文化・芸術

爆裂クインテット

 昨年の11月からmy boomの中西俊博。『ア・ラ・カルト』で20年前から聴いていたからいまさらなんだけど、この1年、かなりライブに通った。

 先日、超ご機嫌な爆裂クインテットのCDが出た。中西俊博(ヴァイオリン)をリーダーに、竹中俊二(ギター)、林正樹(ピアノ)、鳥越啓介(ベース)、海沼正利(パーカッション)というメンバー。巧いよねえ。楽しそうだし! ジャズ、ブルースから、ラテン系、アイリッシュ…、もう、音楽にジャンルはないのね!

夏に、横浜のモーションブルーで中西さんのライブを聴いたときは、ほぼこのメンバー。竹中さんがいないのが残念だったけれど、maikoちゃん(ヴァイオリン)がゲストだった。それがいまのところ、今年最高にノッたライヴ。だって、メンバーがめちゃくちゃ楽しそうに、jumpしながら弾くんだもん。

 11月のJZ Brat、いまから期待しちゃう。

 

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皇室の名宝展 日本美の華 1期

 東京国立博物館『皇室の名宝展 日本美の華』を観た。1期は江戸から明治までの絵画と工芸品(1期は11月3日まで)。金曜の午後だったがけっこう混んでいたので、肩越しに覗いて飛ばしてしまったものもあるが、観たいものは頑張って観てきた。

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 狩野永徳の唐獅子図屏風って面白いなあと唸って順路を歩いていくと、圧巻なのが伊藤若冲の動植綵絵三十幅。若冲、そーんなに好きじゃないけど、一堂に会しているので見応えアリ。しかし、すごい人。
 思いがけずといっては失礼だが、とても感心したのが川島甚兵衛(三代目)の「春郊鷹狩・秋庭観楓図壁掛」。これが織物なのだから、気が遠くなりそうな作業だろう。河並靖之「七宝四季花鳥図花瓶」も、黒の地に桜色と青紅葉の緑が美しかった。
 そして最後に展示されている松園の「雪月花」。雪が『枕草子』、月が『源氏物語』、花が『伊勢物語』から題材をとったという。描かれている人物の表情といい、色といい、とっても優しい気持ちになる三幅。
 
 今回改めて認識したのが、御物と三の丸尚蔵館所有の物との違い。御物は皇室の方々のもので、御物を国に寄付されたものが三の丸尚蔵館に納められているんだとか。三の丸尚蔵館にあるものも御物だと思っていた。

  秋の庭園開放をしていたが、まだ紅葉にははやいようで。

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ゴーギャン展 2009

 中村紘子リサイタルの帰りに寄ったお店で、マスターから「もう、行けそうもないから」と、ゴーギャン展 2009のチケットをもらった。会期は23日まで。ありがと、マスター! シルバーウィークのイベントが二つになった。

 というわけで、行こうと思いつつ、なーんとなくグズグズしていた近代美術館のゴーギャン展へ。あの画風が好きか、と問われれば、そうでもない。これがグズグズしていた理由。でも、日本初公開には弱い。

 観て良かった。ゴーギャンの作品が50点ほどあるのだが、やはり今回の目玉でもある日本初公開の「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が、大作だけあって印象的だった。展示の前に見た映像の解説が、わかりやすいが、ウルサクないのもいい。

 ずいぶんと哲学的だったんだな、ゴーギャンって。その題材をタヒチに求めたのはなぜ? 彼は生粋のフランス人じゃないから、パリの生活(それを文明と呼んでいいのか、どうか)が息苦しかったのかもしれないが、アルルの次に、幼少期を過ごした母方の祖国ペルーに行くという手もあったんじゃないか? しかしタヒチである。ゴーギャンの伝記をいくつも読んでいるわけではないのだが、入門書や、このゴーギャン展の解説では、タヒチ行きについて「西欧文明に背を向け」とか「文明と野蛮」といった言葉で語られている。でも、見方を変えてみると、彼は、あえて自分がコミュニティの外の人間である場所に行きたかったんじゃないかとも思えてくるのだ。

 国内の美術館所蔵の作品もけっこうあって、日本人って案外ゴーギャン好きかも。
 入場までは待ち時間ナシだったがやはり会期終盤、会場内は混んでいた。
 

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中村紘子 デビュー50周年記念リサイタル Vol.1

  シルバーウィークの遊びの予定は、これだけ。いそいそとサントリーホールに行く。
 
土曜日の夜のコンサートや芝居の前後は 食事もゆっくりととりたいけれど、午後6時の開演はちゃんとした夕食をとるにははやくて、でも終演までなにも食べないのもおなかが空くし、ANAホテルはいつも混でいるし、アークヒルズに入っているお店もなんだか落ち着かないし、サントリーホール近辺はあんまり知らないし…。と迷っていると、六本木一丁目の改札出たすぐのところに美味しいパン屋さん「PAUL」(泉ガーデンタワー1F)があったので、喫茶室でオムレツを食べた。ゆったりとした時間を楽しむのは終演後にとって起きましょう。
  
 中村紘子 デビュー50周年記念リサイタル。50周年のプログラムは、中村紘子の”今”というVol.1と 1961年12月、東京文化会館での初リサイタルの再現プログラムのVol.2があり、今回は”今”を聴く。

 シューベルト: 4つの即興曲 op.90
 武満徹:リタニ-マイケル・ヴァイナーの追悼に-I.  アダージョ
 一柳慧:「雲の表情」I,II,III
 ショパン :ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」
 ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58

アンコールは
 ドビュッシー :『2つのアラベスク』から第1番
 グラナドス :アンダルーサ
 ブラームス :ハンガリー舞曲第1番 ト短調
 ショパン :幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66

 繊細かつパワフルな演奏に魅了される。アンコールとともに客席から花束が次々と贈られた。軽井沢の大賀ホールでもそうだったけれど最後に幻想即興曲を弾くなんて、すごいエネルギーだと思う。
 12月の、初リサイタルの再現プログラムのリサイタルにも行く予定。再現と言っても、もちろん”今”の中村さんが弾くわけだが、こういう試みはオシャレだなあ。

 終演後、ちょっとバーに寄りたくなったのだが、六本木一丁目なのにというか、六本木一丁目だからというか、気の利いたバーが思い浮かばず、結局吉祥寺のお店で飲んだ。 

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一葉 終焉の地

 昨日、白山通りを歩いていたら、紳士服店の脇にこんな碑が建っていた。

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樋口一葉 終焉の碑。一葉も、まさか自分が亡くなったところが大通りになるとは思わなかったでしょうね。彼女のイメージは、やっぱり路地裏。
一葉、べつに嫌いじゃないんだけれど、貧乏して、貧乏して、貧乏に苦しんだ人を5000円札にしてしまう日本国のセンスが、よくわからない。

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堀内誠一 旅と絵本とデザインと

 世田谷美術館で行われている「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」に行った(9月6日まで)。

 私の、最初の愛読書は『たろうのおでかけ』。それから『ぐるんぱのようちえん』。小学生のときに夢中になって読んだ『人形の家』(ルーマ・ゴッテン作)の挿絵、谷川俊太郎訳の『マザーグース』『わらべうた』。意識していたわけではないが、幼い頃からずーっと、堀内誠一のイラストがいつも側にあった。そして、堀内がアートディレクターをしていた『an・an』も、よく読みました。

 その、堀内誠一の展覧会だというから「行かねば!」と思っていたのに、気がつくともう9月。 最後に慌てて滑り込んだ。 
 今回の展示会で、お父さんもデザイナー(当時は図案家といったらしい)と知った。戦後の混乱期に家族を養うために、14歳で伊勢丹に勤め始めたというから大変な苦労をしたと思うが、天職だったのだろう。お嬢さんは、私とほぼ同世代で、親しみを感じる。

 『ぐるんぱのようちえん』の原画を見られて、うれしい! 数え切れないぐらい読んでいる。文は西内みなみで、堀内ではないが、 コトがうまくいかないときに「しょんぼり」という私の口癖は、たぶんぐるんぱから影響を受けたものだ。『たろうのおでかけ』がなかったのは残念だった……。
 私にとって堀内は絵本画家なのだけれど、今回の展示で改めて認識し、面白かったのは、デザインとか、旅のエッセイのレイアウトデザインをふまえた原画。それを観て、昔、手で線を引いてレイアウトしていた頃を思い出した。

 今回の期間中、文学館のトイレの表示が、男子トイレがポパイ、女子トイレがオリーブに変わっている。堀内がマガジンハウスの社屋用にデザインしたものだそうだ。粋な計らい、世田谷文学館もやるね!

