書籍・雑誌

図書館の問題

図書館に寄ったら、玄関に盗難防止装置のゲート(CDショップなどでよくみかけるもの)が設置されていた。つい10日ぐらい前に行ったときはついていなかったんだけどね。
 カウンターで応対してくれた職員に「とうとうゲートが付いちゃうんですね」と言ったら、「そうなんです。3月から稼動するんですよ。あんまり盗難が多くて、やむに止まれず」。二人して溜息をついた。昨年の今頃、監視カメラがついた。それでも盗難は、減らなかったということだろう。

 心ない人たちのために規制や監視が強化されていくのは嫌だが、仕方がないか、とも思う。

 自治体の図書館運営も、考え直したほうがいい。なぜ、図書館は無料なのか。いくらかの受益者負担があってもいいではないか。年会費制とか、カード発行時に幾らとか、延滞金を徴収するとか。もちろん免除規定があっていいが、わずかでも費用を負担して「自分たちの図書館」という意識を共有したほうがいいのではないだろうか?

 教育機関だから無料であるという理屈は、どうなんだろう。原則無料のはずの美術館も博物館も有料だ。図書館と博物館はどう違うのか? 「本を読む機会はすべての人に与えられなければならない」そうだが、たとえば、年会費1000円を徴収したところで、図書館を利用する本が好きな人が(当然図書館を利用しない本好きもいる)、図書館に足を運ばなくなるとは考えにくい。大都市のいくつかの自治体が歩調をあわせて同時に踏み切れば、有料化もあり得るのではないだろうか。

自治体の図書館でもベストセラーにリクエストが集中し、1年待ち、2年待ちも珍しくないそうだ。そんなことも含めて、図書館の状況を貸本屋のようだと批判する人もいる。
 今日借りてきたのは絶版になっている本。最近は絶版本が多いから、書店で新品をみつけたくても苦労する。あと5年ぐらいしたら、地域の図書館には「当時のベストセラー本」しかなくて、新刊書店でも「当時のベストセラー本」が文庫になっていて、という時代になるかもしれない。ベストセラーにならなかった本は、どこで探せばいいのか? 古本屋か? もしかしたらそんな現象は、もうはじまっているのかもしれない。

 図書館の問題は、実は図書館の問題ではなく、「本」を巡る問題なんだろう。もっといえば、長いこと、自分たちの文化や社会を大切にしてこなかったツケだ。そんなこと、現場の人はとっくにわかっているんだろうな。

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王朝の恋 描かれた伊勢物語

 出光美術館『王朝の恋 -描かれた伊勢物語-』を観た(2月17日まで)。

 お正月からバレンタインディの時期にかけての企画が『王朝の恋』とは、考えましたな、出光美術館!

 平安時代の恋愛短編集物語(歌つき)だが、江戸時代に流行して、「伊勢物語」を題材にした絵画も盛んに描かれたのだとか。そのせいか、展示作品のほとんどが江戸時代のもの。俵屋宗達(工房、伝を含む)の「伊勢物語図色紙」をはじめ、琳派の作品が多い。

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俵屋宗達「伊勢物語図色紙 大淀」

 なぜ「伊勢物語」と呼ばれるのか諸説あるようだが、男(在原業平)と伊勢神宮の斎宮(神にお仕えする、未婚の皇女)が恋に堕ちる話があって、そこから「伊勢物語」と呼ばれるという説がある。大淀は、兼平が伊勢から旅立った港の名。
 これは実話なんだそうだ。神に仕える斎宮は、人間の男となんか契ってはいけないので、当時の大スキャンダルだったとか。つまり、インパクトが強い段(話)から書名を付けた? 
 「伊勢物語」は、兼平の話が多く、藤原高子との恋愛(芥川)も伝えられているが、アブナイ恋に燃える人だったんでしょうね。
 
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「兼平東下り図」 鈴木守一 
 高子との駆け落ちに失敗した兼平が、京に居にくくなって旅に出るのが「東下り」。平安時代の人にとっては東に”下った”のでしょうけれど、下らないと富士山は観られないのですよ。江戸時代の江戸っ子の間では富士講も流行って、富士信仰が浸透していたらしいから、この画題は人気があったんだろうなあ。

