音楽

爆裂クインテット

 昨年の11月からmy boomの中西俊博。『ア・ラ・カルト』で20年前から聴いていたからいまさらなんだけど、この1年、かなりライブに通った。

 先日、超ご機嫌な爆裂クインテットのCDが出た。中西俊博(ヴァイオリン)をリーダーに、竹中俊二(ギター)、林正樹(ピアノ)、鳥越啓介(ベース)、海沼正利(パーカッション)というメンバー。巧いよねえ。楽しそうだし! ジャズ、ブルースから、ラテン系、アイリッシュ…、もう、音楽にジャンルはないのね!

夏に、横浜のモーションブルーで中西さんのライブを聴いたときは、ほぼこのメンバー。竹中さんがいないのが残念だったけれど、maikoちゃん(ヴァイオリン)がゲストだった。それがいまのところ、今年最高にノッたライヴ。だって、メンバーがめちゃくちゃ楽しそうに、jumpしながら弾くんだもん。

 11月のJZ Brat、いまから期待しちゃう。

 

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中村紘子 デビュー50周年記念リサイタル Vol.1

  シルバーウィークの遊びの予定は、これだけ。いそいそとサントリーホールに行く。
 
土曜日の夜のコンサートや芝居の前後は 食事もゆっくりととりたいけれど、午後6時の開演はちゃんとした夕食をとるにははやくて、でも終演までなにも食べないのもおなかが空くし、ANAホテルはいつも混でいるし、アークヒルズに入っているお店もなんだか落ち着かないし、サントリーホール近辺はあんまり知らないし…。と迷っていると、六本木一丁目の改札出たすぐのところに美味しいパン屋さん「PAUL」(泉ガーデンタワー1F)があったので、喫茶室でオムレツを食べた。ゆったりとした時間を楽しむのは終演後にとって起きましょう。
  
 中村紘子 デビュー50周年記念リサイタル。50周年のプログラムは、中村紘子の”今”というVol.1と 1961年12月、東京文化会館での初リサイタルの再現プログラムのVol.2があり、今回は”今”を聴く。

 シューベルト: 4つの即興曲 op.90
 武満徹:リタニ-マイケル・ヴァイナーの追悼に-I.  アダージョ
 一柳慧:「雲の表情」I,II,III
 ショパン :ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」
 ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58

アンコールは
 ドビュッシー :『2つのアラベスク』から第1番
 グラナドス :アンダルーサ
 ブラームス :ハンガリー舞曲第1番 ト短調
 ショパン :幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66

 繊細かつパワフルな演奏に魅了される。アンコールとともに客席から花束が次々と贈られた。軽井沢の大賀ホールでもそうだったけれど最後に幻想即興曲を弾くなんて、すごいエネルギーだと思う。
 12月の、初リサイタルの再現プログラムのリサイタルにも行く予定。再現と言っても、もちろん”今”の中村さんが弾くわけだが、こういう試みはオシャレだなあ。

 終演後、ちょっとバーに寄りたくなったのだが、六本木一丁目なのにというか、六本木一丁目だからというか、気の利いたバーが思い浮かばず、結局吉祥寺のお店で飲んだ。 

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サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ

  夏休みの一日。

 代官山のル・ジュー・ドゥ・ラシエットで、ランチ。夜は、渋谷でお芝居だから、少々控えようと思いつつ、けっきょくディナーのように食べて、飲んでしまう。
 
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写真はデザートの桃のコンポート。ジュレをのせ、夏らしく涼しげで、美しい。美味。桃好きの私は、超満足の逸品。もちろん前菜も、メインも美味しかった。ついつい皿数の多いコースにしてしまうから、ダメなのよね。でもお休みなのだし、ね。

 お店を出たときは、もう夕方になっていた。代官山をぶらぶら散歩しながら、渋谷に出る。JR新南口のほうで珈琲を飲みながら休んでいたら、いきなり雲行きが怪しくなって、PARCOに行くまでに土砂降りになってしまった。だったら、PARCOに行ってからお茶すればよかった。
 渋谷の中でタクシーを使う。はじめてだよ、PARCOにタクシーでいくなんて。
 

 PARCO劇場で、『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』を観る。
(作曲・作詞 スティーヴン・ソンドハイム/台本 ジェームス・ラパイン/演出 宮本亜門 /翻訳 常田景子)
 

 19世紀のフランス、点描画で有名な画家ジョルジュ・スーラを主人公にしたミュージカル。「グランド・ジャット島の日曜日の午後」 の制作過程をモチーフにした第一幕。恋人とのあいだに子供がいたというエピソードを基に、第二幕は、スーラのひ孫が現代芸術と向き合う。
 ジョージに石丸幹二、恋人のドットに戸田恵子、母に諏訪マリー、ジョージの友人ジュールに山路和弘と好きな俳優さんばかり。元東京サンシャインボーイズの野仲イサオもいいなあ。 

  「芸術とは?」という問いかけが根底にある。人と人の「つながり」、「家族」もキーワード。優しい結末を迎えるのだけれど、癒やされるような、癒やされないような。難しい。 たぶん、ストーリーよりも、曲のが難しさが、そういう気持ちにさせるのだろう。
 

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中村紘子 ピアノ協奏曲の夕べ

  「いいな!」と思うと、何回か追いかける癖がある。
 ゴールデンウィークに、大賀ホールで中村紘子のリサイタルを聴き、感動したので、今回はオーケストラとの協奏曲だ。一週間前にチケットをとったが、聴いて良かった。

 場所は東京文化会館大ホール。指揮は大友直人、オーケストラは東京都交響楽団。

曲目は、
 
モーツァルト  ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537「戴冠式」

三善 晃  ピアノ協奏曲 

ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

 3曲とも個性が違って、面白いコンサートだった。現代音楽を演奏したのは意外な感じがしたけれど、迫力の演奏。作曲者の三善さんも客席にいらしていて、拍手を送られていた。
 一曲、一曲が素晴らしかったが、圧巻はやはりラフマニノフ。聴衆にとっても馴染みの曲だし、ホール全体が一体となって盛り上がった。

 中村さんは、自分のパートが休みだと、演奏しているパートの奏者をじーっと見つめている。集中して音を聴いているんだろうけれど、若い奏者にとっては先生が二人いる(大友さんと中村さん)みたいだろうな。
 今回も手が見えない席だったのだが、ペダルを踏む足の動きが激しい! 

 ラフマニノフを弾き終わると、客席から熱い拍手が長く続き、オーケストラとともに何度も応えたが、「手が疲れたので」というジェスチャーをして、アンコールはなかった。 これも潔い。
 ラフマニノフ第2番の余韻を楽しみながら、帰路についた。


 

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ウィーン・フィルの室内楽

 武蔵野市民文化会館小ホールで「ウィーン・フィルの室内楽」を聴いた。

ハープのグサヴィエ・ドゥ・メストレをメインに、フルートのヴォルフガング・シュルツ(ウィーンフィルのソロフルート奏者)、チェロのフランツ・バルトロメイ(首席奏者)という編成。今年没後200年のハイドン・イヤーにちなんだプログラムだった。

J.ハイドン:フルート、ハープ、チェロのためのトリオ ト長調 op.59 HobXV15

J.シュトラウスⅡ世:ロマンス ニ短調 op.243
             ロマンス ト短調 op.255

Mグランジャニー:ハイドンの主題による幻想曲 op.31

J.ハイドン:アダージョ ヘ長調 HobXⅦ9

J.ハイドン:主題と6つの変奏 ハ長調 HobXⅦ5

G.フォーレ:シシリエンヌ ト短調 op.78
       子守唄 ニ長調 op.16
幻想曲 ハ長調 op.79

M.ラヴェル:ソナチネ

ドビッシー:子供の領分 より  ゴリウォーグのケークウォーク (アンコール)

 ハープをメインにした、この編成のトリオは、はじめてだったが、華麗で力強い演奏にハープのイメージが、がらりと変わった。 グサヴィエ・ドゥ・メストレは、フランス人としてはじめて首席ハーピストになった人だそうだ。25歳で首席奏者というから、その演奏は押して知るべし。知らなかったが「ハープの貴公子」と呼ばれているらしい。たしかに背が高く、ハンサム。ペダルを踏む右足もなんだか絵になるし、弦を奏でる指も綺麗だし、ちょっと飛びはねながら拍手に応える姿も若々しくてカッコイイ。
 しかし、しかし、なんといっても演奏が素敵。ダイナミックといったらいいのか、音がすごいわ! 
 
 一緒にいった友人は、お父さんが入院されている。今週実家に帰って様子をみてくるそうだが、「なんだか私だけこんなに素敵なコンサートを楽しんで、母が可哀想になっちゃった」と。共通の友人も最近体調が悪く、あまり出歩けない。介護を担っている人や病気を抱えている人が、こういう演奏を聴いて、少しでも息抜きできるといいのだけど…。 

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清志郎と新インフルエンザと伊勢丹吉祥寺店閉店

 忌野清志郎は、CDを何枚か持っている程度なので、ファンと言ったら、熱烈なファンに怒られそうだが、あの声も、素直な歌詞も好きだった。清志郎のイメージを一言で言うなら、素直。違う病気だけれど闘病の時期が重なっていたこともあって、再発報道後ずっと気になっていた。亡くなった日に、RCのアルバムを聴きながら寝た。青山ロックンロールショーの日は会場にいかなかったけれど、家で、封印していた「完全復活祭」のDVDを観た。涙で顔がグショグショになったけど、元気になった。せっかく病気が治ったんだから、愛し合って元気に過ごさなきゃね。

 その、違う病気の予後を看てもらうために、昨日(5月12日)は病院へ行った。検査結果は異常なし。まずはメデタシ。
 病院は、新インフルエンザ体制だった。玄関に消毒液が並べられた机が置かれ、看護師さんがいた。GW中に海外渡航をした人や熱のある人は申し出るように、咳などの症状がある人にはマスクの着用を呼びかける張り紙が貼られていた。弱毒性ということでわりと安心していたが(でもマスクはもって歩いている)、医療関係者は大変だ。

 夕刊に「伊勢丹吉祥寺店が来年3月で閉店」という記事。予感はあったが、現実になると大ショック。地下食料品売り場がスーパー代わりだから、日常生活が変わるだろうなあ。それに地域経済はどうなる?
 

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Strings 中西俊博トリオ  Live

 吉祥寺の28席+補助席という、ちっちゃなライブハウス「Strings」を知ったのは、去年の秋だった。以前から、お店があることは知っていたのだけれど、ライブを聴いたことはなかったのだ。
 あるとき、店の前を通りかかると、ライブの予告になんと「中西俊博」とあるではないか!

 ジャンルを超えたヴァイオリンの巨匠と呼ばれているようだが、私にとっては中西さんといえば、「ア・ラ・カルト」の中西さんで、20年来のファンだ。その中西さんが吉祥寺のライブハウスに出演しているなんて! そりゃあ、ぜひとも行かなくっちゃ!!
 けれど、そのときは体調を崩していけなかった。その後、maikoとのデュオ・ヴァイオリンをここで聴いた。目の前で、中西さんの弓裁きが見られるなんて贅沢でウットリだ。
 
 5日は、いけなかったときと同じトリオの編成だった。 伊賀拓郎くん(p)と、木村将之くん(b)という学生っぽさが残る若いミュージシャンだが、演奏はめちゃくちゃ巧いし、いい感じ。中西さんは「巨匠」なのに気さくな人だ。「二人の歳を足したより、僕の歳のほうがまだ多い」と笑いながら、二人を「天才」と呼び「パワーをもらっている」と言う。ホントに若者とのセッションが楽しそうで、そういう大御所っぽくならないところが、また魅力的。作曲やアレンジより、なにより弾いているのが好きだと言う。

 アンコールで、三人で一度もあわせたことがないという「枯葉」をやった。ベースの木村くんのソロの場面で、ステージの後ろに置いてあった弓を、中西さんがケースから出して渡した。木村くんは弓を使うつもりはなかったのだろうけれど、素晴らしいベースの演奏だった。ニクイね、中西さん。

 中西さんにCDにサインしてもらって、月末のmaikoのライヴを予約して、Stringsを出た。中西さん率いる爆裂クインテットとmaikoの、横浜のライブも要チェックだ。
 このペースでライヴにはまると、中毒しそうで怖い…。


 

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軽井沢大賀ホール春の音楽祭 中村紘子ピアノリサイタル

29日に大賀ホールで、中村紘子ピアノリサイタルを聴いた。
大賀ホールの軽井沢春の音楽祭を聴くのは、今年で3回目。私にとって、ゴールデンウィークの恒例行事になりつつある。
 今年は寒かったからか、日にちも過去二回より早かったからか、桜はまだ咲いていなくて残念だったが、池の畔から見る景色は清々しい。浅間山から、ときおり白い煙がたなびいていた。

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 中村紘子は、今秋デビュー50周年だそうだ。コンクール、N協アワー、エッセー等々演奏以外にも活躍している大スターなので、つい何度もライヴを聴いているような気がしていたが、よく考えたらピアノリサイタルははじめてかもしれない。

バッハ:パルティータ第2番
ショパン:ワルツ1~7、14番、

シューベルト:4つの即興曲Op.90より第3番、第4番
ショパン:ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op.35「葬送」

 当日は「花」という書をデザインしたモノトーンのドレスで、椅子に座ると、さっと弾き始めた。こともなげに、でも情感豊かに。パワフル、そしてピアノの響きの美しいこと!  これはアンコールのときに中村さんが話していたが、大賀ホールはピアノの音響がとても良いのだとか。『デビュー50周年記念アルバム』もこのホールで録音しているそうだ。
 正面に向かってやや右側で、残念ながら手がみえる席ではなかったが、前から二列めだったので顔の表情や、グランドピアノの蓋(?)に映し出されたハンマーの動きやペダルが見えたので、それも楽しかった。
 

アンコールはなんと4曲。
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リスト:愛の夢第3番
グラナドス:アンダルーサ
マクダウェル:魔女の踊り
ショパン:幻想即興曲

 「10歳のときに練習した曲です」といって幻想即興曲を弾き始めたから驚いたが、一瞬会場もざわめいたので驚いたのは私だけじゃなかったみたい。天才少女と呼ばれた人なんだから、そりゃあそうなんだが。
 
 この日はたっぷり聴いて大満足だったが、なんでもっと前から中村紘子のリサイタルに行ってなかったんだろうと悔やむ。いやいや、いまから円熟の演奏を聴くのだ。東京に帰って2日後、50周年ツアーの9月のサントリーホールのチケットをとった。

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東フィル ニューイヤーコンサート 2009

 今年のイベント始め(?)も、東京フィルハーモニー交響楽団の、ニューイヤーコンサート 2009(1月2日 オーチャードホール)。

 指揮は小林研一郎。ゲストに、ピアノの外山啓介と、ヴァイオリンの宮本笑里。美男美女で大人気の若手だ。そして、ナビゲーターといっている司会の朝岡聡。

第1部
J.シュトラウスⅡ 春の声
ブラームス  ハンガリー舞曲集 第1番
ブラームス  ハンガリー舞曲集 第5番
ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第2番 第1楽章
スメタナ 「わが祖国」より“モルダウ”

第2部
J.シュトラウスⅡ  雷鳴と電光
モンティ  チャールダーシュ
ラフマニノフ  ヴォカリーズ
ラヴェル  ボレロ

 毎年姉と一緒に行くのだが、私たちの前の列に50代後半ぐらいの男性と20代後半ぐらいの娘さんが座っていたのだが、娘さんの手にお母さん(男性にとっては妻)と思われる人を飾った写真立てが握られていて、きっと毎年ニューイヤーコンサートに来ていたご家族なんだろうなあ、と想う。 
 うちも母が健在だったら一緒に来ていただろう。姉と私がクラシックに慣れ親しんだのは、母がクラシック好きだったから。私が小学校に入学するまで我が家は社宅のアパート住まいだったが、幼い頃にそのアパートで、母がレコードをかけると喜んで一緒に聞いたものだ。姉も私も「ハンガリー舞曲集」にあわせて踊る(くるくる回る)のが好きだった。

 今年の第1部は、そのハンガリー舞曲だから、私としては大いに盛り上がる。ラフマニノフのピアノ協奏曲を弾いた外山の手の大きさにもビックリだった。第2部の、チャールダーシュとヴォカリーズは宮本笑里。宮本のチャールダーシュは線が細い。年末の、同じ東フィルのジルベスターコンサート(テレビ中継)で古澤巌のチャールダーシュを聴いたばかりだから(おまけに日頃聴いているCDが古澤巌なもので)、この選曲は若い彼女にとってちょっと不利だったかも。
 