 ウチに帰って、本棚から『たろう』と『ぐるんぱ』を久しぶりに取り出してみた。昔々の、簡単な装丁の絵本。大好きだったから、ぼろぼろなんだけれど、捨てる気にはなれない大事な宝物。懐かしいだけじゃなくて、今につながっている。私が、いまの私に育った”理由”のような気がするのだ。
  
Taro


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立川談春 独演会

 三鷹市の星のホールで行われた 談春独演会に行ってきた。

 大人気でチケットが取れない落語家、エッセイ『赤めだか』も面白かった。友達がチケットをとってくれたので、私はラッキーなのである。この友人は話芸が好きな人で、落語にも詳しい。かといって通ぶったところがまったくないので、落語初心者の私にとっては、とっても頼りになるありがたい存在。

 他の落語家と比較できるほど落語を聞いているわけではないのだが、談春さんはメチャクチャ面白い。この日は、「首提灯」の枕が長くて、一席はそれで終わるのかと思ったところで噺がはじまり、「夏の疲れ」とかなんとか言ってたのに、結局それぞれ違う持ち味の噺を三つも話して、すごいもんだ。

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 「首提灯」のホントに取れちゃいそうな首、とか、「桑名舟」のパパンパンパン、気合いの入った講談とか、いやあ、びっくり、そして大笑い。講談の場面は、ストーリーがつながらないのに、なんであんなによどみなく噺が出てくるのか!!

 談春さん、今年の冬はインフルエンザの流行で、こうした催しがやりにくくなるだろう、と言っていた。そうだよねえ。そしたら「地下へ潜る」そうだ。いいねえ。

  

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夏のブイヤベース

 夏の終わりの、暑い暑い週末、minobiでランチ。

 お目当ては、夏のスペシャルコース。メインはブイヤベース。
手元に、このような”お品書き”を用意してくれていた。

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 前菜の、夏野菜のゼリー寄せテリーヌも美しかったのだけれど、喜んで食べてしまったので写真はナシ。だって、食べたいんだもん。隣で相棒が、「学習能力ナシ」と言う。はい。メインはちゃんと写真とってブログに載せますっ。相棒はブログをやってないのにパチパチ撮ってる。minobi好きの友達に送るんだそうだ。

ジャーン!!

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 ブイヤベースって鍋ものだからか冬のイメージがあったんだけど、夏も美味しい。
お魚の出汁のスープ。甲殻類のスープもいいけど、独特のまったり感が出るでしょ?
そこいくと、このお魚のスープはちょっとスパイシーで夏にあってる。

 
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 ワインは、いつもナントカの一つ覚えのように「しっかりした赤のボトル」なのだけれど、「夏だし、お魚だし」と支配人の長谷川さんに相談したら、グラスの白+ロゼのセットを勧めてくれた。
 白はあっても、ロゼという選択肢はいままで頭の中になかったんだけど!! 白に近いロゼでさっぱりとしているけど、でも、しっかりものだった。長谷川さん、”ロゼ好き”なのだそうだ。中間のロゼはかえって難しいと思っていたけど、これから長谷川さんの御指南でロゼもいいなあ。

 いつものようにチーズを楽しんだ後、デザートは桃の赤ワインコンポート。「みどりさんは、桃がお好きだから」という気遣い、ありがとう!
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 文章講座の受講者さん(女性)が「夏の食卓」という課題のときに、「私は食べる殿様だから」と書いてきて、いい表現だなあと思った。小さいころに家族から言われていたようで、いわゆる「上げ膳、据え膳」の食いしん坊のこと。私も、minobiでは殿様気分。いやいや隣に私より上手の食いしん坊がいるから、私はさしずめ「食べる姫様」ですね。あら、姫様って可愛いね!

 加藤シェフ、桜井くん、ごちそうさまでした。長谷川ちゃん、いつもありがと!

 
 
 


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上村淳之展-唳禽を描く-

 吉祥寺美術館で、「上村淳之展-唳禽を描く-」を観た。

上村淳之は、上村松篁の子、ということは上村松園を祖母に持つ。過日、山種美術館の「上村松園/美人画の粋」を観たので、なんとなく親しみをもって観た。
 花鳥画、というのだろう。鳥ばっかり集めた展示。淳之は、奈良の「唳禽荘」で、画題となる鳥たちを飼育しながら描いているそうだ。自分で育てている、ということは、愛情もわくのだろう、どことなく優しい印象を受ける絵が多い。上村淳之の作品を観たのははじめてで、他の題材の作品も観てみたいと思った。

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 絵はよかったのだけれど、ロビーに鳥の剥製が多数飾られていて、剥製嫌いの私は、なるべく見ないようにして通り過ぎた。あーん!

 

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サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ

  夏休みの一日。

 代官山のル・ジュー・ドゥ・ラシエットで、ランチ。夜は、渋谷でお芝居だから、少々控えようと思いつつ、けっきょくディナーのように食べて、飲んでしまう。
 
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写真はデザートの桃のコンポート。ジュレをのせ、夏らしく涼しげで、美しい。美味。桃好きの私は、超満足の逸品。もちろん前菜も、メインも美味しかった。ついつい皿数の多いコースにしてしまうから、ダメなのよね。でもお休みなのだし、ね。

 お店を出たときは、もう夕方になっていた。代官山をぶらぶら散歩しながら、渋谷に出る。JR新南口のほうで珈琲を飲みながら休んでいたら、いきなり雲行きが怪しくなって、PARCOに行くまでに土砂降りになってしまった。だったら、PARCOに行ってからお茶すればよかった。
 渋谷の中でタクシーを使う。はじめてだよ、PARCOにタクシーでいくなんて。
 

 PARCO劇場で、『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』を観る。
(作曲・作詞 スティーヴン・ソンドハイム/台本 ジェームス・ラパイン/演出 宮本亜門 /翻訳 常田景子)
 

 19世紀のフランス、点描画で有名な画家ジョルジュ・スーラを主人公にしたミュージカル。「グランド・ジャット島の日曜日の午後」 の制作過程をモチーフにした第一幕。恋人とのあいだに子供がいたというエピソードを基に、第二幕は、スーラのひ孫が現代芸術と向き合う。
 ジョージに石丸幹二、恋人のドットに戸田恵子、母に諏訪マリー、ジョージの友人ジュールに山路和弘と好きな俳優さんばかり。元東京サンシャインボーイズの野仲イサオもいいなあ。 

  「芸術とは?」という問いかけが根底にある。人と人の「つながり」、「家族」もキーワード。優しい結末を迎えるのだけれど、癒やされるような、癒やされないような。難しい。 たぶん、ストーリーよりも、曲のが難しさが、そういう気持ちにさせるのだろう。
 

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中村紘子 ピアノ協奏曲の夕べ

  「いいな!」と思うと、何回か追いかける癖がある。
 ゴールデンウィークに、大賀ホールで中村紘子のリサイタルを聴き、感動したので、今回はオーケストラとの協奏曲だ。一週間前にチケットをとったが、聴いて良かった。

 場所は東京文化会館大ホール。指揮は大友直人、オーケストラは東京都交響楽団。

曲目は、
 
モーツァルト  ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537「戴冠式」

三善 晃  ピアノ協奏曲 

ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

 3曲とも個性が違って、面白いコンサートだった。現代音楽を演奏したのは意外な感じがしたけれど、迫力の演奏。作曲者の三善さんも客席にいらしていて、拍手を送られていた。
 一曲、一曲が素晴らしかったが、圧巻はやはりラフマニノフ。聴衆にとっても馴染みの曲だし、ホール全体が一体となって盛り上がった。

 中村さんは、自分のパートが休みだと、演奏しているパートの奏者をじーっと見つめている。集中して音を聴いているんだろうけれど、若い奏者にとっては先生が二人いる(大友さんと中村さん)みたいだろうな。
 今回も手が見えない席だったのだが、ペダルを踏む足の動きが激しい! 