「東下り」の「八ツ橋」にちなんで、酒井抱一の「八ツ橋図屏風(右隻)」。
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 「伊勢物語絵巻」(鎌倉時代 泉市久保惣記念美術館蔵・重要文化財)は2月5日から17日までの特別展。観たいなあ。また行けるかなぁ。


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スウェーデン児童文学フェア2007

 子どもの日、スウェーデン大使館で行われている「スウェーデン児童文学フェア2007「ピッピからペッカ」 -東京発スウェーデン児童文学へようそ!-」に行った(5月13日まで)。

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 今年はアストリッド・リンドグレーン生誕100周年だそうだ。 リンドグレーンは、『長くつ下のピッピ』をはじめ、その作品が世界中訳90言語に翻訳されている、スウェーデンで一番有名な作家だ。私にとっても、ピッピは永遠のアイドルだし、「やかましむらのこどもたち」の世界も大好きだ。
 リンドグレーンを紹介するパネルに、”遊ぶことは、生きること”とあって共感。子どもはもちろん、大人も(想像力豊かに)遊ばないとね。(以前、「遊企画」というライターユニット名で仕事をしていたときに、某自治体の担当者から「遊という字が不真面目な印象だ」と言われたが、そんなことだから「行政は!」って言われちゃうんじゃないの?)リンドグレーンは児童福祉にも尽力した(写真は、ピッピ型の椅子に座るピッピの人形)。

 「小さなノーベル賞」と呼ばれているリンドグレーン記念文学賞も紹介されていて、2005年には日本の荒井良二氏も選ばれていた。荒井さんといえば、「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」でも紹介されていた挿絵画家だ。 

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 リンドグレーン以外の作家も数多く『小さい女の子と大きい女の子』(カーリン・ヴィールセン 作/クリスティーナ・ディグマン 絵)という子どもの心理をよく表している作品が紹介されていた。幼い女の子が、母親から「(まだ小さいから)○○しなさい」と言われ、あるときは「もう大きいから○○できるでしょ」と言われてアタマに来ちゃう、子どもにとっては理不尽な、でもありがちなお話で、その子の怒った表情がなんとも可愛い。日本語訳はまだのようだが、是非ともお願い!

 スウェーデン料理のカフェが出店していたので、ミートボールのプレートを注文。ビールがあったらなお美味しいだろうと思うけど、”こども”のフェアだものね、失礼。椅子に腰掛けたり、カーペットに座ったりして自由に本が手に取れるコーナーや映画の上映もあり、会場はゆったりとした時間が流れていた。児童文学のみならずスウェーデンという国に親しみを持ったフェアだった。

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松本和将 ラプソディ・イン・ブルー

 普段、クラシック音楽の情報誌を購読しない私が、いそいそと買った「モーストリー・クラシック」5月号。お目当ては付録のDVD、松本和将の「ラプソディ・イン・ブルー」。12月22日東京文化会館小ホールのリサイタルの最後の演目が、収録されている。

 「クリスマスのイベントとして、なにか聴きたいな」「若手のピアノを聴いてみたいな」ぐらいの気持ちで探して、松本和将のリサイタルに行ったのだが、あの日の興奮は忘れない。
  2部は「火祭りの踊り」「アンダルシア幻想曲」、「1960年 ナイトクラブ」と激しい曲が続いて、興奮の渦の中(私の頭の中は!)、ラストに弾いた「ラプソディ・イン・ブルー」。DVDは「ラプソディ・イン・ブルー」だけなので、さすがに当日のような衝撃はないが、またあの”弾きまくる”演奏が聴けて嬉しい。雑誌の付録に、ライブ演奏のDVDが付くなんて…と感激、って年寄りみたい? 当たり前の時代なの?
 臨場感はライブに叶わないけれど、松本さんには、願わくばあの日の2部の構成で、CDつくってほしい。
 
 しかし、「モーストリー・クラシック」のDVDの、このライブが紹介されているコーナーのタイトルが「LIVE! 産直一本釣り」。他にもオススメ公演のコーナーが「○月の投資銘柄」だったり。うーん、なんだろう、このセンス。お高くとまっているというクラシックの印象を払拭するためなのか? インパクトを狙ってのことなのか?
 コンサートカレンダーや放送カレンダーが載っている「プチ・モス」という別冊付録に感心。熱心なクラシックファンは、こうやってチェックしているわけですね。

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桜さくらサクラ

 一足はやい”バーチャル”お花見、第二弾!

