音楽

2008 軽井沢大賀ホール春の音楽祭 宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

 軽井沢大賀ホールの「春の音楽祭」、昨年はマリンバを楽しんだが、今年はオーケストラを聴いた。

宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団(4月29日)

曲目は
 ・ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲
・チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」
・チャイコフスキー:交響曲第5番

 オーボエ奏者だった宮本文昭さんの指揮を期待して選んだプログラムだったが、当初予定にはなかった、チェリストのセルゲイ・スロヴァチェフスキーが東フィルと一緒に演奏するオマケ付。

 「くるみ割り人形」は、地元軽井沢ジュニアオーケストラと東フィルの混成オケ。小学生から大きくても大学一年生のこどもたちが、東フィルメンバーに混じって、よく頑張りました! ソロパートがある子もいて、大活躍。プロの演奏家になるかならないかは別にして、小さいときから音楽に親しみ楽器を奏で、こういう機会が得られるのは、とても素晴らしいことだと思う。
 私は楽器ができないのがとても残念なのだが、母がクラシック好きだった影響で、、「ウィリアム・テル序曲」や「くるみ割り人形」は、子どもの頃に小さなレコードプレーヤーに何度も何度もかけて、親しんだ曲だ。今思うと、誰の演奏のレコードだったんだろう。

 宮本氏の指揮は、その動きが面白くって! 脚も動くんですよ。登場して来たときのお辞儀が、腰が低いというかなんというか、親しみがわいたが、もっと格好つけてもいいのに。新米指揮者と謙遜していらしたが、真摯で情熱的な指揮とみた。機会があったら、また是非観たい(聴きたい)。

 オーソドックスなプログラムだが、とっても楽しかった。こどもたちの演奏を聴きながら、一人ひとりを育てるとともに、地域に文化を育む取り組みの一つなのだろうと思った。是非継続してほしい。文化は長い時間かかって根付くものだからね。この子達が大人になったときの軽井沢、どんな町になっているだろう。

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ラ・マンチャの男

 帝国劇場で、『ラ・マンチャの男』を観た(脚本デール・ワッサーマン/演出・主演 松本幸四郎 30日まで)。
 『ラ・マンチャの男』と言えば松本幸四郎。この公演期間中に1100回を達成するそうだが、はじめて観た。
 
 従者を連れたセルバンテスという詩人が、教会を侮辱した罪で牢獄に入れられる。囚人達は”新入り”の(模擬)裁判をやろうと言う。そこで、セルバンテスは即興劇による申し開きを行う。その即興劇が「ドン・キホーテ」の物語。

 孝四郎の父、白鸚がアメリカで観た『ラ・マンチャの男』を気に入って、東宝に上演を働きかけたのだそうだ。演出補に長女の松本紀保、マドンナのアルドンサに次女の松たか子。家族でガッチリと固め、まだ早いだろうに、世代交代の準備も整っている感じ。セルバンテス演じる、キホーテ=田舎郷士キハーナが老人の設定だし、40年も演じているからなのか、幸四郎は力むことなく演じているように見えるのに対して、松はあばずれだけれど実は清らかな役を魅力的に、エネルギッシュに演じて舞台を引っ張っている。この人、どんどん上手くなったなあと思う。

 帝劇のミュージカルにしてはめずらしく、休憩なしの約2時間。スピーディな演出もよかった。

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音楽を紡ぐトライアングル。

 東京フィルの第751回サントリー定期シリーズを聴いた(3月8日 サントリーホール)。
「音楽を紡ぐトライアングル」というテーマのプログラムで、クララ・シューマン、シューマン、ブラームスの作品。クララとシューマンは夫婦で、夫妻はブラームスと親好が厚く、ブラームスを世に送り出した人たち。シューマン亡き後、ブラームスはクララを支えた。
 クララは、当時有名なピアニストで、結婚してからも演奏を続けシューマンを支え、彼が亡くなったあとも8人の子どもを育てるためにフル活動したのだそうだ。シューマンが若く亡くなったことは大変だったろうけれど、その前だって、8人(!)も子どもを出産しながら(もちろん育てるわけで)演奏活動をするのは、並の苦労じゃなかっただろう、とクララに感情移入してしまう。ゴシップ的な要素はともかく、理解者の一人や二人いなきゃ、やっていかれませんって。

クララ・シューマン/ピアノ三重奏曲第1楽章
シューマン/交響曲第4番
ブラームス/交響曲第4番

 クララのピアノ三重奏曲でピアノも披露したダン・エッテンガーは、踊る指揮者。式台の上から上半身を乗り出したりして、若さ溢れる勢いだ。体格いいし、正面のチェロの人、怖くないですか? 正面の席はマエストロの表情が楽しかっただろう。

 今回のプログラムを選んだのは、ブラームスの交響曲第4番を聴きたかったから。もっともブラームスらしい交響曲と言われていて、この曲にトライアングルが使われていて、テーマと通じる。
 ブラームスといえば「ハンガリア舞曲」をまず連想しちゃう私にとっては、交響曲はちょっと重たいイメージ。回を重ねていけば、ベートーベンの交響曲のように親しみがわくかな? 今後もいろんなコンサートで、聴いてみたい。  

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顔魂~KAODAMA~

 森アーツセンターギャラリーで開催されている『顔魂~KAODAMA~ 石井竜也展覧会/TATUYA ISHII EXHIBITION 2008』に行ってきた。

 3年前(?)「国境なきアーティストたち」の活動家・エクトル・シエラ氏から絵付け前の達磨を手渡されたことから「顔魂」の制作がはじまったのだとか。
 石井竜也は、それ以前から「顔」に興味を持っていたんだと思う。米米クラブのジェームス小野田のメイクが、そうだろう。人の顔にアートを描けば小野田のメイク、オブジェにすれば「顔魂」というわけだ。ファンにとっては、唐突に出てきたものではなく、ずっと繋がっていると理解する。

  森アーツセンターギャラリーには、約70点の「顔魂」が展示されていて、壮観。太陽のような顔、人間を思わせる顔、猪や鳥を思わせる顔、穏やかな仏像のような顔と様々。土着の、というか原始的宗教のイメージもある。
 中には薬師寺に奉納された作品もあって、その縁なのか(薬師寺でコンサートをしてるし)、4月11日に行われる「国宝 薬師寺展 開催記念トークショー」に、石井が出演するそうだ。

 ひとつひとつの作品の表情もさることながら、纏まって展示されることでのパワーを感じ、繋がっていくことを意識した作品展だった。

 

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好みの座席(クラシックコンサート)

  1月某日。予約していたコンサートのチケットを、引き取りに窓口に行く。待っている間、後ろに並んだ女性に「あ、同じプログラムね」と声をかけられた。ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラの「ブランデンブルグ協奏曲 全曲演奏会」。それから「どこが取れました?」と座席の話など(座席を選べた)。クラシック・ファンは、自分の好きな座席にこだわりがあるようで。

「枠のなか、取れました?」
「枠?」
 彼女の分析だと、○列×番~△列□番(センター付近)は、ホールの会員になっても、このチケットセンターでは取れないのだそうだ。
「ああ、大手のチケットサービスに割り振っているのかもしれませんね」と言うと、残念そうな表情になった。
 ファンにとっては、どのチケットサービスを使うかも、かなり問題。限られたなかでも、席が選べるのはいいことだけど…。

私は、楽器をやっている人のように特別耳がいいわけでもないし、いろんなコンサートに数多く足を運びたいとなると予算との関係もあるし、基本的には壁の側とか最前列じゃなかったら「まあヨシとしましょう」というタイプ。
 それでも、オーケストラだったら、ピアノだったらと楽器や編成にもよるけど、数回通ううちに、ホールによって好きな座席が出来てくる。 オーケストラの定期演奏会の年間指定席のシステムは、ホールを知っている人にとって、その人だけの「特等席」を選んでいるのだと思うとスゴイ。ファンにとっては「そんなの当たり前」なのかもしれないが、自分に好みの座席が出来ると、なるほどなあと思うのだ。
 