 ラフマニノフを弾き終わると、客席から熱い拍手が長く続き、オーケストラとともに何度も応えたが、「手が疲れたので」というジェスチャーをして、アンコールはなかった。 これも潔い。
 ラフマニノフ第2番の余韻を楽しみながら、帰路についた。


 

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ウィーン・フィルの室内楽

 武蔵野市民文化会館小ホールで「ウィーン・フィルの室内楽」を聴いた。

ハープのグサヴィエ・ドゥ・メストレをメインに、フルートのヴォルフガング・シュルツ(ウィーンフィルのソロフルート奏者)、チェロのフランツ・バルトロメイ(首席奏者)という編成。今年没後200年のハイドン・イヤーにちなんだプログラムだった。

J.ハイドン:フルート、ハープ、チェロのためのトリオ ト長調 op.59 HobXV15

J.シュトラウスⅡ世:ロマンス ニ短調 op.243
             ロマンス ト短調 op.255

Mグランジャニー:ハイドンの主題による幻想曲 op.31

J.ハイドン:アダージョ ヘ長調 HobXⅦ9

J.ハイドン:主題と6つの変奏 ハ長調 HobXⅦ5

G.フォーレ:シシリエンヌ ト短調 op.78
       子守唄 ニ長調 op.16
幻想曲 ハ長調 op.79

M.ラヴェル:ソナチネ

ドビッシー:子供の領分 より  ゴリウォーグのケークウォーク (アンコール)

 ハープをメインにした、この編成のトリオは、はじめてだったが、華麗で力強い演奏にハープのイメージが、がらりと変わった。 グサヴィエ・ドゥ・メストレは、フランス人としてはじめて首席ハーピストになった人だそうだ。25歳で首席奏者というから、その演奏は押して知るべし。知らなかったが「ハープの貴公子」と呼ばれているらしい。たしかに背が高く、ハンサム。ペダルを踏む右足もなんだか絵になるし、弦を奏でる指も綺麗だし、ちょっと飛びはねながら拍手に応える姿も若々しくてカッコイイ。
 しかし、しかし、なんといっても演奏が素敵。ダイナミックといったらいいのか、音がすごいわ! 
 
 一緒にいった友人は、お父さんが入院されている。今週実家に帰って様子をみてくるそうだが、「なんだか私だけこんなに素敵なコンサートを楽しんで、母が可哀想になっちゃった」と。共通の友人も最近体調が悪く、あまり出歩けない。介護を担っている人や病気を抱えている人が、こういう演奏を聴いて、少しでも息抜きできるといいのだけど…。 

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上村松園/美人画の粋

山種美術館の『上村松園/美人画の粋』に行った。

 若い頃は食わず(観ず?)嫌いだった日本画も「いいなぁ」と思うようになってきたが、美人画はいまだに、ピンと来ない。でも松園の描く美人は「いいなぁ、綺麗だなあ」と思うんだよね。
 だから、じっくり観てみようと思って。

 
 松園の作品18点の他、並び称された鏑木清方はじめ、奥村土牛、小倉遊亀、伊東深水や、鈴木春信、喜多川歌麿の浮世絵の美人画も展示されていた。
 
 松園の作品を一度にこんなにたくさん観たのははじめて。じっくり見て、私は、構図や色遣い、表情はもちろん、この日本髪の描き方が好きなんだとわかった。生え際のぼかし具合や結った髪の流れがとっても自然。「髪の流れを出すために筆を入れました」って感じじゃない。日本髪って、ともするとペタっと平面的な印象になりがちなのに、この人のはちゃんと結った髪に見える。それによって、女性の表情が生きてくる。
 私にとっては発見だった。

「山種美術館の上村松園」というブックレットを買う。解説代わりに松園自身が語った話が載っていて親しみやすい。
 
 この展覧会の会期が7月26日に終わると、山種美術館は広尾に移転(10月1日オープン予定)するのだそうだ。春に「桜 さくら サクラ」を楽しませてもらっていたので千鳥ヶ淵の印象が強いが、千鳥ヶ淵も11年間と案外短い。
 帰りに、同じ沿いにあるイタリア文化会館で開催されていた「イタリア アンデルセン賞」という絵本のイベントを覗く。美術の専門学校か大学か、30人ぐらいの生徒が引率の先生とともに来ていた。絵本の世界もまた楽しい。知っている絵本もあって、親しんだ作品なのに「作者はイタリアの人だったのか!」と改めて思ったり。
  
 こうやって山種とイタリア文化会館とかけて寄れなくなるし、散歩が楽しめるこの界隈も好きなので残念だけれど、見るからに狭だから移転もしかたがないですね。新しい美術館に期待しましょう。

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ラウル・デュフィ展 ~くり返す日々の喜び~

三鷹市美術ギャラリーで開催されている、『ラウル・デュフィ展 ~くり返す日々の喜び~』に行ってきた(6月28日まで)。
 「日本初公開となるロデヴ美術館所蔵、および個人コレクター所蔵の作品を中心に、13歳の頃の水彩画から心臓発作で亡くなる晩年の作品まで、デュフィの生涯にわたる作品約75点」とのことで、画家の一生を追っていく。


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<競馬場のギュギュスト>(1890年)と<畑の祝祭>(1943年)を使った、綺麗なチケット。

 私が知っていたデュフィの作品は、<畑の祝祭>のような軽いタッチの楽しげなイメージ。音楽や競馬、水辺を題材にしたものも多い。でも、初期のタッチはずいぶんと違っていて、軽くも華やかでもなかった。マティスの影響を受けて、それからセザンヌのキュビズム、装飾美術を手がけ、後年の画風に変わっていく。その変遷が面白かった。

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 若い頃の<自画像> (1904年)

 音楽に造詣が深い一家に生まれたが、貧しく、14才で社会に出て、翌年から美術学校の夜間クラスに学んだという。そうか、だから<五重奏>とか<オーケストラ>とか、音楽にちなんだ作品が多いのだな。苦労したからこそ、絵を描ける喜びというものを知っているのだな、と納得。後年、上流階級の遊びを描いたのも、なんとなく気持ちがわかる。”色の魔術師”はちょっと遊び人風だけど、明るい作風で心が和む。
 そうそう、思い出した。黄色や赤と比較しながら「青色は、どんな色調であっても青色だ」というようなことを、美術評論家のインタビューで答えたという解説があったのだ。この人のベースにあるのは、青なの? 黄色とか赤のイメージもあるんだけど。

 最後は<電気の精>(1953年)という10枚組のカラーリトグラフ。パリ万博の電気館に描かれ、現在はパリ市立近代博物館にある巨大壁画のリトグラフ版。ワット、オーム、キュリー夫妻、エジソン、モールス等々(順不同)、物理に弱い私にはどんな功績があったのかわからない偉人も数知れず、電気の歴史に出てくる学者たちが大集合し、いかに電気が人間の”希望の星”だったか!! 半世紀前のことだが、今はより一層、電気がない生活なんて考えられないし…。 
 シルクハットに燕尾服でカーニバルに行く時代と現在は、つながっていた。

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国宝 阿修羅展

( 「Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶 」「平成館のバリアフリー」から続く)

 そして奈良・興福寺の、阿修羅展。他にもいろいろ展示してあるが、阿修羅と八部衆像が面白かった。

 昨年の薬師寺展と同じように、正面から眺めた後、阿修羅像の周りを一周して拝観できるのがミソ。こんなチャンスは一生に一度、たとえ奈良に行っても、後ろのお姿は拝めない。
 阿修羅って軍の神様で気性が激しいはずなのに、この静かな表情。横のお顔も決して厳しい表情ではない。きっとモデルになった美少年がいたに違いない。それにしても華奢だ。
 阿修羅像は興福寺に限らず、三面六臂のものがあるそうだが、だれが三面六臂を考えたのか。バランス的には異常に長く、肉付きがまったく感じられない腕。横からみると、正面の顔の耳が違和感があるのだが、それでも省略しないところもすごい。耳(聴くこと)は大事なのね。

 絶大な人気を集める阿修羅像で、この像だけが語られることが多いが、もともと八部衆像の中の一つ。今回他の八部衆も観られたのがよかった。といっても、二体は4月19日までの展示だったので、5体だったけれど。
 鳥の顔をした迦楼羅(かるら)。八部衆は異形で表されると説明されていたが、迦楼羅の他はみな人の顔を持っている。迦楼羅は、日本の天狗の祖先らしい。なるほど、「烏天狗」っていうし、天狗は鳥の系譜なのか。
 沙羯羅(さから)は一見童顔でかわいいのだけれど、頭に蛇を乗せている。だれか若者が「ピーターパンみたい!」と言っていたが、その発想はどこから? 頭の蛇がピーターパンの帽子に見えたの?
 
