われてアタマに来ちゃう、子どもにとっては理不尽な、でもありがちなお話で、その子の怒った表情がなんとも可愛い。日本語訳はまだのようだが、是非ともお願い!

 スウェーデン料理のカフェが出店していたので、ミートボールのプレートを注文。ビールがあったらなお美味しいだろうと思うけど、”こども”のフェアだものね、失礼。椅子に腰掛けたり、カーペットに座ったりして自由に本が手に取れるコーナーや映画の上映もあり、会場はゆったりとした時間が流れていた。児童文学のみならずスウェーデンという国に親しみを持ったフェアだった。

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そっと おやすみ Killing You Softly

 ミステリー・ミュージカル『そっと おやすみKilling You Softly』
  作・演出:高平哲郎/音楽:島健/振付:川崎悦子/青山円形劇場/4月17日

 島田歌穂、玉野和紀、吉野圭吾、北村岳子のメンバーで、2000年から毎年恒例の『ダウンタウン・フォーリーズ』。今年は、北村が参加していないからか、番外編。北村はなにに出ているのだろうと思ったら、『マリー・アントワネット』でした。

 『ダウンタウン・フォーリーズ』は、ファンサービスの色が強い。
 いつもはショーのオムニバス構成だが、番外編の今回はミステリ仕立ての1本のお話しになっている。『ダイヤルMを回せ』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』など名作ミステリのパロディ部分もあるが、ストーリーはたわいない。見どころは、やはり例年と違わず島田、玉野、吉野の芸で、それが至近距離で楽しめること。青山円形劇場の舞台は、基本の円形。ここを使うなら、やはり円形にしなきゃもったいないでしょう
 紅一点で中心になっているせいもあるが、島田のコメディエンヌぶりが絶好調。この人はグランドミュージカルより、こうやって客席と丁々発止やっているほうが、魅力全開。惜しかったのは、玉野のタップが少なかったことか。
 客席も、もうわかっているファンばかりなので、カーテンコール?の「おかえりはあちら」が出る頃には、総立ちだった。

 それにしても、パンフレットが売り切れていたのが残念だった。先着30部しかなかったのだ。なのに劇中の吉野が、客席に「パンフレットを見せてください」というところで、2冊差し出した人がいたのは、どういうこと?
 以前、宝塚のOGが何人か出ていた芝居に行ったときに、そこではパンフレットは「一人一冊」にしか売らなかった。パンフが足りないっていうのがそもそもオマヌケなんだが、足りなそうなら、そういう配慮をするべきなんじゃないの? 


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現代能楽集Ⅰ AOI/KOMACHI

 昨年11月、現代能楽集シリーズの『鵺/NUE』を観たので、この作品も是非観たいと思っていた。『AOI/KOMACHI』は、現代能楽集の第一弾として03年初演、今回は北米ツアーを終えての凱旋公演。
 作・演出 川村毅/世田谷パブリックシアター(4月13日 昼)
 
 『AOI』は、謡曲『葵上』の本歌取り。さらにその元は源氏物語。
 現代の光(源氏)はカリスマ美容師(長谷川博己)。恋人葵(劔持たまき)は、黒髪が美しい高校生。そして愛人関係にある六条(麻実れい)。 
麻実れいの圧倒的な存在感が見物だと聞いていたが、その通り。この人は、他人を寄せ付けない高貴な身分の役をやらせたら日本一で、六条休息所のプライドと嫉妬心は本領発揮というべきだろう。みだらな言葉もこの人が発すると、冷たく美しく聞こえるから不思議だ。だが、麻実の六条は凛としている。おどろおどろしいのは六条の生霊ではなく、光の”黒髪”への偏愛。当時の美の象徴である”黒髪”を活かした川村の設定は見事だ。
 白と黒のコントラストがシャープな舞台。照明(影)も美しい。

 モノトーンの舞台はそのままだが、第二部は映像が用いられる。『KOMACHI』は、小野小町伝説の『卒塔婆小町』が元になっている。もう何年も映画が撮れない映画監督=男(手塚とおる)が、うらぶれた町のうらぶれた映画館で、幻の名作を観る。その主人公を演じているのが、戦中・戦後の映画スター、小町。いまは老婆となった小町(笠井叡)が、男の前に現れる。小町の回想シーンは銀幕のスターだった第二次世界大戦中で、小町の謎の引退も、深草少将の設定も活きてくる。ああ、なるほどな。
 舞踏家、笠井叡を小町に据えたところがミソで、より”能”を意識した作品。男を演じる手塚とおるも素晴らしい。この人の持つ独特の”明るい暗さ”がこの作品にぴったりだし、この人の時にくねくねとした身体動作は、ダンサーのものでもなく、他の役者ではマネできない。この作品では男が狂言回しなのだが、緩急、高低使い分ける語り口もいいのだ。終演後、「萬斎さんにそっくりね!」と話していた観客のオバサマたちがいたが、そうか? 違うだろう? まあ、謡曲の技巧を取り入れているだろうから、共通するところもあるだろうが…。

 思えば、私は89年に上演された川村毅演出の近代能楽集を観ている。そのときの演目も『葵上』と『卒塔婆小町』だった。現代への置き換えも素晴らしく、川村にとっては遊びがいがあるモチーフなのだろう。本歌取りの妙を味わった。

 

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MONET 大回顧展モネ

 国立新美術館の「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」に行ってきた(7月2日まで)。
東京ミッドタウンがオープンして間もないので混んでいるかと思ったら、そうでもない。すぐに入れた。

 モネの作品が97点(期間中掛け替える作品も含めて)、モネに影響を受けた作家たちの作品が26点。
 モネの作品を、
 第一章 近代生活
 第二章 印象
 第三章 構図 
 第四章 連作 
 第五章 睡蓮/庭
というテーマに分け、それぞれのテーマに関連した後世の作品も同じブロックに展示してある。一面モネ作品よりはアクセントになっているし、モネの影響を考える人にとっては面白いのだろうけれど、モネに集中したい私は途中からモネだけ見てまわる。


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「ヴェトゥイユの教会」。近くで観たときもよかったが、離れたところから偶然振り返ったときに、しっかりと目に飛び込んできた一枚。


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「サン=ラザール駅」。

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睡蓮もいいけど、「黄色いアイリス」も素敵。これは国立西洋美術館所蔵。この絵の隣に「藤」という大きな作品があって、しばしソファに座って鑑賞。藤棚を描いたようで、藤の花は白、背景が藤色の大胆な絵だった。

 残念ながら印象派の名の由来となったと言われる代表作「印象・日の出」はなかったが、この展示のボリュームは「光の画家でしょ!」「睡蓮でしょ!」といった説得力がある。ポプラ並木やルーアン大聖堂などの連作は、連作ならではの面白さがあり、世界あちこちに散らばってしまったのがもったいないと思った。

 驚くのは、展示されている作品の半数近くが、日本の美術館が所蔵している作品だということ。日本人ってモネが好きなんだな、とつくづく思う。モネが日本贔屓だから、よけいだろうか。

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三井家のおひなさま

 先日、日本橋にある三井記念美術館の「三井家のおひなさま」展に行った(4月8日終了)。


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 北三井家十代・高棟夫人 三井苞子、十一代・高公夫人 三井鋹子、十一代・高公長女 浅野久子の、三代のおひな様を中心に、舞踊人形や御所人形などが飾られていた(特別展示 「丸平文庫の京人形」)。年代で言えば江戸末期から昭和初期頃までで、意外と今に近い。
 苞子さんのひな人形で、享保雛 有職雛などの種類を知る。立雛の着物は、松の柄に朱色と決まっているのだろうか。
 お人形が豪華なのはいうまでもないが、雛道具に目が行く。久子さんの雛道具に百人一首があったり、ちゃあんと作り物のミニ桜餅があったり。鋹子さんのお道具の楽器が<琴、三味線、胡弓>なのも面白かった。おひな様って宮廷文化の写しでしょう?三味線は町民文化の中で広まったものなのでは? 制作が明治だから、ボーダレスなのか?
 
