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アドバルーン

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  2014年正月、東急吉祥寺店の「冬のクリアランスセール開催中」のアドバルーン。アドバルーンなんて久しぶりに見ました。
 最後に見たのはいつだったでしょう? 記憶にあるのは子どもの頃に、東急東横店の屋上から上がっていたアドバルーンです。
 最近では、なんと芝居(岸田國士「屋上庭園」)で見た大正時代のデパートメントのセットでしょうか。
 
 懐かしい昭和っぽい風景ですが、吉祥寺に似合います。


あけましておめでとうございます

Nennga142


                今年もよろしくお願いいたします。

映画『風立ちぬ』

 観てから少し時間が経ってしまったが、映画『風立ちぬ』。

 宮崎駿監督引退宣言も受けて、いろいろ話題になったが、私は好かった。
 声高に反戦を唱えてはいないが、だからこそ徐々に時代に飲み込まれていく人たちと、技術者の性(サガ)を考えさせられた。以下、一部に焦点をあてた感想(ネタバレあり)。

 印象に残ったのは、サナトリウム。
 主人公、堀越二郎の恋人 菜穗子は、結核を治したい一心で山の病院にいくが、そこは治療のための病院ではなかった。菜穗子の父親はそれを知っていて、入院を勧めず自宅療養させていたのだろうし、二郎もまたそれを知っているからこそ病院を抜けてきた菜穗子を手許に置いたのだ。
 医学生だから医学を信じたい二郎の妹、加代は、兄に説教するが、彼女もまた兄と菜穗子の気持ちは痛いほどわかる。離れに住まわせる黒川夫妻もわかっていた。

 治らない病気、とわかったときに、人はどう生きるか。周りはどう支援するのか。
 不幸な時代に、重い病気を抱えて生きるとは、どういうことか。

 それから、煙草。
 喫煙シーンが多いとか、結核の妻が寝ている横で煙草を吸うとは、と言った批判があるようだ。日本喫煙学会からもクレームがきたとか。まあ学会としては指摘したいんだろうと思う。その批判を知ってから映画を観たからだろうか、煙草のシーンが気になった。本筋はそこではないのだが。  

 私は煙草を吸わないし、煙草の煙は嫌いだが、喫煙シーンへの批判に違和感を覚える。

 20代の友人と話したときに、煙草に対する認識が違ったことを思い出した。彼らは、喫茶店に入ればテーブルの上に当然のように灰皿が置いてある風景を知らない。職場でも、上司の灰皿の始末が女性社員の仕事の一つだった。

 もちろん、随分長いこと、煙草の害については言われてきているが、昭和40年、50年代ぐらいまでは、成人男性のほとんどは煙草を大人の嗜みのように吸っていたのではないか? たぶん、昭和初期も煙草を吸うことは男の嗜みだったのではないだろうか。( と思って後で調べてみたら、やはりそうだった。JT全国喫煙者率調査」。男性の7、8割が喫煙者だ。)

 元号が変わる頃から徐々に分煙、禁煙の動きが出てきたが、実際に社会が喫煙に厳しくなったのはこの10年ぐらいで、平成14年(2002年)に、日本で初めて千代田区が路上喫煙禁止条例を制定している。その後、これに倣う自治体が多く出たが、この時期多機能トイレ(だれでもトイレ)には「禁煙」の張り紙が増えた。外で吸えないから、トイレで隠れて吸うのだ。誰にも見つからずに済む多機能トイレは格好の場所だっただろう。多機能トイレでは、本来必要なユーザーが使えない、待ち時間が長い、吸い殻が汚いなどの問題が起きていた。

  路上喫煙禁止条例は喫煙マナーについてのルールで、健康に関する事柄は、平成15年(2003年)にWHOが「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」を採択し、翌年日本も署名、条約は2007年に発効している。