 お花見の名所、千鳥ヶ淵のすぐ近くの山種美術館で、「桜さくらサクラ・2007-花ひらく春-」という展覧会を観た(4月15日まで)。 山種美術館は日本画専門の美術館で、春の桜にちなんだ展示は恒例になっている。
 今年は、桜だけでなく、広く春を題材にした作品を集めている。

 
 いろいろな作品があって楽しい”お花見”だが、とくに惹きつけられたのはこの二点。

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 加山又造の「夜桜」。横山大観の「夜桜」が構図も色もダイナミックなら、こちらは月もおぼろで、色遣いも落ち着いているが、どこか華やかで、こういう桜のほうが妖気が漂っていそう。坂口安吾や梶井基次郎の世界に誘われそうだ。

 奥村土牛「吉野」。壁一面が吉野の山になったような大きな作品で、「霞か、雲か」という桜の歌を思い出した。長閑な春、だ。

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 山種美術館は今年40周年で、次はコレクション名選展だそうだ。土牛の「醍醐」「鳴門」も出るというから楽しみ。小さな専門美術館も、とくに日本画は、いいものだ。
 ただ、ここは、ロビーが狭いせいか、ロッカーがないのが残念。重い荷物や嵩張るコートを気にせず、ゆっくり観たいじゃないの。高齢社会でもあることだし、ぜひ設置してほしい。

 


 

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それでもボクはやってない

 今話題になっている周防正行監督の『それでもボクはやってない』。映画を観た後に、本を読んだ。

  映画は、痴漢冤罪を描いた社会派ドラマだ。主人公の金子徹平(加瀬亮)が就職の面接を受けに行く朝、通勤電車の中で痴漢に間違われ、誤認逮捕される。「ボクはやってない」と否認し、裁判で争う。
 観客は徹平がやっていないことを映画の中で知らされているので、理不尽な目にあっている徹平に感情移入しながらストーリーを追うことになる。加瀬亮っていい役者だ。また脇も、徹平の母親にもたいまさこ、親友に山本耕史、担当弁護士に役所広司と瀬戸朝香といい役者が揃っている。瀬戸朝香ってこういうキッパリとした役にいいんだなあ。裁判官の小日向文世と正名僕蔵も対照的でいい味だしているし、当番弁護士の田中哲司も渋いし…、と挙げればきりがない。
 
 裁判員制度の実施を控えているので、この映画をきっかけに裁判への関心が高まれば、という意味でタイムリーなんだろう。周防監督も日本の刑事裁判を問うことを狙っているようだし。でもお勉強の前に、ドラマとしても面白かったよと言っておきたい。

 ここからネタバレ(もともとネタバレ?)。
 見終わったあとに、隣の人たちは「やっぱり有罪だよね。じゃないとお話しが成り立たないモンね」と話していたが、うーん。徹平に感情移入しなくたって、シロウトか考えたって、読み上げられる判決文の事実認定は、無理がありすぎ。「お話し」の都合と考えたいが、実際の裁判でこんなに杜撰なの? 
 物的証拠が乏しい痴漢という犯罪の特殊性や、裁判制度の疑問の前に裁判官の人手不足も考えさせられてしまう…。

 どうも消化しきれず、本を読んでみた。シナリオと、周防監督の自作解説、そして元裁判官の木谷明氏に周防監督が裁判の疑問点をぶつけている「徹底対談--日本の刑事事件はどうなっているのか」の三部構成になっていて、とくに対談が読み応えがある。私が疑問に思った事実認定も木谷氏が解説しているのだが、やはり監督は「裁判官に当たり、外れがある」と言っている。この文脈だとハズレのほうが多いってことだろう。

 傍聴、してみようかな。裁判員制度、きちんと知っておくべきだな。って、まさに周防監督の狙い通りだな。

 

 

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ブラティスラヴァ世界絵本原画展

  三鷹市美術ギャラリーで開催されている「世界の絵本がやってきた - ブラティスラヴァ世界絵本原画展」は、絵本好きにはたまらない、楽しい美術展だ。

  スロヴァキア共和国の首都ブラティスラヴァで、隔年で催される世界最大規模のこの絵本原画展は、1967年にはじまり、今年で20回を迎えるそうだ。
 展示は三つの構成からなる。第1部は、2005年の受賞作品を紹介した 「ブラティスラヴァ世界絵本原画展(BIB) 2005」。第2部は日本の国内審査を通過し本選に出品した「BIB2005 日本作家の作品」。第3部は、スロヴァキアの隣国(1993年まで同じ国だった)チェコの絵本や挿絵画家の紹介。 