 三井記念美術館のおひなさまの展示は、毎年恒例らしく、来年も予定されているようだ。
 今回は、閉館間近くに入り、他の展示を端折ってしまったので、また美術館にゆっくりこよう。
 新しい美術館だが、重要文化財の三井本館のイメージを活かして、エレベーターもトイレもレトロチックにつくってあった。

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HEDWIG AND THE ANGRY INCH

 ROCK MUSICAL“HEDWIG AND THE ANGRY INCH(ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ)”のTour Fainal(作 ジョン・キャメロン・ミッチェル/作詞・作曲スティーヴン・トラスク/上演台本・演出 鈴木勝秀/4月7日 昼/東京厚生年金会館大ホール)。こりゃあ、山本耕史のファンにはたまらないでしょう。

 とあるライブハウスで、歌手ヘドウィグ(山本耕史)が自分の半生を語り始める。冷戦時代の東ベルリンに、ドイツ人の母とアメリカ兵士の子として生まれた少年。ラジオから聞こえてくるロックミュージックに心躍らせ、自分のカタワレ(=愛)を探すことを夢見る男の子が、アメリカ兵に愛され、性転換手術をし、渡米。憧れのアメリカでのどん底生活。でも、彼はカタワレへの思いを持ち続けながら、怒りを込めてロックを歌う。
 ベルリンの壁。人種の壁。性の壁。人と人との壁。難しいが、普遍的なテーマでもある。

 バンドの他には、ヘドウィグを演じた山本と、ヘドウィグの”夫”イツァークの他に母などを演じた中村中の二人芝居。
 山本は、美しい顔だちにすらっと伸びた脚、白い肌を惜しげもなく披露していて色っぽいのだが、ギリシャ彫刻みたいにたくましい胸とパンチのある歌声は男っぽく、彼の存在そのものがカタワレずつ(男と女)になる前の人間なんじゃないかと思わせる。このなんともいえない艶めかしさは終盤、実に効果的だ。
 中村中(なかむらあたる、と読む)の名は知ってはいたけれど、途中「この子、何者?」と唸ってしまった。巧い。張りがあるかと思えば素直に伸びる歌声が素晴らしいし、山本を受けての演技もいい。彼女は、夫や少年など男性を演じる部分が多く、ここでも”性”が行ったり来たり。鈴木の演出は、カタワレ探しを美しくクローズアップしているように見える。
 
 でも、ちょっと綺麗すぎるのだ。クールというか整理され過ぎているというか。自由への憧れと人を愛する渇望が二重にも三重にも捻れているのだから、もっと訳のわからない怒りとか、猥雑さとか、衝動がほしい。自由への憧れには政治的な背景があるわけだがその辺りは難しいし、詞も訳さないのでアジテーションもなく(拳を挙げている人たちもいたが客席は概ねおとなしかった)、受け入れやすいカタワレ=愛の話にウェイトを置いたのではないかと深読みしたくなるのだが。
 会場が厚生年金会館というのも、差し引かなければ、と思う。これがライヴハウスだったら、もっと濃厚な空気が流れていたかもしれない。厚生年金は広すぎたし、そもそもこのテーマをお役所外郭団体のホールで上演しようっていうセンスが、なんともかんとも。

 でも、これはこれで満足。山本耕史が存分に魅力的だったから。そして中村中に出会えたのは大きな収穫。今後の活動が楽しみだ。
 終演後、久しぶりにデイヴィッド・ボウイを聴きたくなった。しかし、ロックが大人のモノになって、若者はどうした?

 

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特急二十世紀

 下北沢・本多劇場で、加藤健一事務所の『特急二十世紀』を観た(3月25日 昼/ケン・ラドウィッグ 脚本/久世竜之介演出)。本多劇場は、補助席も出る大盛況だった。

 シカゴ発ニューヨーク行きの特急「二十世紀」。久しくヒットがない演劇プロデューサー、オスカー(加藤健一)は、この列車に人気絶頂の女優リリー(日下由美)が乗るのを知り、偶然を装い、助手のオーウェン(新井康弘)、アイーダ(一柳みる)と一緒に乗り込む。リリーは彼が育てた女優であり、元恋人。次回の公演を成功させるには、客を呼べる彼女が必要。となれば、契約書にサインさせる手段は選ばない。車掌、ポーター、乗客を巻き込んで、あの手この手でリリーに迫る。特急列車が豪華だった頃の、ハリウッド映画にブロードウェイの劇場が食われていた頃の、コメディ。

 コメディがお得意な加藤健一事務所にしては、フツーの出来。役者はいいんだけどな。 
 舞台は、展望車(バーカウンターのある車両)と、特等のコンパートメントA室とB室。本多劇場の舞台幅より長い車両が左右に動くという、列車ならではのセットだ。そのアイデアは面白いんだけれど、逆に三室を行ったり来たりするが故に、ドタバタが分断されている印象を受ける。ドタバタっていうのは、一箇所にこれでもかこれでもかと集中させて混乱させたほうが効果的だと思うけど。これは列車という密室に近い舞台設定の、落とし穴だ。
 登場人物の一人が、キリスト教の狂信者というのも、私には分かりにくい。

 役者の中では、新井康弘に目が行く。パンフレットの役者紹介のところの「あなたがプロデュースする夢の舞台は?!」という質問に、新井康弘が「ニール・サイモンのB・B三部作(ブライトンビーチ回顧録・ビロクシーブルース・ブロードウェイバウンド)を1つの劇場で1日に通して公演してみたい」と答えていた。実現したら、是非観たい! 1日通しじゃなくてもいいから。
 
 

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橋を渡ったら泣け

 『橋を渡ったら泣け』(シアター・コクーン/3月24日 夜/土田英生 作/生瀬勝久 演出)

  チケットを取るとき、不思議なタイトルだと思った。水害で日本のほとんどが海に沈み、生き残った数人の人たちの話だ。水害も怖いが、生き残った後の小さな集団の中の人間関係が実は怖い。「橋を渡ったら泣け」にはメッセージが込められていて、見終わったとき、いいタイトルだなと思った。

 土田の作品は、初めて観た。この戯曲は、自身が代表を務める劇団MONOで02年に初演されたものだそうだ。ただ今回の上演用に書き直したという。02年より今年の方が「地球温暖化による水害」という設定はリアルに感じられるかもしれないが、小集団のサバイバルゲームは、小説の『二年間の休暇』(ジュール ベルヌ)を思い出した(あの小説のサバイバルには女性はいませんが)。浅間山荘事件でもいいや。閉鎖的な人間関係の危うさは、普遍的な題材である。 