 演目もお馴染みの曲ばかりで、定期演奏会より”お楽しみ”の色が濃い。休憩時間に獅子舞が来たり、お年玉抽選会があったりと、お正月らしい演出もたっぷりある。ボレロの緊張がとけると抽選会があって、その最高の景品が「ラデツキー行進曲の指揮をする」という趣向。今年も当たらず、「せっかく練習していたのに」と姉は残念がっていたが、楽しいコンサートでお正月を祝った。 
   
 

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ア・ラ・カルト 役者と音楽家のいるレストラン(2008年)

 昨年、感想を書き残した芝居から。

 11月某日。「ア・ラ・カルト」を観る。
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 20周年ということで、ステージ数が多いにも関わらずチケットを取るのに苦戦し、11月になった。ホントは12月のクリスマス時期がベストなんだけれど、贅沢は言ってられない。
 初演から観ているが、たしか3回観られなかった年がある。チケットが取れなかったり、病気だったり…。そういうことも含めて、20年の歳月を自分のこととも重ねあわせるとなおさら感慨深いのだが、高泉淳子、白井晃、陰山泰の三人の役者と音楽監督の中西俊博が、誰一人欠くことなくおなじ劇場で20周年を迎えたことが、ファンとしてとっても嬉しい。役者はもともとおなじ劇団のメンバーだったが、よく中西と出会ったものだと感心するし、それが20年続くのだから!
 それになんていったって、このエンターテインメントの質の高さ! 毎年同じように思える「ラストダンス」だが、高泉扮するおばあさんだけでなく、白井のおじいさんも年寄りの表情が深くなってきた。二人を見送る陰山のギャルソンが燻らすタバコ。わかっているのに、涙がこぼれる。でも、それは悲しい場面じゃなくて、人生賛歌だ。死を予感させる老いを見つめてなお、幸福感に溢れている…、これが「ア・ラ・カルト」の大きな魅力(高泉の魅力でもある)。
 おなじ劇場で、と書いたが、青山円形劇場という劇場も、一役買っている。こういう小粋な舞台は絶対大きな劇場ではつくれない。いつからかステージを本当に円形に使うようになって、より客席との距離が縮まった。青山という土地柄も、レストランという設定にあっている。
 
 08年の食前(オープニング)のカクテルはウイスキーフロート。白井のオーナーの台詞に「軽井沢の醸造所」が出てきて、「今年、私も行った!」と小さな符合にウキウキする。ちなみに食後のカクテル(ラスト)はアイリッシュコーヒーで、ウイスキーベースで統一されていた。こういうところまで、ちきんと作り込んでいるのがオシャレ。
 08年は羽場裕一とROLLYがゲスト。羽場はすっかり「ア・ラ・カルト」に溶け込んでいた。よくを言えば、ROLLYにもう一曲歌って欲しかったけれど、この人はまたいつか出てくる気がする。
 
 座席がAブロックだったので、ステージの真正面。11月だったけれど、20周年にいい席で観られたなんて、なにかのご褒美かも。

写真は、オープニングで使われた20周年記念の花。違う日に行った友達がもらったものを写させてもらった。

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JAZZ 6 PIANOS 2008-2009

 今更ながらだが、10月に行った「JAZZ 6 PIANOS 2008-2009」(サントリーホール)の話を。

 このライブを知ったのは、『DOWN TOWN FOLLIES Vol.5』のときに配られたチラシ。9月にレ・フレールのコンサートのチケットをとっていたので、ピアノが続くけどと思いつつ、楽しそうじゃない?とチケットを取ったライブ。
 2005年が初回だったらしい。佐山雅弘が呼びかけ人となって集まった小原孝、国府弘子、塩谷哲、島健、そして山下洋輔がピアノ6台を引きまくるのだ。
 
 クラシックのときは、後方でもなるべくセンター寄りの席を選ぶ私。でもこれはジャズピアノだから、手が見えた方が面白いと思って、ステージ脇の左サイドの座席にした。ちょっと覗き込むようになるが、これが大正解(もっといえばステージ後ろの席にしたかったんだけど、ぴあでは扱っていなかったので、まあしかたがない)。アーティストのノリが、ビンビン伝わってきて、ステージに近い席は楽しい。

 たとえばおなじみの「TAKE FIVE」、ピアノ6台での「BOLERO」。小原と国府のDUOコーナーで、「ねこのブギウギナイト」は「猫ふんじゃった」の変奏曲。山下のオリジナルで島、山下、佐山、塩谷の演奏はすごい迫力、と思ったら、トリの「Rhapsody in Blue」が、これまたスゴイんだ。
 昨年もやったという。聴き逃していたのが残念だから、これからは逃しませんように。

 今回、小原孝という人を知った。他の人はライブで聴くのがはじめてでもCDやテレビなどで予備知識があったのだけれど、この人はまるっきりはじめて。本来、JAZZミュージシャンじゃないのだそうだけれど、とっても楽しいピアノを弾く。今後要チェックの人だ。

 ライブに行くと要チェックのアーティストが増えちゃって、忙しくなる。困ったものだ。

 

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矢島美容室「ニホンノミカタ-ネバダカラキマシター」

 おとといテレビをつけたら、目に飛び込んで来たコーラスグループ。一瞬「スリー・ディグリーズ?」と思ったが、いやいや違う。『とんねるずのみなさんのおかげでした』のプロジェクト、「矢島美容室」というのだそうだ。

 アメリカはネバダ州出身の母マーガレットと娘のナオミ、ストロベリーが、姉妹の父親である美容師の矢島を探しに来日。とんねるずとDJ OZUMAのプロデュースで日本デビューする、というストーリー付の、とんねるずとOZUMAのユニットだ。髪型とかお化粧とか衣装が初期のスリー・ディグリーズにそっくりで、スリー・ディグリーズのメンバーの誰かはネバダ州出身なの? 彼女たちはアメリカより日本の人気が高かったというしねぇ。 歌詞は笑っちゃうけど、大まじめに誇張しながら歌い上げているので聴き入ってしまった。 
 リードボーカルは母親役の木梨憲武。いまさらとんねるずを捕まえて言うことではないけれど、歌が本当に上手いんである。歌が上手い人たちがこういうことをやるから面白いのであって、これが下手だったらインパクトはない。とんねるずが同じように紅白で問題視されたOZUMAと組んだのもシャレだしね。OZUMAはあんまり好きじゃなかったけれど、今回はウェルカムだ。いまのお笑いシーンに、こういった芸のある芸がもっと増えれば楽しいのに。CDの B面(と今は言わないか)は是非とも『天使のささやき』にしてほしい。

  
 こうして矢島美容室を知ったのが、おととい。昨日、ガムのCMに出演でいるのを発見。うわぁ、やっぱり強烈。スリー・ディグリーズのパロディがわかる年代は40~50代だろうけれど、それがわからなくってもウケルと思う。やってくれましたね、とんねるず! DVDが発売にならないかなあ。

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崖の上のポニョ

 ようやく『崖の上のポニョ』(原作・脚本・監督 宮崎駿)を観た。

 ポニョは可愛いけれど、これは宗介と、宗介のお母さんの物語。この親子がとっても素晴らしい(以下、結末がわかってしまうが、悪しからず)。

 アンデルセンの『人魚姫』は、王子と結婚できず、海の泡になってしまう。王子が人魚姫を好いているとか嫌いとかの以前に、「身分」が邪魔をする。
 ディズニーの『リトル・マーメイド』は、王子との間に愛が芽生え、結婚できる。愛こそすべて、愛があれば報われる。

 現代の人魚姫ポニョは、人間の世界の庶民の子ども、宗介を好きになり、宗介のところに来る。宗介も、ポニョが好き。『人魚姫』や『リトル・マーメイド』と決定的に違うのは、宗介が、魚の姿のポニョも、半漁人の姿のポニョも、人間のポニョも好きで、どんな姿をしていても、なんの抵抗もなく、「ポニョ」として受け入れることだ。
 これは、すごい。いままでのおとぎ話なら、たとえば魔法にかけられた王子がカエルの姿で姫に愛を告白しても、カエルの姿のままでは姫には嫌われる。『美女と野獣』でも、野獣が美女の心をほどくには時間が掛かる。けれど、宗介は「僕も好き!」で万事了解なのだ。

 後半は宗介の成長物語と位置づけられているようだが、宗介は試練を試練と思っていない。淡々と、やるべきことをやるだけだ。むしろこの一件で成長させられるのは、試練を与えたはずの海に住む人たち(とくにポニョの父)である。

 宗介の母リサは不思議なことがいろいろあっても、動じずポニョを受け入れる。リサの心の広さ、強さは感動的だ。彼女はデイケアサービスセンター「ひまわりの家」の職員で、「ひまわり」の隣の保育園に通っている宗介は、「ひまわり」の利用者のおばあさん達とも仲良しという設定。宗介の父は船乗りで留守がちだが、リサと宗介を愛しているし、宗介も父を尊敬している。このような両親と環境があって、宗介は、異形の者であるポニョのことも、当たり前のこととして「好き!」と言えるのだろう。

 母子の気負いのなさは、実はこれからの共生社会の大事なポイントでもある。リサや宗介のように先入観を持たずに他人を受け入れられる人が増えたら、こどもたちはもちろんのこと、高齢者や障碍者、いや全ての人がもう少し生きやすくなるだろうと思わずにはいられない。
 いろいろなメディアで紹介されていて主題歌も大ヒット、話題になっているエピソードもたくさんあるが、なにより奧が深い物語だった。

 作品のキャッチコピーは、「生まれてきてよかった」だ。大人に観てほしい。

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おやすみピーナッツスピーカー

 音楽はよく聴くのに、イヤホンは苦手です。耳に直接入れること自体がキライだし、難聴になりかけたことがあるので、普段はステレオコンポで、デジタルオーディオプレーヤーを聴くきは耳かけタイプのヘッドホンで聴いています。

 音楽を聴きながら眠りたいときに、ステレオのスピーカーの音量じゃあ家族に迷惑だし、ヘッドホンを枕元に置いて聴いていましたが快適とはいえず、デジタルオーディオプレーヤー用のちっちゃなスピーカーを探していました。

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 そして見つけたのが、この「おやすみピーナッツスピーカー」(バード電子)。可愛いでしょ? ちっちゃくても(108×48mm) 、軽くても( 25g)、ちゃんとステレオです。だからピーナッツ型なんだけど、ピーナッツというより、「ひょっこりひょうたん島」を連想してしまいました。枕元で聴くには充分な音量、音質です。

 奧に写っているデジタルオーディオプレーヤーは、買うときに「そんなに大容量でなくても…」と思ったのですが、今となると小さくて、大して持ち歩くわけでもないのに2代目がほしくなっています。いやその前にパソコン…。

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宝塚BOYS

 シアタークリエで『宝塚BOYS』を観た。

 戦後、宝塚に出来た男子部の実話を元にしたストーリー。現在の宝塚をみればわかることだが、結局男子部は日の目を見なかった。戦争の影を背負う若者の青春群像でもあり、戦争とショウビジネスと、何度も大きな挫折を味わうことになる彼らの、かなりシビアな物語なのだが、徐々に育まれてゆく仲間意識が昨年の初演より自然な感じで、エンディングに希望を見いだせる。
 この舞台を宝塚ファンは、どう観るのかなあ。やっぱりいまでも男子部なんて許せないのかなあ。 

 初演とメンバーが替わっている役もあるものの、私のお目当ては、星野丈治役の吉野圭吾(初演と替わらず)。歌もダンスも未経験者ばかりのなかで、星野はショウビジネスの経験者。仲良し集団化していく仲間をよそにプロ意識が高く、みんなから「妖怪」呼ばわりされる役。初演よりトゲがなくなった。が、やっぱりこの人がいないと、物語も締まらない。

 華やかなレビューの部分は吉野の独壇場。吉野がダントツなのは当たり前だし、芝居としてもそれでいいのだが、立ち姿にすごーく差が出る(なぜか若手が姿勢悪い)。葛山信吾は歌がうまく、柳家花緑のダンスも善戦している。ちなみに葛山も花緑も姿勢、いいです。 

 吉野ファンとしては満足の舞台、といいたいところだけれど、客席のマナーに悩まされた。すぐ後ろの列のオバサンたち、お茶の間でテレビ観ているのと間違えているんじゃないかと思うほど、大きい声でしゃべりまくる。なにか食べているらしく口を鳴らす音もするけど、睨んだって全然改めません! 2幕が始まる前に、会場整理の係員が客席全体に向かって私語の注意をしていたが、そんなもん、ハナから聞いていない。
 芝居を観ているときに、思わず声が出たり、連れの人と耳打ちしながら観ているのは気にしないし、むしろそれも含めて会場の雰囲気を楽しむのだが、だからといって、まったく周りを気にしないトーンの私語はいかがなものか? (はじめは反応してもいいが)ふんどし姿になるたびに声高に笑う品性も疑う。そういう人に限って、レビューの場面で乗れずに静かになっちゃうのよね。盛り上がるところが違うというか…。
 クリエに限らず、最近こういうオバサンが増殖しているように思う。劇場もけっこう注意を呼びかけているのだが、イタチごっこというか、モグラ叩きというか、キリがない。ああ…。

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五右衛門ロック

 新宿コマ劇場で新感線『五右衛門ロック』。夏の夜空に、打ち上げ花火100連発って感じ!

 五右衛門役は古田新太だが、五右衛門は狂言回しで、物語は徐々にクガイ(北大路欣也)とカルマ(森山未來)に委ねられていく。森山未來の弾けるような動きと、静かだが存在感のある北大路が対照的な魅力になっている。

 音が割れるとか、オペラグラスを持っていけば川平慈英の小技がもっとよく見られたのに、とか、松雪泰子の声(高音)は大丈夫か? とか、思うことも少々あるが、この勢いに乗ってしまえばそんな些細なことは吹き飛び、爽快感だけ残る。
 
 森山を除けば、メインの役者達は決して若くないのだが、舞台を縦横無尽に走る、走る。北大路の殺陣はさすがだ。
 そして、なんといっても、古田新太なのである。この人、テレビに出てくるときはカッコよくもなんともないのだが、舞台で大見得切ると、なんでこんなに華があるんでしょうね。

 カーテンコールは客席総立ち。大盛り上がり。コンサートと違って長丁場なのに、このパワーはどこから湧いてくるのか?

 ちなみにコマ劇場は今年末で閉館。私は、コマに馴染みはないので感慨はないけれど、近くにいた60歳前後のオバサン二人連れが、「いままでコマ劇場で観た芝居のなかで一番面白かった!」と興奮しながら話していた。北大路のファンなのかしら? たしかにコマと新感線ってあっている。劇場に合わせて作った部分もあるんだろうけど、相性の良い劇場ってあるじゃない?
 
いや、ほんとうに。新感線ならではの夏祭りでした。 

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ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ ブランデンブルグ協奏曲全曲演奏会

 武蔵野市民文化会館 小ホールで、 ゲヴァントハウス・バッハオーケストラのブランデンブルグ協奏曲を聴いた(7月11日)。

 「ブランデンブルグ協奏曲」は、母が好きだった曲。
 そして、このホールも、母のお供でよく来たホール。母の若い頃は音楽ホールといえば東京文化会館だったようだが、晩年は都心まで行くのが億劫になったらしく、家からほど近いこのホールに足を運ぶようになった。室内楽が好きだったから、小ホールの利用が多かった。

 私自身は最近、ベートーベンやブラームスの交響曲を聴いていたのだが、これぐらいの編成の曲も素敵ね。なぜか母は交響曲を好んで聴きはしなかった。マーラーやワーグナーみたいな、壮大な音楽も、好まなかった。今になって思えば、大指揮者時代だったから、大袈裟に感じられて、そこが好きじゃなかったのも…。

 ブランデンブルグ協奏曲は、華やかで、優しい。
この夜は全曲演奏で、曲順は、1番、5番、4、3、6、2番。番号順に奏ったらどうだろうと思いつつ、そういえば、ウチにあるサイトウキネン・チェンバープレイヤーズのものも5、4、6、2、3、1と順が違う。ランダムに並び替えるそういう慣習なの?