 チケット購入時に一緒に渡される説明書が優秀だ。一つひとつの作品の内容紹介と、なおかつ一部・二部の作品には、たとえば、2005年に大賞を受賞した「黒鉛筆と赤鉛筆」なら、「絵の中に本物のえんぴつの一部が使われています。どこかな?」というように、クイズ形式で鑑賞ポイントが書かれているのだ。原画だけでも味わい深いけれど、この解説書がないのとあるのでは大違いだと思う。順路の途中の、出版された絵本を読めるコーナーもある。クイズを解きながら絵を観たり、絵本を読んだりしていたら、あっという間に時間が経ってしまう。 

 第3部の展示で、懐かしい絵本に出会った。ヨゼフ・チャペックの挿絵の『長い長いお医者さんの話』。たぶん我が家の本棚のどこかに眠っているはず。『たのしい川べ』も、この人だったのかと嬉しくなったのだが、購入した図録を読むと、1945年4月にベルゲン-ベルゼン収容所にて亡くなったそうだ。過酷な運命の人だったんだ。どんなお話しか忘れてしまったので、再読してみよう。
 ギリシャからBIB2005に出品された絵本は、「サンタクロース戦争へ行く」という題名だった。表紙しか観られなかったのだけれど、ストーリーを知りたい。平和な結末になっているといいのだけれど。
  
 写真は、チェコのヨゼフ・ラダが描いた黒ビールの宣伝カードと、チケットに使われているのは、荒井良二「おばけのプルプル」(BIB2005日本作家の作品)。
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3月11日まで。
 


 

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鵺/NUE

 以前、『鵺/NUE』の感想はまた後日と書いてから時間が経ってしまったが、その感想を。というより、宮沢章夫について、かな。

 『東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房)を読んで、宮沢章夫に興味を持った。 『東京大学「80年代地下文化論」講義』は、80年代、文化、東京、と私がツボにはまる要素が揃っていたから、今年読んだ本ナンバー3に入るぐらい面白かった。もちろん彼の80年代感がそのまま私の80年代感ではないが、結論めいたことを強く押しつけない語り口は、読者(講義録なんだからほんとは目の前にいる学生なのだろうけれど)に考える余地を与える。80年代を「バブル」の一言でまとめてほしくない私は、彼の講義に共感した。
 
 それから、彼のエッセイを続けて読んでいる。マイブームになったちょうどその頃、『鵺/NUE』が上演され、「ユリイカ」で宮沢章夫の特集が組まれた。

 『鵺/NUE』はどういったらいいのだろう。意図したものは頭ではわかったつもりだが、芝居としては胸に響いてこない。こんな言葉がもしあるなら、”ミスキャストならぬ、”ミス シアター”なんじゃないだろうか。清水邦夫の戯曲の引用は、せめて新宿の紀伊國屋ホールで観てみたかった。「現代戯曲集」シリーズが世田谷パブリックシアターの企画だからしょうがないだろうけれど、新宿で 『鵺/NUE』だったら、もっと清水戯曲のインパクトが強かっただろに。
 
 当然ながら、考えながら話す『東京大学「80年代地下文化論」講義』と、演劇や小説など作品になったものの印象は微妙に違う。でも、『東京大学「80年代地下文化論」講義』と 『鵺/NUE』に共通していたのは、どちらも近い過去を掘り起こし、現在あるいはその先に伝える作業だった。消費ではなく、未来に繋げていく作業。

 宮沢の芝居を観たのはこれがはじめてなので、来年は遊園地再生事業団の公演を観たい。
本は順不同で読んでいて、いまは『チェーホフの戦争』を読み始めたところ。まだ自分の中で「宮沢章夫像」ができていないのだけれど、しばらく追ってみたい人だ。