 壮絶な事件があるわけではなく、”極限状態におかれた日常”の中で、何かがズレていく。遊覧船で流れ着いた佐田山(大倉孝二)が中心人物ではあるが、どんな状況も受け入れながら実は空回りしている八代(奥菜恵)の存在が面白かった。というか、他の人は物語を進行させる役割が割と明確なのに、この八代はいなくても物語は進行するのだ。しかしこの空回りはいまの日本人を描く上では必要だろう、と思ってパンフレットを読んだら、今回の書き直しで膨らませたキャラクターだそうだ。
 ちょっとおバカだけれど、直感的に物事を判断できる井上を演じた八嶋智人の、とぼけ具合がうまい。
 希望が見える結末もいい。

 土屋も、生瀬も、出演している俳優の多くもアナログで育った世代。生まれたときからコンピュータが身近にある世代ではない。なんでもコンピュータで制御されるのが当たり前で、マッチで火をつけたことがない世代がサバイバル物を描いたらどうなるだろう、なんてもこともちらっと思う。人間関係も違うのかもしれないな。

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TOMMY

 隣の席のスーツにネクタイのオジサマは、「THE WHO」のファン。斜め後ろの、お揃いのピチピチTシャツを着たオバチャマたちは、
ROLLYのファン。今の時代、ロックって大人のものかもしれないな。
 
 THE WHOは一世を風靡したイギリスのロックバンドで(私はリアルタイムには遅れている)、彼らのロックオペラ『TOMMY」』の日本バージョンは、新感線のいのうえひでのりが演出している(日生劇場/3月20日)。

 子どものときに不幸な事件を目撃したショックから、見えない、聞こえない、喋れないTOMMY(中川晃教)。両親は、なんとか治そうと病院、祈祷、ドラッグにも頼るが効果はなし。ところが、ピンボールマシーンだけは見事に操り、チャンピオンになる。有名になったTOMMYは、その後三重苦からも解放され、人々は彼を奇蹟の人として祭り上げるが…、というストーリー。60年代のミュージカルだ。

 いのうえは映像を多用する。彼は以前から舞台に映像を用いる演出家だが、それにしても過剰だ。刺激的な効果も狙っているのだろうが、かえって凡庸な印象で説明的、もうちょっと役者達の表現や、観客の想像力に委ねてもいいのではないか。

 中川晃教は、天才的な才能を持っている無垢な青年が周りから祭りあげられていく…というところで、『SHIRO』のときのイメージが重なる。衣裳も、両作品とも、白だ。歌が上手いことはいまさらいうまでもない。相変わらず可愛いし。
 ただ、TOMMYが能動的に動く話ではないので(とくに前半)、周りの演技と歌がモノを言う。TOMMYが三重苦になるのも、祭り上げられてしまうのも、原因は両親にあるのだが、パク・トンハと高岡早紀は二人の愚かさに踏み込めていない。
 そんな中で、この作品を引っ張っているのは、やっぱりROLLYだ。従兄弟のケビンやピンボールキングなどを演じ、サイケな時代の雰囲気もロックミュージックも、彼がいなかったら全然締まらなかっただろう。カッコイイの。斜め後ろのオバチャマたちは「ROLLYちゃーん」と叫んでいた。ROLLYの”ちゃん”付け、はじめて聞いたよ。
 それからもう一人、女性では、ピンボールクイーンなどを演じた山崎ちかがとってもよかった。ROLLYも山崎ちかも本領発揮、餅は餅屋ということか。(東京3月31日まで)
 

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趙静&松本和将 デュオ・リサイタル

 3月に趙静&松本和将のデュオ・リサイタルが何回かあると知り、調べてみると、18日のパルテノン多摩小ホールがウチから一番近い。近いったってかなり遠いのだけれど、やっぱり聴きたい! 追っかけしようかと思った、松本和将だもん。
 
 曲目は、ブラームス チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38
       リスト バラード 第二番 ロ短調
      吉松隆 ブレイアデス舞曲集 より 
        さりげない前奏曲/西に向かう舞曲
        聖歌の聞こえる間奏曲/プラタナス・ダンス
        夕暮れのアラベスク/真夜中のノエル
      ショパン チェロ・ソナタ ト短調 作品65 
      シェスタコーヴッチ チェロ・ソナタ ニ短調作品42 
                 第二楽章(アンコール)

 この二人はデュオのCDも出していて、ショパンのチェロ・ソナタはそのCDに収録されている。

 第一部は演奏だけだったので、今日はお話しがないのかと思っていたら、第二部の冒頭で、「趙静お目当ての方はすみません。ボクのソロが続きます」と、マイクをもって話しはじめた。趙静は美人で情熱的な演奏だから、ファンも多いだろう。隣の席のお姉さんも熱心な趙静ファンの様子で、小ホールなのにオペラグラスで観ていた。たしかに眉間に皺をよせたり、はっとした顔になったりと、表情も素敵ね。この人の演奏を観ていると、曲に引き込まれる。
 
 でも、私はやっぱり松本クンが好き。松本クンが王子様系ではないからと言って、美女と野獣にはならないぞ。
この人が弾くピアノは、表情豊かで、力強く、繊細な演奏なのだ。なんていったらいいのか、とにかく巧い。
 デュオもいいが、リストも素晴らしかった。パルテノン多摩小ホールは三度目で、はじめてのときに、リストのバラードを演奏したという。選曲してからそのことを思い出したそうだ。12月のリサイタルでも演奏した、プレイアデス舞曲集は美しい現代音楽。

 デュオでは、趙の息づかいが聞こえてきた。マイクの位置でもう少し拾わないようにできればいいのにと思わないこともないが、ファンにとってはそれも魅力なんだろう。そんなことも含めてライヴの臨場感を味わった。
 松本和将はもちろんのこと、趙静も、また聴きたい。自分の成長を信じている(ように見える)若手の演奏っていいな。   
          

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桜さくらサクラ

 一足はやい”バーチャル”お花見、第二弾!

 お花見の名所、千鳥ヶ淵のすぐ近くの山種美術館で、「桜さくらサクラ・2007-花ひらく春-」という展覧会を観た(4月15日まで)。 山種美術館は日本画専門の美術館で、春の桜にちなんだ展示は恒例になっている。
 今年は、桜だけでなく、広く春を題材にした作品を集めている。

 
 いろいろな作品があって楽しい”お花見”だが、とくに惹きつけられたのはこの二点。

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 加山又造の「夜桜」。横山大観の「夜桜」が構図も色もダイナミックなら、こちらは月もおぼろで、色遣いも落ち着いているが、どこか華やかで、こういう桜のほうが妖気が漂っていそう。坂口安吾や梶井基次郎の世界に誘われそうだ。

 奥村土牛「吉野」。壁一面が吉野の山になったような大きな作品で、「霞か、雲か」という桜の歌を思い出した。長閑な春、だ。

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 山種美術館は今年40周年で、次はコレクション名選展だそうだ。土牛の「醍醐」「鳴門」も出るというから楽しみ。小さな専門美術館も、とくに日本画は、いいものだ。
 ただ、ここは、ロビーが狭いせいか、ロッカーがないのが残念。重い荷物や嵩張るコートを気にせず、ゆっくり観たいじゃないの。高齢社会でもあることだし、ぜひ設置してほしい。

 


 

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横山大観の「夜桜」

 気象庁の桜の開花予想日は遅くなったようだが、お花見に行ってきた。

 大倉集古館の『館蔵 花鳥画展』。この美術展は1月2日から行われていたが、3月13日から3月18日まで、期間限定で、横山大観の「夜桜」を展示するという。大観の出世作と聞くが、まだ見たことがない。
 ならば、行かねば!