 
 話がそれたが、喫煙の習慣が社会的に当たり前のようにあったのだ。実在の堀越二郎は煙草を吸わない人だったそうだが、時代を表現する上で、喫煙者にしたのではないか。 
 

 地域包括ケアに関わる看護師と、こんな話をしたことがある。介助が必要な障害者が煙草を吸いたいといったらどうするか?
 その看護師はケアの観点から吸わせないと。私は、本人が煙草の害について承知なら判断は本人に任せるべき。看護師の顔がこわばった。
 その人にとっては数少ない楽しみの一つであり、リラックス方法なのだ。煙草を吸うことによって喘息の発作とか、なにかの症状がすぐ誘発されるのではないなら、喫煙のプラス面も考慮されるべきなのではないか? だって彼は判断能力がある大人なのだから。
 実際、知り合いに、美味しそうに煙草を吸う車いすユーザーがいる。チェーンスモーカーではない。ときどきほしくなるという。煙草を吸うことでリラックスできるのなら、それでいいではないか。

  健康志向を否定しているわけではない。できれば煙草は吸わないほうがいいと思う。
 だが、融通が効かない健康志向は、人に幸せをもたらさない。

 二郎が煙草を吸いたいからと、菜穗子の手を離そうとするシーン。菜穗子は横で吸っていいから手を離さないで、という。今の幸福感を手放したくないのだ。死期が近いのだから、それもいいではないか。

 
 今もまた窮屈な時代なのだと思う。生きづらさを抱えた人にはなおさら。

 それから。二郎の声の庵野秀明が話題になっていたが、上司の黒川を演じた西村雅彦声のが声がよかった。直属の上司で最大の理解者が、声も含めて、あのキャラクターで描かれていて、ほっとできたというべきか。

ブログを再開しました(ごあいさつ)

長らく休んでいたブログを再開しました。
バリアフリー、ユニバーサルデザイン、共生社会を中心テーマに、更新していきます。

よろしくお願いいたします。

照度の基準

最近の東京、節電の影響で暗いですね。

たとえば池袋の各路線の改札が集まる地下コンコースなんて、照明も案内のサインも灯りを消していますが、あれじゃあ、はじめて池袋に来た人は、なにがどこにあるのか捜すのに一苦労でしょうね。

と、視力がいい私でさえそう思うのですが、視力が弱い人とか、お年寄り(白内障)の人たちはなおさら不便。


照度についての基準、「福祉のまちづくり条例」を見てみたのですが、ないみたい。

みたい…では心許ないので、都の地域福祉推進課に電話して問い合わせました。

「福祉のまちづくり条例」「建築物バリアフリー条例」ともに照度は遵守基準がないそうです。
他の法令はよくわからないと言いながら、「聞いたことがない…」と。


ふむ。ユニバーサルデザインの視点を反映した基準を作る必要がありそうです…。


軽井沢からの手紙

  軽井沢のホテルから、こんな手紙が届いた。    


 Karuizawa

  私は、3月11日以前の計画通りに行くよ。

  東日本大震災で、被災された方々は過酷な生活をしいられている。原発の問題もある。
 そして、日本中が大変なことになっている。

  今日、被災地に送る支援物資をひと箱詰めた。

追悼の呼びかけ

  東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
   ―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
                          最初の呼びかけ人・内山 節


   日時  2011年(平成23年)4月24日日曜日
 
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。また
12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。

方法  ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、・・・・方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。
国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。


 東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。
 その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。
 古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。
 この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
 この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
 亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。ここからはじめませんか。

(内山先生は哲学者で、私は大学院で教えていただいています)

「原発導入のシナリオ」

 東京電力というのも不思議な会社だが、東電への追及が及び腰だったり、いまの電力供給体制への批判、原発反対の意見をマスメディアがなぜ報道しないのか?
 