 オケを率いるクリスティアン・フンケのヴァイオリンが、軽やかで、しなやかで、とにかく巧い。息子のマティアス・フンケ(ヴァイオリン)、ラルフ・ゲッツのホルンも素晴らしいし、とにかく一人ひとりが巧いんだと思う。バッハの地元の、250年の歴史を誇るオーケストラ、とは、こういうことなんだと、納得。
 近くに座っていたおばあさんが連れの方に「わたしたちはこの演奏が聴けて幸せ」と何度も繰り返していたが、私も。とっても幸せだった。

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ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 J・ブラームス:交響曲全曲演奏会<第2日>

 武蔵野市民文化会館(ATRE) 大ホールで、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 J・ブラームス:交響曲全曲演奏会<第2日>を聴いた(7月1日)。

 ブラームスの第4、第2。前日が3番、1番のプログラムだったが、両日は聴けず残念。指揮は、ラファエル・フルューベック・デ・ブルゴス。パワフルというか、通の人がよくいう”よく鳴る”オーケストラで、盛り上がった。
 アンコールのハンガリア舞曲も楽しかったけれど、ホントは交響曲第2番第4楽章の余韻を味わっていたかった。

 余韻といえば、この日のプログラム(誰でも渡される配布物)に、
*拍手は作品ごとにお願いいたします。また、音楽が完全に終わり切るまでお控えくださいますよう、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
 という注意書きがあるのにも関わらず、曲が終わったか終わらないかのうちに拍手と「ブラボー」。ここに限らず、最近はどこのホールでも、フライング気味の「ブラボーおじさん」がいて、興ざめだ。本人は得意なんでしょうけど、演奏をちゃんと聴いているのかなあって、思ってしまいますよ。

 えーと、気を取り直して。

 1日目も聴きたかったなあと思いつつ、頭の中でハンガリアンダンスが鳴りながら家路へ。この曲、調子がいいし、子どものころに馴染んだ曲なので、2番より印象が強くなっちゃうのだ。

 最近、日本人の演奏を聴くことが多かったけれど、たまには海外のオーケストラもいいものだ。ARTEは海外の招聘が多い。来週も、バッハのブランデンブルグをARTE(小ホール)で聴く予定。

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ハイ! ミラクルズ

 ダンダンブエノ『ハイ! ミラクルズ』を観た(作・演出補 福原充則/演出 近藤芳正/6月27日 青山円形劇場)

 新聞配達員の柏木(近藤芳正)、菊池(光石研)、コンビニやレンタルビデオショップの店員にバカにされる、さえない40代。久米(山西)という新人のなにげない言動で、いままでやり過ごしていた日常に気づかされ、どうにかしたいと思いつつ、しかしそこから抜け出せないでいる。彼らの雇い主、新聞の営業所を経営している薫(前田健)と弟の純(酒井敏也)。薫は、自分の優越感を満たすために柏木たちに、少しだけ自分たちより不幸でいてほしいと願っている。
 仕事明けにすれ違う、柏木たちの憧れ”おつかれさま”(南野陽子)は、実はちいさなパン工場の夜勤のパート勤め。”おつかれさま”の同僚、朝子(峯村リエ)と励まし合いながら仕事をこなしている…。ある日、柏木たちはお疲れさま=道子と朝子と話すことができ、さて、そこからどんな奇蹟が起こるのか!
 
歌って踊って(歌も踊りもソコソコ70点の出来というのが、情けなくも、Good!)、コメディにして、でも予定調和で終わらないセンスが好き。

 脚本の福原は75年生まれ。そうか、若い世代には40代がこんなふうに見えるのねぇ(ちなみに私も同年代)。今の40代といえば、若いときにバブルを経験した世代。「なのになんでそんな仕事してるの? バブルに乗り遅れちゃったの? サエネー大人。俺たちの世代のフリーターやニートより、もっとかっこ悪いじゃん」とでもいいたげな、コンビニ店員やビデオショップ店員、それに薫は、共演者の中で唯一の30代、前田健が演じている。そんな姉の確執もよくわからない前途洋々の?高校生が酒井。前田や酒井が演じる10代、20代の若者を、その年齢に近い役者がやっていたら、観客としてはやっぱりシンドイかも。

 「”普通のパートのオバサン”って、オバサンだけでも嫌なのに、”普通の”とか、”パートの”ってつくのは嫌だわ」と言う朝子に、「じゃあ、”異常な正社員のオジサン”がいいの?」と切り返す道子。いやー、その通り! なりたい自分を捨てきれずに、なんとか現実と折り合いを付けようとする、可愛い顔して醒めている道子に、南野陽子はぴったりだった。

 ダンダンブエノは3回目。去年の脚本の本谷有希子もそうだったが、(自分では選ばない)若い脚本家の作品に会えるのも、私にとっては、ダンダンブエノの魅力になっている。あらかじめ、あらすじや出演者をチェックして、というより、主宰の近藤が選ぶ本とキャストを楽しみにしている、という観劇の仕方。今回は大好きな峯村リエが出ていたし、大満足!!
 

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今日の勝負曲!

 大事な打ち合わせやプレゼンがあるとき、元気が出るお気に入りの「勝負曲」を聴いて出かける。

今日は、小規模ながら大事なプレゼン。勝負曲はウルフルズの「ガッツだぜ!!」が勝負曲、それが入った『ベストやねん』が勝負CD。ベタな選曲ですが。

久しぶりで緊張したけど、ガッツ出た!

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DOWN TOWN FOLLIES Vol.5

  ミュージカル・レビュー『DOWN TOWN FOLLIES Vol.5』を、下北タウンホールで観た。

 歌とダンスと、コメディ! 今年もたっぷり楽しませてくれました。
 島田歌穂、玉野和紀、北村岳子、吉野圭吾がレギュラーメンバーだったのが、昨年は北村がいなくて、島田、玉野、吉野の番外編だった。今年は吉野に代わって平澤智。”新人”とはいえ、吉野より年上で、ダンスやミュージカルのファンにはお馴染みの平澤。四人の息もピッタリ。外観が揃っているということでは、玉野との背丈のバランスもいい。

 フランク・シナトラへの追悼があったり、モンティ・パイソンの考察があったり、島田と北村の、お馴染みの二人マリリン・モンローとか、歌謡漫才とか。新しいところでは「ブルー・ウーマン・グループ」。もちろん玉野を中心にタップやバレエなどのダンスシーン。担当の吉野がいないので、エロティックな演出はどうするのかなと思っていたけど、手法を替えて平澤がに担当。

 ドレスを着たときの、島田や北村の鍛えられた背中が美しい。テレビを中心に人気がある若い女優さんでも、立ち姿が美しくない人がいるが、是非とも見習ってほしいよね。
 玉野も平澤もどこかエレガントな雰囲気があって、コミカルになればなるほど、エレガントな要素は必要なんだろう。

 今年は年齢層が高いということもウリにしたようだが、ふと、コミカルでエレガントなこういうショーって、「この年代より下の人たちが演るのかな?」と、こういう路線が好きなだけに、ちょっと心配になった。

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プッチーニ生誕150周年 ガラコンサート 「アジア三大テノール×歌姫」特別演奏会

 5月28日、サントリーホールで東京フィルの『プッチーニ生誕150周年 ガラ・コンサート「アジア三大テノール×歌姫」特別演奏会』を聴いた。ソプラノの”歌姫”腰越満美を聴きたくてチケットをとった。一年ほど前に、レ・フレール目当てに行った紀尾井ホールの『冒険する舞曲』 というコンサートで、ブギウギを聴いて、いいなあと思ったのだ。
 アジア三大テノールは、日本の福井敬、中国のシュー・チャン、韓国のハ・ソクベ。指揮は、声楽出身の、見せて聴かせるダン・エッテンガー。それにスペシャルゲストとして脳科学者の茂木健一郎氏。

プログラムは、
ヴェルディ/歌劇『運命の力』序曲
プッチーニ/歌劇『ラ・ボエーム』より “冷たい手を”
プッチーニ/交響的奇想曲
プッチーニ/歌劇『トスカ』より
   “妙なる調和” “この世に君の美しい瞳ほど”
   “歌に生き、恋に生き” “星は光りぬ”

ワーグナー/楽劇『トリスタンとイゾルデ』より
   “前奏曲と愛の死”
プッチーニ/歌劇『マノン・レスコー』より “なんとすばらしい美人”
ヴェルディ/歌劇『群盗』序曲
プッチーニ/歌劇『蝶々夫人』より
   “愛の二重唱「夕暮れは迫り」”   “ある晴れた日に”
プッチーニ/歌劇『トゥーランドット』より “誰も寝てはならぬ”

 プッチーニ生誕150年を記念するコンサートだが、オーケストラの演奏は同時代のヴェルディ、ワーグナーの作品もあり、とくにヴェルディの歌劇『群盗』序曲を初めて聴いて、ほほぅと感動! 
 さすが三大テノールと呼ばれるだけあって素晴らしい歌声だが、なかでもハ・ソクベの声に感動! 腰越満美は、前回聴いたときはちょっとコミカルな雰囲気だったが(ブギウギだったからね)、今回はしっとりと。どちらも素敵、ということは幅の広い人なんだなあ。
 それから、”スペシャル・ゲスト”とはいうけれど、お話しにインタビューに大活躍の茂木さん! 実質的な司会だった。ステージ上の全員がとても楽しそうで、客席も大いに盛り上がった。
 
 アンコールは、三大テノールで「フニクラフニクラ」! 
 
  一緒に行った人が、「東フィルのコンサートは演出も楽しい」と話していた。私も同感。今回はガラコンサートだから、いつにも増してだった。

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2008 軽井沢大賀ホール春の音楽祭 宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

 軽井沢大賀ホールの「春の音楽祭」、昨年はマリンバを楽しんだが、今年はオーケストラを聴いた。

宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団(4月29日)

曲目は
 ・ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲
・チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」
・チャイコフスキー:交響曲第5番

 オーボエ奏者だった宮本文昭さんの指揮を期待して選んだプログラムだったが、当初予定にはなかった、チェリストのセルゲイ・スロヴァチェフスキーが東フィルと一緒に演奏するオマケ付。

 「くるみ割り人形」は、地元軽井沢ジュニアオーケストラと東フィルの混成オケ。小学生から大きくても大学一年生のこどもたちが、東フィルメンバーに混じって、よく頑張りました! ソロパートがある子もいて、大活躍。プロの演奏家になるかならないかは別にして、小さいときから音楽に親しみ楽器を奏で、こういう機会が得られるのは、とても素晴らしいことだと思う。
 私は楽器ができないのがとても残念なのだが、母がクラシック好きだった影響で、、「ウィリアム・テル序曲」や「くるみ割り人形」は、子どもの頃に小さなレコードプレーヤーに何度も何度もかけて、親しんだ曲だ。今思うと、誰の演奏のレコードだったんだろう。

 宮本氏の指揮は、その動きが面白くって! 脚も動くんですよ。登場して来たときのお辞儀が、腰が低いというかなんというか、親しみがわいたが、もっと格好つけてもいいのに。新米指揮者と謙遜していらしたが、真摯で情熱的な指揮とみた。機会があったら、また是非観たい(聴きたい)。

 オーソドックスなプログラムだが、とっても楽しかった。こどもたちの演奏を聴きながら、一人ひとりを育てるとともに、地域に文化を育む取り組みの一つなのだろうと思った。是非継続してほしい。文化は長い時間かかって根付くものだからね。この子達が大人になったときの軽井沢、どんな町になっているだろう。

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ラ・マンチャの男

 帝国劇場で、『ラ・マンチャの男』を観た(脚本デール・ワッサーマン/演出・主演 松本幸四郎 30日まで)。
 『ラ・マンチャの男』と言えば松本幸四郎。この公演期間中に1100回を達成するそうだが、はじめて観た。
 
 従者を連れたセルバンテスという詩人が、教会を侮辱した罪で牢獄に入れられる。囚人達は”新入り”の(模擬)裁判をやろうと言う。そこで、セルバンテスは即興劇による申し開きを行う。その即興劇が「ドン・キホーテ」の物語。

 孝四郎の父、白鸚がアメリカで観た『ラ・マンチャの男』を気に入って、東宝に上演を働きかけたのだそうだ。演出補に長女の松本紀保、マドンナのアルドンサに次女の松たか子。家族でガッチリと固め、まだ早いだろうに、世代交代の準備も整っている感じ。セルバンテス演じる、キホーテ=田舎郷士キハーナが老人の設定だし、40年も演じているからなのか、幸四郎は力むことなく演じているように見えるのに対して、松はあばずれだけれど実は清らかな役を魅力的に、エネルギッシュに演じて舞台を引っ張っている。この人、どんどん上手くなったなあと思う。

 帝劇のミュージカルにしてはめずらしく、休憩なしの約2時間。スピーディな演出もよかった。

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音楽を紡ぐトライアングル。

 東京フィルの第751回サントリー定期シリーズを聴いた(3月8日 サントリーホール)。
「音楽を紡ぐトライアングル」というテーマのプログラムで、クララ・シューマン、シューマン、ブラームスの作品。クララとシューマンは夫婦で、夫妻はブラームスと親好が厚く、ブラームスを世に送り出した人たち。シューマン亡き後、ブラームスはクララを支えた。
 クララは、当時有名なピアニストで、結婚してからも演奏を続けシューマンを支え、彼が亡くなったあとも8人の子どもを育てるためにフル活動したのだそうだ。シューマンが若く亡くなったことは大変だったろうけれど、その前だって、8人(!)も子どもを出産しながら(もちろん育てるわけで)演奏活動をするのは、並の苦労じゃなかっただろう、とクララに感情移入してしまう。ゴシップ的な要素はともかく、理解者の一人や二人いなきゃ、やっていかれませんって。

クララ・シューマン/ピアノ三重奏曲第1楽章
シューマン/交響曲第4番
ブラームス/交響曲第4番

 クララのピアノ三重奏曲でピアノも披露したダン・エッテンガーは、踊る指揮者。式台の上から上半身を乗り出したりして、若さ溢れる勢いだ。体格いいし、正面のチェロの人、怖くないですか? 正面の席はマエストロの表情が楽しかっただろう。

 今回のプログラムを選んだのは、ブラームスの交響曲第4番を聴きたかったから。もっともブラームスらしい交響曲と言われていて、この曲にトライアングルが使われていて、テーマと通じる。
 ブラームスといえば「ハンガリア舞曲」をまず連想しちゃう私にとっては、交響曲はちょっと重たいイメージ。回を重ねていけば、ベートーベンの交響曲のように親しみがわくかな? 今後もいろんなコンサートで、聴いてみたい。  

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顔魂~KAODAMA~

 森アーツセンターギャラリーで開催されている『顔魂~KAODAMA~ 石井竜也展覧会/TATUYA ISHII EXHIBITION 2008』に行ってきた。

 3年前(?)「国境なきアーティストたち」の活動家・エクトル・シエラ氏から絵付け前の達磨を手渡されたことから「顔魂」の制作がはじまったのだとか。
 石井竜也は、それ以前から「顔」に興味を持っていたんだと思う。米米クラブのジェームス小野田のメイクが、そうだろう。人の顔にアートを描けば小野田のメイク、オブジェにすれば「顔魂」というわけだ。ファンにとっては、唐突に出てきたものではなく、ずっと繋がっていると理解する。

  森アーツセンターギャラリーには、約70点の「顔魂」が展示されていて、壮観。太陽のような顔、人間を思わせる顔、猪や鳥を思わせる顔、穏やかな仏像のような顔と様々。土着の、というか原始的宗教のイメージもある。
 中には薬師寺に奉納された作品もあって、その縁なのか(薬師寺でコンサートをしてるし)、4月11日に行われる「国宝 薬師寺展 開催記念トークショー」に、石井が出演するそうだ。

 ひとつひとつの作品の表情もさることながら、纏まって展示されることでのパワーを感じ、繋がっていくことを意識した作品展だった。

 

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好みの座席(クラシックコンサート)

  1月某日。予約していたコンサートのチケットを、引き取りに窓口に行く。待っている間、後ろに並んだ女性に「あ、同じプログラムね」と声をかけられた。ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラの「ブランデンブルグ協奏曲 全曲演奏会」。それから「どこが取れました?」と座席の話など(座席を選べた)。クラシック・ファンは、自分の好きな座席にこだわりがあるようで。

「枠のなか、取れました?」
「枠?」
 彼女の分析だと、○列×番~△列□番(センター付近)は、ホールの会員になっても、このチケットセンターでは取れないのだそうだ。
「ああ、大手のチケットサービスに割り振っているのかもしれませんね」と言うと、残念そうな表情になった。
 ファンにとっては、どのチケットサービスを使うかも、かなり問題。限られたなかでも、席が選べるのはいいことだけど…。