 その人とは「ホールでお目にかかりましょう」と言って別れた。当日、ライヴの神様が降りてきますように。

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Leapingbow 2008 Cool Groovin in Aoyama Round Theater

 中西俊博の、エレクトリックバンド、Cool Groovin’。 昨年もこの時期に青山円形劇場で聴いたからこのバンドを聴くのは二回目。
 ”ダンサブルなクラブサウンドからアイリッシュまで”というが、ホントに中西は幅広い活動をしているんだなあと、改めて思う。私にとって、中西は『ア・ラ・カルト』の音楽の人。人気があったので、その前から知ってはいましたが、最初はJAZZの人というイメージだった。それがテレビドラマの音楽も作れば、アイリッシュをはじめとする民族音楽系も、クラブミュージックもぜーんぶ取り込んで、コンピュータも駆使して、もはやジャンルはありませんなぁ。二部の冒頭で、音をつくる様子を見せてくれて、面白かった。コンピュータで編集するんだけれど、取る音は、レンガをすり合わせたり、ワインのコルクをキッチンのボウルの中で回した音だったりと、案外昔なじみのものが多い。

 中西以外は若いアーティストで、ギターの円山天使、フィドルのmaikoをはじめ、メンバーと中西との掛け合いが楽しい。胸を借りて、というより、「オレ(ワタシ)の音を聴いてくれ!」って感じ。去年はフィドル(中西を除く。ヴァイオリンとは言わないのね)が8丁、今年は5丁、でもパワーアップしていたような。ピアノの清水絵理子がすっごくパワフルなので驚いていたら、中西が「女の子だけどピアノの演奏は男」と紹介していた。いやー、この人もっと聴きたい。
 帰宅後、中西のホームページを見たら、中西も、ピアノの清水絵理子も、ウチの近くのライヴハウス(それぞれ違う所だけど)に出る予定があった。気軽に行ってみようかな。

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ペテン師と詐欺師

 08年の観はじめは、日生劇場で行われている鹿賀丈史と市村正親のミュージカル『ペテン師と詐欺師』 (脚本 ジェフリー・レイン/音楽・作詞デイヴィッド・ヤズベク/演出:宮田慶子)。
 
 夏のリゾート地リビエラで、某国の、亡命中の王族を名乗り、裕福な女性を手玉にとるイギリス人詐欺師ローレンス(鹿賀丈史)と、相棒のアンドレ(鶴見辰吾)。旅の若いアメリカ人ペテン師フレディ(市村正親)は、ローレンスのテクニックと贅沢な暮らしぶりを見て、弟子にしてくれと頼む。共謀して大金持ちから大金を巻き上げるものの、縄張り争いになって…。

 騙し、騙され、でも後味のよろしい、良質の娯楽。ストーリーはたわいもないが、鹿賀と市村の二枚看板と、ミュージカル売り出し中のソニン(二人が勝負を競うターゲットの若い女性、クリスティーン)がウリで、なかでも市村だ。若いフレディをコミカルに軽~く演じていて、鹿賀がしっかり受けてくれるから、結構ノってやっている。この人、先月は帝劇で『モーツァルト!』の父親レオポルトを演じていた。両方再演(『モーツァルト!』は再々演)とはいえ、続けて舞台に立っている。たぶん、レオポルトよりフレディのほうが、彼の演技の質にあっていそうだし、遊びどころがたくさんあるだろう(俗に言うオイシイ役でもある)。

 しかし市村が軽く達者にこなせばこなすほど、「フレディは若者の設定なのに、いまだに市村正親がやっているということは、軽妙な喜劇性を持った若い(中堅でもいいけど)ミュージカル俳優が見あたらない、ということなのか?」という不安が頭をもたげてくる。飄々と主役を張るのは難しいだろうけれど…。
 昨今ミュージカル流行りなわりには、層が薄いような。ちゃんと歌って踊れる人も少ないし。だいたい鹿賀、市村の二枚看板(それはそれで嬉しいが)自体が、ねぇ。 

 ということで、バランスをとって、女性若手有望株のソニンを器用したのだろう。ソニンは、歌が上手い。度胸もよさそう。立ち姿がより綺麗になると(ダンスの訓練でしょうか)、もっと舞台映えするだろう。頑張って!

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東京フィルハーモニー交響楽団 New Year Concert 2008

 2008年の聴き初めは、1月2日の『東京フィルハーモニー交響楽団 New Year Concert 2008--どこかで出会った、あのメロディ--』(オーチャードホール)。
 去年聴いた東フィルのNew Year Concertが心地よかったし、ソリストがバイオリンの古澤巌だったので、今年も楽しみにしていた。指揮は金聖響。この人も若手の人気者ね。

第1部
ワーグナー/歌劇「ローエングリン」“第3幕への前奏曲”
プッチーニ/歌劇「トゥーランドット」“誰も寝てはならぬ”
ウェーバー/舞踏への勧誘
ハチャトゥリアン/組曲「ガイーヌ」“剣の舞”
ファリャ/組曲「恋は魔術師」“火祭りの踊り”
外山雄三/管弦楽のためのラプソディ
       (手まり歌~ソーラン節~炭坑節~串本節~信濃追分~八木節)

 ワーグナーは重いと思いこんで”聴かず嫌い”をしていたけれど、華やかで素敵だった「ローエングリン」の序曲。今年はワーグナーも聴いてみよう。まだまだクラシック初心者なので、アレもコレも聴きたくて大変!

第2部
モンティ/チャルダッシュ
ベートーヴェン/ロマンス
古澤巌(寺田志保編)/愛しみのワルツ
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン
ラヴェル/ボレロ

 古澤巌は第2部の「チャルダッシュ」から「ツィゴイネルワイゼン」まで、期待通りのフィドルを聴かせてくれた。20年前のクラシックコンサートでは、「チャルダシュ」が弾けなかった(演目に出せなかった)と言う話が印象的だった。「C調(=軽薄)な曲という理由で」と言っていたが、格式の高いクラシックに、民族性(ロマ)が強すぎるってことだったんだろう。20年前でもそうだったんだぁと、ちょっと驚く。
   
 ラストは、去年も「ボレロ」だった。「ボレロ」って、なんでこんなに盛り上がるんだろう。

 そしてお年玉プレゼントの、「ラデツキ-行進曲」。抽選に当たった人が、マエストロに助けられながら指揮を振る。

 2年続けて聴いた東フィルのNew Year Concert。華やかで楽しくて、一年のエンタテインメントの幕開けに最適。毎年恒例にしようか、と一緒に行ったKちゃんに提案したら、「ラデツキーの指揮の練習をしておこう!」と張り切っていた。

 

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松田理奈&松本和将 デュオ・リサイタル

 トッパンホールは都心にあるわりには駅から遠くて(ホントはそんなに遠くないのだろうが、繁華街じゃないから遠く感じる)敬遠しがちなのだが、松本クンを聴きたくて『松田理奈&松本和将 デュオ・リサイタル』に行く。なにせ、11月のサロンコンサートを逃しているから。思えば、去年のクリスマス時期に、東京文化会館小ホールでのソロリサイタルを聴いてファンになった。まだ1年、松本ファン初心者であるが、今回はクラシック好きの先輩と一緒。「松本和将、素晴らしいです!」と誘った。

 曲目は、

ドヴォルジャーク:4つのロマンティックな小品より 第1曲
パラディス/ドゥシュキン:シチリアーノ
シューベルト:即興曲 Op.90-2 変ホ長調/即興曲 Op.90-4 変イ長調(ピアノ・ソロ)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

グリーグ:叙情小曲集より(ピアノ・ソロ)
 アリエッタ Op.12‐1 / アルバムのページ Op.12‐7
 郷愁 Op.57‐6 / 家路 Op.62‐6 / 春に寄す Op.43‐6
 トロルドハウゲンの婚礼の日 Op.65‐6
サラサーテ:カルメン幻想曲 Op.25

アンコール
カッチーニ:アヴェ・マリア
マスネ:タイスの瞑想曲

 趙静(チェロ)とのデュオのときは、二人とも丁々発止、情熱的なデュオだったけれど、松田理奈はまだ初々しく、松本クンが気遣って見守っている感じ。でも、頑張りました。ラストのカルメン幻想曲の途中から、松田さんは感極まった様子。せっかく赤い綺麗なドレスを着ているのにスカートをぎゅっと握って、話をするのも愛らしかった。若い才能の成長に立ち会えた、ライヴならではの幸福感を味わう。

 松本クンのソロは、優しく柔らかくて、パワフルな演奏。柔らかな印象と、パワフルな印象が並び立つのはどうしてだろう。シューベルトの即興曲をもう一度聴きたい。
 一緒に行った先輩も、「素晴らしいわねえ」と満足していた。誘ったかいがあるというものだ。またお誘いしますね!