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 1930年(昭和五年)にイタリア、ローマで開催された日本美術展(ローマ展)に出展された作品。ローマ展は、ホテルオークラの創始者大倉喜七郎が企画しスポンサーとなり、大観が出展作品を選んだそうだから、どんなに張り切って描いたのだろう。ホテル事業の宣伝になるとはいえ、当時は、海外で展覧会を開くほどのパトロンがいたことにも感心する。

 ポストカードの画像が上下になってしまったが、二双の屏風の大作で、ダイナミックな印象を受ける。近づいてみると桜の花が繊細に描かれている。いまでも松の緑と空の群青が鮮やかだから、どんなに華やかな色遣いだったんだろう。イタリア人、好みかも。松明の煙が上がって、せっかくの桜が煙っている描写が面白い。桜をメインにしたら、煙を省きそうなものなに。

正面のソファに腰掛け、しばし鑑賞。
 スケッチしたのは上野界隈の桜らしいが、この桜、花と同時に葉もあるので、山桜だろうか。いまとは花見の風情も違うんだろうな。

 売店でポストカードを買ったときに「夜桜は、毎年この時期に展示するんですか」と訊いてみた。「今年まではそうだったんですが、来年以降はわかりません」との答え。
 その意味が、「未定」という意味か、「貸出があればそちらを優先する」なのか「年を経て毎年の展示は難しくなっている」のか聞きそびれてしまったが、いずれにせよ「わからない」なら今年観てよかった。


※関連リンク
没後50年 横山大観 新たなる伝説へ

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オルセー美術館展

  上野の東京都美術館で開催されている『オルセー美術館展 19世紀 芸術家たちの楽園』に行ってきた。
 
 美術展のトップに飾られている絵が、ベルト・モリゾの「ゆりかご」で、最初からうっとりしてしまう。姉のエドマとその子どもを描いた、レースの白色が優しい絵で、幸せをお裾分けしてもらった気分になる。実物を観られて、嬉しい。

 今回のオルセー美術館展は、--19世紀の画家たちと彼らの創作活動に欠くことのできなかった世界との関係に焦点をあて--とあり、 芸術家の家族や親しい人の肖像画を集めた「Ⅰ親密な時間」、風景画を集めた「Ⅱ特別な場所」、異境、異国への夢と希望をテーマにした「Ⅲはるか彼方へ」、「Ⅳ芸術家の生活」、思想や精神世界がテーマの「Ⅴ幻想の世界へ」、と5つのセクションから構成されている。
 「Ⅱ特別な場所」のトップも、ミレーの「グレヴィルの教会」という幸福感が満ちている絵だ。
 好きな印象派を中心にした展示というだけでなく、テーマと構成が感情移入しやすかったのか、「ゆりかご」と「グレヴィルの教会」に魅了されたからか、この美術展全体に優しい和やかな空気を感じながら鑑賞した。描く対象(風景も含めて)に親愛の情や敬意を抱いているのが伝わってくる作品が多い。

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 前売りチケットや図録の表紙にも使われている「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」は、マネの最高傑作と讃えられた作品。モリゾ自身もこの作品をとても気に入っていたそうだ。 
 この作品が展示されている「Ⅳ芸術家の生活」は、芸術家のアトリエや肖像を紹介している。たとえば、バジールの「バジールのアトリエ ラ・コンダミス通り」という作品では、本人、マネ、モネ、ルノワール、作家のゾラ、音楽愛好家のエドモン・メートルが描かれていて、交流があったことは知ってはいたが、このように互いを描いている絵を観ると、あらためて彼らの友情を実感できて面白かった。バジールは、ルノアールやラトゥールの絵にも描かれていて、背が高くて雰囲気がある人だったんだな、なんてことも思ったり。でも若くして、戦争で亡くなっているのを思うと、切ない。長生きしたら、どんな作品を描いただろう。

 「Ⅴ幻想の世界へ」でも幸福感は失せなかった。デュヴォセルの「目の飛び出した頭蓋骨」でさえ、ユーモラスだ。
 惜しいのは、混み合っていて遠くから作品を眺められないこと。ほとんどの人気の美術展がそうだろうけれど、やはり大きな絵は引いて、ゆっくりと全体を観たい。いまの日本の美術展事情じゃ、ワガママな希望かもしれないけど。絵画の他に、工芸品や写真も展示してある。(4月8日まで)

 <追記>
 混み具合は、「混雑しています」と入口に表示があったが、平日の昼時(12時台)だったので、チケット売り場に並んだり、入場規制というほどではなかった。 
 人気の美術展に行くといつも思うのだが、開館時間の延長、時間帯チケットの導入など、混雑緩和にもっと積極的にとりくんでほしい。作品の横の説明プレートを読むのに必死な人も多く、それが人の流れを止める原因にもなるので、入口で配布している目録に簡単な作品説明も加えちゃうとか。開館時間も、企画ごとに設定すればいいのに。9時から開いていることはないから(絵を見に行くのにラッシュの電車には普通乗らないでしょ)夜にずらすとか、終盤になって混雑してきたら時間を延長するなどの臨機応変な対応をお願いしたい。混雑緩和だけでなく、会社勤めの人のためにも、平日の時間延長は必要でしょう。


 

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印刷博物館 モード・オブ・ザ・ウォー

 一度トッパン小石川ビルの中にある印刷博物館に行きたいと思っていたのに、ズルズルと実現せずにいた。サイトを見たら企画展を開催中。これがチャンスだ、行ってみよう!
 
 企画展は『モード・オブ・ザ・ウォー 東京大学大学院情報学環第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスターコレクションより』。主にアメリカの、一次世界大戦期の兵士募集や戦時公債などのポスターが展示されている。
 いまでもポスターは主要な広告メディアのひとつだが、まだメディアが発達していなかった時代だから、いまの比ではなかっただろう。一つのデザインで何万枚刷られたのだろう、どんなところに貼られたのだろう。来歴はサイトで読んでいたものの、500点以上の第一次世界大戦期プロパガンダ・ポスターが東京大学にあるなんて。

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 入場券に使われているポスターは、「THAT LIBERTY SHALL NOT PERISH FROM THE EARTH 地球上から自由が消滅しないために」というコピーの、募債のポスターだが、自由の女神が炎に包まれ、アメリカ本土が攻撃される不安を煽っている。当初のコピーも「自由公債を買わないと、アメリカが焦土になる」というような意味のものだったそうだ。戦争で本土が攻撃されたことなど、ないくせにね。これは石版4色刷りだが、同じデザインでグラビア印刷のものもある(シロウトの私には、色の違いがわかるぐらいだ)。
 このような直接的に不安を煽るようなポスターは珍しく、大多数は明るく”強いアメリカ”のイメージで、赤白紺の星条旗カラーをはじめ、色彩も豊かなものが多い。市民を鼓舞するわけだから、当たり前か。しかし、日本の戦争のイメージとは随分違う。
 
 このコレクション、東京大学大学院情報学環デジタルアーカイブで一般公開されている。その調査の過程で、印刷博物館が協力をしたそうだ。古いポスターの一枚一枚から版式を調べるなんて気が遠くなる作業、ただただ感心するばかりだ。展示は3月25日まで。

 企画展の隣は総合展、印刷の歴史を展示してある。グーテンベルグの印刷で刷られた聖書に感心。そうそう16世紀の印刷技法のビデオを見て、一つ勉強した。版組がゲラで、印刷物はあくまで「ゲラ刷り」なんですね。だったら、いまはゲラないじゃないね。ここ15年ぐらいで、印刷技術は随分変わった。

  
 

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国立新美術館(続)

 国立新美術館の1階ロビーにある巨大な円錐形(コーンと呼ばれているらしい)の中は、トイレとして利用されている。

 最新のトイレらしくユニバーサルデザインにも配慮しているのだが、惜しいのは洗面カウンター。
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 二つある洗面ボウルのうち、ブースに近いほうの洗面ボウルのまわりに、手すりがついている。これは、足の不自由な人が立っているときにバランスを保てるように配慮したもの。
 でも、そのすぐ横の壁に、手を乾かす温風乾燥機がついていて、その下にはゴミ箱が置いてあるのだ。


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 この位置関係だと、ゴミ箱が足が不自由な人の動線を阻むことになる上に、手を乾かしている人がいたら、手すり付きの方の洗面ボウルは使えない。洗面カウンターの手すりをつけるぐらいなら、なんのために付けるか考えて、当然この位置はおかしいと気づいてほしい。バランスが取れない人はもちろん、利用者誰もが不便でしょ? 