 6月2日で80万人、6月5日で88万人の入場者数と、記録を作っているようだ。私の周りも行った人が多い。
天平の昔からいままで残っていらっしゃることが奇跡みたいなものだ。平成の世にこんなに受け入れられるなんて、昔の人は思いも寄らなかっただろうね。

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平成館のバリアフリー

(「Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」から続く)

「国宝 阿修羅展」ついて書こうと思ったが、寄り道して、常々思っている平成館のバリアフリーの話を書こう。
 
 平成館は、エスカレータのすぐ前で特別展のチケットを確認し、エスカレータに乗って2階の展示室にいくようになっているが、バリアフリーの配慮としてはあんまり優しくない。エレベータを使いたい人は申し出ると案内してくれるのだが、エスカレータの乗り口でチケットを切っているので、車いすとかベビーカーとかエスカレータに乗れない人は申し出るだろうが、杖の人だと多少のリスクを感じていてもエスカレータに乗ってしまう。

 案内係はにこやかに「申し出てくだされば」と言うが、「申し出て」というのは案外クセモノだ。エレベータの位置が正面エントランスではわかりにくいので、エレベータという選択肢を浮かべにくい。杖ぐらいの不自由さの人だと、わざわざ自分からなにかを申し出るという習慣がない。別に案内カウンターもあるのだが、チケットを切る人のほうが目に入りやすく、そこに行くと目の前にあるエスカレータに”我慢して”乗ってしまう。目の前の誘導に逆らって何かを尋ねるのは、相手が思う以上に勇気の要ることだ。そこで質問したり引き返すと、後ろの人に迷惑になる、とも思う。

 本来は展示室の入り口でチケットを切るのがいいのだが、現在の設計では、2階のロビーが狭いので混雑に対応しきれない。また第一展示室、第二展示室の行き来が問題となるのだろう。エレベータを利用させると、輸送効率が悪かったり、優先マナーを巡るトラブルも予想される。
 いっそ玄関でチケットを切ってしまい、本館との通路にもチェックの人員を置くとか、なんとかならない?
 2階から降りるエレベータも表示はあるものの、ロッカーの奥に潜んでいて、「隠しエレベータか?」と思う。
 
 ホールでも地下鉄でも、2、3階分を貫くエスカレータが増えた。階段より楽だとは言え、この手のエスカレータは、バリアフリー(ユニバーサルデザイン)の盲点になりやすい。エスカレータの速度と同じ速度で乗り降りしなければならないので、ゆっくりとしか動けない人はそのタイミングがつかめない。そして、長いこと姿勢を保ちながらエスカレータに乗っているのは片麻痺や足腰が弱い人には辛い。階段は辛ければ途中で休めるのだが、エスカレータでは姿勢を保ち続けなくてはならない。大きな荷物を持った人が隣をガンガン歩いていくのも、あおられたり、荷物をぶつけられたりして、バランスを崩しそうだ。

 エスカレータ以外でも、”利用できなくはないが漠然と危険を感じている人”のニーズは、声になりにくい。そして高齢社会を迎え、いままでそんなに配慮しなくてもすんでいた、声になりにくいニーズ、声になりにくいリスクが増えている。
  

 エスカレータではないが、展示室入り口とフロアの上下移動の問題は、西洋美術館でもかつて見受けられた。
 西洋美術館の企画展示室は地下2階からはじまるが、地下1階でチケットを切って階段に誘導している。1階から降りる手段は階段とエレベータ。エレベータが地下1階止まりで、地下2階にいくためには乗り換える。
 2007年の『パルマ展』のとき、私が1階から階段を降りて行ったら、一歩一歩手すりと杖に掴まって降りているお婆さんがいた。「エレべータがありますよ」と教えてあげたかったが、半分ぐらいまで降りていたので、また上がっていくのでは同じことだ。
 階段のところで「パルマ展はこちらでーす」と係員が呼び込んでいたので、つい、お婆さんもつられちゃったのかもしれない。エレベータは階段の手前にあるのだが、表示が小さかったので見落としてしまったのだろう。階段の下り口にも、エレベータの案内表示があればいいのになと思った。

 その日私は忘れ物をして荷物を送ってもらったので、お礼のメールにこの件を書き添え、改善をお願いした。後日西洋美術館に行ったら、考えていたこととは違ったが、エレベータの前に大きく「エレベーター」の表示が出ていて、前よりもわかりやすくなっていた(私のメールがきっかけとなったのなら、1か月も経たないうちに対応してくれたことになる)。人的な誘導の仕方も気を配っていた。

 ちなみに西洋美術館の企画展示室は、地下1階でチケットを切っている。地下2階に降りる階段のすぐ手前に係員が立っていて、階段に誘導するようになっているが、エレベータで下りてきた人や階段が辛そうな人には、地下2階へのエレベータを案内しているようだ。

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Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶  

 日曜の夕方ならそれほど混雑していないんじゃないかと予想して、友達と5月24日東京国立博物館に行った。お目当ては「国宝 阿修羅展」、それと「Story of … カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶」。

 まずは表慶館で、カルティエを観る。入り口は混雑していたので2階から巡りはじめたが、話題の「マハラジャ ネックレス」やグレース・ケリーのアクセサリーなど、メインの展示は2階だった。
一部の展示にビデオ解説があって、この技術が凄い。展示の奥に映像が出てくるのだけれど、ケースはガラス張りで反対側も見通せるのだ。横長の展示ケースの両側から観るのだが、反対側からは、こちら側の映像は見えないので、じゃまにならない。うーん、説明が下手だな。言っていること、わかってもらえるだろうか?
 ティアラに、ネックレスに、ブローチ…。ブローチって「襟元」を飾るものだと思っていたら、「胸元」なんですね。守備範囲が広かったのね、失礼しました。
 「マハラジャ ネックレス」の前では、「富」を考え、英国王室やグレース・ケリーの品々の前では、気品という言葉が浮かんでくる。 
 豪華な宝飾品の数々。キラキラまぶしいダイヤに圧倒されていると、後ろから「キラキラ酔いして来た」と若い女の子の声。言い得て妙。所詮、庶民はそんなものだ。
 
 平成館の前は行列ができていて30分待ちだという。キラキラ酔いもしたし、一息つきたいので、警備員さんに「あんみつ屋さんのところに行きたいのですが、入れますか」と尋ねると、「入り口で断ってくれれば大丈夫ですよ」と教えてくれる。一緒に行った友達は「えー、ずる賢い人なら、横入りできちゃいそう」とびっくりしていたが、ぼんやりしている私は言われてから、ああそうかと思った。もちろん私たちは、お休み処に行く。あんみつ屋さんというとぐっと庶民的なイメージだが、鶴屋吉信である。残念ながら、あんみつは、定休日前の夕方だったので売り切れ。つばらつばらという、どら焼きを上品にしたようなお菓子で一服しているうちに、平成館の行列がなくなっていた(「国宝 阿修羅展」につづく)。

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動物画の奇才・藪内正幸の世界展

 吉祥寺美術館で、「動物画の奇才・藪内正幸の世界展」を観た(5月24日まで)。大阪出身だが、高校を卒業して上京。晩年(1985年)吉祥寺東町に仕事場を構えたそうで、今回の企画展はその縁かららしい。


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 これまで、薮内正幸(1940-2000)という名前を意識したことがなかったが、『広辞苑』(岩波書店)や『世界大百科事典』(平凡社)の挿絵や、切手「自然保護シリーズ・アホウドリ」の原画「サントリー愛鳥キャンペーン」のイラストと聞けば、「ああ!」と思いあたるものばかり。井の頭自然文化園や多摩動物園など、動物園の案内板や解説パネルなら、子供の頃にお世話になったはず!