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のだめカンタービレ

 コミックをほとんど読まない私(いいトシの大人だし)が、夢中になっている『のだめカンタービレ』二ノ宮知子(講談社)。
 昨年、ネット書店のトップページで知り、「音楽を、視覚的なマンガでどうやって表現しているの?」という感心から入って、はまった。オーケストラのリハーサルや本番の楽器演奏のシーンは、どの曲も同じような絵になってしまいそうなのに、曲の解説や演奏者の心情を交えて、ちゃんと違う絵になっている。どのシーンにどんな音楽を使っているのかも興味があるところ。曲の使い方に緩急があるというか、おなじみの曲名が出てきたかと思うと、マニアックな曲が出てきて、知らない曲は聴いてみたくなる。詳しくないけど時々クラシックを聴きたくなる私にとっては、いいナビーゲーターだ。もちろんコメディな学園青春(成長)もので、爽やかな(?)恋愛があるストーリーや、笑いのツボがいいのだけれど、それだけじゃこんなに夢中にならなかったと思う。

 コミックが好きだからテレビドラマも楽しんでいる。ドラマで音楽を扱うことはお手のものだろうが、こちらは「マンガチックな場面を、実写ドラマで表現している」ことが面白い。もちろんCGを駆使しているんだろうけど、のだめ(野田恵)役の上野樹里は体当たりだし、配役も原作のイメージにぴったりだ。目立たない役だが、安岡先生の西村雅彦もいいなあ。

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アムステルダム 

 『アムステルダム』イアン・マーキュリー(新潮社)

 本を整理していたら見つけた、いわゆる「積ん読」になっていた本。端整なイメージの、シニカルな英国の小説。面白い。なんでもっと早くに読まなかったんだろう。

 始まりは、一人の魅力的な女性モリーの葬儀の場面。若い頃モリーと恋愛関係にあった、音楽家のクライヴと、新聞編集長のヴァーノンは、長年の親友でもある。彼らが牽制しているのは、やはりモリーの恋人だった外務大臣のガーモニー。モリーの夫で出版社社長のジョージのことは「陰気で所有欲が強い」と嫌っている。なにしろ、「あのプライドの高いモリーが」「ジョージによって病室に監禁され」たと思っているのだ。とうの昔に終わった恋で、彼らにも妻や恋人がいるのに、その厚かましさったら。いや、モリーの病気が若年性アルツハイマーじゃなかったら、監禁されたなんて思わなかったかもしれない。経験豊富で社会的地位もある良識的な人間のはずが、葬儀後、彼らの言動は、少しずつ少しずつ微妙にズレていく。モリーを巡る男たちの争いというより、アルツハイマーの恐怖にとりつかれてしまったみたいだ。このズレがとってもシニカル。良識人と見なされている人間が、良識的な振る舞いをするとは限らないのだ。

 タイトルになった「アムステルダム」は、安楽死が法律で許されている場所として出てくる。98年に書かれた小説だが(日本語訳は99年)、読んでいるうちに、今の日本の少々脅迫観念的な脳の健康ブームが頭をよぎる。私も登場人物の歳に近くなったし、積ん読になっていたのは、面白く読める時期を待っていたのだろうか。 

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ガウディの伝言

『ガウディの伝言』外尾悦郎(光文社新書)読了。
 
  ずいぶん前のことになるが、サグラダ・ファミリアの建築に携わっている日本人彫刻家のドキュメンタリーをテレビで観たことがある。ガウディの設計で1世紀以上の時をかけてもまだ完成しないサグラダ・ファミリア。スペイン的とかカソリック的と言っていいのかわからないが、この聖堂に日本人が働いているということが、とても印象的だった。その彫刻家、外尾悦郎さんがサクラダ・ファミリアを中心にガウディを語ったのが、この本。

 ガウディといえば、宗教的な建築の他にも、グエル公園とかカサ・バトリョとか、華やかな装飾的な作品が多いが、実はそれらが緻密な設計理論に裏打ちされた「美」だと知って驚いた。構造はもとより、たとえば、カサ・ミラの屋上にある煙突のソフトクリームのような形は空気の流れを読んだデザイン。建物の中の換気をよくするのだとか。たとえばカサ・パトリョ(集合住宅)の中庭の壁は、各階の採光を考慮し、光の反射を計算して色を変えている。グエル公園の中央広場のベンチには、不良品のタイルを利用した。
 ガウディは自然の秩序を重んじたという。「人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである。新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する」。それはキリスト教信仰によるものだが、宗教を超えて、時間を超えて、後世の我々は自然との関係について謙虚に考えてみる必要があるだろう。
 