 今年のクラシックライヴは、これで聴き納め。

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モーツァルト!

 ミュージカル『モーツァルト!』を観た。モーツァルト役はダブルキャストだが、中川晃教のファンの私は、迷わずアッキーの日に行く。

 一昨年の『モーツァルト!』よりも、こなれているというか、より感情豊なモーツァルトになっていた。一部の若い頃は元気で時として不作法にも見えるが、自分の才能を信じて恐れを知らないヴォルフガング。二部になると、権力に抗い新しい音楽を創る半面、世間の荒波に揉まれ、自分の影(アマデ)に怯えていく。とくにこの後半が深みを増した。アッキーといえば歌い上げる美声に圧倒されるのだが、今年は歌い上げるだけでなく、声の強弱の付け方がとても上手くなった。歌うようにしゃべり、しゃべるように歌いはじめて、観客を引き込む。「僕こそ音楽」「残酷な人生」「影を逃れて」に、酔いしれる。そしてコンスタンツェとの絡みも成長したところ。

 コンスタンツェは一昨年の東京公演は西田ひかると木村佳乃で、二人ともどこか凛としたところのある女優さんだった。今回のhiroは、怠惰で蓮っ葉な半面、一途な感じも出ていて、本来この役はそうなんだろうと思わせる。これで歌が上手かったらいいのだが、hiroの声では、このミュージカルの歌は荷が重そうだ。
 東宝は、舞台の歌がしっかり歌える人材を、きちんと育てたほうがいいのではないか?

 涼風真世の男爵夫人は、包み込むような母性があり、「星から降る金」は聴かせる。シカネーダーの吉野圭吾は相変わらず身のこなしが華麗。大司教の山口祐一郎は馬車の場面の悪ふざけは似合わない。ほどほどにしておいたほうが、大司教の権威が保たれるのでは? 父親役の市村正親、姉のナンネール役の高橋由美子は安定している。

 当日券で入った某日昼の回に、高校生の演劇鑑賞会と一緒になった。始まる前はお喋りが煩かったので、どうなることかと思ったが、幕が開くと私語は慎み、拍手も大きくて楽しんでいる様子。終わったときには「上手いねえ」「面白かったねえ」「30分ぐらいしか経ってないみたい。夢中で観ちゃった」と口々に話していた。「ほらね、アッキーはいいでしょう?」と話しかけたくなったが、 そうか、『モーツァルト!』は、父親や世間(大司教)を超えようと葛藤したり、自分の分身と対峙する成長物語だから、高校生の共感を呼ぶのだろう。

 再演を重ねた『モーツァルト!』には、主役の若い二人がミュージカルスターとして育っていくのを観る楽しみもある。ヴォルフガングとして成長していた中川晃教。となると、「私はアッキー派!」などといっても、井上芳雄のヴォルフガングを観てみたくなった。

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ア・ラ・カルト 役者と音楽家のいるレストラン

 今年も『ア・ラ・カルト』の季節がやって来た(演出 吉澤耕一/構成 白井晃/台本 高泉淳子/音楽監督 中西俊博/於 青山円形劇場)。19年前、この『ア・ラ・カルト』がはじまったときに、「日本で一番オシャレで素敵なクリスマスシーズンのお芝居だ」と思った。19年の間には若干のスタイル変更があり、パワーアップしながら、日本で一番オシャレで素敵なクリスマスシーズンのお芝居であり続けている。 

 青山の路地にあるらしい小さなレストラン。オーナー役白井晃の、早口な口上で幕が開く。この決まり文句の挨拶を聞くと、ワクワクするのだ。
 タカハシくんとノリコさんコメディは、その年の話題を織り込みながら。恋人未満のカップルの話は、その年のビジターが、高泉演じるキャリアウーマンの相手になる。今年のビジターは筒井道隆で、以前に白井や高泉、陰山泰とも共演している。いや、この芝居(「料理と恋はまず初めて見なけりゃわからない」)の筒井は、ほのぼのとしていたんだけれど…。
 なんてったって「Show Time」での筒井が傑作。いや、傑作なのは、白井のペギーさんであり、陰山のアントニオであり、高泉率いるジャクソンズなのだが、筒井一人素のままってところがなんともおかしい。筒井だって、フラワーボーイズやジャクソンズのメンバーとして扮装はしているんだが、強烈なキャラクターの中に入って、観客が想像する「筒井クン」のまま、照れながら頑張っている。二部冒頭の「マダムとクリスマス」でも(このコーナーはビジター紹介なのだが)、高泉のマダムに突っ込まれるたびに助け船を求めるように白井のほうを見るし、最後のハンドベルも緊張している様子。素直というのか無器用というのか、これがキャラクターだったら「恐るべし!」なのだけれど、このズレがおかしくて、でもどこか爽やかだし、照れてる様子が可愛いしで、大爆笑。今年のビジタ-が筒井道隆だと聞いたとき、正直言って、器用な人でもないし、歌や楽器をしているとも聞いたことがなかったから、大丈夫なのかと心配したけれど、いやー、白井たちの狙い通りだったんでしょうね。

 遊◎機械/全自動シアターの頃から、白井、高泉はもちろん陰山、そして演出の吉澤もそうなのだろう、この人達はキワドイことをやっても、決して下品にも嫌味にもならない。親しみやすさと上品さをほどよく持っているところが、ミソ。
 「カエルの王子はアイゼンヒッティル王がお好き」は、高泉が出た『テンゲルグリム』繋がりだろう。そして「ラストダンス」、この老夫婦の物語は毎年観ているのに、涙を誘う。そして陰山演じるギャルソンが煙草をくゆらすシーン。絶品だ。
 
 今年の『ア・ラ・カルト』を観た後に、『高泉淳子 仕事録』(河出書房新社)を読んだ。「ラストダンス」の構想が固まったことで『ア・ラ・カルト』という作品がまとまり、出来たという。ああ、やっぱりそうなのか。これがあることで、作品として安定しているし、なにより人生の賛歌になっている。
 今年一年いろいろあったけれど、お腹の底から笑って、ほろっと泣いて、来年もいい年になりますように、と劇場をあとにするのだ。抜けてしまった年もあるが、こんなに長く見続けていると、自分の人生と重ねあわせてしまう。
 
 --『ア・ラ・カルト』も一九年目を迎えます。今は、この作業がなによりも楽しい。本を書いているときも、ステージに上がっているときも、至福の時です。この作品には私の好きなものがすべて入っている。(中略)三年続くことが夢だったのに、なんと、一九年。何年続くかわからないけれど、形を変えても、『ア・ラ・カルト』はやっていきたいですね--(『高泉淳子 仕事録』より)。嬉しい。


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イーストウィックの魔女たち

 千秋楽が11月12日だったから、いまさらながらなのだけれど、ミュージカル『イーストウィックの魔女たち』。

 イーストウィックという、保守的な町に住む、離婚経験(一人は別居中)がある女達(マルシア、森公美子、涼風真世)。彼女たちは「秩序を乱す」という理由で町の嫌われ者。彼女たちを目の敵にするのは、町の有力者で新聞社のオーナー(大浦みずき)。ある日、町外れの邸宅に、ダンディなよそ者(陣内孝則)が越してきたことから…。