私は、楽器をやっている人のように特別耳がいいわけでもないし、いろんなコンサートに数多く足を運びたいとなると予算との関係もあるし、基本的には壁の側とか最前列じゃなかったら「まあヨシとしましょう」というタイプ。
 それでも、オーケストラだったら、ピアノだったらと楽器や編成にもよるけど、数回通ううちに、ホールによって好きな座席が出来てくる。 オーケストラの定期演奏会の年間指定席のシステムは、ホールを知っている人にとって、その人だけの「特等席」を選んでいるのだと思うとスゴイ。ファンにとっては「そんなの当たり前」なのかもしれないが、自分に好みの座席が出来ると、なるほどなあと思うのだ。
 
 その人とは「ホールでお目にかかりましょう」と言って別れた。当日、ライヴの神様が降りてきますように。

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Leapingbow 2008 Cool Groovin in Aoyama Round Theater

 中西俊博の、エレクトリックバンド、Cool Groovin’。 昨年もこの時期に青山円形劇場で聴いたからこのバンドを聴くのは二回目。
 ”ダンサブルなクラブサウンドからアイリッシュまで”というが、ホントに中西は幅広い活動をしているんだなあと、改めて思う。私にとって、中西は『ア・ラ・カルト』の音楽の人。人気があったので、その前から知ってはいましたが、最初はJAZZの人というイメージだった。それがテレビドラマの音楽も作れば、アイリッシュをはじめとする民族音楽系も、クラブミュージックもぜーんぶ取り込んで、コンピュータも駆使して、もはやジャンルはありませんなぁ。二部の冒頭で、音をつくる様子を見せてくれて、面白かった。コンピュータで編集するんだけれど、取る音は、レンガをすり合わせたり、ワインのコルクをキッチンのボウルの中で回した音だったりと、案外昔なじみのものが多い。

 中西以外は若いアーティストで、ギターの円山天使、フィドルのmaikoをはじめ、メンバーと中西との掛け合いが楽しい。胸を借りて、というより、「オレ(ワタシ)の音を聴いてくれ!」って感じ。去年はフィドル(中西を除く。ヴァイオリンとは言わないのね)が8丁、今年は5丁、でもパワーアップしていたような。ピアノの清水絵理子がすっごくパワフルなので驚いていたら、中西が「女の子だけどピアノの演奏は男」と紹介していた。いやー、この人もっと聴きたい。
 帰宅後、中西のホームページを見たら、中西も、ピアノの清水絵理子も、ウチの近くのライヴハウス(それぞれ違う所だけど)に出る予定があった。気軽に行ってみようかな。

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ペテン師と詐欺師

 08年の観はじめは、日生劇場で行われている鹿賀丈史と市村正親のミュージカル『ペテン師と詐欺師』 (脚本 ジェフリー・レイン/音楽・作詞デイヴィッド・ヤズベク/演出:宮田慶子)。
 
 夏のリゾート地リビエラで、某国の、亡命中の王族を名乗り、裕福な女性を手玉にとるイギリス人詐欺師ローレンス(鹿賀丈史)と、相棒のアンドレ(鶴見辰吾)。旅の若いアメリカ人ペテン師フレディ(市村正親)は、ローレンスのテクニックと贅沢な暮らしぶりを見て、弟子にしてくれと頼む。共謀して大金持ちから大金を巻き上げるものの、縄張り争いになって…。

 騙し、騙され、でも後味のよろしい、良質の娯楽。ストーリーはたわいもないが、鹿賀と市村の二枚看板と、ミュージカル売り出し中のソニン(二人が勝負を競うターゲットの若い女性、クリスティーン)がウリで、なかでも市村だ。若いフレディをコミカルに軽~く演じていて、鹿賀がしっかり受けてくれるから、結構ノってやっている。この人、先月は帝劇で『モーツァルト!』の父親レオポルトを演じていた。両方再演(『モーツァルト!』は再々演)とはいえ、続けて舞台に立っている。たぶん、レオポルトよりフレディのほうが、彼の演技の質にあっていそうだし、遊びどころがたくさんあるだろう(俗に言うオイシイ役でもある)。

 しかし市村が軽く達者にこなせばこなすほど、「フレディは若者の設定なのに、いまだに市村正親がやっているということは、軽妙な喜劇性を持った若い(中堅でもいいけど)ミュージカル俳優が見あたらない、ということなのか?」という不安が頭をもたげてくる。飄々と主役を張るのは難しいだろうけれど…。
 昨今ミュージカル流行りなわりには、層が薄いような。ちゃんと歌って踊れる人も少ないし。だいたい鹿賀、市村の二枚看板(それはそれで嬉しいが)自体が、ねぇ。 

 ということで、バランスをとって、女性若手有望株のソニンを器用したのだろう。ソニンは、歌が上手い。度胸もよさそう。立ち姿がより綺麗になると(ダンスの訓練でしょうか)、もっと舞台映えするだろう。頑張って!

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東京フィルハーモニー交響楽団 New Year Concert 2008

 2008年の聴き初めは、1月2日の『東京フィルハーモニー交響楽団 New Year Concert 2008--どこかで出会った、あのメロディ--』(オーチャードホール)。
 去年聴いた東フィルのNew Year Concertが心地よかったし、ソリストがバイオリンの古澤巌だったので、今年も楽しみにしていた。指揮は金聖響。この人も若手の人気者ね。

第1部
ワーグナー/歌劇「ローエングリン」“第3幕への前奏曲”
プッチーニ/歌劇「トゥーランドット」“誰も寝てはならぬ”
ウェーバー/舞踏への勧誘
ハチャトゥリアン/組曲「ガイーヌ」“剣の舞”
ファリャ/組曲「恋は魔術師」“火祭りの踊り”
外山雄三/管弦楽のためのラプソディ
       (手まり歌~ソーラン節~炭坑節~串本節~信濃追分~八木節)

 ワーグナーは重いと思いこんで”聴かず嫌い”をしていたけれど、華やかで素敵だった「ローエングリン」の序曲。今年はワーグナーも聴いてみよう。まだまだクラシック初心者なので、アレもコレも聴きたくて大変!

第2部
モンティ/チャルダッシュ
ベートーヴェン/ロマンス
古澤巌(寺田志保編)/愛しみのワルツ
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン
ラヴェル/ボレロ

 古澤巌は第2部の「チャルダッシュ」から「ツィゴイネルワイゼン」まで、期待通りのフィドルを聴かせてくれた。20年前のクラシックコンサートでは、「チャルダシュ」が弾けなかった(演目に出せなかった)と言う話が印象的だった。「C調(=軽薄)な曲という理由で」と言っていたが、格式の高いクラシックに、民族性(ロマ)が強すぎるってことだったんだろう。20年前でもそうだったんだぁと、ちょっと驚く。
   
 ラストは、去年も「ボレロ」だった。「ボレロ」って、なんでこんなに盛り上がるんだろう。

 そしてお年玉プレゼントの、「ラデツキ-行進曲」。抽選に当たった人が、マエストロに助けられながら指揮を振る。

 2年続けて聴いた東フィルのNew Year Concert。華やかで楽しくて、一年のエンタテインメントの幕開けに最適。毎年恒例にしようか、と一緒に行ったKちゃんに提案したら、「ラデツキーの指揮の練習をしておこう!」と張り切っていた。

 

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松田理奈&松本和将 デュオ・リサイタル

 トッパンホールは都心にあるわりには駅から遠くて(ホントはそんなに遠くないのだろうが、繁華街じゃないから遠く感じる)敬遠しがちなのだが、松本クンを聴きたくて『松田理奈&松本和将 デュオ・リサイタル』に行く。なにせ、11月のサロンコンサートを逃しているから。思えば、去年のクリスマス時期に、東京文化会館小ホールでのソロリサイタルを聴いてファンになった。まだ1年、松本ファン初心者であるが、今回はクラシック好きの先輩と一緒。「松本和将、素晴らしいです!」と誘った。

 曲目は、

ドヴォルジャーク:4つのロマンティックな小品より 第1曲
パラディス/ドゥシュキン:シチリアーノ
シューベルト:即興曲 Op.90-2 変ホ長調/即興曲 Op.90-4 変イ長調(ピアノ・ソロ)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

グリーグ:叙情小曲集より(ピアノ・ソロ)
 アリエッタ Op.12‐1 / アルバムのページ Op.12‐7
 郷愁 Op.57‐6 / 家路 Op.62‐6 / 春に寄す Op.43‐6
 トロルドハウゲンの婚礼の日 Op.65‐6
サラサーテ:カルメン幻想曲 Op.25

アンコール
カッチーニ:アヴェ・マリア
マスネ:タイスの瞑想曲

 趙静(チェロ)とのデュオのときは、二人とも丁々発止、情熱的なデュオだったけれど、松田理奈はまだ初々しく、松本クンが気遣って見守っている感じ。でも、頑張りました。ラストのカルメン幻想曲の途中から、松田さんは感極まった様子。せっかく赤い綺麗なドレスを着ているのにスカートをぎゅっと握って、話をするのも愛らしかった。若い才能の成長に立ち会えた、ライヴならではの幸福感を味わう。

 松本クンのソロは、優しく柔らかくて、パワフルな演奏。柔らかな印象と、パワフルな印象が並び立つのはどうしてだろう。シューベルトの即興曲をもう一度聴きたい。
 一緒に行った先輩も、「素晴らしいわねえ」と満足していた。誘ったかいがあるというものだ。またお誘いしますね!

 今年のクラシックライヴは、これで聴き納め。

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モーツァルト!

 ミュージカル『モーツァルト!』を観た。モーツァルト役はダブルキャストだが、中川晃教のファンの私は、迷わずアッキーの日に行く。

 一昨年の『モーツァルト!』よりも、こなれているというか、より感情豊なモーツァルトになっていた。一部の若い頃は元気で時として不作法にも見えるが、自分の才能を信じて恐れを知らないヴォルフガング。二部になると、権力に抗い新しい音楽を創る半面、世間の荒波に揉まれ、自分の影(アマデ)に怯えていく。とくにこの後半が深みを増した。アッキーといえば歌い上げる美声に圧倒されるのだが、今年は歌い上げるだけでなく、声の強弱の付け方がとても上手くなった。歌うようにしゃべり、しゃべるように歌いはじめて、観客を引き込む。「僕こそ音楽」「残酷な人生」「影を逃れて」に、酔いしれる。そしてコンスタンツェとの絡みも成長したところ。

 コンスタンツェは一昨年の東京公演は西田ひかると木村佳乃で、二人ともどこか凛としたところのある女優さんだった。今回のhiroは、怠惰で蓮っ葉な半面、一途な感じも出ていて、本来この役はそうなんだろうと思わせる。これで歌が上手かったらいいのだが、hiroの声では、このミュージカルの歌は荷が重そうだ。
 東宝は、舞台の歌がしっかり歌える人材を、きちんと育てたほうがいいのではないか?

 涼風真世の男爵夫人は、包み込むような母性があり、「星から降る金」は聴かせる。シカネーダーの吉野圭吾は相変わらず身のこなしが華麗。大司教の山口祐一郎は馬車の場面の悪ふざけは似合わない。ほどほどにしておいたほうが、大司教の権威が保たれるのでは? 父親役の市村正親、姉のナンネール役の高橋由美子は安定している。

 当日券で入った某日昼の回に、高校生の演劇鑑賞会と一緒になった。始まる前はお喋りが煩かったので、どうなることかと思ったが、幕が開くと私語は慎み、拍手も大きくて楽しんでいる様子。終わったときには「上手いねえ」「面白かったねえ」「30分ぐらいしか経ってないみたい。夢中で観ちゃった」と口々に話していた。「ほらね、アッキーはいいでしょう?」と話しかけたくなったが、 そうか、『モーツァルト!』は、父親や世間(大司教)を超えようと葛藤したり、自分の分身と対峙する成長物語だから、高校生の共感を呼ぶのだろう。

 再演を重ねた『モーツァルト!』には、主役の若い二人がミュージカルスターとして育っていくのを観る楽しみもある。ヴォルフガングとして成長していた中川晃教。となると、「私はアッキー派!」などといっても、井上芳雄のヴォルフガングを観てみたくなった。

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ア・ラ・カルト 役者と音楽家のいるレストラン

 今年も『ア・ラ・カルト』の季節がやって来た(演出 吉澤耕一/構成 白井晃/台本 高泉淳子/音楽監督 中西俊博/於 青山円形劇場)。19年前、この『ア・ラ・カルト』がはじまったときに、「日本で一番オシャレで素敵なクリスマスシーズンのお芝居だ」と思った。19年の間には若干のスタイル変更があり、パワーアップしながら、日本で一番オシャレで素敵なクリスマスシーズンのお芝居であり続けている。 

 青山の路地にあるらしい小さなレストラン。オーナー役白井晃の、早口な口上で幕が開く。この決まり文句の挨拶を聞くと、ワクワクするのだ。
 タカハシくんとノリコさんコメディは、その年の話題を織り込みながら。恋人未満のカップルの話は、その年のビジターが、高泉演じるキャリアウーマンの相手になる。今年のビジターは筒井道隆で、以前に白井や高泉、陰山泰とも共演している。いや、この芝居(「料理と恋はまず初めて見なけりゃわからない」)の筒井は、ほのぼのとしていたんだけれど…。
 なんてったって「Show Time」での筒井が傑作。いや、傑作なのは、白井のペギーさんであり、陰山のアントニオであり、高泉率いるジャクソンズなのだが、筒井一人素のままってところがなんともおかしい。筒井だって、フラワーボーイズやジャクソンズのメンバーとして扮装はしているんだが、強烈なキャラクターの中に入って、観客が想像する「筒井クン」のまま、照れながら頑張っている。二部冒頭の「マダムとクリスマス」でも(このコーナーはビジター紹介なのだが)、高泉のマダムに突っ込まれるたびに助け船を求めるように白井のほうを見るし、最後のハンドベルも緊張している様子。素直というのか無器用というのか、これがキャラクターだったら「恐るべし!」なのだけれど、このズレがおかしくて、でもどこか爽やかだし、照れてる様子が可愛いしで、大爆笑。今年のビジタ-が筒井道隆だと聞いたとき、正直言って、器用な人でもないし、歌や楽器をしているとも聞いたことがなかったから、大丈夫なのかと心配したけれど、いやー、白井たちの狙い通りだったんでしょうね。

 遊◎機械/全自動シアターの頃から、白井、高泉はもちろん陰山、そして演出の吉澤もそうなのだろう、この人達はキワドイことをやっても、決して下品にも嫌味にもならない。親しみやすさと上品さをほどよく持っているところが、ミソ。
 「カエルの王子はアイゼンヒッティル王がお好き」は、高泉が出た『テンゲルグリム』繋がりだろう。そして「ラストダンス」、この老夫婦の物語は毎年観ているのに、涙を誘う。そして陰山演じるギャルソンが煙草をくゆらすシーン。絶品だ。
 
 今年の『ア・ラ・カルト』を観た後に、『高泉淳子 仕事録』(河出書房新社)を読んだ。「ラストダンス」の構想が固まったことで『ア・ラ・カルト』という作品がまとまり、出来たという。ああ、やっぱりそうなのか。これがあることで、作品として安定しているし、なにより人生の賛歌になっている。
 今年一年いろいろあったけれど、お腹の底から笑って、ほろっと泣いて、来年もいい年になりますように、と劇場をあとにするのだ。抜けてしまった年もあるが、こんなに長く見続けていると、自分の人生と重ねあわせてしまう。
 
 --『ア・ラ・カルト』も一九年目を迎えます。今は、この作業がなによりも楽しい。本を書いているときも、ステージに上がっているときも、至福の時です。この作品には私の好きなものがすべて入っている。(中略)三年続くことが夢だったのに、なんと、一九年。何年続くかわからないけれど、形を変えても、『ア・ラ・カルト』はやっていきたいですね--(『高泉淳子 仕事録』より)。嬉しい。


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イーストウィックの魔女たち

 千秋楽が11月12日だったから、いまさらながらなのだけれど、ミュージカル『イーストウィックの魔女たち』。

 イーストウィックという、保守的な町に住む、離婚経験(一人は別居中)がある女達(マルシア、森公美子、涼風真世)。彼女たちは「秩序を乱す」という理由で町の嫌われ者。彼女たちを目の敵にするのは、町の有力者で新聞社のオーナー(大浦みずき)。ある日、町外れの邸宅に、ダンディなよそ者(陣内孝則)が越してきたことから…。