 ガウディが幼いころからリウマチを患っていたこと、天才と呼ばれながら決して恵まれた環境ではなかったことなど伝記的な記述もみられる。著者がサグラダ・ファミリアの仕事から、作り手として学んだことも多いようだ。まさに「ガウディの伝言」、興味深く読んだ。
 


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凸凹デイズ

『凸凹デイズ』山本幸久(文藝春秋)

 弱小デザイン事務所、凹組の現在と10年前を行き来する、グッとくる青春小説だ。
人生うまくいかないのが、当たり前。自分の描いたキャラクターが世間にデビューするチャンスが回ってきた凪海(なみ)だが、プロジェクトは一筋縄では動かない。出向した先は、かつて凹組のメンバーだった醐宮が社長の急成長のデザイン事務所。そこから凹組の過去が垣間見えはじめ…。現在の語り手は、凪海。現在のパートで凹組の’長’となっているオータキが10年前の語り手だ。登場人物のキャラクターが一人ひとり立っている。オータキ、クロにも、醐宮にも共感を覚え、読み返した。一生懸命な現在の凪海も可愛い。そして彼らを支える磐井田。

何度も読み返したほど気に入った物語なのだが、クレームもつけたい。凪海が遊園地に行った日の、彼女の起床時間と「笑っていいとも」の時間があわない、とか。凪海と醐宮が寄ったゲームセンターは、渋谷じゃなくて新宿なのか? とか。こういう箇所は、編集者や校閲が指摘しないんだろうか? と思うんだが…。残念。

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SILENT NIGHT

 友達が贈ってくれた、カナダのクリスマスの写真集。雪景色、美しい家並、温かなクリスマスイルミネーションの数々。日本もクリスマスイルミネーションが派手になっているけれど、所詮クリスマスの文化が違うのだなあと再認識。写真が存分に語ってくれる。写真:吉村和敏、物語:石田衣良。二人の対談もいい。

 ゆっくりとページをめくって、写真を味わう。そしてその時を楽しむ。今年の私にとって、思いがけない、嬉しいプレゼントだった。

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デザインのデザイン

 原研哉『デザインのデザイン』
 グラフィックデザイナーの著者が、デザインの本質を語っている。
 心に残るのは、「現在という場所から半歩先の未来を見るのではなく、過去から現在、そして少し遠い未来をみ見通すような視点に立ちたい」という言葉。高野孟『世界地図の読み方』の、地図を90度回転させ、ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、一番下の「受け皿」の位置に日本がくるという指摘で、腑に落ちたという日本文化への理解。
 そして最も興味深かったのが第7章「あったかもしれない万博」。これが書かれたのは03年で、05年の現在、愛知万博は成功だったといわれているが、初期の万博案とはまるで違うものだったらしい。私も自然破壊という世論が盛り上がって、計画が変更されたのをおぼろげに覚えている。原は初期の計画のデザインに関わった人で、その案がどのような構想だったのか、を書いている。それを読むと、万博の意義を問い直し、それこそ「少し遠い未来を見通す視点」で描かれた構想だったようだ。では、マスコミで盛んにいわれた「自然破壊」はなんだったのか…。もう一度「あったかも知れない万博」と、「あった万博」を、公平な目で誰か検証してほしい。
 原は、この章の終わりで「環境の問題であれ、グローバリズムの弊害の問題であれ、どうすればそれが改善に向かうのか、一歩でもそれを好ましい方向に進めるためには何をどうすればよいのか。そういうポジティブで具体的な局面に、ねばり強くデザインを機能させてみたいと思っている」と書いている。デザインだけでなく、さまざまな仕事に、この考え方が求められているのではないだろうか?