 たわいもないストーリーだが、こういうミュージカルは個人技を観に行く。オープニングを飾る、愛くるしい少女役の小此木麻里の歌声に引き込まれた。歌声といえばもちろん森公美子。そしてマルシアの歌とお色気、舞台度胸とでもいうのだろうか。
 それから、大浦みずきの踊り。なんてダイナミックな素晴らしい踊り、なんて美しい脚なんだ! 彼女がガウン姿になったときには、「勿体ない。もっと脚を見せて!」と思ってしまった。大浦みずき演じる敵役が光ればこその、この舞台だった。いや、ファンにとっては「今更何を言っているんだ?」だろう。申し訳ない。パンフレットを読むと、宝塚時代は「ダンスの名手」と言われ、退団後はストレートプレイでも高い評価を得ているそうだ。遅ればせながら、今後チェックしていきたい女優さんだ。

 と、収穫は沢山あった。

 しかし、なんだな。平日の昼間に行ったのだが、後ろの席の人たちはまだ20代と思う若さなのにすでに心はオバサンで、ウチでテレビ観ているみたいにずーっと大きな声で喋っていたし、休憩時間に客席通路を歩いていたオバサンは、客席に田中好子さんの姿を見つけたらしく「あっ、スーちゃん!」と立ち止まってしまう。おいおい、後ろがつかえているんですけど。団体で来る人たちはワガママなのか?
 そんな観客にあわせるように、指揮者が拍手の練習をさせるのは、どうなの? 感動したから拍手をするんじゃないの? 客に強要するなんてどうかしている。そんなことをしなくても十分盛り上がる、芸達者な役者が出ているのに、ミュージカルの質を自ら落とすようなマネをしているようで、痛々しい。そりゃあ、ずーっと大きな声で喋っているような人には、芸とか技が、わからないでしょう。でもそういう人は、わからなくて結構、幼稚な拍手の練習などさせないでほしいものだ。

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キャバレー

 追加公演のチケットが手に入り、やっとの思いで観た、大人気の『キャバレー』(台本 ジョー・マステロフ/日本語台本・演出 松尾スズキ/10月17日/青山劇場)は、楽しい娯楽作品に仕上がっていた。

 旅のアメリカ人作家クリフ(森山未來)が、列車で知り合ったドイツ青年エルンスト(村杉蝉之介)の案内でベルリンの下宿屋に落ち着き、同じくエルンストに連れられてキャバレー「キット・カット・クラブ」に行く。「キット・カット・クラブ」の歌姫サリー(松雪泰子)とクリフの恋、下宿屋の女主人シュナイダー(秋山奈津子)と下宿人で果物屋のシュルツ(小松和重)の恋、そしてナチスの台頭。

 ナチスが台頭する世の中で悲しい恋に終わるのはシュナイダーとシュルツのカップルで、クリフとサリーは傍観者的存在になっているのだが、それはないんじゃないか? そりゃあクリフがアメリカ人で、サリーが英国人と、”よそ者”だからね、と片付けてしまうのは簡単だが、クリフがバイセクシャルで、「キット・カット・クラブ」が退廃的な出し物のクラブだということが生きていない。ユダヤだけでなく同性愛者もナチスの迫害の標的になったという背景が、客席に伝わっていない。クリフがバイであることをもっと活かしてほしいし、サリーがベルリンに留まろうとしたのも「ショウビジネスが好き」だけではないと思うのだが。好青年のクリフ(森山は本当に好青年)、蓮っ葉なサリーではないはずだよ。主役のはずの二人が弱く見えるのは、こうした描き方にも原因があるのだろう。
 
 世の中の流れにモロに巻き込まれる、秋山のシュナイーダーと小松のシュルツは存在感がある。ほほう、と思ったのがエルンストの杉浦。「キット・カット・クラブ」の場面は、阿部サダヲのMCが、歌って、しゃべって場をさらう。これがエンタテインメントとして実に楽しいのだが、もうちょっと阿部の持つ不気味さが出ると、退廃的になったんだけれど。

 恐らく松尾は、ミュージカル=わかりやすさ、と思っているのではないだろうか?  ミュージカルという思いに捕らわれ、”退廃”が型にはまっちゃったなあ、という感じ。何度も繰り返しても言うが、面白かったんだけどね。今が旬の阿部サダヲを観ているだけでも、楽しいのだが…。
 

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三文オペラ

  世田谷パブリックシアターで『三文オペラ』(作 ベルトルト・ブレヒト/音楽  クルト・ワイル/翻訳 酒寄新一/演出・上演台本 白井晃)を観た翌日、本棚を探して、千田是也・訳の古い岩波文庫版の戯曲を読んだ。
 白井晃はパンフレットの中で、--演劇が「社会を映す鏡」である以上、『三文オペラ』を古典の紹介にしたくない。だから、設定も、言葉も、音楽も、全てをわれわれの身体に近づけた--と語っている。
 なるほど設定も言葉遣いも旧訳とは異なるが、ストーリーはほとんど変わっていない。この戯曲が書かれたのが1928年、ドイツでは熱狂的な支持を受けたという。28年といえば世界恐慌の前年、ドイツではナチスが台頭しつつあった。不安な世の中になると、この戯曲が説得力を持つ、ということなのか…。

 「ハロー・ホームレス」(ホームレスの元締め)の社長ピーチャム(大谷亮介)と妻のシーリア(銀粉蝶)が大事に育てた箱入り娘のポリー(篠原ともえ)は、親に内緒で、対立する窃盗団のボス、メッキ・メッサ-(吉田栄作)と結婚してしまう。ポリーはメッキに”メロメロ”だが、怒ったピーチャムは警察にメッキの所業を訴える。メッキは逃げると思いきや、馴染みの娼婦館で一遊び。そこで昔の情婦ジェニー(ROLLY)の裏切りにあい、監獄行き。
 
 盗みのためなら人殺しも厭わないメッキは悪には違いないが、所詮ただの盗人、小者でもある…。

 そこでまた、パンフレットの白井の言葉。
--『三文オペラ』の「メッキ・メッサー」が背負い込んだ「悪」とは何なのか。
   何故その「悪」を背負い込んだのか。
   「悪」を知ることで、もっと大きな「巨悪」が見えてくる。
   「巨悪」を知ることで、それを作り出す、人間の本質が見えてくる。--

 
 吉田栄作のメッキはカッコよく(なんといっても胸板)、大谷はいつもながら達者だし、久しぶりに聞く銀粉蝶の歌は素晴らしい。篠原ともえのポリーは”純真無垢な可愛いお嬢さん”ではなく、少し影のあるお嬢さん。所詮家業はホームレスの元締めだし、娘を老後の保険代わりと思って大事に育てた親もキライ。親から自立したくてカッコイイ男に賭けてみた、という感じ。一歩間違えれば、蓮っ葉な演技になってしまうところを、篠原は”お嬢さん”に踏みとどまり、上手い。彼女の歌もいい。全体的に歌が巧いカンパニーだ。
 そして、なんといってもROLLYのジェニーだろう。今回は歌詞も手がけているそうだが、歌が巧いのはもちろん、ジェニーの気持ちも伝わってくる。本当に裏切ったのはメッキの方だよ…。
 ROLLYが通路を通ったとき、ふんわりいい匂いが漂い、通路の隣に座っていた私はジェニーの色香をお裾分けしてもらった。

 ところで、私が『三文オペラ』をはじめてみたのは、1993年にシアターコクーンで上演された『阿呆劇・三文オペラ』だった。その時のジェニーは銀粉蝶、演出は串田和美。今回の舞台でシーリアの銀粉蝶を観て、そして客席に串田を見かけた。最近、串田と白井がクロス(交差)していることが、(期待を込めて)気になっている。またこれは別の機会に。

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THE TAP GAY

 オリジナルMUSICAL『THE TAP GAY』(博品館劇場 21日/ 28日まで)