 繰り返しになるがこのトイレは円錐の中なので、若干スペースがとりにくい。だったらまず、この円柱のダストボックスは止めて、小さなゴミ箱をカウンターの上に乗せる。ペーパータオルを使わせないなら、こんなに大きいゴミ箱じゃなくても間に合うはず。
 それから、温風乾燥機もやめちゃえば? ホテルやデパートのような民間企業のサービスと違うんだし、エコが奨励されているんだから、各自ハンカチを使えばいい話で。

 もし現状のスペースで、絶対温風乾燥機が必要と考えるなら、設置場所はやはりソコしかなさそう。ならばこのトイレはイレギュラーということで、潔く洗面カウンターの手すりをつけないか。

 ちなみに隣にある多機能トイレの洗面カウンターも、やっぱりゴミ箱が邪魔。これでは、車いすの人がまっすぐ洗面カウンターに向き合えない。こちらも、なんのために多機能トイレに下部の空間が空いているる洗面カウンターを設置したのか、考えてみてほしい。070216_1012002_3

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国立新美術館

 国立新美術館の二階展示室で『異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900 - 2005 ポンピドー・センター所蔵作品展』を観た後、同じく二階で開催されている『黒川紀章展』(3月19日まで)を観た。
 これが面白い。

 国立新美術館は黒川の設計だ。開館を記念して、黒川の代表作を、写真と模型と言葉で展示してある。副題に「機械の時代から生命の時代へ」とあるが、エコだのロハスだのと言われる今日的なコピーではないのだ。1959年に「機械の時代から生命の時代へ」と宣言しているのだという。50年近い歳月ではないか。
 建物というのは、普段一人の設計者の作品群としてまとめてみることができないし、利用するときには設計者の意図(思想)などほとんど意識しないが、こうやって集めることで、見えてくるのだなあと思った。ユーザーとしては俯瞰的に観ることができない建物を、模型によって俯瞰的に眺められるのも面白い。

 国立新美術館は大波のような外壁が特長だが、周囲の環境との調和という点では、敷地内に二・二六事件の司令部に使われた建物が残っていたので、それを保存し、調和することも、考えたそうだ。思わぬところで歴史の現場に出会った。
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 『黒川紀章展』を観た後で、正面から外観をあらためて眺めると、設計者の意図がなるほどと思える。
 また、その後1階展示室すべてを使っている企画展『20世紀美術探険-アーティストたちの三つの冒険物語』で、この美術館の大きさを実感した。よく歩かせられる。食事を挟んだとはいえ、前に2つの企画展を観ているから無理もないのだが、ロッカーに荷物を入れてほとんど手ぶらなのに、けっこう疲れて、ところどころで休憩。
 休憩室から外を眺めると、近隣のマンションがすぐ近くに見え、案外静かな場所だと気づいた。

 『20世紀美術探険-アーティストたちの三つの冒険物語』は、3月19日まで。
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 近現代の美術を、物質というテーマで捉えた企画で、500点以上もの展示だ。先に観た『異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900 - 2005』にもあったが、マン・レイの作品は、写真でも立体でも上品なエロスだとあらためて感心したりと、やはり私は現代より近代の作品に惹かれる。
 国立新美術館は、公募展のための30年来の構想だったと聞いたが、この展示を見ていると、なにより現代美術のための大きな空間がほしかったのだろうと思えてくる。

 いくつもの美術展が平行して開催されているので、終日美術三昧できる贅沢な空間。春に、近隣のサントリー美術館がオープンするのも楽しみだ。
 ただ、六本木という夜に賑わう立地なら、金曜日だけでなく、週にもう1日でも、たとえば水曜日も夜8時までにしてもらえたらいいのに。夜8時までの日は、朝11時からのオープンでも構わないから。
 
 あと、少々細かい意見を。
 B1のセルフサービス「カフェテリア カレ」は、メニューのわりに値段が高い。ファーストフードとコンビニを誘致したほうが、安くて美味しく、効率的だったのではないか?
 1階の円錐柱の中にある女子トイレのユニバーサルデザインには、ちょっと難がある。長くなるので、これはまた改めて別の場所で。
 


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異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900 - 2005 

 1月21日にオープンした国立新美術館に行った。
 お目当ては『異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900 - 2005 ポンピドー・センター所蔵作品展』。混み合うだろうからと、あらかじめ日時指定券(指定時間内に待たずに入れる)を買っていたが、平日の午前中だったこともあってか予想ほどの混雑でもなく、ゆっくり鑑賞することができた。

 20世紀初頭から現在まで、パリで活躍した”異邦人”芸術家たちの作品展。絵画、写真、立体と幅広い ”異邦人”を特集したことで、芸術の都としてのパリの求心力と、時代の影が見える。展示は四つのセクションに分けられているが、とりわけ冒頭の「モンマルトルからモンパルナスヘ」は、二つの世界大戦を経験した時期でもあり、その影が濃い。ピカソ(スペイン)、シャガール(ベラルーシ)、モディリアーニ(イタリア、マン・レイ(アメリカ)と居並ぶ中、日本人では藤田嗣治が一番有名だろう。昨年の『藤田嗣治生誕120周年展』を見逃したので、代表作の「カフェにて」(写真)「自画像」などを観られて嬉しかった。File0006_2
マン・レイをはじめとするモノクロの写真のなんともいえない情緒。パブロ・ガルガーリョの彫刻 「フルートを吹くアルルカン」も好き。鉄でどっしりしているのに、巧妙洒脱だ。この作品を観ているとシュルレアリスム ってなんだろうなあ?と思う。

 セクション「外から来た抽象」では、カディンスキーの「相互和音」(写真)とジャコメッティの「ディエゴ」に心惹かれる。
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 抽象の揺り戻しとも言えるセクション「パリにおける具象革命」を経て、現在にあたるセクション「マルチカルチャーの都・パリ」では、オノデラユキの「古着のポートレート」シリーズ、チェン・ゼンの「ラウンドテーブル」が面白かった。ラウンドテーブルはその名の通り、大きな円卓にぐるっと様々な形状の椅子が付けられている、国際会議を諷刺した作品。その椅子の座面が円卓の天板に食い込んでいて、腰掛けることができないところがミソだ。