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星の王子さま

 と言うわけで、「星の王子さま」を読む。本屋さんに行って驚いたのだが、「星の王子さま」の関連本って多いんですねぇ。私が子どもの頃に読んだのは岩波書店版の内藤訳。それも新版になっているようだが、今年日本での著作権が切れて新訳も出ていたので、倉橋由美子訳と池澤夏樹訳を買った。倉橋訳は、帯に--大人のための『星の王子さま』--とあり、自分の感想と一番近そうだと思って手にとった。池澤訳は少し言葉を補っているのか、王子さまの言動がわかりやすい。

 また、両者とも解説がいい。王子さまは宇宙飛行士の分身であると、倉橋。一方池澤は、王子さまはイエス・キリストに似ている(--それが言い過ぎだとしたら、天使と言い換えてもいいけれど--)と言う。そしてキツネが王子に言った「飼い慣らす」という言葉が、キーワードのようだ。倉橋は「花」を女性に見たて、池澤は植物の「花」そのものとして扱う。

 池澤は、王子の語るモラルはフランス的で、イギリス人もドイツ人も、そして日本人も、決してこういう本は書けないという。池澤、倉橋両者の「飼い慣らす」「花」の解説部分を読んでも、「恋愛大国フランス」という言葉が浮かんだり、「農業国」という解釈に、さもありなんと思うが、では何故日本で(世界的な人気のようだけれど)、こんなに人気があり、子どもから大人まで読まれているのだろう? 大人にとっては、いろいろに解釈し共感できる深いお話が魅力的なのだろうが、献辞のせいで子ども向けというイメージができてしまったのではないか。もうひとつ、子ども向けになってしまった理由は、挿絵の影響が大きいのはないか、とも思う。日本人ってストーリーに関係なくキャラクターを受け入れる傾向があるからだ。

 いずれにせよ、「星の王子さま」は童話ではない、という印象を強くした。王子さまがいろいろな星を巡るところも、大人対子どもとではなくて、文明論(批判)なのではないかと思う。大人になった私には面白かったよ、「星の王子さま」。

 

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Musical 星の王子さま

 子どものとき読んだ「星の王子さま」は、難しくてつまらなかった。その印象を大人になっても引きずっているのだが、二年前の初演時に観ようと思ったのは、白井晃の演出だからだ。この人のつくる舞台は、いつも深くて美しい。

 宮﨑あおいの王子さまは今回も繊細で可愛いい。その王子さまを支えているのは、まわりの出演者(大人)の演技であり歌だ。物語の進行役である飛行士が岡田浩暉になったからだろうか、歌の印象もより強くなった(残念ながら宮﨑はほとんど歌わない)。なんともいえない優しさとさびしさが漂うROLLYのキツネがいいし、他にブラザートムの王様、森山開次のへビなど、子ども達にもおなじみの、パフォーマンスの質が高い人たちが出ている。視覚的にも美しく、幻想的な世界だ。

 この作品はこれで完成度が高く楽しめたのだが、それとは別に、子役でも大人でもいいが、男優が演じる「星の王子さま」を観てみたい。この舞台に限らず王子はいつも女優が演じているようだが、この話、実は男の物語なのではないか? 1943年の作品なので時代背景もあるだろうが、王子が出会う「大人」はすべで「男」。そして、パンフレットに書かれているように、王子が育てていた「花」のモデルが作者サン・テグジュペリの妻であるなら、妻(花)と喧嘩した男(王子)が旅にでて、王様や、うぬぼれ男、呑み助など哀れな同性たちに出会い、規則正しく働く点燈夫や特急列車に乗りこむ人々の姿をみて世の中というものを考え、仲良くなったキツネに諭されて、大切なものと自分の責任に気づく物語とも読める。だったら、男優で観たいと思わない? 
 また台詞を辿ると、王子の発言はけっこうワガママだったりするのだが、女優が演じるとそのワガママが打ち消されてしまう。宮﨑あおいにしても、やはり十代の女の子の可愛さで、おっとりと優しく(そこが彼女の良さでもあるのだが)、無意識のうちに人を傷つけてしまうような子ども特有の危うさはない。女優が演じるにしても、例えば高泉淳子が演じていた山田のぼる君のような、おしゃまで不安な気持ちを抱えた王子が一人ぐらいいてもいいように思うし、男性ならもう少しストレートなのではないかと思うのだけれど。

 そうなるといままでの星の王子さまのイメージとは違ってくるし、子どもが楽しめる路線は難しいのかもしれないが…。これは原作の「星の王子さま」をどう読むか、ということなんだろう。学生の頃再読したものの、それ以来読んでいない。新訳も出ていることだし、物語を読んでみようと思う。
 