 博品館で毎年お正月に行われていた「THE TAP SHOW  Shoes On!」の中で必ず歌われた「Mr. Bojangles」という曲がある。一人のタップダンサーの生涯を謳った歌だ。

 1920年代から40年代にかけてアメリカで大活躍したタップ・ダンサー、ビル・ボージャングル・ロビンソンは、黒人ではじめてソロを踊り、素顔で舞台に立ち、数々のステップを作り、映画にも出演した。彼の誕生日にあたる1989年5月25日がナショナル・タップ・ダンス・ディとなっている。
 
 このTAPの神様の人生をモチーフに、「Mr. Bojangles」のイメージを重ね合わせたオリジナルミュージカルが「THE TAP GAY」。ビルはTAPの才能に加えて、ダンサーとしてのプライドも人一倍強い。ボランティアや多額の寄付をする人格者でもある。けれどギャンブル好きで、女にもだらしない…。
 もっとも彼の人生をだいぶ脚色したようで、作・演出・振付の玉野和紀は、「フィクションです」と言っているが。

 ビルの才能に惚れ込んだマネージャー、マーティ・フォーキンスに小堺一機。元ボードビリアンというマーティ役にぴったりで、小堺もタップを踏む。マーティー自身は白人だが、ビルが黒人だからという苦労も多い。時代の波も経験する。それでもビルを励まし、支え続けるマーティの包容力とペーソスがいい。小堺の歌は優しくて、心にしみ入る。
  
 ビル役はHIDEBOHと玉野和紀。この二人のTAPの共演、とくにステアタップの共演は絶品。パワフルなHIDEBOHと華麗な玉野の、こんな白熱するシーンは滅多に見られないんじゃないだろうか。このストーリーは、TAPの神様を讃えるだけではなく、世代交代の物語でもあるのだが、玉野の、後輩に伝えたい思い(技)と、まだまだ後輩には負けない自信が伺える。
 
 劇中で「Mr. Bojangles」を歌うのは、tekkan。この人、歌が上手い! ピアノの弾き語りも披露してくれた。出演作を見ると、いままでも観ていたはずなのだが、今後注目しなくちゃね。 

 素敵なストーリーと素晴らしい技の数々を堪能した、といいたいのだが、一つネックが…。博品館劇場は客席の段差が低く、前の席に大きい人が座ると舞台が見えない。とくに足もとを観たいタップだとキツイ。「Shoes On!」のときも観ているし、キャパとしてはちょうどいいんだろうけれど、タップ公演には不向きだ。


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藤原真理 チェロリサイタル2007

 浜離宮朝日ホールで、藤原真理のリサイタルを聴いた。(9月28日 昼)

 その前に、朝日新聞社本社ビルの中の「アラスカ」でランチ。ビジネスマンとコンサートに来た”オクサマ”たちで満席になっていたから、前日に予約を入れておいてよかった。お店も慣れたもので、電話口で「その後にコンサートにいらっしゃいますか」と尋ねてくれた。気が利いているね。
 ビーフピラフを注文したら、テーブルで盛り付けるクラシカルなお給仕で、いい感じ。しっかりバターの味がするのに、しつこい脂っぽさはなく、美味。店内も満席なのにワサワサしていないところが気に入った。

 美味しいお食事の後は、午後のコンサート。藤原真理のチェロを一度生で聴いてみたいと思っていたのでチケットを取ったのだが、「100万人のクラシック」とサブタイトルがついて、朝日新聞社主催の、”クラシック音楽をもっと身近に、もっと気軽に…”というコンセプトのコンサートシリーズだそうだ。具体的には「(行くのが面倒でも)近くのホールで聴ける」「手頃な価格」「(長時間が苦手な人も)休憩入れて90分」。まずはクラシックファンを増やす事が目的のようだが、実は高齢社会にむけての試みなんだろう。とくに、高齢になると「近くのホールで」というのは大事だ。東京、神奈川、千葉、埼玉で10カ所。
 この回は金曜の昼だから、客層も、オクサマか年配の人たちで、若い人はいない。

 一部はバッハの「無伴奏チェロ組曲第一番プレリュード」。そしてグリーグの「チェロソナタ イ短調op36」。このグリーグははじめて聴いた。藤原さんが解説してくれたが、ピアノ(戸倉テル)との掛け合いが面白い。
 そう、藤原真理の解説付なのだ。つくられた時代や地域、社会背景の説明や、音楽の流れなども教えてくれる。

 二部は、フォーレの「悲歌」、サン=サンス「白鳥」、シューマン「トロイメライ」ドヴォルザーク「わが母の教えたまいし歌」、エルガーの「愛のあいさつ」など、有名な小品を集めた構成で、、チェロの音っていいな、と思わせるが、細切れな感じがして、二部も纏まった楽曲を1曲じっくり聴いてみたかった。

 とはいうものの、アンコールの、R・シュトラウスの「トロイメライ」は大きなプレゼントだった。1部のグリーグも珍しかったし、そういう意味では貴重なライヴ。

 家に帰って、藤原真理のCD『無伴奏チェロ組曲』を聴いた。今度は是非、大作を聴いてみよう。

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こまつ座&シスカンパニー公演 ロマンス

 世田谷パブリックシアターで上演されている、こまつ座&シスカンパニー公演 『ロマンス』を観た(9月19日)。

 パンフレットの--題材がチェーホフと聞いてどう感じられました?--というインタビューに、井上芳雄が--初めて舞台で日本人役を演じられると期待していたので、少し残念でした(笑)--と答えているのが、可愛い。ミュージカルは、ほとんどの役が外国人。きっと、こまつ座、井上ひさしの作品なら、日本を題材としていると思っていたのだろう。
 ことほど左様に、井上ひさしは日本の話が多いのに、なぜいま、チェーホフ?

 妹、マリヤに松たか子、マリヤの友人で妻になる女優オリガに大竹しのぶ。チェーホフは、少年期を井上芳雄、青年時代を生瀬勝久、壮年を段田安則、晩年を木場勝己が演じる。舞台好きにはたまらない、素晴らしい顔合わせだ。

 チェーホフは家族を支えながら苦学の末医師になり、若い頃からのアルバイト代わりの文学が副業となり、やがて花開く。マリヤは看護助手として、また作家チェーホフの秘書として、献身的に尽くす。彼が好きだったのは、笑いのあるボードビル。書きたかったのもボードビル。しかし彼の作品は、新進演出家スタニスラフスキーによって悲劇として上演されてしまう。

 チラシの文章では、チェーホフとマリヤの関係、オリガとのロマンスがクローズアップされるような印象を受けるが、実際の舞台では、”ボードビル”が前面に出ている。ボードビルというと、私はアメリカンスタイルの”お笑い”を連想していたのだが、パンフレットを読むとチェーホフが愛したのは、ヨーロピアン・ボードビル、--面白い筋立て。演劇的からくりを仕組んだ芝居のこと。--とある。平たく言えば、喜劇か?
 