 たわいもないストーリーだが、こういうミュージカルは個人技を観に行く。オープニングを飾る、愛くるしい少女役の小此木麻里の歌声に引き込まれた。歌声といえばもちろん森公美子。そしてマルシアの歌とお色気、舞台度胸とでもいうのだろうか。
 それから、大浦みずきの踊り。なんてダイナミックな素晴らしい踊り、なんて美しい脚なんだ! 彼女がガウン姿になったときには、「勿体ない。もっと脚を見せて!」と思ってしまった。大浦みずき演じる敵役が光ればこその、この舞台だった。いや、ファンにとっては「今更何を言っているんだ?」だろう。申し訳ない。パンフレットを読むと、宝塚時代は「ダンスの名手」と言われ、退団後はストレートプレイでも高い評価を得ているそうだ。遅ればせながら、今後チェックしていきたい女優さんだ。

 と、収穫は沢山あった。

 しかし、なんだな。平日の昼間に行ったのだが、後ろの席の人たちはまだ20代と思う若さなのにすでに心はオバサンで、ウチでテレビ観ているみたいにずーっと大きな声で喋っていたし、休憩時間に客席通路を歩いていたオバサンは、客席に田中好子さんの姿を見つけたらしく「あっ、スーちゃん!」と立ち止まってしまう。おいおい、後ろがつかえているんですけど。団体で来る人たちはワガママなのか?
 そんな観客にあわせるように、指揮者が拍手の練習をさせるのは、どうなの? 感動したから拍手をするんじゃないの? 客に強要するなんてどうかしている。そんなことをしなくても十分盛り上がる、芸達者な役者が出ているのに、ミュージカルの質を自ら落とすようなマネをしているようで、痛々しい。そりゃあ、ずーっと大きな声で喋っているような人には、芸とか技が、わからないでしょう。でもそういう人は、わからなくて結構、幼稚な拍手の練習などさせないでほしいものだ。

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キャバレー

 追加公演のチケットが手に入り、やっとの思いで観た、大人気の『キャバレー』(台本 ジョー・マステロフ/日本語台本・演出 松尾スズキ/10月17日/青山劇場)は、楽しい娯楽作品に仕上がっていた。

 旅のアメリカ人作家クリフ(森山未來)が、列車で知り合ったドイツ青年エルンスト(村杉蝉之介)の案内でベルリンの下宿屋に落ち着き、同じくエルンストに連れられてキャバレー「キット・カット・クラブ」に行く。「キット・カット・クラブ」の歌姫サリー(松雪泰子)とクリフの恋、下宿屋の女主人シュナイダー(秋山奈津子)と下宿人で果物屋のシュルツ(小松和重)の恋、そしてナチスの台頭。

 ナチスが台頭する世の中で悲しい恋に終わるのはシュナイダーとシュルツのカップルで、クリフとサリーは傍観者的存在になっているのだが、それはないんじゃないか? そりゃあクリフがアメリカ人で、サリーが英国人と、”よそ者”だからね、と片付けてしまうのは簡単だが、クリフがバイセクシャルで、「キット・カット・クラブ」が退廃的な出し物のクラブだということが生きていない。ユダヤだけでなく同性愛者もナチスの迫害の標的になったという背景が、客席に伝わっていない。クリフがバイであることをもっと活かしてほしいし、サリーがベルリンに留まろうとしたのも「ショウビジネスが好き」だけではないと思うのだが。好青年のクリフ(森山は本当に好青年)、蓮っ葉なサリーではないはずだよ。主役のはずの二人が弱く見えるのは、こうした描き方にも原因があるのだろう。
 
 世の中の流れにモロに巻き込まれる、秋山のシュナイーダーと小松のシュルツは存在感がある。ほほう、と思ったのがエルンストの杉浦。「キット・カット・クラブ」の場面は、阿部サダヲのMCが、歌って、しゃべって場をさらう。これがエンタテインメントとして実に楽しいのだが、もうちょっと阿部の持つ不気味さが出ると、退廃的になったんだけれど。

 恐らく松尾は、ミュージカル=わかりやすさ、と思っているのではないだろうか?  ミュージカルという思いに捕らわれ、”退廃”が型にはまっちゃったなあ、という感じ。何度も繰り返しても言うが、面白かったんだけどね。今が旬の阿部サダヲを観ているだけでも、楽しいのだが…。
 

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三文オペラ

  世田谷パブリックシアターで『三文オペラ』(作 ベルトルト・ブレヒト/音楽  クルト・ワイル/翻訳 酒寄新一/演出・上演台本 白井晃)を観た翌日、本棚を探して、千田是也・訳の古い岩波文庫版の戯曲を読んだ。
 白井晃はパンフレットの中で、--演劇が「社会を映す鏡」である以上、『三文オペラ』を古典の紹介にしたくない。だから、設定も、言葉も、音楽も、全てをわれわれの身体に近づけた--と語っている。
 なるほど設定も言葉遣いも旧訳とは異なるが、ストーリーはほとんど変わっていない。この戯曲が書かれたのが1928年、ドイツでは熱狂的な支持を受けたという。28年といえば世界恐慌の前年、ドイツではナチスが台頭しつつあった。不安な世の中になると、この戯曲が説得力を持つ、ということなのか…。

 「ハロー・ホームレス」(ホームレスの元締め)の社長ピーチャム(大谷亮介)と妻のシーリア(銀粉蝶)が大事に育てた箱入り娘のポリー(篠原ともえ)は、親に内緒で、対立する窃盗団のボス、メッキ・メッサ-(吉田栄作)と結婚してしまう。ポリーはメッキに”メロメロ”だが、怒ったピーチャムは警察にメッキの所業を訴える。メッキは逃げると思いきや、馴染みの娼婦館で一遊び。そこで昔の情婦ジェニー(ROLLY)の裏切りにあい、監獄行き。
 
 盗みのためなら人殺しも厭わないメッキは悪には違いないが、所詮ただの盗人、小者でもある…。

 そこでまた、パンフレットの白井の言葉。
--『三文オペラ』の「メッキ・メッサー」が背負い込んだ「悪」とは何なのか。
   何故その「悪」を背負い込んだのか。
   「悪」を知ることで、もっと大きな「巨悪」が見えてくる。
   「巨悪」を知ることで、それを作り出す、人間の本質が見えてくる。--

 
 吉田栄作のメッキはカッコよく(なんといっても胸板)、大谷はいつもながら達者だし、久しぶりに聞く銀粉蝶の歌は素晴らしい。篠原ともえのポリーは”純真無垢な可愛いお嬢さん”ではなく、少し影のあるお嬢さん。所詮家業はホームレスの元締めだし、娘を老後の保険代わりと思って大事に育てた親もキライ。親から自立したくてカッコイイ男に賭けてみた、という感じ。一歩間違えれば、蓮っ葉な演技になってしまうところを、篠原は”お嬢さん”に踏みとどまり、上手い。彼女の歌もいい。全体的に歌が巧いカンパニーだ。
 そして、なんといってもROLLYのジェニーだろう。今回は歌詞も手がけているそうだが、歌が巧いのはもちろん、ジェニーの気持ちも伝わってくる。本当に裏切ったのはメッキの方だよ…。
 ROLLYが通路を通ったとき、ふんわりいい匂いが漂い、通路の隣に座っていた私はジェニーの色香をお裾分けしてもらった。

 ところで、私が『三文オペラ』をはじめてみたのは、1993年にシアターコクーンで上演された『阿呆劇・三文オペラ』だった。その時のジェニーは銀粉蝶、演出は串田和美。今回の舞台でシーリアの銀粉蝶を観て、そして客席に串田を見かけた。最近、串田と白井がクロス(交差)していることが、(期待を込めて)気になっている。またこれは別の機会に。

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THE TAP GAY

 オリジナルMUSICAL『THE TAP GAY』(博品館劇場 21日/ 28日まで)

 博品館で毎年お正月に行われていた「THE TAP SHOW  Shoes On!」の中で必ず歌われた「Mr. Bojangles」という曲がある。一人のタップダンサーの生涯を謳った歌だ。

 1920年代から40年代にかけてアメリカで大活躍したタップ・ダンサー、ビル・ボージャングル・ロビンソンは、黒人ではじめてソロを踊り、素顔で舞台に立ち、数々のステップを作り、映画にも出演した。彼の誕生日にあたる1989年5月25日がナショナル・タップ・ダンス・ディとなっている。
 
 このTAPの神様の人生をモチーフに、「Mr. Bojangles」のイメージを重ね合わせたオリジナルミュージカルが「THE TAP GAY」。ビルはTAPの才能に加えて、ダンサーとしてのプライドも人一倍強い。ボランティアや多額の寄付をする人格者でもある。けれどギャンブル好きで、女にもだらしない…。
 もっとも彼の人生をだいぶ脚色したようで、作・演出・振付の玉野和紀は、「フィクションです」と言っているが。

 ビルの才能に惚れ込んだマネージャー、マーティ・フォーキンスに小堺一機。元ボードビリアンというマーティ役にぴったりで、小堺もタップを踏む。マーティー自身は白人だが、ビルが黒人だからという苦労も多い。時代の波も経験する。それでもビルを励まし、支え続けるマーティの包容力とペーソスがいい。小堺の歌は優しくて、心にしみ入る。
  
 ビル役はHIDEBOHと玉野和紀。この二人のTAPの共演、とくにステアタップの共演は絶品。パワフルなHIDEBOHと華麗な玉野の、こんな白熱するシーンは滅多に見られないんじゃないだろうか。このストーリーは、TAPの神様を讃えるだけではなく、世代交代の物語でもあるのだが、玉野の、後輩に伝えたい思い(技)と、まだまだ後輩には負けない自信が伺える。
 
 劇中で「Mr. Bojangles」を歌うのは、tekkan。この人、歌が上手い! ピアノの弾き語りも披露してくれた。出演作を見ると、いままでも観ていたはずなのだが、今後注目しなくちゃね。 

 素敵なストーリーと素晴らしい技の数々を堪能した、といいたいのだが、一つネックが…。博品館劇場は客席の段差が低く、前の席に大きい人が座ると舞台が見えない。とくに足もとを観たいタップだとキツイ。「Shoes On!」のときも観ているし、キャパとしてはちょうどいいんだろうけれど、タップ公演には不向きだ。


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藤原真理 チェロリサイタル2007

 浜離宮朝日ホールで、藤原真理のリサイタルを聴いた。(9月28日 昼)

 その前に、朝日新聞社本社ビルの中の「アラスカ」でランチ。ビジネスマンとコンサートに来た”オクサマ”たちで満席になっていたから、前日に予約を入れておいてよかった。お店も慣れたもので、電話口で「その後にコンサートにいらっしゃいますか」と尋ねてくれた。気が利いているね。
 ビーフピラフを注文したら、テーブルで盛り付けるクラシカルなお給仕で、いい感じ。しっかりバターの味がするのに、しつこい脂っぽさはなく、美味。店内も満席なのにワサワサしていないところが気に入った。

 美味しいお食事の後は、午後のコンサート。藤原真理のチェロを一度生で聴いてみたいと思っていたのでチケットを取ったのだが、「100万人のクラシック」とサブタイトルがついて、朝日新聞社主催の、”クラシック音楽をもっと身近に、もっと気軽に…”というコンセプトのコンサートシリーズだそうだ。具体的には「(行くのが面倒でも)近くのホールで聴ける」「手頃な価格」「(長時間が苦手な人も)休憩入れて90分」。まずはクラシックファンを増やす事が目的のようだが、実は高齢社会にむけての試みなんだろう。とくに、高齢になると「近くのホールで」というのは大事だ。東京、神奈川、千葉、埼玉で10カ所。
 この回は金曜の昼だから、客層も、オクサマか年配の人たちで、若い人はいない。

 一部はバッハの「無伴奏チェロ組曲第一番プレリュード」。そしてグリーグの「チェロソナタ イ短調op36」。このグリーグははじめて聴いた。藤原さんが解説してくれたが、ピアノ(戸倉テル)との掛け合いが面白い。
 そう、藤原真理の解説付なのだ。つくられた時代や地域、社会背景の説明や、音楽の流れなども教えてくれる。

 二部は、フォーレの「悲歌」、サン=サンス「白鳥」、シューマン「トロイメライ」ドヴォルザーク「わが母の教えたまいし歌」、エルガーの「愛のあいさつ」など、有名な小品を集めた構成で、、チェロの音っていいな、と思わせるが、細切れな感じがして、二部も纏まった楽曲を1曲じっくり聴いてみたかった。

 とはいうものの、アンコールの、R・シュトラウスの「トロイメライ」は大きなプレゼントだった。1部のグリーグも珍しかったし、そういう意味では貴重なライヴ。

 家に帰って、藤原真理のCD『無伴奏チェロ組曲』を聴いた。今度は是非、大作を聴いてみよう。

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こまつ座&シスカンパニー公演 ロマンス

 世田谷パブリックシアターで上演されている、こまつ座&シスカンパニー公演 『ロマンス』を観た(9月19日)。

 パンフレットの--題材がチェーホフと聞いてどう感じられました?--というインタビューに、井上芳雄が--初めて舞台で日本人役を演じられると期待していたので、少し残念でした(笑)--と答えているのが、可愛い。ミュージカルは、ほとんどの役が外国人。きっと、こまつ座、井上ひさしの作品なら、日本を題材としていると思っていたのだろう。
 ことほど左様に、井上ひさしは日本の話が多いのに、なぜいま、チェーホフ?

 妹、マリヤに松たか子、マリヤの友人で妻になる女優オリガに大竹しのぶ。チェーホフは、少年期を井上芳雄、青年時代を生瀬勝久、壮年を段田安則、晩年を木場勝己が演じる。舞台好きにはたまらない、素晴らしい顔合わせだ。

 チェーホフは家族を支えながら苦学の末医師になり、若い頃からのアルバイト代わりの文学が副業となり、やがて花開く。マリヤは看護助手として、また作家チェーホフの秘書として、献身的に尽くす。彼が好きだったのは、笑いのあるボードビル。書きたかったのもボードビル。しかし彼の作品は、新進演出家スタニスラフスキーによって悲劇として上演されてしまう。

 チラシの文章では、チェーホフとマリヤの関係、オリガとのロマンスがクローズアップされるような印象を受けるが、実際の舞台では、”ボードビル”が前面に出ている。ボードビルというと、私はアメリカンスタイルの”お笑い”を連想していたのだが、パンフレットを読むとチェーホフが愛したのは、ヨーロピアン・ボードビル、--面白い筋立て。演劇的からくりを仕組んだ芝居のこと。--とある。平たく言えば、喜劇か?
 