 展示作品は200点余。自分の好みからいえば「モンマルトルからモンパルナスヘ」のセクションなのだが、はじめて知る現代の作家も多く、面白かった。5月7日まで。

 ところで音声ガイドをはじめて借りたのだが、あの機械はいまどきの端末としては、案外重量感があるのね。ケータイとかi-Podの時代に、もう少し軽くしてほしいと思う。うっかり持ち帰っちゃう人も中にはいるだろうから、目立ったほうがいいので、大きさは構わないけれど。


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北斎の「龍図」と「虎図」

 原宿にある太田記念美術館で『ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展』を観た。

 目玉はなんといっても葛飾北斎の「龍図」「虎図」の双幅(写真はポストカード)。Hoku0003_1

 「虎図」は太田美術館蔵、「龍図」はフランスのギメ東洋美術館所蔵。2005年のギメ東洋美術館「太田記念美術館所蔵大浮世絵名品展」をきっかけにした両館の調査で確認された、という。掛け軸の表装が同じなのだ。一幅ずつでも迫力がある絵なのだが、対にしてみると「雲の中の龍」を見上げる「雨中の虎」という構図で、「おお!」と感動する。
 そういえば昨秋の江戸東京博物館の『ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展』でも、北斎の提灯絵「龍虎」があった。竜虎は力が拮抗した英雄二人の例えというから、縁起の良いモチーフだったのだなあ。なんで北斎は、晩年になってもこんなに気迫のこもった絵が描けるのか、不思議だ。

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 この他、北斎の「下野黒髪山きりふきの滝」、写楽の役者絵、広重の木曾街道等も観られて幸せ。作品の入れ替えがあり、前期を逃したのが残念だ。

 浮世絵専門の美術館というだけあって、太田美術館は小さいながら風情がある。作品を展示、鑑賞するときに、空間も大切なこと。広く背の高い空間には、今回の作品の数々は似合わないだろう。二階が少々混み合っていたが、係員がうまく交通整理をしていた。
 そうそう、地下の売店の隣に「龍図」「虎図」の解説ビデオが流れるコーナーがあった。観賞後観ることをオススメ。入室前に観られると、もっと鑑賞が楽しくなるのにと思うが、スペースの問題なんでしょうね。

 25日まで。
 

 

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関東大震災の記録

 吉祥寺美術館で「岡田紅陽展 富士への憧憬」を観た。
 岡田紅陽(1895-1972)は、富士山を撮り続けた写真家で、晩年吉祥寺東町に住んでいたそうだ。「富士のある風景」「武蔵野周辺からの富士」「忍野村からの富士」といった作品群の他、「国立公園の記録」という作品群もある。これらの作品は、壮大だったり、穏やかだったり、美しかったりと、心和ませてくれる風景写真なのだが、ひとつだけまったく異質な「関東大震災の記録」という作品群が展示してあった。ライフワークの富士山とは別の報道、記録写真だ。

 当時、東京府の専属写真師だった紅陽は、震災後の悲惨な町を撮り続け、写真集を発行したが、『大正大震災大火災惨状写真集帖』は発行後すぐ発売禁止になったのだという。理由は、あまりに悲惨だったから。
 これらの写真が今残っていれば貴重な資料なのに、ネガは第二次世界大戦の空襲で消失。展示は、『関東大震大火記念写真帖』『東京府大震災写真帖』のオリジナルブリントの複写だそうだ。浅草、上野、神田、京橋、市ヶ谷、二重橋前、芝浦等々、あの場所か!と思い当たる地名ばかりで、時間を超えて身近に感じた。めったに観られない関東大震災の記録、貴重なものを観た。2月25日まで。
 

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ブラティスラヴァ世界絵本原画展

  三鷹市美術ギャラリーで開催されている「世界の絵本がやってきた - ブラティスラヴァ世界絵本原画展」は、絵本好きにはたまらない、楽しい美術展だ。

  スロヴァキア共和国の首都ブラティスラヴァで、隔年で催される世界最大規模のこの絵本原画展は、1967年にはじまり、今年で20回を迎えるそうだ。
 展示は三つの構成からなる。第1部は、2005年の受賞作品を紹介した 「ブラティスラヴァ世界絵本原画展(BIB) 2005」。第2部は日本の国内審査を通過し本選に出品した「BIB2005 日本作家の作品」。第3部は、スロヴァキアの隣国(1993年まで同じ国だった)チェコの絵本や挿絵画家の紹介。 

 チケット購入時に一緒に渡される説明書が優秀だ。一つひとつの作品の内容紹介と、なおかつ一部・二部の作品には、たとえば、2005年に大賞を受賞した「黒鉛筆と赤鉛筆」なら、「絵の中に本物のえんぴつの一部が使われています。どこかな?」というように、クイズ形式で鑑賞ポイントが書かれているのだ。原画だけでも味わい深いけれど、この解説書がないのとあるのでは大違いだと思う。順路の途中の、出版された絵本を読めるコーナーもある。クイズを解きながら絵を観たり、絵本を読んだりしていたら、あっという間に時間が経ってしまう。 

 第3部の展示で、懐かしい絵本に出会った。ヨゼフ・チャペックの挿絵の『長い長いお医者さんの話』。たぶん我が家の本棚のどこかに眠っているはず。『たのしい川べ』も、この人だったのかと嬉しくなったのだが、購入した図録を読むと、1945年4月にベルゲン-ベルゼン収容所にて亡くなったそうだ。過酷な運命の人だったんだ。どんなお話しか忘れてしまったので、再読してみよう。
 ギリシャからBIB2005に出品された絵本は、「サンタクロース戦争へ行く」という題名だった。表紙しか観られなかったのだけれど、ストーリーを知りたい。平和な結末になっているといいのだけれど。
  
 写真は、チェコのヨゼフ・ラダが描いた黒ビールの宣伝カードと、チケットに使われているのは、荒井良二「おばけのプルプル」(BIB2005日本作家の作品)。
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3月11日まで。
 


 

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ルソーの見た夢、ルソーに見る夢

 用賀の世田谷美術館は家からちょっと遠いイメージがあって、行ったことがなかった。
 今回のルソーもどうしようかなと迷ったのだが、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターに行く機会があったので、同じ沿線だから梯子してみた。061116_1114001_1

 用賀駅から砧公園の中にある美術館まで遠い、というのも足が向かなかった理由。ホームページを見たらバスの便もあったが、徒歩のルートマップを印刷して行く。061116_1119001

 住宅街の中を砧公園まで散歩道が整備されていて、これがなかなか楽しい。要所要所に美術館までの道案内が立っていてマップを見なくても迷わないし、舗装に和歌が掘ってあったり、ところどころベンチが置いてあったりと、20分弱歩くのだが、遠いと感じさせない工夫がしてあって感心した。やるじゃん、世田谷区。砧公園の中のロケーションといい、ゆったりと落ち着いた雰囲気。美術館と公園って相性がいいな。

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 美術展そのものも、期待以上に楽しかった。ルソーの絵は20点ぐらいでそんなに多くはないが、ルソーの系譜の画家達の作品が数多く紹介されていて、現代の日本人作家では、横尾忠則とか矢引申彦の作品もあった。061116_1126001_1
 ルソーって、同時代の人には下手とか幼稚と言われたそうだが、”案外したたか”という批評に頷く。
 まあ、人物は私が観ても「下手かも?」って思うが(とくに手先、足先)、風景画は素朴とか素直というだけじゃない印象を受けた。実は、画集やテレビで観る限りではそんなに心を動かされたことがなかったのだが、今回の展示を観て、ルソーの絵が好きになった。不思議で楽しい。