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ポストカードにもなっていたレッサーパンダ。写真より緻密なんじゃないかと思うほどだ。見飽きないが、描き手は気が遠くならないのかしら?
いやあ、面白いなあ。4月上旬からやっていたのに、会期の終わりの週にあわてて来たなんて、もったいないことをした。これなら何度足を運んでも楽しめそうだ。

 ひとつひとつの作品の緻密さにため息をつきながら回って、終盤の展示に笑った。
”裏ヤブ作品”。曰く、--藪内正幸は、(財)東京動物園協会が発行する友の会会員誌『どうぶつと動物園』に、多くの挿絵を提供してきました。編集担当者に渡す原稿を収めた封筒の裏には、毎回欠かさず同封の挿絵動物にちなんだダジャレ画が描かれるようになり、編集部ではこれを「裏ヤブ作品」と呼び、スタッフは毎回ひそかな楽しみにしていたそうです--(「裏ヤブ作品 POST CARD」から引用)

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「裏ヤブ作品 POST CARD」集を買った。
 吉祥寺美術館オリジナルだそうで、いいところに目をつけましたね。
表紙は、第一回裏ヤブ作品。ゾウの絵柄にターキン(ウシ科)が重ねられているそうだ。ゾウ+(ター)キンでゾウキンってわけ。ちなみにゾウは東京動物園協会の封筒のイラストなんだとか。こりゃあ編集者は楽しいし、嬉しいし、大切にとっておいた気持ちがよくわかる。

 ウチに帰って、古い『広辞苑』を引っ張り出してみた。ああ、これこれ。
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 この企画展、井の頭自然文化園のイベントと連動している

 
 常設展「浜口陽三記念室」は「生誕百年 partⅠモノクロームからの出発」(6月28日まで)。浜口は静物のイメージが強いが、今回の特集は女性の絵も展示されているし、原版も観られて、おもしろかった。
 吉祥寺美術館はちっちゃい美術館だけど、だんだん味が出てきて嬉しい。
 

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座・高円寺と「化粧 二幕」

 高円寺は、昔住んでいた町の中央線の最寄り駅だったので、馴染みがある。その高円寺に、座・高円寺という劇場がオープンした。座・高円寺、うまいネーミングだなあ。

 こけら落としの演目は、渡辺美佐子のひとり芝居「化粧 二幕」(作 井上ひさし・演出 木村光一)。80年代の話題作で、いまも渡辺の代表作として上演され続けている。私は、80年代に芝居三昧だったのに、それからもずっと演劇ファンなのに、なんで一度も観なかったんだろう。井上作品も、地人会も観ていたのに。
 というわけで、いそいそと「化粧 二幕」に行った。このこけら落としの期間中に、上演600回を迎えるそうだ。

 取り壊しが決まっている芝居小屋で、大衆演劇の女座長(渡辺)が、公演の支度をはじめる。座員に今日の出し物の段取りを教えながら化粧をするのだが、この大衆演劇ならではの白塗りの化粧が、タイトルの由来で、もう一人の主役だ。化粧の扱いが絶品。
 ずっと気になりながら観なかったのは、たぶん、若い頃の私が無意識のうちに大衆演劇の泥臭さを敬遠したのだと思う。いまも、涙の二幕より、一幕で終わったほうがストーリーとしては好みだが、化粧を施した渡辺美佐子の熱演は素晴らしく、観て良かった。
 ただ、真新しい劇場にうらぶれた楽屋のセットはなんだか違和感があって、91年の紀伊國屋ホールあたりで観ていれば、自分の「化粧」鑑賞適齢期と作品全体の味がマッチしたんじゃないかと思う。いや、今回も見逃していたら、もっともったいなかったけど。

 
 「化粧 二幕」は、地下2階にある座・高円寺2という300席もない小劇場での公演だった。観やすいが、座席の列の間隔が狭く、足が窮屈。列の奥に人が入ろうとする度、私は立った。とくにお年寄りは足下が危ない。数を確保したかったんだろうけど、若者の体格は大きくなってるし、これからお年寄りは増えるのに、基本的なところで不親切だ。ロビーは広くて快適なんだけれどね。
 観客用のトイレは地下1階、すべての館内施設共通のもので、女子トイレはブースがけっこう多い。館内に小劇場が二つあるが、小劇場だし演目の休憩時間が重ならなければ、かなりゆとりがあるトイレだと思う。
 が、多機能トイレはちょっと小さいかな。オストメイト対応流しや多目的シートもついているが、狭いので車いすから多目的シートへの移乗がしにくいかもと、ちょっと心配だ。
 


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Strings 中西俊博トリオ  Live

 吉祥寺の28席+補助席という、ちっちゃなライブハウス「Strings」を知ったのは、去年の秋だった。以前から、お店があることは知っていたのだけれど、ライブを聴いたことはなかったのだ。
 あるとき、店の前を通りかかると、ライブの予告になんと「中西俊博」とあるではないか!

 ジャンルを超えたヴァイオリンの巨匠と呼ばれているようだが、私にとっては中西さんといえば、「ア・ラ・カルト」の中西さんで、20年来のファンだ。その中西さんが吉祥寺のライブハウスに出演しているなんて! そりゃあ、ぜひとも行かなくっちゃ!!
 けれど、そのときは体調を崩していけなかった。その後、maikoとのデュオ・ヴァイオリンをここで聴いた。目の前で、中西さんの弓裁きが見られるなんて贅沢でウットリだ。
 
 5日は、いけなかったときと同じトリオの編成だった。 伊賀拓郎くん(p)と、木村将之くん(b)という学生っぽさが残る若いミュージシャンだが、演奏はめちゃくちゃ巧いし、いい感じ。中西さんは「巨匠」なのに気さくな人だ。「二人の歳を足したより、僕の歳のほうがまだ多い」と笑いながら、二人を「天才」と呼び「パワーをもらっている」と言う。ホントに若者とのセッションが楽しそうで、そういう大御所っぽくならないところが、また魅力的。作曲やアレンジより、なにより弾いているのが好きだと言う。

 アンコールで、三人で一度もあわせたことがないという「枯葉」をやった。ベースの木村くんのソロの場面で、ステージの後ろに置いてあった弓を、中西さんがケースから出して渡した。木村くんは弓を使うつもりはなかったのだろうけれど、素晴らしいベースの演奏だった。ニクイね、中西さん。

 中西さんにCDにサインしてもらって、月末のmaikoのライヴを予約して、Stringsを出た。中西さん率いる爆裂クインテットとmaikoの、横浜のライブも要チェックだ。
 このペースでライヴにはまると、中毒しそうで怖い…。


 

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軽井沢大賀ホール春の音楽祭 中村紘子ピアノリサイタル

29日に大賀ホールで、中村紘子ピアノリサイタルを聴いた。
大賀ホールの軽井沢春の音楽祭を聴くのは、今年で3回目。私にとって、ゴールデンウィークの恒例行事になりつつある。
 今年は寒かったからか、日にちも過去二回より早かったからか、桜はまだ咲いていなくて残念だったが、池の畔から見る景色は清々しい。浅間山から、ときおり白い煙がたなびいていた。

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 中村紘子は、今秋デビュー50周年だそうだ。コンクール、N協アワー、エッセー等々演奏以外にも活躍している大スターなので、つい何度もライヴを聴いているような気がしていたが、よく考えたらピアノリサイタルははじめてかもしれない。

バッハ:パルティータ第2番
ショパン:ワルツ1~7、14番、

シューベルト:4つの即興曲Op.90より第3番、第4番
ショパン:ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op.35「葬送」

 当日は「花」という書をデザインしたモノトーンのドレスで、椅子に座ると、さっと弾き始めた。こともなげに、でも情感豊かに。パワフル、そしてピアノの響きの美しいこと!  これはアンコールのときに中村さんが話していたが、大賀ホールはピアノの音響がとても良いのだとか。『デビュー50周年記念アルバム』もこのホールで録音しているそうだ。
 正面に向かってやや右側で、残念ながら手がみえる席ではなかったが、前から二列めだったので顔の表情や、グランドピアノの蓋(?)に映し出されたハンマーの動きやペダルが見えたので、それも楽しかった。
 

アンコールはなんと4曲。
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リスト:愛の夢第3番
グラナドス:アンダルーサ
マクダウェル:魔女の踊り
ショパン:幻想即興曲

 「10歳のときに練習した曲です」といって幻想即興曲を弾き始めたから驚いたが、一瞬会場もざわめいたので驚いたのは私だけじゃなかったみたい。天才少女と呼ばれた人なんだから、そりゃあそうなんだが。
 
 この日はたっぷり聴いて大満足だったが、なんでもっと前から中村紘子のリサイタルに行ってなかったんだろうと悔やむ。いやいや、いまから円熟の演奏を聴くのだ。東京に帰って2日後、50周年ツアーの9月のサントリーホールのチケットをとった。

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淫乱斎英泉

 幕末の浮世絵師、渓斎英泉(春画の雅号が淫乱斎英泉)の人生に蘭学者高野長英の逃亡を絡めた物語。
英泉は春画の雅号が淫乱斎栄泉、下級武士の出身だが、若くして親を亡くし、波乱に満ちた生涯だったそうだ。
 己の人生を”演出”して生きる英泉に山路和弘、改革の理想と逃亡に疲れてしまう長英に浅野和之。二人の男を支える、英泉の歳の離れた妹お峯に田中美里。長英の逃亡を手助けする越後屋の主に木下政治、英泉が営む女郎屋の女郎お半に高橋由美子と、芸達者な俳優ばかり。