 観客は喜劇より悲劇を好むという定説があるようだが、あのスタニスラフスキーが、チェーホフの作品を本人の意図をまったく汲み取らずに、悲劇にしていたとは。さらに彼を愛しているオリガも、一番の理解者のはずのマリヤも、その点については理解していなかったとは。それも滑稽、喜劇ではあるが、もし、スタニスラフスキーが喜劇として演出していたら、その後の演劇シーンはいまとは違うものになっていたんじゃないか?
 楽しく笑える喜劇『三人姉妹』、観てみたい。
  
 さて、なぜいま、チェーホフなのか?
 辛い世の中でも、「笑いが心を満たしてくれる」ということなのか? チェーホフがオリガに惹かれたのも、(少なくとも大竹の演じる)オリガが開けっぴろげで陽気な、生活に向かないタイプの女性だったからだろうし。
 もちろん、チェーホフ作品の見直しという目論見も、井上ひさしにはあるんだろう。それから”笑い”そのものについても、と思うのは勘ぐりすぎか。人を幸福にする笑いとはなんぞや? ともすれば暴力的な笑いもあるからなあ。
 しかし彼が愛した”笑い”と、彼が書いた喜劇の”笑い”は、質が違うようにも見える。医師チェーホフが、効用を発見した生活の中の”笑い”はストレス発散、明るい笑いだが、作品の登場人物の滑稽さはある種シニカルな笑いだ。スタニスラフスキーが悲劇として演出したくなるのもわからなくはない。
 
 井上ひさしとチェーホフの笑いの質は、また違う。井上の作品に登場する笑いは、チェーホフが愛した、生活の糧になる笑いのような気がした。(9月30日まで)

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戸田恵子LIVE SHOW「ACTRESS」

 戸田恵子LIVE SHOW「ACTRESS」の東京千秋楽(9月17日 草月ホール)にいく。今年で50歳なのだとか。なんて若いんでしょ。一部は彼女の半生を振り返り、二部は発売されたCD『ACTRESS』の歌を披露していく構成。

 TVバラエティの出演者や声優としての彼女には接していたんだろうけれど、はじめて舞台を観たのは『スイート・チャリティ』だった。メチャクチャ、キュートだったんだよ。薔薇座退団後は加藤健一事務所で、そのあとは舞台に限らず映画、テレビでも大活躍だ。多彩な人だが、私の中では戸田恵子は舞台(ミュージカル)女優。遅咲きだったかもしれないが素晴らしいエンターティナー、テレビではもったいないと思う役もしばしば…。
  
 ライヴでは、あらゆるジャンルの歌と言っていいほど歌い分け、ダンスにコントと大張り切りだ。麻生かほ里、入絵加奈子、平澤智、斉藤直樹と、バックを固める人たちも、これまた豪華。 

  秋元康、三谷幸喜などの大御所は、彼女のコメディアンヌぶりが発揮できる楽曲をつくっていたが、若い才能からの楽曲は、またひと味違う。
 この日、第二部では「V.I.P」の作詞作曲者、植木豪がゲスト出演しブレイクダンス(?)を披露。また、作詞作曲の中村中が「強がり」をピアノ伴奏した。「強がり」は、いつも明るく気丈に振る舞っている女性が、ふと溜息をつく歌。戸田恵子の素顔を連想させ、中村中にも重なる。胸にストレートに響いてくるこの曲に、共感する女性は多いだろう。戸田の思い入れも強いのか、ヒットを願ってか、アンコールの後、映像でまたこの歌が流れた。おかげで涙で顔がクシャクシャだよ。参ったな中村中、参ったな戸田恵子。

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エレンディラ

 中川晃教ファンの私としては待ちに待った『エレンディラ』を観に、猛暑の中、彩の国さいたま芸術劇場へ(8月16日。原作 ガブリエル・ガルシア・マルケス/脚本 坂手洋二/演出 蜷川幸雄/音楽 マイケル・ナイマン)。四時間の長丁場で、出演者は大変だろうが、観客も大変。埼玉で、よくまあ四時間の芝居を打ったものだ。

 南米のコロンビア。祖母(瑳川哲朗)と暮らす少女エレンディラ(美波)は、ある晩火事を起こしてしまい、全財産を失う。その弁償のために、祖母はエレンディラを娼婦にして稼がせる。美しいエレンディラの評判は砂漠中に広まり、彼女のテントの前にはいつも長蛇の列。噂を聞いたウリセス(中川晃教)も一目彼女に会おうとテントを訪ねる。そこで二人は恋に落ちて…。

 ガルシア・マルケスの中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」に、短編「大きな翼のある、ひどく年取った男」のモチーフをあわせ、ウリセスを物語の中心に据えた。そうすることによって、エレンディラと祖母の物語から、若い二人の恋愛の物語へと変えている。 
 美波は、娼婦エレンディラを文字通り体当たりで演じている。絶望したときの虚ろな目、喜びに満ちた輝く目、冷たい氷のような目、この人の目の力は素晴らしい。
 ウリセスの歳は17才。少年から青年に移行する時期の自信と不安が入り交じった初々しさは、中川晃教の真骨頂だ。加えて不思議な力を持っているという役柄も彼にあっているし(この不思議な力は、現地のワユ族に由来するもので、エレンディラと祖母もワユ族の血をひく)、ミュージカルではないものの歌もあるし、彼の魅力は十分に出ている。

 二人の恋のシーンはとても綺麗だ。美しいデュエットも聴かせてくれる。でも、やっぱりこの物語は、エレンディラの祖母の物語なのだ。白鯨と表現される体形とパワー、ワユ族の誇りと屈折。なぜこんなに強欲なババアになったのか、若く美しい二人より興味をかき立てられる。中川も美波も素晴らしいが、それでも「これは、瑳川の舞台だ!」と思うほど、彼の演技に魅了された。この役、生身の女が演じるのは難しそうだ。

 クライマックスで、エレンディラは祖母から逃れたい一心だ。そこから二人の愛を語るには、脚本としても無理があったのではないか。小説の結末が、芝居の結末でもよかったのに。そのほうが、エレンディラの業というか、逃れられない血が、より浮き彫りになっただろう。
 この結末はファンサービス? 最近言われている”わかりやすさを求める観客”という現象のなせる技ですかね?

 とはいうものの、なかなか見応えのある舞台。南米の物語はあまり観る機会がないので、純粋なキリスト教文化とまた違う視点が面白い。
 飄々とした写真師のあがた森魚が、はじめはどうしてこんなところに?と思ったけれど、意外や緩衝材的な存在。アンサンブルでは山崎ちかがいい。この芝居に、この人のエロさは貴重だ。 

  

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ザ・ヒットパレード ショウと私を愛した夫

 7月27日に観た『ザ・ヒットパレード』(脚本 鈴木聡/演出 山田和也 テアトル銀座)。楽日近くに観たのを後悔している。もっと早く観ればよかった。そしてもう一度観たかった。

 渡辺プロダクションを作った、渡辺晋とミサ夫妻の物語。夫妻の足跡を辿ることで、日本のショウビジネスの歴史を見せる。圧倒されるのは劇中の音楽で、昭和のヒット曲をこれでもかこれでもかと披露し、まさにヒットパレード。音楽監督の宮川彬良は、渡辺晋と数多くの仕事をした宮川泰の息子。
 口ずさめる歌が多いのも楽しみの一つなのだが、ビックリするのは、ザ・ピーナッツ役の堀内敬子と瀬戸カトリーヌの歌だ。堀内が歌がうまいのは知っていたけれど、瀬戸がハモるのも知っていたけれど、ここまで巧いとは!
本物のザ・ピーナッツかと思うぐらい、歌い方も似ている。いや、この二人の歌でショウをやってほしいほどだ。
 それにミサ役の戸田恵子、ミサの親友役の北村岳子と、女性陣の歌の迫力といったら! ミュージカルに対して、変なほめ方だけれど、気合を入れて歌の巧い役者さんを揃えましたね!
 もちろん戸田恵子は、可愛くしっかり者のミサにピッタリ、はまり役だ。
 若手男性コーラスグループRAG FAIRのメンバーを起用した意図もわかった。それぞれが個性的だから演技もこなせるし、歌はお手のものだし。
 ここまで歌がうまい役者が揃っていると渡辺晋役の原田泰造は大変だろうと思うし、そして実際少々歌は弱いのだけれど、じゃあ、この役にあっている人は誰か考えてみると、やっぱり原田が適役なのだ。その包容力が魅力的だった。

 テレビが全盛になったとき、本物の芸が求められなくなる。なんて皮肉なんだろう。私は、本物の芸に出会いたいから、ライヴ(芝居もコンサートも)通いはやめられない。


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ベートーヴェン・チクルス2007(第三夜)

 なんて幸せなんだろう。

 チョン・ミョンフン指揮、東京フィルハーモニー交響楽団のベートーヴェン・チクルス2007。
 7月25日のプログラム
 交響曲第6番ヘ長調 op.68≪田園≫、
 交響曲第7番イ長調 op.92を聴いた(東京オペラシティ コンサートホール)。

 マエストロ チョンと東京フィルハーモニー交響楽団は、ベートーヴェン交響曲全集(CD)を出しているぐらいだから、お得意のレパートリーだろうと、もちろん期待していた。 ベートーヴェンの交響曲の中でも、6番、7番は馴染みがあって好きだから、このプログラムを選んだ。
 だから、素敵な夜になることは予想していたのだけれど、でも、期待以上の、感激。

 一部の、風景が浮かんでくる「田園」も満足だったが、7番に圧倒された。
 ベートーヴェンの初演当時から大人気だったという第7番。あの躍動感が好きと思っていたけれど、この夜味わった高揚感は、滅多に出会えるものじゃないかも。第四楽章の音の広がりというか、あの盛り上がりに、思わず目が潤んでしまった。
 
 電車に乗って帰りたくなかった。せかせかした現実に引き戻されちゃうから。ずっと余韻に浸っていたかった。

 第九はまた盛り上がるのだろうな。このチクルス、全夜聴いたら面白かっただろうと思うと、ちょっと残念。
せめてCDで、楽しみましょう。スピーカー、替えようかなあ。
 

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『冒険する舞曲』 、レ・フレール

  6月3日、紀尾井ホールで行われたコンサート、 シリーズ「歌」vol.9『冒険する舞曲』 を聴いた。
 一部は、中野振一郎のチェンバロで宮廷舞曲からはじまった。曲の間に中野さんが、気さくにチェンバロの解説をしてくれた。先日聴いた『ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007』でもチェンバロ(ハープシコード)の演奏があったり、馴染みがないわけではないが、鍵盤をスクリーンに映しながら解説してくれたので、楽器の仕組みがよくわかって面白かった。

 二部はブギの特集で、レ・フレールのピアノ演奏。このコンサート、今、人気の兄弟ユニットを聴いてみたくてチケットをとったのだが、人気先行型だったらがっかりだなあと、ちらっと思っていたのだが…。
 大満足。ブギのリズムも、ピアノの音も楽しいし、一台のピアノを二人で弾くプレイスタイルが、見せるパフォーマンスになっている。二人で並んで弾くのはもちろん、腕がクロスしたり、交互に入れ替わったり、おんぶみたいになったり。この日は兄の斎藤守也が黒いシャツを腕まくりし、弟の圭土は白いシャツの袖をとカフスでとめて、それが黒鍵と白鍵をイメージさせるのだが、二人の腕がクロスするところがよくわかって、ビジュアルとしてもとても綺麗。圭土のほうがブギの奏者を名乗っているぐらいだからブギ得意なのだろうけれど、兄弟ならではの息のあいかたが伝わってくる。弟さんはハンサムだし、弟を優しくサポートするお兄ちゃんの好感度大だ。
  カーテンコールのときに、プレゼントを差し出すファンの人たち全員が、どちらか一人じゃなくて、必ず二人に渡していたが、その気持ちが判る。レ・フレール=兄弟のファンなのね。
 二階、右手側のバルコニー席だったので、彼らの動きや表情がわかって、それも楽しかった。

 歌の腰越満美(ソプラノ)も、一部のオペレッタも、ブギも両方聴かせる。クラシックの人がブギを歌うとどうなるんだろうと、ちょっと不安だったが、なんのなんの心配無用、パンチが効いた歌声だった。この人、ミュージカルにも出演しているのだとか。どうりで器用なんだな。

 レ・フレールと中野振一郎のCDを購入し、弾むような余韻を楽しみながら紀尾井ホールを出た。四谷の土手は、紫陽花が満開だった。

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ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007 

  東京オペラシティコンサートホールで『ストラディヴァリウス サミット・コンサート 2007』を聴いた(5月22日)。

 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、と11台のストラディヴァリウスに、コントラバス、ハープシコードが加わったアンサンブル。

・ヴィヴァルディ/2つのチョロのための協奏曲 ト短調 
・J.S.バッハ/ハープシコードのための協奏曲 第5番 ヘ短調
・ハーバー/弦楽のためのアダージョ 作品11
・バルトーク/ルーマニア民族舞曲
・ヴォルフ/イタリア風セレナード ト長調
・ドヴォルジャーク/弦楽のためのセレナード ホ長調

 こういうプログラムに行きたくなるのは、根っからミーハーなのだ。「これがストラディヴァリウスですな」とは聴き分けられないが、深くて柔らで艶のある音。澄んだ華やかな高音から重厚な低音まで、うっとりしちゃう。奏者はほとんどがベルリンフィルのメンバーだ。

 オープニングの「2つのチェロのための協奏曲」で吸い寄せられる。端整なイメージがあるストラディヴァリウスで「ルーマニア民族」を聴くなんて、ね! 

 アンコールは、
・チャイコフスキー 弦楽セレナーデ から
・モーツアルト  ディヴェルティメント から
・ヴィヴァルディ  四季 「春」

 演奏だけでもサーヴィス精神旺盛なのに、曲紹介してくれたトーマス・ティム氏(ヴァイオリン)が日本語で笑わせて、和ませてくれるオマケ付。最近とみにフランクになっているが、クラシックに堅苦しいイメージはない。

 二階のバルコニー席だったが、下(ステージ)を観ると案外一階席の人の様子が目につく。行儀が悪い人はけっこう目立つから、人の振り見て我が振り直せだわ。
 階段を降りるときに、この東京オペラシティコンサートホールにはお客さんが利用できるエレベーターがあるのかなって、ちょっと思った。杖をついているお年寄りや白杖(はくじょう・目が不自由な人が持つ杖)を持っている人がいたから。もちろん元気な人は階段を利用すればいいが、こういう人のためにエレベーターの案内があるといいのに。
  

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種谷睦子 マリンバコンサート

 軽井沢大賀ホールで、マリンバのコンサートを聴いた(5月1日)。ソリストは種谷陸子、ピアノのスヴェトラ・プロティッチとも息があっていた。

 曲目は

モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲
モーツァルト/ソナタ変ロ長調K.378
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン

一柳 慧/バラード -チェロマリンバのための-
ポッバー/ハンガリア狂詩曲
日本の歌 小西欽 編曲
  山田耕筰/この道
  大中 恩/犬のおまわりさん
  津軽じょんから節
コルサコフ/熊蜂の飛行
モンティ/チャルダシュ
ハチャトリアン/剣の舞

そしてアンコールは、ショパン/ノクターン 遺作
            ハイフェッツ/ホラ・スタッカート

 マリンバがメインのコンサートは、はじめてだった。『ツィゴイネルワイゼン』はヴァイオリンだと、鳴くというのか、”粘る”感じになるのが、マリンバだと”響く”『ツィゴイネルワイゼン』で面白かった。
 面白いといえば、木製の共鳴管を持つチェロマリンバだ。共鳴管が金属ではなかった昔は、こんな音色だったのだろうか。楽しい『犬のおまわりさん』のあとは、太鼓も叩きながらの、『津軽じょんがら節』と、選曲の幅が広い。日本の歌が終わると、『熊蜂の飛行』『チャルダッシュ』『剣の舞』と続いて、迫力満点。
 種谷睦子、カッコいいんだ。幾つなんだろう、疲れないのか?