 世田谷美術館は今年20周年で、1986年の開館当時の展示が「芸術と素朴」だったそうだ。気合を入れた企画だったと思う。世田谷パブリックシアターも盛況だし、世田谷って文化都市?
 梯子した世田谷パブリックシアターで観た『鵺/NUE』の感想は、また後日。
(写真は砧公園の門までの散歩道)

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シュルレアリスムつながり

 10月某日。上野でベルギー王立美術館展ダリ回顧展を梯子する。Dsc030051_1

 まず国立西洋美術館のベルギー王立美術館展へ。16世紀から20世紀の絵画まで、油彩とデッサン合わせて100点あまりが展示されている。
フランドル絵画は、レンブラントやフェルメールなどのオランダ絵画と似た印象を受けたが、逆か? 歴史的にはオランダ絵画がフランドルの影響を受けているんだよね。
 好きな絵は、ヤーコブ・ヨルダーンス『飲む王様』(ベルギー王室美術館展のサイトで観られます)。 イエス降誕を祝う風俗行事の「豆の宴」を描いたもので、なんでも「豆の宴」は、王様に扮した人が酒を飲み、周りは「王様が飲むぞ」と囃し立てるのだとか。その喜々とした大騒ぎの様子が、活き活きと描かれている。修復で、隠されていたお尻丸出しの子や吐く男が復活したそうだが、これらが描かれていても不快ではなく、むしろ庶民の逞しい暮らしぶりがわかって面白いというものだ。
 もう一枚、現代では、昼と夜が同じ絵の中に描かれているルネ・マグリット『光の帝国』が好き。ポストカードがほしかったけれど品切れでした。

 なんのつながりもなく、ダリを鑑賞するのは苦しいけれど、マグリットとシュルレアリスムでつながった上野の森美術館『ダリ回顧展』。サルバドール・ダリ生誕100年を記念して約60点の展示だそうだが、平日なのに予想外の混雑。ちょっと人当たり、いや梯子したから疲れたのかもしれないけれど、流しながら観てしまった。シュルレアリスムなら、マグリットのほうが好きかも。


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国宝 伴大納言絵巻展

 日本の四大絵巻の一つ伴大納言絵巻(四大絵巻は他に、源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、鳥獣人物戯画巻)が上・中・下巻とも全場面観られると聞いて、わくわくしながら出光美術館に行った。

 伴大納言絵巻は、平安朝前期に起きた「応天門の変」という史実を題材に、その300年後に制作されたもの。応天門の火事は放火で、その裏には政権争いがあったとされている。伴大納言は動機不明のまま放火の首謀者とされ、島流しになった人。えん罪の疑いが強く、この絵巻も伴大納言に同情的な立場で描かれている。絵巻には何カ所か切り取られた跡があり、えん罪であると証されると都合が悪い勢力が切り取ったと推測されているそうだ。
 出光美術館は、東京文化財研究所と合同で光学的調査を行い、今回新たな発見があったのだという。たとえば、描く人物の身分によって顔料を使い分けていたとか、当初は色彩豊かな絵巻だったとか、伴大納言と藤原良房の直衣が同じことがわかったり…。
 と、解説が詳しく、理解を促してくれる。解説を読まずに直感的な好き嫌いで絵画を眺めることもある私だが、絵巻は解説がありがたい。第一、物語を著している「詞書き」の文字が読めないんだから…。真犯人の謎解きもあって推理小説みたいだが、なにより本物を肉眼で眺められるのが嬉しい。色褪せたり、破損した部分があるものの、なるほど筆の勢いを感じるし、人物の表情が豊かでおもしろく、いまさらながら感心する。
 同時代に制作された美術品も展示されていたが、伴大納言絵巻に絞った展示で充分だ。

 なお、私が行った日はすべて実物を観られたが、文化財保護のため、会期中に実物と複製の入れ替えがあるそうだ。11月5日まで。

 しかし…、基本的な疑問が。絵巻の名前は「伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)」、その大納言の名前は「伴善男(とものよしお)」。何故読み方が違うの?

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ガウディの伝言

『ガウディの伝言』外尾悦郎(光文社新書)読了。
 
  ずいぶん前のことになるが、サグラダ・ファミリアの建築に携わっている日本人彫刻家のドキュメンタリーをテレビで観たことがある。ガウディの設計で1世紀以上の時をかけてもまだ完成しないサグラダ・ファミリア。スペイン的とかカソリック的と言っていいのかわからないが、この聖堂に日本人が働いているということが、とても印象的だった。その彫刻家、外尾悦郎さんがサクラダ・ファミリアを中心にガウディを語ったのが、この本。

 ガウディといえば、宗教的な建築の他にも、グエル公園とかカサ・バトリョとか、華やかな装飾的な作品が多いが、実はそれらが緻密な設計理論に裏打ちされた「美」だと知って驚いた。構造はもとより、たとえば、カサ・ミラの屋上にある煙突のソフトクリームのような形は空気の流れを読んだデザイン。建物の中の換気をよくするのだとか。たとえばカサ・パトリョ(集合住宅)の中庭の壁は、各階の採光を考慮し、光の反射を計算して色を変えている。グエル公園の中央広場のベンチには、不良品のタイルを利用した。
 ガウディは自然の秩序を重んじたという。「人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである。新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する」。それはキリスト教信仰によるものだが、宗教を超えて、時間を超えて、後世の我々は自然との関係について謙虚に考えてみる必要があるだろう。
 
 ガウディが幼いころからリウマチを患っていたこと、天才と呼ばれながら決して恵まれた環境ではなかったことなど伝記的な記述もみられる。著者がサグラダ・ファミリアの仕事から、作り手として学んだことも多いようだ。まさに「ガウディの伝言」、興味深く読んだ。
 


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風神雷神

 出光美術館で催されている「国宝 風神雷神図屏風 宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造」を観た。
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 国宝の風神雷神図屏風は江戸前期に俵屋宗達が描いたものと言われている。それに触発されて江戸中期に尾形光琳が描いた風神雷神図屏風、さらに光琳が描いたものに触発されて江戸後期の酒井抱一が描いたものと、三つの風神雷神図の比較を中心にした展示。
 なんといってもオリジナルの宗達の風神雷神が見応えがある。よくいわれる構図の素晴らしさももちろんだけれど、ちょっとユーモラスで、でも迫力のある神様達の姿がなんともいえない。構図を比較するためにトレースしてみたりと、徹底比較分析も面白くて、ちょっと興奮。抱一は、宗達のを知らなくて光琳のをオリジナルだと思っていたのだとか。宗達のを知っていたら、抱一はどんな風神雷神図を描いただろうか。
 江戸の人々は、風も雷も怖かったんだろうな。東京も、今週は月曜の明け方に大雷雨だったもんなと、そんなことも思いながら、三つの屏風の前を行きつ戻りつ、堪能した。
 他にも琳派の屏風絵などが出ていた。三つの風神雷神を観た後では、それはオマケみたいなものだったけれど、充分満足した美術展でした。(10月1日まで)

 出光美術館はあんまり足を運んだことがなかったのだけれど、次回展示は、伴大納言絵巻だとか。これも面白そう!