 観客は喜劇より悲劇を好むという定説があるようだが、あのスタニスラフスキーが、チェーホフの作品を本人の意図をまったく汲み取らずに、悲劇にしていたとは。さらに彼を愛しているオリガも、一番の理解者のはずのマリヤも、その点については理解していなかったとは。それも滑稽、喜劇ではあるが、もし、スタニスラフスキーが喜劇として演出していたら、その後の演劇シーンはいまとは違うものになっていたんじゃないか?
 楽しく笑える喜劇『三人姉妹』、観てみたい。
  
 さて、なぜいま、チェーホフなのか?
 辛い世の中でも、「笑いが心を満たしてくれる」ということなのか? チェーホフがオリガに惹かれたのも、(少なくとも大竹の演じる)オリガが開けっぴろげで陽気な、生活に向かないタイプの女性だったからだろうし。
 もちろん、チェーホフ作品の見直しという目論見も、井上ひさしにはあるんだろう。それから”笑い”そのものについても、と思うのは勘ぐりすぎか。人を幸福にする笑いとはなんぞや? ともすれば暴力的な笑いもあるからなあ。
 しかし彼が愛した”笑い”と、彼が書いた喜劇の”笑い”は、質が違うようにも見える。医師チェーホフが、効用を発見した生活の中の”笑い”はストレス発散、明るい笑いだが、作品の登場人物の滑稽さはある種シニカルな笑いだ。スタニスラフスキーが悲劇として演出したくなるのもわからなくはない。
 
 井上ひさしとチェーホフの笑いの質は、また違う。井上の作品に登場する笑いは、チェーホフが愛した、生活の糧になる笑いのような気がした。(9月30日まで)

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戸田恵子LIVE SHOW「ACTRESS」

 戸田恵子LIVE SHOW「ACTRESS」の東京千秋楽(9月17日 草月ホール)にいく。今年で50歳なのだとか。なんて若いんでしょ。一部は彼女の半生を振り返り、二部は発売されたCD『ACTRESS』の歌を披露していく構成。

 TVバラエティの出演者や声優としての彼女には接していたんだろうけれど、はじめて舞台を観たのは『スイート・チャリティ』だった。メチャクチャ、キュートだったんだよ。薔薇座退団後は加藤健一事務所で、そのあとは舞台に限らず映画、テレビでも大活躍だ。多彩な人だが、私の中では戸田恵子は舞台(ミュージカル)女優。遅咲きだったかもしれないが素晴らしいエンターティナー、テレビではもったいないと思う役もしばしば…。
  
 ライヴでは、あらゆるジャンルの歌と言っていいほど歌い分け、ダンスにコントと大張り切りだ。麻生かほ里、入絵加奈子、平澤智、斉藤直樹と、バックを固める人たちも、これまた豪華。 

  秋元康、三谷幸喜などの大御所は、彼女のコメディアンヌぶりが発揮できる楽曲をつくっていたが、若い才能からの楽曲は、またひと味違う。
 この日、第二部では「V.I.P」の作詞作曲者、植木豪がゲスト出演しブレイクダンス(?)を披露。また、作詞作曲の中村中が「強がり」をピアノ伴奏した。「強がり」は、いつも明るく気丈に振る舞っている女性が、ふと溜息をつく歌。戸田恵子の素顔を連想させ、中村中にも重なる。胸にストレートに響いてくるこの曲に、共感する女性は多いだろう。戸田の思い入れも強いのか、ヒットを願ってか、アンコールの後、映像でまたこの歌が流れた。おかげで涙で顔がクシャクシャだよ。参ったな中村中、参ったな戸田恵子。

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エレンディラ

 中川晃教ファンの私としては待ちに待った『エレンディラ』を観に、猛暑の中、彩の国さいたま芸術劇場へ(8月16日。原作 ガブリエル・ガルシア・マルケス/脚本 坂手洋二/演出 蜷川幸雄/音楽 マイケル・ナイマン)。四時間の長丁場で、出演者は大変だろうが、観客も大変。埼玉で、よくまあ四時間の芝居を打ったものだ。

 南米のコロンビア。祖母(瑳川哲朗)と暮らす少女エレンディラ(美波)は、ある晩火事を起こしてしまい、全財産を失う。その弁償のために、祖母はエレンディラを娼婦にして稼がせる。美しいエレンディラの評判は砂漠中に広まり、彼女のテントの前にはいつも長蛇の列。噂を聞いたウリセス(中川晃教)も一目彼女に会おうとテントを訪ねる。そこで二人は恋に落ちて…。

 ガルシア・マルケスの中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」に、短編「大きな翼のある、ひどく年取った男」のモチーフをあわせ、ウリセスを物語の中心に据えた。そうすることによって、エレンディラと祖母の物語から、若い二人の恋愛の物語へと変えている。 
 美波は、娼婦エレンディラを文字通り体当たりで演じている。絶望したときの虚ろな目、喜びに満ちた輝く目、冷たい氷のような目、この人の目の力は素晴らしい。
 ウリセスの歳は17才。少年から青年に移行する時期の自信と不安が入り交じった初々しさは、中川晃教の真骨頂だ。加えて不思議な力を持っているという役柄も彼にあっているし(この不思議な力は、現地のワユ族に由来するもので、エレンディラと祖母もワユ族の血をひく)、ミュージカルではないものの歌もあるし、彼の魅力は十分に出ている。

 二人の恋のシーンはとても綺麗だ。美しいデュエットも聴かせてくれる。でも、やっぱりこの物語は、エレンディラの祖母の物語なのだ。白鯨と表現される体形とパワー、ワユ族の誇りと屈折。なぜこんなに強欲なババアになったのか、若く美しい二人より興味をかき立てられる。中川も美波も素晴らしいが、それでも「これは、瑳川の舞台だ!」と思うほど、彼の演技に魅了された。この役、生身の女が演じるのは難しそうだ。

 クライマックスで、エレンディラは祖母から逃れたい一心だ。そこから二人の愛を語るには、脚本としても無理があったのではないか。小説の結末が、芝居の結末でもよかったのに。そのほうが、エレンディラの業というか、逃れられない血が、より浮き彫りになっただろう。
 この結末はファンサービス? 最近言われている”わかりやすさを求める観客”という現象のなせる技ですかね?

 とはいうものの、なかなか見応えのある舞台。南米の物語はあまり観る機会がないので、純粋なキリスト教文化とまた違う視点が面白い。
 飄々とした写真師のあがた森魚が、はじめはどうしてこんなところに?と思ったけれど、意外や緩衝材的な存在。アンサンブルでは山崎ちかがいい。この芝居に、この人のエロさは貴重だ。 

  

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ザ・ヒットパレード ショウと私を愛した夫

 7月27日に観た『ザ・ヒットパレード』(脚本 鈴木聡/演出 山田和也 テアトル銀座)。楽日近くに観たのを後悔している。もっと早く観ればよかった。そしてもう一度観たかった。

 渡辺プロダクションを作った、渡辺晋とミサ夫妻の物語。夫妻の足跡を辿ることで、日本のショウビジネスの歴史を見せる。圧倒されるのは劇中の音楽で、昭和のヒット曲をこれでもかこれでもかと披露し、まさにヒットパレード。音楽監督の宮川彬良は、渡辺晋と数多くの仕事をした宮川泰の息子。
 口ずさめる歌が多いのも楽しみの一つなのだが、ビックリするのは、ザ・ピーナッツ役の堀内敬子と瀬戸カトリーヌの歌だ。堀内が歌がうまいのは知っていたけれど、瀬戸がハモるのも知っていたけれど、ここまで巧いとは!
本物のザ・ピーナッツかと思うぐらい、歌い方も似ている。いや、この二人の歌でショウをやってほしいほどだ。
 それにミサ役の戸田恵子、ミサの親友役の北村岳子と、女性陣の歌の迫力といったら! ミュージカルに対して、変なほめ方だけれど、気合を入れて歌の巧い役者さんを揃えましたね!
 もちろん戸田恵子は、可愛くしっかり者のミサにピッタリ、はまり役だ。
 若手男性コーラスグループRAG FAIRのメンバーを起用した意図もわかった。それぞれが個性的だから演技もこなせるし、歌はお手のものだし。
 ここまで歌がうまい役者が揃っていると渡辺晋役の原田泰造は大変だろうと思うし、そして実際少々歌は弱いのだけれど、じゃあ、この役にあっている人は誰か考えてみると、やっぱり原田が適役なのだ。その包容力が魅力的だった。

 テレビが全盛になったとき、本物の芸が求められなくなる。なんて皮肉なんだろう。私は、本物の芸に出会いたいから、ライヴ(芝居もコンサートも)通いはやめられない。


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ベートーヴェン・チクルス2007(第三夜)

 なんて幸せなんだろう。

 チョン・ミョンフン指揮、東京フィルハーモニー交響楽団のベートーヴェン・チクルス2007。
 7月25日のプログラム
 交響曲第6番ヘ長調 op.68≪田園≫、
 交響曲第7番イ長調 op.92を聴いた(東京オペラシティ コンサートホール)。