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「るきさん」の時代 

 るきさんは、電卓と手書きで保険請求の仕事をしている。なで肩なのに肩は凝らないみたい。まだパソコン入力じゃないからなのかな? るきさんはダイヤル式の黒電話を使っていて、お友達のえっちゃんの電話はさすがにダイヤル式。でもまだケータイはない。るきさんも、えっちゃんもひとり暮らしなのに、玄関の鍵はかけてないみたい。
 こうしてみると、あの頃ってけっこうのんびりしていたかも。消費の権化のようにいわれるバブル期だけれど、その時代を体験した人間としては、社会全体が今よりスローペースだったように思う。消費社会といっても、新商品が出るサイクルは今より長かったようだし。その時代に推定30代のるきさんは、まだ日本がたいして豊かじゃなかった頃に子供時代を過ごしているはずだ。シンプルな半隠居暮らしが好きなのも肯ける。ブランド品が大好きなえっちゃんも、バーゲン命で、彼女なりの節約を試みているようだ。彼女も決してバリバリのキャリアウーマンではない。たぶん均等法前に入った事務職で、ベテランだが、仕事に先があるわけでもないようだ。それでも毎日真面目に通勤電車に揺られて出勤している。
 
 久しぶりに「るきさん」を読んで、バブルの時代を思い出した。ほんわかしている作品が、こんなに時代を反映していたとは! あの時代、若い女性の消費を促す「Hanako」に、この漫画が連載されていたことも面白い。読者は、るきさんにも、えっちゃんにも、自分の姿を投影して、クスッと笑っていただろう。1か月に10日しか働かないるきさんは、自分のためにちゃんとお金を使える人でもある。ここがミソ。お金を使うことって、節約することより難しいからね。 


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ダ・ヴィンチ・コード

 昨年話題になっていたときに上巻を買いながら、そのままになっていた「ダ・ビンチ・コード」を一気に読んだ。殺されたルーヴル美術館館長が残したダイイングメッセージから、ダ・ヴィンチの絵の謎解きがはじまる。なかでも「最後の晩餐」が大きな鍵を握っていて、聖杯伝説、聖書の秘密、マグダナのマリアとは誰か…。登場する秘密結社、芸術作品、建物、文書、儀式は、すべて事実に基づいているというから、凄い。それにより美術史、キリスト教史の新解釈ともなっている。「最後の晩餐」の修復がなかったら、この物語は書かれていただろうか、とも思う。ダ・ヴィンチの絵画はネットで検索し、鑑賞しながら読んだ。じっくり落ち着いて読みたかったので今になったが、こういう骨太かつ緻密な物語は、時間を忘れるぐらい夢中になって読むのが楽しい。

「ダ・ヴィンチ・コード」上・下 ダン・ブラウン (角川書店)

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Arne

 久しぶりに吉祥寺のリブロに立ち寄ったら、「Arne(アDSC02536-1ルネ)」という雑誌を見つけた。壁(正確には柱)のラックに置いてあったバックナンバーに、特集「佐藤雅彦さん 僕が好きでしょうがないもの」という号があったので、手に取った。佐藤さんのファンなので1冊、それから最新号も1冊購入。こちらはプロダクトデザイナーの深澤直人さんの特集。深澤さんのデザインした、auのINFOBARを使って以来、気になるデザイナーさんだ。その雑誌で紹介されていた佐藤さんの好きなものは、オーダー家具。オーダー家具には残念ながら手が届かないが、佐藤さんの事務所も、深澤さんの事務所もなんと整然としていることよ。

 「Arne(アルネ)」は衣食住に渡る生活デザイン誌とでもいおうか、イラストレーターの大橋歩さんの会社でつくっている季刊誌。定価525円也(http://www.iog.co.jp/index.html)。3周年ということで、リブロでも目立つように置いていたのかしら? 写真が美しいし、邪魔な広告がない。面白かったのは、12号の「夏に着るもの」の「ゆかたは藍染めが絶対に好き。」。着こなしも、着付けも基本形で、私の希望的な観測かもしれないが、これって今の若い人のゆかたブームに、さりげなく待った!をかけているんじゃないだろうか? と、ちょっと嬉しくなる。

 「ほぼ日刊イトイ新聞」に、ちょうど「Arne(アルネ)」の話が載っていて(http://www.1101.com/jibunnokimochi/index.html)、大橋さんがひとりで編集している雑誌ということにも、興味を覚えた。大橋さんほどの著名な人が、とも思うが、本当に発信したいことは自分の手で、ということなのだろう。

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