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SILENT NIGHT

 友達が贈ってくれた、カナダのクリスマスの写真集。雪景色、美しい家並、温かなクリスマスイルミネーションの数々。日本もクリスマスイルミネーションが派手になっているけれど、所詮クリスマスの文化が違うのだなあと再認識。写真が存分に語ってくれる。写真:吉村和敏、物語:石田衣良。二人の対談もいい。

 ゆっくりとページをめくって、写真を味わう。そしてその時を楽しむ。今年の私にとって、思いがけない、嬉しいプレゼントだった。

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デザインのデザイン

 原研哉『デザインのデザイン』
 グラフィックデザイナーの著者が、デザインの本質を語っている。
 心に残るのは、「現在という場所から半歩先の未来を見るのではなく、過去から現在、そして少し遠い未来をみ見通すような視点に立ちたい」という言葉。高野孟『世界地図の読み方』の、地図を90度回転させ、ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、一番下の「受け皿」の位置に日本がくるという指摘で、腑に落ちたという日本文化への理解。
 そして最も興味深かったのが第7章「あったかもしれない万博」。これが書かれたのは03年で、05年の現在、愛知万博は成功だったといわれているが、初期の万博案とはまるで違うものだったらしい。私も自然破壊という世論が盛り上がって、計画が変更されたのをおぼろげに覚えている。原は初期の計画のデザインに関わった人で、その案がどのような構想だったのか、を書いている。それを読むと、万博の意義を問い直し、それこそ「少し遠い未来を見通す視点」で描かれた構想だったようだ。では、マスコミで盛んにいわれた「自然破壊」はなんだったのか…。もう一度「あったかも知れない万博」と、「あった万博」を、公平な目で誰か検証してほしい。
 原は、この章の終わりで「環境の問題であれ、グローバリズムの弊害の問題であれ、どうすればそれが改善に向かうのか、一歩でもそれを好ましい方向に進めるためには何をどうすればよいのか。そういうポジティブで具体的な局面に、ねばり強くデザインを機能させてみたいと思っている」と書いている。デザインだけでなく、さまざまな仕事に、この考え方が求められているのではないだろうか?

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「るきさん」の時代 

 るきさんは、電卓と手書きで保険請求の仕事をしている。なで肩なのに肩は凝らないみたい。まだパソコン入力じゃないからなのかな? るきさんはダイヤル式の黒電話を使っていて、お友達のえっちゃんの電話はさすがにダイヤル式。でもまだケータイはない。るきさんも、えっちゃんもひとり暮らしなのに、玄関の鍵はかけてないみたい。
 こうしてみると、あの頃ってけっこうのんびりしていたかも。消費の権化のようにいわれるバブル期だけれど、その時代を体験した人間としては、社会全体が今よりスローペースだったように思う。消費社会といっても、新商品が出るサイクルは今より長かったようだし。その時代に推定30代のるきさんは、まだ日本がたいして豊かじゃなかった頃に子供時代を過ごしているはずだ。シンプルな半隠居暮らしが好きなのも肯ける。ブランド品が大好きなえっちゃんも、バーゲン命で、彼女なりの節約を試みているようだ。彼女も決してバリバリのキャリアウーマンではない。たぶん均等法前に入った事務職で、ベテランだが、仕事に先があるわけでもないようだ。それでも毎日真面目に通勤電車に揺られて出勤している。
 
 久しぶりに「るきさん」を読んで、バブルの時代を思い出した。ほんわかしている作品が、こんなに時代を反映していたとは! あの時代、若い女性の消費を促す「Hanako」に、この漫画が連載されていたことも面白い。読者は、るきさんにも、えっちゃんにも、自分の姿を投影して、クスッと笑っていただろう。1か月に10日しか働かないるきさんは、自分のためにちゃんとお金を使える人でもある。ここがミソ。お金を使うことって、節約することより難しいからね。 


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ダ・ヴィンチ・コード

 昨年話題になっていたときに上巻を買いながら、そのままになっていた「ダ・ビンチ・コード」を一気に読んだ。殺されたルーヴル美術館館長が残したダイイングメッセージから、ダ・ヴィンチの絵の謎解きがはじまる。なかでも「最後の晩餐」が大きな鍵を握っていて、聖杯伝説、聖書の秘密、マグダナのマリアとは誰か…。登場する秘密結社、芸術作品、建物、文書、儀式は、すべて事実に基づいているというから、凄い。それにより美術史、キリスト教史の新解釈ともなっている。「最後の晩餐」の修復がなかったら、この物語は書かれていただろうか、とも思う。ダ・ヴィンチの絵画はネットで検索し、鑑賞しながら読んだ。じっくり落ち着いて読みたかったので今になったが、こういう骨太かつ緻密な物語は、時間を忘れるぐらい夢中になって読むのが楽しい。

「ダ・ヴィンチ・コード」上・下 ダン・ブラウン (角川書店)

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Arne

 久しぶりに吉祥寺のリブロに立ち寄ったら、「Arne(アDSC02536-1ルネ)」という雑誌を見つけた。壁(正確には柱)のラックに置いてあったバックナンバーに、特集「佐藤雅彦さん 僕が好きでしょうがないもの」という号があったので、手に取った。佐藤さんのファンなので1冊、それから最新号も1冊購入。こちらはプロダクトデザイナーの深澤直人さんの特集。深澤さんのデザインした、auのINFOBARを使って以来、気になるデザイナーさんだ。その雑誌で紹介されていた佐藤さんの好きなものは、オーダー家具。オーダー家具には残念ながら手が届かないが、佐藤さんの事務所も、深澤さんの事務所もなんと整然としていることよ。

 「Arne(アルネ)」は衣食住に渡る生活デザイン誌とでもいおうか、イラストレーターの大橋歩さんの会社でつくっている季刊誌。定価525円也(http://www.iog.co.jp/index.html)。3周年ということで、リブロでも目立つように置いていたのかしら? 写真が美しいし、邪魔な広告がない。面白かったのは、12号の「夏に着るもの」の「ゆかたは藍染めが絶対に好き。」。着こなしも、着付けも基本形で、私の希望的な観測かもしれないが、これって今の若い人のゆかたブームに、さりげなく待った!をかけているんじゃないだろうか? と、ちょっと嬉しくなる。

 「ほぼ日刊イトイ新聞」に、ちょうど「Arne(アルネ)」の話が載っていて(http://www.1101.com/jibunnokimochi/index.html)、大橋さんがひとりで編集している雑誌ということにも、興味を覚えた。大橋さんほどの著名な人が、とも思うが、本当に発信したいことは自分の手で、ということなのだろう。

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ルーヴル美術館展

 思い立って、横浜美術館に「ルーヴル美術館展」を観に行く。http://www.ntv.co.jp/louvre/

 5月の連休に行ったときは1時間半待ちで諦めたが、今日は40分待ち。思ったより混んでいたが、18日までなので私のような駆け込み組が多いのだろう。行きつ戻りつ、気に入った絵の前で眺めていたり、ということはできなかったので、一通り観たという感じ。

050712  副題に「19世紀フランス絵画、新古典主義からロマン主義へ」とあり、ルーブルの中でも、展示作品の期間が絞られている。歴史画や時事的絵画にも感心することはするが、面白味は今ひとつ。やはり、チケットのデザインにも使われている「トルコ風呂」が魅力的だった。この絵の前では、しばし立ち止まって鑑賞。

 ところで、帰宅後横浜美術館のサイトを見ると、待たずに入れる日時指定のチケットがローソンチケットで購入できるとのこと。前日までの予約なので今日のように当日思い立った場合は使えないのだけれど、美術館もサービスをいろいろ工夫していますね。これから美術展に出かけるときは、事前にサイトをチェックしてみよう。

 

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