 マエストロ チョンと東京フィルハーモニー交響楽団は、ベートーヴェン交響曲全集(CD)を出しているぐらいだから、お得意のレパートリーだろうと、もちろん期待していた。 ベートーヴェンの交響曲の中でも、6番、7番は馴染みがあって好きだから、このプログラムを選んだ。
 だから、素敵な夜になることは予想していたのだけれど、でも、期待以上の、感激。

 一部の、風景が浮かんでくる「田園」も満足だったが、7番に圧倒された。
 ベートーヴェンの初演当時から大人気だったという第7番。あの躍動感が好きと思っていたけれど、この夜味わった高揚感は、滅多に出会えるものじゃないかも。第四楽章の音の広がりというか、あの盛り上がりに、思わず目が潤んでしまった。
 
 電車に乗って帰りたくなかった。せかせかした現実に引き戻されちゃうから。ずっと余韻に浸っていたかった。

 第九はまた盛り上がるのだろうな。このチクルス、全夜聴いたら面白かっただろうと思うと、ちょっと残念。
せめてCDで、楽しみましょう。スピーカー、替えようかなあ。
 

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『冒険する舞曲』 、レ・フレール

  6月3日、紀尾井ホールで行われたコンサート、 シリーズ「歌」vol.9『冒険する舞曲』 を聴いた。
 一部は、中野振一郎のチェンバロで宮廷舞曲からはじまった。曲の間に中野さんが、気さくにチェンバロの解説をしてくれた。先日聴いた『ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007』でもチェンバロ(ハープシコード)の演奏があったり、馴染みがないわけではないが、鍵盤をスクリーンに映しながら解説してくれたので、楽器の仕組みがよくわかって面白かった。

 二部はブギの特集で、レ・フレールのピアノ演奏。このコンサート、今、人気の兄弟ユニットを聴いてみたくてチケットをとったのだが、人気先行型だったらがっかりだなあと、ちらっと思っていたのだが…。
 大満足。ブギのリズムも、ピアノの音も楽しいし、一台のピアノを二人で弾くプレイスタイルが、見せるパフォーマンスになっている。二人で並んで弾くのはもちろん、腕がクロスしたり、交互に入れ替わったり、おんぶみたいになったり。この日は兄の斎藤守也が黒いシャツを腕まくりし、弟の圭土は白いシャツの袖をとカフスでとめて、それが黒鍵と白鍵をイメージさせるのだが、二人の腕がクロスするところがよくわかって、ビジュアルとしてもとても綺麗。圭土のほうがブギの奏者を名乗っているぐらいだからブギ得意なのだろうけれど、兄弟ならではの息のあいかたが伝わってくる。弟さんはハンサムだし、弟を優しくサポートするお兄ちゃんの好感度大だ。
  カーテンコールのときに、プレゼントを差し出すファンの人たち全員が、どちらか一人じゃなくて、必ず二人に渡していたが、その気持ちが判る。レ・フレール=兄弟のファンなのね。
 二階、右手側のバルコニー席だったので、彼らの動きや表情がわかって、それも楽しかった。

 歌の腰越満美(ソプラノ)も、一部のオペレッタも、ブギも両方聴かせる。クラシックの人がブギを歌うとどうなるんだろうと、ちょっと不安だったが、なんのなんの心配無用、パンチが効いた歌声だった。この人、ミュージカルにも出演しているのだとか。どうりで器用なんだな。

 レ・フレールと中野振一郎のCDを購入し、弾むような余韻を楽しみながら紀尾井ホールを出た。四谷の土手は、紫陽花が満開だった。

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ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007 

  東京オペラシティコンサートホールで『ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007』を聴いた(5月22日)。

 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、と11台のストラディヴァリウスに、コントラバス、ハープシコードが加わったアンサンブル。

・ヴィヴァルディ/2つのチョロのための協奏曲 ト短調 
・J.S.バッハ/ハープシコードのための協奏曲 第5番 ヘ短調
・ハーバー/弦楽のためのアダージョ 作品11
・バルトーク/ルーマニア民族舞曲
・ヴォルフ/イタリア風セレナード ト長調
・ドヴォルジャーク/弦楽のためのセレナード ホ長調

 こういうプログラムに行きたくなるのは、根っからミーハーなのだ。「これがストラディヴァリウスですな」とは聴き分けられないが、深くて柔らで艶のある音。澄んだ華やかな高音から重厚な低音まで、うっとりしちゃう。奏者はほとんどがベルリンフィルのメンバーだ。

 オープニングの「2つのチェロのための協奏曲」で吸い寄せられる。端整なイメージがあるストラディヴァリウスで「ルーマニア民族」を聴くなんて、ね! 

 アンコールは、
・チャイコフスキー 弦楽セレナーデ から
・モーツアルト  ディヴェルティメント から
・ヴィヴァルディ  四季 「春」

 演奏だけでもサーヴィス精神旺盛なのに、曲紹介してくれたトーマス・ティム氏(ヴァイオリン)が日本語で笑わせて、和ませてくれるオマケ付。最近とみにフランクになっているが、クラシックに堅苦しいイメージはない。

 二階のバルコニー席だったが、下(ステージ)を観ると案外一階席の人の様子が目につく。行儀が悪い人はけっこう目立つから、人の振り見て我が振り直せだわ。
 階段を降りるときに、この東京オペラシティコンサートホールにはお客さんが利用できるエレベーターがあるのかなって、ちょっと思った。杖をついているお年寄りや白杖(はくじょう・目が不自由な人が持つ杖)を持っている人がいたから。もちろん元気な人は階段を利用すればいいが、こういう人のためにエレベーターの案内があるといいのに。
  

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種谷睦子 マリンバコンサート

 軽井沢大賀ホールで、マリンバのコンサートを聴いた(5月1日)。ソリストは種谷陸子、ピアノのスヴェトラ・プロティッチとも息があっていた。

 曲目は

モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲
モーツァルト/ソナタ変ロ長調K.378
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン

一柳 慧/バラード -チェロマリンバのための-
ポッバー/ハンガリア狂詩曲
日本の歌 小西欽 編曲
  山田耕筰/この道
  大中 恩/犬のおまわりさん
  津軽じょんから節
コルサコフ/熊蜂の飛行
モンティ/チャルダシュ
ハチャトリアン/剣の舞

そしてアンコールは、ショパン/ノクターン 遺作
            ハイフェッツ/ホラ・スタッカート

 マリンバがメインのコンサートは、はじめてだった。『ツィゴイネルワイゼン』はヴァイオリンだと、鳴くというのか、”粘る”感じになるのが、マリンバだと”響く”『ツィゴイネルワイゼン』で面白かった。
 面白いといえば、木製の共鳴管を持つチェロマリンバだ。共鳴管が金属ではなかった昔は、こんな音色だったのだろうか。楽しい『犬のおまわりさん』のあとは、太鼓も叩きながらの、『津軽じょんがら節』と、選曲の幅が広い。日本の歌が終わると、『熊蜂の飛行』『チャルダッシュ』『剣の舞』と続いて、迫力満点。
 種谷睦子、カッコいいんだ。幾つなんだろう、疲れないのか?