 大賀ホールもはじめて。五角形の、800席程度のホールで、オーケストラを聴くにはちょっと狭い気もしたし、どうせなら東京で滅多にないプログラムを聴きたかった。マリンバは正解、とっても楽しかった。
 ホールもよかった。内部だけでなく、ロビーから矢ヶ崎公園の池が見渡せる、いい立地で、雰囲気があるホールだ。

 大賀ホールの他にも、「軽井沢八月祭 ゴールデンウィーク 特別企画」と銘打って、各ホテルや教会などで若手演奏者のライヴを行っていった。八月下旬に行われる「八月祭」も楽しそうだ。クラシック音楽を観光資源にしようと、町をあげて頑張っている様子。今のクラシックブームが追い風になりますように。もう少し街全体の夜が長いと、ホールのコンサート後に食事やお酒をとりながら余韻を楽しめるかも。それは追い追いでしょうけれど。

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ローマの松/佐渡裕指揮 東フィル定期演奏会

東京フィルハーモニー交響楽団 第29回東京オペラシティ定期シリーズ公演を聴いた。(4月26日/東京オペラシティコンサートホール)

 プログラムは、 
 ドボルザーク/序曲『謝肉祭」』作品92
 メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
 レスピーギ/『リュートのための古風な舞曲とアリア』第3組曲
 レスピーギ/交響詩『ローマの松』

 指揮は佐渡裕。佐渡裕といえばバーンスタインなので、オーチャードホールで行われた定期演奏会の『シンフォニック・ダンス』が呼び物かとも思ったが、友人とレスピーギを聴いてみたいということになって、こちらを選んだ。

 ”熱いマエストロ”佐渡裕は、聴衆を引き込むのも巧い。
 『謝肉祭」』で楽しく幕が開き、 馴染みのあるヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリンのソロはリディア・バイチ。『リュートのための古風な舞曲とアリア』は何度か聴いたことがあったが、『ローマの松』ははじめて。パンフレットを読んだら、この人の代表作だという。失礼しました。
 この『ローマの松』が、聴き応えがあった。なにせ、オーケストラの楽器のほとんどが使われているのではないかと思うぐらいステージ狭しと楽器(演奏者ですね)が並んだ。ピアノも、ハープも、水笛も、オルガンも登場して。オーケストラの中でのオルガン演奏を聴いたのも、はじめてだった。オルガン奏者って、ただ一人、指揮を見られない位置にいて大変だなあと、変な感心をする。
 交響詩といえば物語性があるわけだか、パンフレットを読むと「文学的であるより絵画的」とあり、ローマの4本の松(巨木)をモチーフにした曲のようだ。私はローマの松は知らないが、荘厳な佇まいや、風がそよぎ、小鳥が歌う情景が浮かんできて楽しかった。なかでも終曲の「アッピア街道の松」は、古代ローマの栄光を思い起こさせる曲だそうで、なるほど壮大な曲で、昂揚した。

 東フィルの定期演奏会ははじめてなのだが、入口で配られていたパンフレットもnice!曲の解説やマエストロのインタビューなどが充実していて、コンサートをナビゲートしてくれた。
 練られたプログラム構成で、ラストの曲で十分盛り上がったのだから、アンコールをしないスタイルもいいね。

 入口で配られたといえば、チョン・ミョンフン指揮で東フィルが、ベートーヴェンの交響曲の全曲連続演奏会を行うそうだ。6番、7番のプログラムが好きかも、と思ったが、そういえば1番、2番ってほとんど聴かない。で、今日はCDを引っ張り出して1番、2番を聴いている。4番、8番も聴かなくちゃ。

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そっと おやすみ Killing You Softly

 ミステリー・ミュージカル『そっと おやすみKilling You Softly』
  作・演出:高平哲郎/音楽:島健/振付:川崎悦子/青山円形劇場/4月17日

 島田歌穂、玉野和紀、吉野圭吾、北村岳子のメンバーで、2000年から毎年恒例の『ダウンタウン・フォーリーズ』。今年は、北村が参加していないからか、番外編。北村はなにに出ているのだろうと思ったら、『マリー・アントワネット』でした。

 『ダウンタウン・フォーリーズ』は、ファンサービスの色が強い。
 いつもはショーのオムニバス構成だが、番外編の今回はミステリ仕立ての1本のお話しになっている。『ダイヤルMを回せ』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』など名作ミステリのパロディ部分もあるが、ストーリーはたわいない。見どころは、やはり例年と違わず島田、玉野、吉野の芸で、それが至近距離で楽しめること。青山円形劇場の舞台は、基本の円形。ここを使うなら、やはり円形にしなきゃもったいないでしょう
 紅一点で中心になっているせいもあるが、島田のコメディエンヌぶりが絶好調。この人はグランドミュージカルより、こうやって客席と丁々発止やっているほうが、魅力全開。惜しかったのは、玉野のタップが少なかったことか。
 客席も、もうわかっているファンばかりなので、カーテンコール?の「おかえりはあちら」が出る頃には、総立ちだった。

 それにしても、パンフレットが売り切れていたのが残念だった。先着30部しかなかったのだ。なのに劇中の吉野が、客席に「パンフレットを見せてください」というところで、2冊差し出した人がいたのは、どういうこと?
 以前、宝塚のOGが何人か出ていた芝居に行ったときに、そこではパンフレットは「一人一冊」にしか売らなかった。パンフが足りないっていうのがそもそもオマヌケなんだが、足りなそうなら、そういう配慮をするべきなんじゃないの? 


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HEDWIG AND THE ANGRY INCH

 ROCK MUSICAL“HEDWIG AND THE ANGRY INCH(ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ)”のTour Fainal(作 ジョン・キャメロン・ミッチェル/作詞・作曲スティーヴン・トラスク/上演台本・演出 鈴木勝秀/4月7日 昼/東京厚生年金会館大ホール)。こりゃあ、山本耕史のファンにはたまらないでしょう。

 とあるライブハウスで、歌手ヘドウィグ(山本耕史)が自分の半生を語り始める。冷戦時代の東ベルリンに、ドイツ人の母とアメリカ兵士の子として生まれた少年。ラジオから聞こえてくるロックミュージックに心躍らせ、自分のカタワレ(=愛)を探すことを夢見る男の子が、アメリカ兵に愛され、性転換手術をし、渡米。憧れのアメリカでのどん底生活。でも、彼はカタワレへの思いを持ち続けながら、怒りを込めてロックを歌う。
 ベルリンの壁。人種の壁。性の壁。人と人との壁。難しいが、普遍的なテーマでもある。

 バンドの他には、ヘドウィグを演じた山本と、ヘドウィグの”夫”イツァークの他に母などを演じた中村中の二人芝居。
 山本は、美しい顔だちにすらっと伸びた脚、白い肌を惜しげもなく披露していて色っぽいのだが、ギリシャ彫刻みたいにたくましい胸とパンチのある歌声は男っぽく、彼の存在そのものがカタワレずつ(男と女)になる前の人間なんじゃないかと思わせる。このなんともいえない艶めかしさは終盤、実に効果的だ。
 中村中(なかむらあたる、と読む)の名は知ってはいたけれど、途中「この子、何者?」と唸ってしまった。巧い。張りがあるかと思えば素直に伸びる歌声が素晴らしいし、山本を受けての演技もいい。彼女は、夫や少年など男性を演じる部分が多く、ここでも”性”が行ったり来たり。鈴木の演出は、カタワレ探しを美しくクローズアップしているように見える。
 
 でも、ちょっと綺麗すぎるのだ。クールというか整理され過ぎているというか。自由への憧れと人を愛する渇望が二重にも三重にも捻れているのだから、もっと訳のわからない怒りとか、猥雑さとか、衝動がほしい。自由への憧れには政治的な背景があるわけだがその辺りは難しいし、詞も訳さないのでアジテーションもなく(拳を挙げている人たちもいたが客席は概ねおとなしかった)、受け入れやすいカタワレ=愛の話にウェイトを置いたのではないかと深読みしたくなるのだが。
 会場が厚生年金会館というのも、差し引かなければ、と思う。これがライヴハウスだったら、もっと濃厚な空気が流れていたかもしれない。厚生年金は広すぎたし、そもそもこのテーマをお役所外郭団体のホールで上演しようっていうセンスが、なんともかんとも。

 でも、これはこれで満足。山本耕史が存分に魅力的だったから。そして中村中に出会えたのは大きな収穫。今後の活動が楽しみだ。
 終演後、久しぶりにデイヴィッド・ボウイを聴きたくなった。しかし、ロックが大人のモノになって、若者はどうした?

 

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松本和将 ラプソディ・イン・ブルー

 普段、クラシック音楽の情報誌を購読しない私が、いそいそと買った「モーストリー・クラシック」5月号。お目当ては付録のDVD、松本和将の「ラプソディ・イン・ブルー」。12月22日東京文化会館小ホールのリサイタルの最後の演目が、収録されている。

 「クリスマスのイベントとして、なにか聴きたいな」「若手のピアノを聴いてみたいな」ぐらいの気持ちで探して、松本和将のリサイタルに行ったのだが、あの日の興奮は忘れない。
  2部は「火祭りの踊り」「アンダルシア幻想曲」、「1960年 ナイトクラブ」と激しい曲が続いて、興奮の渦の中(私の頭の中は!)、ラストに弾いた「ラプソディ・イン・ブルー」。DVDは「ラプソディ・イン・ブルー」だけなので、さすがに当日のような衝撃はないが、またあの”弾きまくる”演奏が聴けて嬉しい。雑誌の付録に、ライブ演奏のDVDが付くなんて…と感激、って年寄りみたい? 当たり前の時代なの?
 臨場感はライブに叶わないけれど、松本さんには、願わくばあの日の2部の構成で、CDつくってほしい。
 
 しかし、「モーストリー・クラシック」のDVDの、このライブが紹介されているコーナーのタイトルが「LIVE! 産直一本釣り」。他にもオススメ公演のコーナーが「○月の投資銘柄」だったり。うーん、なんだろう、このセンス。お高くとまっているというクラシックの印象を払拭するためなのか? インパクトを狙ってのことなのか?
 コンサートカレンダーや放送カレンダーが載っている「プチ・モス」という別冊付録に感心。熱心なクラシックファンは、こうやってチェックしているわけですね。

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TOMMY

 隣の席のスーツにネクタイのオジサマは、「THE WHO」のファン。斜め後ろの、お揃いのピチピチTシャツを着たオバチャマたちは、
ROLLYのファン。今の時代、ロックって大人のものかもしれないな。
 
 THE WHOは一世を風靡したイギリスのロックバンドで(私はリアルタイムには遅れている)、彼らのロックオペラ『TOMMY」』の日本バージョンは、新感線のいのうえひでのりが演出している(日生劇場/3月20日)。

 子どものときに不幸な事件を目撃したショックから、見えない、聞こえない、喋れないTOMMY(中川晃教)。両親は、なんとか治そうと病院、祈祷、ドラッグにも頼るが効果はなし。ところが、ピンボールマシーンだけは見事に操り、チャンピオンになる。有名になったTOMMYは、その後三重苦からも解放され、人々は彼を奇蹟の人として祭り上げるが…、というストーリー。60年代のミュージカルだ。

 いのうえは映像を多用する。彼は以前から舞台に映像を用いる演出家だが、それにしても過剰だ。刺激的な効果も狙っているのだろうが、かえって凡庸な印象で説明的、もうちょっと役者達の表現や、観客の想像力に委ねてもいいのではないか。

 中川晃教は、天才的な才能を持っている無垢な青年が周りから祭りあげられていく…というところで、『SHIRO』のときのイメージが重なる。衣裳も、両作品とも、白だ。歌が上手いことはいまさらいうまでもない。相変わらず可愛いし。
 ただ、TOMMYが能動的に動く話ではないので(とくに前半)、周りの演技と歌がモノを言う。TOMMYが三重苦になるのも、祭り上げられてしまうのも、原因は両親にあるのだが、パク・トンハと高岡早紀は二人の愚かさに踏み込めていない。
 そんな中で、この作品を引っ張っているのは、やっぱりROLLYだ。従兄弟のケビンやピンボールキングなどを演じ、サイケな時代の雰囲気もロックミュージックも、彼がいなかったら全然締まらなかっただろう。カッコイイの。斜め後ろのオバチャマたちは「ROLLYちゃーん」と叫んでいた。ROLLYの”ちゃん”付け、はじめて聞いたよ。
 それからもう一人、女性では、ピンボールクイーンなどを演じた山崎ちかがとってもよかった。ROLLYも山崎ちかも本領発揮、餅は餅屋ということか。(東京3月31日まで)
 

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趙静&松本和将 デュオ・リサイタル

 3月に趙静&松本和将のデュオ・リサイタルが何回かあると知り、調べてみると、18日のパルテノン多摩小ホールがウチから一番近い。近いったってかなり遠いのだけれど、やっぱり聴きたい! 追っかけしようかと思った、松本和将だもん。
 
 曲目は、ブラームス チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38
       リスト バラード 第二番 ロ短調
      吉松隆 ブレイアデス舞曲集 より 
        さりげない前奏曲/西に向かう舞曲
        聖歌の聞こえる間奏曲/プラタナス・ダンス
        夕暮れのアラベスク/真夜中のノエル
      ショパン チェロ・ソナタ ト短調 作品65 
      シェスタコーヴッチ チェロ・ソナタ ニ短調作品42 
                 第二楽章(アンコール)

 この二人はデュオのCDも出していて、ショパンのチェロ・ソナタはそのCDに収録されている。

 第一部は演奏だけだったので、今日はお話しがないのかと思っていたら、第二部の冒頭で、「趙静お目当ての方はすみません。ボクのソロが続きます」と、マイクをもって話しはじめた。趙静は美人で情熱的な演奏だから、ファンも多いだろう。隣の席のお姉さんも熱心な趙静ファンの様子で、小ホールなのにオペラグラスで観ていた。たしかに眉間に皺をよせたり、はっとした顔になったりと、表情も素敵ね。この人の演奏を観ていると、曲に引き込まれる。
 
 でも、私はやっぱり松本クンが好き。松本クンが王子様系ではないからと言って、美女と野獣にはならないぞ。
この人が弾くピアノは、表情豊かで、力強く、繊細な演奏なのだ。なんていったらいいのか、とにかく巧い。
 デュオもいいが、リストも素晴らしかった。パルテノン多摩小ホールは三度目で、はじめてのときに、リストのバラードを演奏したという。選曲してからそのことを思い出したそうだ。12月のリサイタルでも演奏した、プレイアデス舞曲集は美しい現代音楽。

 デュオでは、趙の息づかいが聞こえてきた。マイクの位置でもう少し拾わないようにできればいいのにと思わないこともないが、ファンにとってはそれも魅力なんだろう。そんなことも含めてライヴの臨場感を味わった。
 松本和将はもちろんのこと、趙静も、また聴きたい。自分の成長を信じている(ように見える)若手の演奏っていいな。   
          

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今宵、フィッジェラルド劇場で

 『今宵、フィッジェラルド劇場で』を観た。 


 ハードボイルドを思わせる出だしだが、実はハートウォームな物語。
 アメリカ、ミネソタ州にあるフィッツジェラルド劇場で、「プレイリー・ホーム・コンパニオン」というラジオショウの公開生放送が行われている。大手企業がラジオ局を買収したため、30年以上も続いた番組は今夜が最終回。古いフィッツジェラルド劇場は取り壊されて、駐車場になる予定だ。最後のショウの舞台裏は、いつもと違うミステリアスなことも起こるし、放送やスポンサーへの皮肉も盛り込まれているが、物語はわりと淡々に進んでいく。
 この物語を面白いと思うかどうかは好みによるかも。私は前半少々乗り損なったが、終盤の展開に共感。ラジオの、劇場公開生放送という、古めかしい設定が効いている。

 見どころは、芸達者な役者たち。地方の劇場に出る、くたびれた歌手たちのはずだが、二流と思ったらとんでもない。カントリー・デュオのメインボーカル、ヨランダ・ジョンソンを演じるメリル・ストリープの歌が滅法上手くて驚いたが、彼女は声楽を学んだことがあるそうで、納得。昨年観た『プラダを着た悪魔』とは、まったく違う役柄だ。ヨランダの姉でデュオの片割れ、ロンダのリリー・トムソンもいい。
 メリル・ストリープよりびっくしたのが、ショウの司会者のギャリソン・キーラー(本人役)。司会もすれば歌も歌う。その話から歌に、歌から話に流れるように続く饒舌な語り口は絶品だ。彼は、実在のフィッツジェラルド劇場で行われている「プレイリー・ホーム・コンパニオン」というショウの構成作家兼司会者で、アルトマン監督に映画の構想を持っていき、原案・脚本を手がけたという。

 ショウが終われば職を失うキャストとスタッフだが、くよくよしても始まらない。うまく行かない人生でも、諦めることと希望を持つことの両方をほどよく知っている、大人のための物語だ。
 「老人の死は悲劇じゃない」という台詞が印象に残った。ロバート・アルトマン監督の遺作だそうだ。

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ブルックリン

 観ようかどうしようか迷っていた『ブルックリン』だが、観て良かった。(東京芸術劇場中ホール/2月27日 昼)

 シンガーソングライター志望のアメリカ人、ティラーと、ダンサー志望のフェイスはパリで出会い愛し合うようになるが、ある日ティラーは本国に帰らなければならなくなる。フェイスは独り、彼の子どもを産み、ティラーの故郷の名前”ブルックリン”と名付ける。その娘(伴都美子)が成長し、ブルックリンに父を捜しにいく。手がかりは、父が作った書き掛けの子守歌…。

 ブルックリンのストリートパフォーマーたちが演じる劇中劇という設定なので、5人が入れ替わり立ち替わり、メインをとり、コーラスにまわり、セットの転換や衣裳替えも自分たちで行う。実力派の今井清隆、石井一孝、マルシア、シルビア・グラブに、伴都美子というカンパニー。伴は元Do As Infinityのヴォーカリストというが、私は知らない。ミュージカル初挑戦だそうだ。若干不安定なところもあるが、歌はなかなか聴かせる。踊りと台詞はちょっと不安気、でも一所懸命、なにより初々しいのが”ブルックリン”役にあっている。ストーリーのおかげもあって「スター誕生」に立ち会った感がある。伴をベテラン勢が支えてチームワークもよさそうだ。
 
 だが、なんといってもマルシアだ。ブルックリンの敵役、歌姫パラダイスを演じている。パラダイスの本心を歌うナンバー「カラス」は絶品、他の歌も呆れるほど(といっては失礼か)うまい。いや、この人の素晴らしさは知っているつもりだったが、やっぱり唸ってしまう。

 私も迷ったクチだから言えないが、こんなにいいミュージカルなのに空席があるのが残念だった。宣伝が地味なんだろうか? ひとつ、劇中劇を演じるストリートパフォーマーの集団の名前が「ど根性ズ」とは、いただけない。ブルックリンなんだから、横文字でどうぞ。
 