 スポンサー(お得意さん)だから、という話がある。これはチェルノブイリ事故のときにも噂された。

 テレビは製作現場でも、受信でも電力を沢山消費するから、という説にも頷く。NHKが教育とBS2だったかの深夜帯を放送中止にしたとき、「深夜に節電しても意味がない」という意見を聞いたが、あれはあれでテレビ漬けの日常に慣れてしまった人に考えてもらう意味はあるはずだ。昔は、夜中の12時でテレビ放送終了だった。若者はラジオの深夜放送を夢中になって聴いた。テレビの終夜放送がはじまったのは87年からだという。

 電気がなければテレビ屋さんたちは、商売あがったりだ。
 
   
 ネットで見た 「NHK現代史スクープドキュメント (1994年3月16日放送) 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略
国際関係、米ソ冷戦の中で、原発導入が進められていくドキュメンタリー。そのような経緯を辿ったのはおおよそ見当が付くが、キーパーソンだったのが、読売新聞、日本テレビ放送網の正力松太郎だった。読売新聞は日本初の新聞、日本テレビは日本初の民放テレビだ。いまでいう メディア・ミックスって世論をひっくり返し、正力自身が政界に出る。

 腑に落ちた。日本のマスメディアは原発推進とともにあるのだ。

 94年になぜこの番組がつくられたのか、当時どんな社会情勢だったのか調べてみると、直接的な原発事故(放射能の問題)はみあたらず、やはり91年12月のソ連崩壊で冷戦終結したことを受けてスクープがあったためらしい。
 NHKもいい仕事をしたものだと感心する。
 しかし、現在ネットの「NHKアーカイブズ」には、この放送の文字データはあるが、肝心の映像はない。

 日本のマスメディアはジャーナリズムとは別もの。
 
 そろそろテレビは消したほうがよさそうだ。

 
 

 

東北関東大震災

 
東北関東大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。


 11日の地震発生時は自室で机に向かっていたが、長かったので廊下に出た。そのとたん、グワァン、グワン、と捻れるように床が揺れた。揺れが一旦治まって部屋に戻ると、多少落ちたものはあったが、本棚の本は無事だった。ちょうど日曜に本棚を一本増やしたばかりだった。シェルフの上に積んでいた本をほとんど整理していたから、散乱せずにすんだが、そのままだったら怪我をしていたかもしれない。
 地震直後テレビをつけたが、各局とも関東の情報はなかなか流れなかった。経験したことがない揺れだったので、関東の情報がわかるまで不安だった。その日は、東京の公共交通機関が止まって、多くの帰宅困難者が出た。私の家族も、友人も。ケータイ電話は通じず、ケータイメールも規制がかかり、いざとなると、公衆尾電話と昔ながらの家電の組み合わせが、確実な連絡手段だった。その他に確実に繋がったのがTwitter。翌日、連絡がとれなかった友達からもメールが入り、私の身辺はひと落ち着きした。

 しかし、みなさまご存知の通り、それからが日本は大変だった。
 東京でも余震がくるとどきっとし、眠りが浅い日が続いた。 

 そして、一週間が過ぎた。
 
 落ち着いていないので、先のことは言われていないが、根本的に考え直さなくてはならない問題がたくさんあるだろう。

 マスメディアの報道もイライラするがその批判はもっとエライ方々にお任せするとして、AC公共広告機構のCMは、テレビでもラジオでも続けてあればかり流されると、善意をこれでもかと押しつけられているようで気持ち悪くなってくる。あれは普通のときにチラッと流れるなら「ああ、そうだ」という気づきになるが。いや、根本的な問題があるかな。昔「指一本でボランティア」というCMがあって、「エレベータのボタンを押すことがボランティアなのか?」といった論争が起きた。あの体質は変わってないんだな。

 今は計画停電だし自粛ムードもあるが、東京で演劇や音楽ライブや美術展が通常通りできますように。芸術は”祈り”であり、社会を映す鏡でもあり、豊かさでもある。
 しかし、水戸芸術館が酷いのは解るが、ミューザ川崎シンフォニーホールも半年の休業とは…。

  書きたいことはたくさんあるのだが、うまくまとまらない。
風邪を引いたこともあって、自分にできることもストップしてしまった。

明日からは、少しずつ日常に戻って、本を読む時間を持とうと思う。

  

キャベツのピラミッド

東急百貨店吉祥寺店の裏で。まちの食と農フェスタ

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キャベツピラミッド。ご近所の三鷹はキャベツの生産地らしい。


漫才(お笑い?)とか、出店とか。JA東京むさしが、地元でとれた野菜を直販していた。
小松菜とブロッコリーを買う。さっそく今夜食べた。美味。地産地消っていいね。

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