 矢代静一の本がいいのだが、それを演じる役者たちの素晴らしいこと! 鈴木裕美も演出しがいがあったでしょう。 浅野、高橋のうまさはいうまでもなく、一途な娘から徐々に色っぽくなっていく田中もいい。田中は、高橋のような「けなげ」も「コミカル」もできる女優になるのではないか? そして、なんといっても英泉の山路。前から「いい役者さんだなあ」と思ってはいたが、男の色気がなんとも素敵。遊び人の英泉がときどき見せる、まじめな、悲しげな顔もいい。
 
 英泉の絵を見せる舞台美術やパンフレットの趣向も粋なモノ。いやあ、芝居はこうでなくっちゃ。

 劇場は、豊島区のあうるすぽっと。この劇場、けっこうおもしろい芝居をやっているみたい。

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さよならシアタートップス 最後の文化祭 東京サンシャインボーイズ『returns』

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 新宿の紀伊国屋書店の近くにある「THEATER/TOPS」が、3月末で閉館する。座席数150ぐらいの小さな劇場で、80年代の後半に芝居三昧だった私にとっては、たくさん思い出のある懐かしい劇場。ここで、勢いが出てきた伸び盛りの劇団を次々と観ていた。近頃足が遠のいてしまったのは、好きな劇団や役者がTOPSを卒業し、他の劇場に出るようになったからだ。
 その最終公演「最後の文化祭」のプログラム一つが、東京サンシャインボーイズの15年ぶりの復活公演。サンシャインは、下北沢の駅前劇場で観たのが最初で、これまた思い入れのある劇団。観たい!

 抽選販売のプラチナチケットで、とれれば奇跡といわれていたが、チケットの神様が舞い降りた。

 夜9時半からはじまる約80分の一幕もの。小学校の同級生たちが集まるクラス会?? 小林隆さんの、○○○さんというあだ名だったという台詞に、激しく反応して笑ってしまった私。はしたなかったが、役者さんたちは往年のファンだとわかってくれたと思う。
 そんな感想しかないのかと観られなかった人から怒られそうだが、大まじめにばかばかしいコメディで、笑える、笑える。三谷幸喜さんらしい配慮もあって、登場人物はみんな目立たない普通の人という設定だし、なんと伊藤俊人さんも出演しているので、一瞬ほろっとしてしまう。
 が、それもわかる人にはわかる仕掛けだ。「さよなら」につきもののセンチメンタルな雰囲気は、意図して避けたのだろう。楽しいクラス会が終わったあとの、ちょっぴりハイな気分で家路についた。
 「最後の文化祭」は、これ1本しか観なかったが、パンフレットの中にも懐かしい顔がいた。

 TOPS、バイバイ! 東京サンシャインボーイズ、また15年後にね!!
 
 

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パイパー

  1月、2月に観た、NODA MAP『パイパー』のことをメモ書きに(少々ネタバレ)。

 移住から1000年後の、ほろびゆく火星の世界。地球からもたらされる人工食糧を主食とする火星移住者の、食糧難。幸せを数値で計ってきた文明社会。馬鹿馬鹿しいが、統治者たちは真剣な、権力争い。新しい土地を求めて金星に移り住む者が大多数の中で、荒廃した火星に残り、懸命に生き延びようとする一組の家族。そして、都合のいいことしか見せない”歴史”。
 身につまされるストーリーだ。

  役者では主役の松たか子と宮沢りえに、唸る。妹の松と姉の宮沢が、母(松)と四歳の子供(宮沢)に入れかわる瞬間。瓦礫の中を、しっかりと手をつなぎながら歩いていく母と子のシーンは絶品だ。なにもない舞台なのだが二人の台詞だけで、荒れた町が見えてくる。たぶん落語の手法なんじゃないかと思うのだが、これは、作った野田も、演じた役者も素晴らしい。きっと語り継がれる名シーンだ。

 群舞やパイパーの動きも美しい。ラフマニノフやベートーベンなど音楽の使い方も巧い。

 ラスト、希望の花が咲き、これでちょっと救われる。

 今年のはじめから、今年最高の芝居に出会ってしまったかも。

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原研哉デザイン展 本 友人、原田宗典がモノ書きだったおかげで。

 地域の交流施設で、文章講座の講師をしている。受講者は年配の方が4、5名という小さな講座だが、知的好奇心が旺盛な方ばかり。古典文学の教養は、素直に教えていただいている。

 ある日、豊﨑由美の、尾辻克彦(赤瀬川源平)の『ライカ同盟』の書評を紹介したところ、次の回に受講者のAさんが単行本を持ってきてくれた。
 「ぼくは、赤瀬川さんのものは好きでよく読んでいたんだけれど、この書評に『ディレッタントの視線と味わい深い現代の名文』だとあって、改めてなるほどなと思った」。 こういう感想を聞くと、講師冥利につきる。
 私が持っている『ライカ同盟』は文庫なので、単行本の装丁に感心した。それに、Aさんが新品同様に綺麗に読まれていることも。「帯(腰巻き)まで傷んでなくて、綺麗に読まれてますね」と言うと、みなさん口々に「だって帯だって、紹介者が推薦文を考一生懸命えて書いているのだから」。そうか。私は帯はよっぽどデザインに影響がない限り捨てちゃっているし、読むときはたいていカバーも外して読んでしまう。読みやすさ重視で、読み終わったらカバーを掛けるのだけれど…。
 みなさん、装丁についても一過言あるようだ。

 そんな話がはずんだ後で、紹介したのが、原研哉『デザインのデザイン』。おっ、話が繋がってよかったと、内心ちょっと嬉しくなった。
 原研哉はデザイナーで、本のデザインも数多く手掛けている。『デザインのデザイン』は私の愛読書だ。講座で紹介したのは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』についての一節だが、私がもっとも感銘を受けたのは「あったかもしれない万博」の章だ。
「あったかも知れない万博」とは、愛知万博のはじめの計画で、森で開催される予定だった。自然と共存するサンプルを提示するはずが、「自然破壊だ」と世論が盛り上がり、計画が変更になった。その顛末を、当初のプロジェクトに参加していた立場から書いている。
 --しかしながら。このような挫折を経て僕はあらためて考えるのだが、仮にうまくいかない局面があったとしても、デザイナーとしての自分は意図の明確な、意志的な計画に関与したいと思う。「核反対」とか「戦争反対」というような何かを反対するメッセージをつくることには僕は興味がない。デザインは何かを計画している局面で機能するものであるからだ。環境の問題であれ、グローバリズムの弊害の問題であれ、どうすればそれが改善に向かうのか、一歩でもそれを好ましい方向に進めるためには何をどうすればよいのか。そういうポジティブで具体的な局面に、粘り強くデザインを機能させてみたいと考えている。--
 私はデザイナーではないし、非力だけれど、生き方としてとても共感する。
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 ところで、『デザインのデザイン』をお年寄りたちに紹介したのは、ちょうど市内の吉祥寺美術館で「原研哉デザイン展 本 友人、原田宗典がモノ書きだったおかげで。」という展覧会が開催されていたからだ(3月1日まで)。
 ブックデザインに特化した展示。副題に作家・原田宗典の名前があるが、私が原のデザインに最初に出会った(意識した)のも原田の本だ。

 小さな展覧会だが、原の本に対する考え方がわかる、素敵な展示だった。原はデザイナーであり、思想家なのだと思う。デザインも素晴らしいが、言葉も雄弁だ。
 本をモノとしても好きな人なら、覗くと楽しいだろう。

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minobi

 美味しい食事をした後は、他人に自慢したいような、でもそのお店は秘密にしておきたいような…。
名前を挙げちゃうのがもったいないと思いつつ、書いてしまう。先日、minobiで青首鴨を食べた。一羽を二人で、胸とモモを満喫。