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スウィニー・トッド

 日生劇場で宮本亜門演出のミュージカル『スウィニー・トッド』を観た。(1月9日)

 舞台は18世紀末のロンドン。判事に妻を横恋慕され、無実の罪を着せられた床屋の復讐劇だ。家庭を壊された彼は、復讐のために殺人鬼になる。そのスウィニー・トッドに市村正親。共犯者のミセス・ラヴェットに大竹しのぶ。産業革命で世の中が変わっていくなかで、パイ屋の女将ミセス・ラヴェットも、貧乏で孤独だ。
 本格的なミュージカルははじめてに等しいという大竹しのぶが、なんてったって巧い。ミュージカルの歌は、音程を上手に歌うだけでは心に響かない。いかに感情を歌に乗せて表現できるかが、勝負のしどころだ。ストレートプレイで見せる凄みは健在。大竹はミュージカルでも魅せてくれ、安定した上手さの市村さえ食ってしまった感がある。もっとも市村はタイトルロールながら、大竹との絡みでは受けの芝居が多い役なのだけれど。
 パイ屋のちょっとアタマが足りない店員の武田真治も、純朴そうでいい。キムラ緑子は乞食女という難しい役。判事の養女役のソニンは不安気に震える高い歌声が美しく、印象的だ。期待以上の歌声で、ソニンのこれからの活躍が楽しみ。

 宮本亜門がパンフレットに、--我われ人間は、有史以前から面々と続いている「復讐の連鎖」を断ち切ることが出来るのでしょうか?僕は出来ると信じています。何故ならその連鎖は何も生み出さず、誰もが自分の中に「許す」という大きな力を持っているからです--と書いている。その、見開きの隣のページには、タイ国境の反政府軍の少年兵の写真。復讐の連鎖の現実は重い。

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朧の森に棲む鬼

 今年の初観劇は、新感線の『朧の森に棲む鬼』。客演の市川染五郎が主役の、いのうえ歌舞伎だ。
 ライという口先三寸嘘八百の悪党に、朧の森に棲む鬼が「命と引き替えに王にならないか」と囁く。リチャード三世とマクベスを、いにしえの日本らしきところを舞台に置き換えた感じのストーリー。ライも悪党だが、登場する人物が、お互いに騙し騙される。

 陰惨な物語なのだが、歌あり、殺陣ありの華やかな大芝居で、お正月にふさわしい演目だった。染五郎は鯔背でスカッとしていて申し分ないし、ライの弟分のキンタを演じる阿部サダヲが可愛い。高田聖子のシキブは「新感線なら任せなさい!」って感じで大張り切り。ライに王座を狙われるイチノオオキミ(田山涼成)は、昼行灯に見えて実はなんでもお見通しだ。にじむ悲哀がなんとも切ない。田山涼成いいなあ。もちろん古田新太もいつもながら見せてくれる。
 
 客席は和服の女性がチラホラいて、新橋演舞場はお正月らしい賑わい。私が観たのは二階最後列の中央辺りの席で、舞台全体がよく見渡せた。
 といいこと尽くめで楽しめたから、この作品に文句があるわけではない。が、新感線なら古田新太だ。古田新太の大悪党も観てみたい。この人のなんとも言えない艶を堪能できるのは、舞台なので。
 

 

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ニューイヤーコンサート

 あけましておめでとうございます。

 2日。オーチャードホールの東京フィルハーモニー交響楽団New Year Concertに行く。
密かなお目当ては宮本文昭のモーツアルト オーボエ協奏曲ハ長調K.314。宮本さんは今年の3月で、オーボエ奏者を引退するそうで、その前にホールで聴きたかったのだ。この曲は、『のだめカンタービレ』でも黒木クンがいぶし銀からピンクに変わって演奏する。宮本さんの艶やかな演奏を聴いて、その”ピンク”の意味があらためてわかった。
 松本和将のリサイタルでもそうだったが、最近クラシック系のコンサートに行くと、必ず近くの席で、『のだめカンタービレ』の話をしている人がいる。初心者にとっては、本当に良い入門書だ。

  「どこかで出会った、あのメロディ」というサブタイトルがついているように馴染みの曲ばかり。
1部は「新春モーツァルト! モーツァルト!」と題して、華やかに「フィガロの結婚」序曲、オーボエ協奏曲k.314、交響曲第35番「ハフナー」。2部は「ワルツは世界をめぐり、そしてボレロへ!」として、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」よりワルツ、同じく「白鳥の湖」よりワルツ、シベリウス「クオレマ」より”悲しきワルツ”、シュトラウスⅡ「美しく青きドナウ」、ラヴェル「ボレロ」。
 
 お正月らしく、女性の楽団員の人たちはカラードレス。指揮者の尾高さんのお話もサービス満点。休憩時間には獅子舞が登場したり(獅子に扮していたのは若い女性!)、最後はお年玉抽選があって、当選者がのラデツキー行進曲の指揮を振るという趣向。当たった人が清楚な和服姿のお嬢さんで、さらにお正月気分が盛り上がった。

 New Year Concertははじめてだったが、こんな華やかな雰囲気もいいものだ。パンフレットに載っていた来年度の定期演奏会で聴きたいプログラムが幾つかあった。私は、どちらかといえばソロや室内楽を聴いていたのだけれど、オーケストラもやっぱり素敵。
 コンサートも芝居も、行きはじめると癖になる。今年も楽しいライブに沢山出会えますように。

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松本和将ピアノリサイタル

 22日。東京文化会館小ホールで、松本和将ピアノリサイタルを聴く。今注目の若手ピアニストというが、本人がマイクを持って曲紹介してくれて、親しみやすい。ポップスのコンサートみたいね。

 一部は、この季節やクリスマスにちなんだ曲をしっとりと。本人曰く、ヨーロッパの静かなクリスマスのイメージだそう。吉松隆「プレアデス舞踊曲集」ははじめて聴いたが(アンコールもここからだった)、どれも美しい曲で、現代音楽を聴かず嫌いしちゃいけないと反省。
 うって変わって二部は、衝撃的というか、なんというか!
スペインの作曲家フェリアの「火祭りの踊り」「アンダルシア幻想曲」、ピアソラの「1960年 ナイトクラブ」、その三曲だって情熱的で激しいのに、最後がガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」!
 聴き応え満点の上に、手が見える席だったので、踊るように動く指(手)に目が釘付けで、見応えも満点。
 この人の追っかけしようかしらと思うぐらい、大感激。
 今年最後のコンサート、いい演奏を聴かせてもらった。

 もう一度聴きたい。2部の構成で(できればピアソラは「タンゴの歴史」全曲で)CD出してほしい。
 

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ROLLY Glory Rolly 2006

 10月29日。「ROLLY Glory Rolly 2006」の楽日を聴いた。
 04年の「ア・ラ・カルト」にROLLYがゲスト出演した縁で05年に生まれたこのライヴ、昨年は楽しみにしていたのに聴けなくて残念だった。今年は去年の分もあわせてワクワク。
 音楽監督は中西俊博、場所は青山円形劇場、客層も「ア・ラ・カルト」ファンに近い感じ。「ア・ラ・カルト」とROLLYって、とっても相性がよかったんだね。

 ドラマチックな1st Showと、ギター演奏を堪能した2nd Showの二部構成。このライブのために書き下ろした曲や、ミュージカルナンバーにオリジナルの詞をつけたものもあり、ちょっと妖しい世界を見せてくれるが、人柄なのか、どこか真面目で優しいステージだ。円形舞台で、正面と背中に二台のマイクを据えて歌うあたりは、サービス精神旺盛な演出だ。彼にとって、円形の魅力はなんだろうか。客席が近いこと? 
 「恋の1,000,000$マン」や、アンコールの「恋のマジックポーション」も、ご機嫌でした。
 JAZZギターの演奏は初めてだそうだ。ロック、シャンソン、ジャズと広がり、来年はクラシック?なんて話もあった。次も楽しみ!

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AKURO

 ミュージカル「AKURO」を観る(サンシャイン劇場)。
 大和朝廷による陸奥の蝦夷征伐の伝説では、蝦夷側の長がアテルイ、別名悪路王と言われている。
 今回の物語は、降伏したアテルイが大和に騙されて命を落とした後のことだ。蝦夷を平定するために赴任してきた阿倍高麿(坂元健児)を主人公に据えているが、高麿は、大和を信じられず抵抗する蝦夷側にも共感し、共に生きる道を探そうとする。平安初期の設定だが、今日的なストーリーだ。

 高麿の坂元健児、謎の青年、実はアテルイの吉野圭吾、蝦夷の現在の長に駒田一、蝦夷の血気盛んな若者オタケに平澤智、等々、ミュージカル好きにとってはおなじみの役者が揃った公演。「この胸板の厚い人は誰?」と思った、蝦夷の若者ヒトカは、『INTO THE WOODS』のプリンス・チャーミーでした。
 今回へえと感心したのが平澤智で、こんなに荒々しい役を観たのははじめて。新しい魅力を発見した。殺陣になると、鋭い身のこなしで、この人がJAC出身だということがよくわかる。柔らかな身のこなしの吉野圭吾とはひと味違っていた(どちらも美しいけど)。坂元健児は、若干歌が弱いところがあったが、人のよいまっすぐな気質の高麿を好演していた。

 男性がほとんどの力強い舞台で、太鼓が効果的に使われていた。ダンスや殺陣も見応えがあったが、舞台が広ければもっと迫力があっただろうと思うと惜しい。

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やっぱりFREDDIE

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 「FREDDIE MRECURY(solo)」というCDを買った。「MR BAD GUY」と「BARCELONA」の2枚組にボーナスCDが付いている。「MR BAD GUY」は、実は、リアルタイムのレコードで持っている。でもレコード聴く機会なんて、もうないし。今持っているコンポはレコードプレーヤーを接続すれば聴けるのだけれど、場所の問題が…。
久しぶりのFREDDIRのソロ、いいですねえ。今更言うのは野暮だけど、歌が上手い。ついでに「オペラ座の夜」のCDも引っ張り出して聴いている。
 私は姉の影響で、リアルタイムで聴いていた。最近のQUEENブームもいいのだけれど、やっぱりヴォーカルはFREDDIEでなければ…。

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再び「MOZART!」

 8月3日、マチネの「MOZART!」を観た。自分の影から逃れられないという葛藤は天才がゆえに強くなるが、誰の人生にも自分との葛藤、他人との葛藤はあり、ある意味では普遍的なテーマ。天才の人生を通して普遍的なテーマを観られることも、この作品の魅力になっている。

 ヴォルフガングは、自分の意思を貫いたのだから、それなりにいい人生だったのだろう。不本意な人生で可哀想なのは姉のナンネールだ。少女の頃は弟と同じように「奇蹟の子」であったのに、女だからと音楽を封印され、弟の浪費癖で貧乏になり、母も失い、結婚資金もない。ようやく結婚し子どもを産んだら、その子を父が「奇蹟の子」に仕立てようとする始末。父のレオポルト(市村正親)もまた不本意な人生を送った人だが、息子の才能を信じながら、幼少期の息子を見せ物にし、大人になってからは息子が自分を超える事を快く思わなかったステージパパ。ヴォルフガングをかばう手段だとしても、この期に及んで孫を「奇蹟の子」として大司教に差し出そうとするなんて、懲りないバカな男だ。結局はヴォルフガングのことも、ナンネールのことも、自分に都合のいいようにしか愛していない。というより、それが当たり前の、父親が絶対の時代だったのだろう。高橋由美子は可憐で寂し気なナンネールを好演。金髪の三つ編みもよく似合う。

 この回のヴォルフガングは井上芳雄、アマデは高橋愛子。アマデ役の子役たちのうまさ、可愛らしさも忘れてはならない。他に7月30日から、コンスタンツェが西田ひかるから木村佳乃に、ヴァルトシュッテッテン男爵夫人が久世星佳から香寿たつきに替わっている。
  悪妻と呼ばれるコンスタンツェにも、言い分はあるだろう。前回観た西田はなんに対しても投げやりな感じだったが、木村佳乃のコンスタンツェはヴォルフガングに思いを寄せていそうだ。ただ木村の歌は、劇場の大きさに負けまいと力が入ってしまっている。
 中川晃教がラストに向けて突っ走るような、無邪気な中にも影があるヴォルフガングなのに対して、井上芳雄のヴォルフガングは節目節目で彼なりに考えて、生き方を選択しているような印象を持った。選択次第であるいはアマデとうまくやっていけたかもしれない、という余韻を残す。期待していた歌は高音に伸びがなくて残念だった。
 井上と中川の魅力の対比が話題になっている舞台だが、作品自体がとても面白い。私ははじめに中川の歌が目当てで観たのだが、作品の解釈としても中川派。井上ははじめて観たので、今後他の作品も観てみたい。

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MOZART!

 ミュージカル「MOZART!」を観た(7月24日ソワレ)。2002年の初演は残念ながら観ていない。主役のヴォルフガング・モールアルトは”ミュージカル界のプリンス”井上芳雄と、初演で数々の賞を受賞した中川晃教のダブルキャスト。去年「SHIROH」で中川の歌に魅せられた私は、迷わず中川の舞台を選んだ。お目当てはもう一人、シカネーダー役の吉野圭吾。
 
 天才モーツアルトの葛藤の人生の物語。モーツアルトがけっこうチャランポランな男だったということは、後世の私たちはもう了解済みだろう。そこでモーツアルトの人格を二分し、大人になったヴォルフガングに、世間が望むモーツアルト像であり天才の証しとして神童のままで作曲に勤しむアマデ(子役・大沢ともよ)を、いつも添わせて内面の葛藤を描いている。他にステージパパの父レオポルト(市村正親)の束縛、領主で雇い主のコロレド大司教(山口祐一郎)との対立と、3つの葛藤が彼を支配する。成長過程でレオポルトとコロレドの支配がアマデをつくったとも言えるが(才能を伸ばすと同時に天才という世間の評判を確立させた)、ヴォルフガングが大人になった今となっては、レオポルトとコロレドがいたからこそ、ヴォルフガングとアマデが均衡を保っていたとも見える、と考えるのは深読みか?

 コロレドとの対立は階級社会に対する反発でもあり(当時は貴族に仕えてこその音楽家だった)、彼の天才性に加えて貴族社会が力を弱めていたという時代背景もあるのだろう。隣国でフランス革命が起こり、シカネーダーが平民のためのオペラ「魔笛」をつくろうとモーツアルトに持ちかける。「魔笛」は成功するが、残念ながらその後、彼が平民のために曲をつくることはない。せっかく自分を支配しようとするもののひとつから自由になりかけたときに命が終わるとはなんとも皮肉なのだが、他からの束縛がなくなるということは、かえって自己の内面に向かわざるを得なくなるわけで、貴族の支配から自由になる道を提示されたことで、あるいはその前に父がなくなったことで、アマデの影がより大きくなって彼を苦しめたのかもしれない。彼はコロレドの支配には反発するが、平民に向けて曲を発表することは自分からは思いつかなかったようだ。その道を示したシカネーダーはモーツアルトの理解者ではあるが、破滅に拍車をかけた人間でもありそうだ。彼の才能を愛し親離れを促したヴァルトシュテッテン男爵夫人もまた同じだろう。吉野圭吾のシカネーダーが登場するナンバーは華やかで、舞台がぱっと明るく、ちょっと妖しくなるのが魅力的。

 中川晃教のヴォルフガングは少年っぽさが残る奔放なヴォルフガングで、なにより自由自在に高音を操る歌唱力が素晴らしい。この人の歌のうまさは天才的で今更感心するようなことではないけれど、その声にうっとり。機会があればもう一度中川を観てみたいと思うし、”プリンス”井上がどのようなヴォルフガングを演じているかも観てみたい。

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SCANCH「軌跡の詩」

 最近部屋で聴いているのが、ROLLYデビュー15周年のアルバム「SCANCH 軌跡の詩」。 ROLLYが、まだローリー寺西で「すかんち」だったころ、騒いでいた同僚がいたのを思い出す。私は「ふーん」って感じだった。その後、ミュージカルに出ているのを見て「へぇ」となり、昨年末の「アラカルト」で「ほぅ!」。シャンソンやブルースもなかなか素敵。

 で、すかんち時代の曲も聴いてみようと思って。アルバムはCD&DVD。歌謡曲テイストのロックが青春していて、若くて、華やかだ。それはたんにROLLYの年齢が若かったというだけではないような? こういう若さって、今の20代の音楽シーンにあるのだろうか?

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