 大賀ホールもはじめて。五角形の、800席程度のホールで、オーケストラを聴くにはちょっと狭い気もしたし、どうせなら東京で滅多にないプログラムを聴きたかった。マリンバは正解、とっても楽しかった。
 ホールもよかった。内部だけでなく、ロビーから矢ヶ崎公園の池が見渡せる、いい立地で、雰囲気があるホールだ。

 大賀ホールの他にも、「軽井沢八月祭 ゴールデンウィーク 特別企画」と銘打って、各ホテルや教会などで若手演奏者のライヴを行っていった。八月下旬に行われる「八月祭」も楽しそうだ。クラシック音楽を観光資源にしようと、町をあげて頑張っている様子。今のクラシックブームが追い風になりますように。もう少し街全体の夜が長いと、ホールのコンサート後に食事やお酒をとりながら余韻を楽しめるかも。それは追い追いでしょうけれど。

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ローマの松/佐渡裕指揮 東フィル定期演奏会

東京フィルハーモニー交響楽団 第29回東京オペラシティ定期シリーズ公演を聴いた。(4月26日/東京オペラシティコンサートホール)

 プログラムは、 
 ドボルザーク/序曲『謝肉祭」』作品92
 メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
 レスピーギ/『リュートのための古風な舞曲とアリア』第3組曲
 レスピーギ/交響詩『ローマの松』

 指揮は佐渡裕。佐渡裕といえばバーンスタインなので、オーチャードホールで行われた定期演奏会の『シンフォニック・ダンス』が呼び物かとも思ったが、友人とレスピーギを聴いてみたいということになって、こちらを選んだ。

 ”熱いマエストロ”佐渡裕は、聴衆を引き込むのも巧い。
 『謝肉祭」』で楽しく幕が開き、 馴染みのあるヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリンのソロはリディア・バイチ。『リュートのための古風な舞曲とアリア』は何度か聴いたことがあったが、『ローマの松』ははじめて。パンフレットを読んだら、この人の代表作だという。失礼しました。
 この『ローマの松』が、聴き応えがあった。なにせ、オーケストラの楽器のほとんどが使われているのではないかと思うぐらいステージ狭しと楽器(演奏者ですね)が並んだ。ピアノも、ハープも、水笛も、オルガンも登場して。オーケストラの中でのオルガン演奏を聴いたのも、はじめてだった。オルガン奏者って、ただ一人、指揮を見られない位置にいて大変だなあと、変な感心をする。
 交響詩といえば物語性があるわけだか、パンフレットを読むと「文学的であるより絵画的」とあり、ローマの4本の松(巨木)をモチーフにした曲のようだ。私はローマの松は知らないが、荘厳な佇まいや、風がそよぎ、小鳥が歌う情景が浮かんできて楽しかった。なかでも終曲の「アッピア街道の松」は、古代ローマの栄光を思い起こさせる曲だそうで、なるほど壮大な曲で、昂揚した。

 東フィルの定期演奏会ははじめてなのだが、入口で配られていたパンフレットもnice!曲の解説やマエストロのインタビューなどが充実していて、コンサートをナビゲートしてくれた。
 練られたプログラム構成で、ラストの曲で十分盛り上がったのだから、アンコールをしないスタイルもいいね。

 入口で配られたといえば、チョン・ミョンフン指揮で東フィルが、ベートーヴェンの交響曲の全曲連続演奏会を行うそうだ。6番、7番のプログラムが好きかも、と思ったが、そういえば1番、2番ってほとんど聴かない。で、今日はCDを引っ張り出して1番、2番を聴いている。4番、8番も聴かなくちゃ。

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そっと おやすみ Killing You Softly

 ミステリー・ミュージカル『そっと おやすみKilling You Softly』
  作・演出:高平哲郎/音楽:島健/振付:川崎悦子/青山円形劇場/4月17日

 島田歌穂、玉野和紀、吉野圭吾、北村岳子のメンバーで、2000年から毎年恒例の『ダウンタウン・フォーリーズ』。今年は、北村が参加していないからか、番外編。北村はなにに出ているのだろうと思ったら、『マリー・アントワネット』でした。

 『ダウンタウン・フォーリーズ』は、ファンサービスの色が強い。
 いつもはショーのオムニバス構成だが、番外編の今回はミステリ仕立ての1本のお話しになっている。『ダイヤルMを回せ』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』など名作ミステリのパロディ部分もあるが、ストーリーはたわいない。見どころは、やはり例年と違わず島田、玉野、吉野の芸で、それが至近距離で楽しめること。青山円形劇場の舞台は、基本の円形。ここを使うなら、やはり円形にしなきゃもったいないでしょう
 紅一点で中心になっているせいもあるが、島田のコメディエンヌぶりが絶好調。この人はグランドミュージカルより、こうやって客席と丁々発止やっているほうが、魅力全開。惜しかったのは、玉野のタップが少なかったことか。
 客席も、もうわかっているファンばかりなので、カーテンコール?の「おかえりはあちら」が出る頃には、総立ちだった。

 それにしても、パンフレットが売り切れていたのが残念だった。先着30部しかなかったのだ。なのに劇中の吉野が、客席に「パンフレットを見せてください」というところで、2冊差し出した人がいたのは、どういうこと?
 以前、宝塚のOGが何人か出ていた芝居に行ったときに、そこではパンフレットは「一人一冊」にしか売らなかった。パンフが足りないっていうのがそもそもオマヌケなんだが、足りなそうなら、そういう配慮をするべきなんじゃないの? 


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HEDWIG AND THE ANGRY INCH

 ROCK MUSICAL“HEDWIG AND THE ANGRY INCH(ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ)”のTour Fainal(作 ジョン・キャメロン・ミッチェル/作詞・作曲スティーヴン・トラスク/上演台本・演出 鈴木勝秀/4月7日 昼/東京厚生年金会館大ホール)。こりゃあ、山本耕史のファンにはたまらないでしょう。

 とあるライブハウスで、歌手ヘドウィグ(山本耕史)が自分の半生を語り始める。冷戦時代の東ベルリンに、ドイツ人の母とアメリカ兵士の子として生まれた少年。ラジオから聞こえてくるロックミュージックに心躍らせ、自分のカタワレ(=愛)を探すことを夢見る男の子が、アメリカ兵に愛され、性転換手術をし、渡米。憧れのアメリカでのどん底生活。でも、彼はカタワレへの思いを持ち続けながら、怒りを込めてロックを歌う。
 ベルリンの壁。人種の壁。性の壁。人と人との壁。難しいが、普遍的なテーマでもある。

 バンドの他には、ヘドウィグを演じた山本と、ヘドウィグの”夫”イツァークの他に母などを演じた中村中の二人芝居。
 山本は、美しい顔だちにすらっと伸びた脚、白い肌を惜しげもなく披露していて色っぽいのだが、ギリシャ彫刻みたいにたくましい胸とパンチのある歌声は男っぽく、彼の存在そのものがカタワレずつ(男と女)になる前の人間なんじゃないかと思わせる。このなんともいえない艶めかしさは終盤、実に効果的だ。
 中村中(なかむらあたる、と読む)の名は知ってはいたけれど、途中「この子、何者?」と唸ってしまった。巧い。張りがあるかと思えば素直に伸びる歌声が素晴らしいし、山本を受けての演技もいい。彼女は、夫や少年など男性を演じる部分が多く、ここでも”性”が行ったり来たり。鈴木の演出は、カタワレ探しを美しくクローズアップしているように見える。
 
 でも、ちょっと綺麗すぎるのだ。クールというか整理され過ぎているというか。自由への憧れと人を愛する渇望が二重にも三重にも捻れているのだから、もっと訳のわからない怒りとか、猥雑さとか、衝動がほしい。自由への憧れには政治的な背景があるわけだがその辺りは難しいし、詞も訳さないのでアジテーションもなく(拳を挙げている人たちもいたが客席は概ねおとなしかった)、受け入れやすいカタワレ=愛の話にウェイトを置いたのではないかと深読みしたくなるのだが。
 会場が厚生年金会館というのも、差し引かなければ、と思う。これがライヴハウスだったら、もっと濃厚な空気が流れていたかもしれない。厚生年金は広すぎたし、そもそもこのテーマをお役所外郭団体のホールで上演しようっていうセンスが、なんともかんとも。

 でも、これはこれで満足。山本耕史が存分に魅力的だったから。そして中村中に出会えたのは大きな収穫。今後の活動が楽しみだ。
 終演後、久しぶりにデイヴィッド・ボウイを聴きたくなった。しかし、ロックが大人のモノになって、若者はどうした?

 

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松本和将 ラプソディ・イン・ブルー

 普段、クラシック音楽の情報誌を購読しない私が、いそいそと買った「モーストリー・クラシック」5月号。お目