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 写真は、サラダ仕立てのモモのお皿(食べるのに夢中でなかなか写真が撮れない)。歯ごたえも味もしっかりとしていて、さすがジビエでした。
 今シーズンは鹿も食べた。ジビエ、日本でもすっかり定着しましたね。

  minobiは、「いまから行ってもいいですか?」なんて襲撃するぐらい、好きなお店。三田のオフィス街、慶応大学の正門近くにあるから週末が案外穴場なのだ。カウンターに座って、加藤シェフや、桜井クンがテキパキ働く姿を見ながらのんびり食べる、遅めのランチに味を締めてしまった。相棒はいつも姉。姉妹って、味覚がほぼ同じだから、いいのよね。

 以前は加藤シェフのことを密かに”ハニカミ王子”と呼んでいたのだけれど、シェフとはけっこうお喋りをするようになって、今は若手の桜井クンが「新・ハニカミ王子」。私たちはいつも桜井クンの前に座る。お客さんと近いカウンターは仕事がしにくいときもあるだろうけれど、二人ともいつも穏やかだ。
 そんなシェフの人柄が味に表れている。和の素材を使うのか上手で、この冬の大根のポタージュには驚いた。
たぶんこの人のブータンノワールなら、初めての人でも美味しく食べられると思う。
 支配人の長谷川さんは、リクエストをドンと受け止めてくれる。彼女のサーヴィスはフレンドリーかつ繊細。アットホームな小さなお店に紅一点だから、そういう役回りでもあるんだろうけれど、頼りがいのある、可愛い”おっかさん”です(私よりずっと若いのに、ゴメン!)。ワインはいうまでもなく、長谷川ソムリエセレクトのチーズも種類が豊富で好きなんだ。めずらしいものや、お店でウオッシュしたりハーブで加工したものなどがあって、チーズの頃はお腹いっぱいなのに迷う。
 
 デザートだっていつも迷っちゃうほど、美味しいんだよね、桜井クン!
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 お気に入りのブランマンジェ。外観もつややかで、舌触りもとってもなめらか。ほんのりとしたアーモンドの風味を楽しむためにはシンプルでいい。フルーツなんか飾らないところが大正解だと思う。

 minobiは、オーグー ドゥ ジュールグループのお店。最初は、日本橋のメルヴェイユに行った。メルヴェイユの支配人だった糸澤さんが異動したと聞いて、minobiにやってきた。行き届いた、でも肩の凝らないサーヴィスはグループに共通しているが、カウンター独特の寛ぎはminobiならではで、いつの間にかホームグランドのようになった。

 最近、フレンチを食べるならこのグループだ。もちろんオーグー ドゥ ジュールもメルヴェイユもそれぞれに好き。
春には新展開があるそうで、まだ行っていないグループ店にも是非行ってみたい。

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リチャード三世

 先日観た『リチャード三世』、満を持して古田新太がグロスター公リチャード三世を演じるというから、期待も高まる。

 面白かった。60年代風のロンドン・ファッションや、倉庫の地下室のような舞台装置も。後半情報戦のようになるのも面白かったし、リッチモンド伯の演説はオバマ大統領を連想させ、ああこれも世代交代なのだなと思う。

 それから女優陣。いままで、リチャード三世に出てくる女たちは、性格がぼんやりとよくわからなかったのだけれど、今回は、呪いをまき散らす先の王妃マーガレット(銀粉蝶が絶好調!)、リチャードの母である故ヨーク公爵夫人(三田和代、落ち着いて威厳を保つ)、リチャードの兄の妻の王妃エリザベス(久世星佳、生命力があってカッコイイ!)、リチャードの妻アン(安田成美)が、それぞれ個性的。安田の舞台は初めて観たが、立ち姿も綺麗だし、発声もいいし、美しくはかないアンだった。

 古田のリチャードもいい。とってもいいんだけど、でも、リチャードの”悪”は、古田が生理的に持っている”悪”と違うんじゃないか、と思うのだ。古田の中に私は”甘えん坊”の情を見てしまうのだけれど、リチャードの”悪”はもっと乾ききってて、情があるとするなら”怨念”なのではないか。10年前に見たらどうだったろう、とも思う。『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』が記憶にある古田の洋物で、最近の舞台で観るのはほとんど和物の悪党。着流しの裾から覗く脚が色っぽいのだが、リチャードだともっと切れ味鋭いほうがいい。あるいは、古田の演技はいつも俯瞰的な視線を感じるのだが、リチャードは自己陶酔型の悪党なんじゃないかと思うのだ。
 こういうことを考えちゃうのは、同じ舞台に若松武史がいるからかもしれない。なんで若松がクラレンス公ジョージなんだろう。

 いや、私、古田新太のファンで、今回の舞台だってとっても楽しんだんだけれど…。
どうせだったら、もっと突き抜けてポップにするとか。王になったあとのことはなにも考えていない男なんだもの。リチャードは”国盗り”ゲームに熱中するゲーマーという解釈だって成り立つはず。
 
 赤坂ACTシアターははじめて。舞台両袖の、恐らく常設してあるモニター画面が、2階の奧の席からは小さくて残念。収容人数のわりに、ロビーというかホワイエや廊下が狭い。せっかく芝居を楽しみに来ているのだから、もう少しゆったりとした余裕がほしい。

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加山又造展

 国立新美術館の『加山又造展』を観た(3月2日まで)。
 素晴らしい回顧展。山種美術館などで観た加山の作品が好きだったのだが、体系的に観るのははじめて。こんな人だったのかと、ワクワクを通り越してゾクゾクしてしまう。

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 チケットに使われた絵は、「雪」。雪、月、花、と一組になっている大作で、入場するとまずエントランスのこの作品に溜息が出る。

 次に続く動物の作品群にはびっくり。--ラスコーの壁画から、未来派、シュールレアリスム、そしてブリューゲルまで幅広く西洋美術から影響を受けています。--という解説なのだが、きっと、これらの加山の作品に影響を受けた西洋風?現代アートの人だちだって多いにちがいない。コレ観ちゃうと、日本画とか西洋画というようなカテゴリー分けなんていらないんじゃないかと、素人の私は思う。
 この中で写実的な「木枯」の風景にデジャヴ。冬の夕暮れどきに井の頭公園付近で空を見上げると、鳥が寝ぐらに帰っていく、こんな風景を見かけるのだ。だぶんこれは上野公園なんだろうけれど。

 屏風絵が6作品、どどーんと並んでいる中で、”琳派の影響”を浴びる。その中でも「千羽鶴」が好き。
 こんな裸婦も描いていたのかと思いながら進んで、釘付けになったのは「夜桜」(光記念館所蔵)。リンク先のページで見てほしいのだけれど、残念ながら部分だけなので、ぜひとも本物を観てください。咲き誇る桜の美しいこと。そして右隻にかかり火があり、立ち上る煙がなんともいえず、作品全体が繊細で優美。立ち止まって観ても足りず、しばらく前のソファーに座ってうっとりと眺めた。
 波の音だけが聞こえてきそうな、水墨画の「月光波濤」にも魅了された。波の迫力がすごい。作品の前を離れて歩いていても、ふっと視野に飛び込んでくる感じがするのだ。

 順路の途中、休憩室ではパソコンを使った習作を展示していた。晩年になっても、創作意欲とともに、素材への探求心が旺盛だったのだなぁ。すごいなあ。好奇心旺盛な人だから、日用品のデザインも手掛けたのだろう。”琳派”だし。
 
 出口まで行って、もう一度「夜桜」と「月光波濤」を観に戻った。会期がはじまったばかりの平日の夕方だったから、混み合っておらず、行きつ戻りつを繰り返しても、他の人の邪魔にならなくて良かった。
 目録を買おうか迷ったが、次に行く用事があったので、コンパクトなDVD を買った。余韻に浸ろう。

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 作品は「春秋波濤」(部分)

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東フィル ニューイヤーコンサート 2009

 今年のイベント始め(?)も、東京フィルハーモニー交響楽団の、ニューイヤーコンサート 2009(1月2日 オーチャードホール)。

 指揮は小林研一郎。ゲストに、ピアノの外山啓介と、ヴァイオリンの宮本笑里。美男美女で大人気の若手だ。そして、ナビゲーターといっている司会の朝岡聡。

第1部
J.シュトラウスⅡ 春の声
ブラームス  ハンガリー舞曲集 第1番
ブラームス  ハンガリー舞曲集 第5番
ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第2番 第1楽章
スメタナ 「わが祖国」より“モルダウ”

第2部
J.シュトラウスⅡ  雷鳴と電光
モンティ  チャールダーシュ
ラフマニノフ  ヴォカリーズ
ラヴェル  ボレロ

 毎年姉と一緒に行くのだが、私たちの前の列に50代後半ぐらいの男性と20代後半ぐらいの娘さんが座っていたのだが、娘さんの手にお母さん(男性にとっては妻)と思われる人を飾った写真立てが握られていて、きっと毎年ニューイヤーコンサートに来ていたご家族なんだろうなあ、と想う。 
 うちも母が健在だったら一緒に来ていただろう。姉と私がクラシックに慣れ親しんだのは、母がクラシック好きだったから。私が小学校に入学するまで我が家は社宅のアパート住まいだったが、幼い頃にそのアパートで、母がレコードをかけると喜んで一緒に聞いたものだ。姉も私も「ハンガリー舞曲集」にあわせて踊る(くるくる回る)のが好きだった。

 今年の第1部は、そのハンガリー舞曲だから、私としては大いに盛り上がる。ラフマニノフのピアノ協奏曲を弾いた外山の手の大きさにもビックリだった。第2部の、チャールダーシュとヴォカリーズは宮本笑里。宮本のチャールダーシュは線が細い。年末の、同じ東フィルのジルベスターコンサート(テレビ中継)で古澤巌のチャールダーシュを聴いたばかりだから(おまけに日頃聴いているCDが古澤巌なもので)、この選曲は若い彼女にとってちょっと不利だったかも。
 
 演目もお馴染みの曲ばかりで、定期演奏会より”お楽しみ”の色が濃い。休憩時間に獅子舞が来たり、お年玉抽選会があったりと、お正月らしい演出もたっぷりある。ボレロの緊張がとけると抽選会があって、その最高の景品が「ラデツキー行進曲の指揮をする」という趣向。今年も当たらず、「せっかく練習していたのに」と姉は残念がっていたが、楽しいコンサートでお正月を祝った。 
   
 

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「あれから」他、08年後半の芝居から

昨年、感想を書き残した芝居から、メモしておきたいものを。

 ガバメント・オブ・ドッグスは大阪出身の人たちのようで、10月三鷹市芸術文化センター 星のホールで行われた「Refresh!」が東京初上陸だそうな。初見だから、11年ぶりの活動再開と言われてもピンと来ないが、安定したコントライヴ。若い人、と言っても私より若いだけで、オッサン5人組である。メンバーに土田英生がいる。

 若い人と言えば、本谷有希子の「幸せ最高ありがとうマジで!」が強烈な印象だった。新聞販売所を営む家族のところへ、ある日見知らぬ女性、明里がやってきて主人の愛人だと名乗る。そこから明里の”復讐”がはじまるはずだったのだが…。そら恐ろしいストーリーだ。役者では、主人公明里役の永作博美もいいが、妻の広岡由里子がなんたっていい。本谷有希子の作品は、以前ダンダンブエノで見たことがあった。

 「友達」の演出、岡田利規は、はじめてだった。脚本が安部公房、役者も麿赤兒、若松武史、木野花、今井朋彦等々が揃っているので、岡田の色とは違うのかもしれないが…。
 結婚が決まったひとり暮らしの男のアパートにある晩、見知らぬ家族がやってきて住み着く。「幸せ最高ありがとうマジで!」と似たような暴力。もっとも本谷より安部の脚本のほうがずっと昔なわけだが、いつの世も社会にこういう不気味さが潜んでいるということだろう。今は目に見えてきた時期なのかも。
 
 土田、本谷、岡田とも、もうすでに評価されている人たち。これからも観てみたい。

 そしてなんといっても同世代の人たち。クリスマスに、三谷幸喜の「グッドナイト スリープタイト」を観た。一組の夫婦の約30年の歴史。戸田恵子と中井貴一だから安心して楽しめた。
 2008年、最後の観劇はKERA・MAPの「あれから」。高校のときの親友、ニチカ(余貴美子)とミラ(高橋ひとみ)が30年の時を経て、偶然出会う。それぞれに家庭の事情が複雑だったり、いろいろあるが、KERAにしてはハッピーエンドで、ほんわかした気分。余、高橋ひとみはもちろん、ニチカの夫役の渡辺いっけい、ミラの夫役の高橋克実もいい。高橋克実はちょっとだらしがない中年のカメラマンで、カッコいいのだ。それと、ナイロン100℃の植木夏十が、屈折した、でもホントは素直な女の子を好演。15周年記念の「シャープさん フラットさん」でも、家庭環境が複雑な女の子だったっけ。

 「あれから」を観て、自分の「あれから」もふり返える。「ア・ラ・カルト」のときもそうだったが、ふり返る過去があるということは、歳を取ってきたっていうことなんだろう。年があけて、シアタートップスの最終公演に、東京サンシャインボーイズが集まるという話を聞いた。トップスも、東京サンシャインボーイズも想い出がたくさんあるのだ。チケット争奪戦だろうなぁ。

 ここに感想を書いた他にも、昨年はたくさん芝居をみた。今年もたくさんの芝居に出会えますように。

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ア・ラ・カルト 役者と音楽家のいるレストラン(2008年)

 昨年、感想を書き残した芝居から。

 11月某日。「ア・ラ・カルト」を観る。
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 20周年ということで、ステージ数が多いにも関わらずチケットを取るのに苦戦し、11月になった。ホントは12月のクリスマス時期がベストなんだけれど、贅沢は言ってられない。
 初演から観ているが、たしか3回観られなかった年がある。チケットが取れなかったり、病気だったり…。そういうことも含めて、20年の歳月を自分のこととも重ねあわせるとなおさら感慨深いのだが、高泉淳子、白井晃、陰山泰の三人の役者と音楽監督の中西俊博が、誰一人欠くことなくおなじ劇場で20周年を迎えたことが、ファンとしてとっても嬉しい。役者はもともとおなじ劇団のメンバーだったが、よく中西と出会ったものだと感心するし、それが20年続くのだから!
 それになんていったって、このエンターテインメントの質の高さ! 毎年同じように思える「ラストダンス」だが、高泉扮するおばあさんだけでなく、白井のおじいさんも年寄りの表情が深くなってきた。二人を見送る陰山のギャルソンが燻らすタバコ。わかっているのに、涙がこぼれる。でも、それは悲しい場面じゃなくて、人生賛歌だ。死を予感させる老いを見つめてなお、幸福感に溢れている…、これが「ア・ラ・カルト」の大きな魅力(高泉の魅力でもある)。
 おなじ劇場で、と書いたが、青山円形劇場という劇場も、一役買っている。こういう小粋な舞台は絶対大きな劇場ではつくれない。いつからかステージを本当に円形に使うようになって、より客席との距離が縮まった。青山という土地柄も、レストランという設定にあっている。
 
 08年の食前(オープニング)のカクテルはウイスキーフロート。白井のオーナーの台詞に「軽井沢の醸造所」が出てきて、「今年、私も行った!」と小さな符合にウキウキする。ちなみに食後のカクテル(ラスト)はアイリッシュコーヒーで、ウイスキーベースで統一されていた。こういうところまで、ちきんと作り込んでいるのがオシャレ。
 08年は羽場裕一とROLLYがゲスト。羽場はすっかり「ア・ラ・カルト」に溶け込んでいた。よくを言えば、ROLLYにもう一曲歌って欲しかったけれど、この人はまたいつか出てくる気がする。
 
 座席がAブロックだったので、ステージの真正面。11月だったけれど、20周年にいい席で観られたなんて、なにかのご褒美かも。

写真は、オープニングで使われた20周年記念の花。違う日に行った友達がもらったものを写させてもらった。

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2008展覧会 私的回顧 

 年末に行ったバーで、オーナーに「最近絵は観てます?」と訊かれて、「そうそう今年(08年)の前半は随分美術館を巡ったんだわ」と思った。10月頃から忙しくなり12月は風邪を引いて、美術展のベストシーズンだというのになかなか行けず、アレもコレも見逃している。

 たとえば『巨匠ピカソ展』。サントリー美術館の「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展は観たが、国立新美術館の「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展は見逃したので、なんだか消化不良だ。パリのピカソ美術館が改装中の世界巡回展だったというから惜しいことをした。2館にわけずに国立新美術館一か所でやってくれれば、親切だったのに。1月中旬で終わってしまうフジタにも行けるかなぁ。

 2008年一番感動した展覧会は、東京国立博物館『国宝 薬師寺展』。あの月光さん、日光さんの優美なお姿は忘れられない。二番目は『大琳派展』。これは琳派、とくに宗達が好きだから。宗達といえば『対決 巨匠たちの日本美術』も見応えがあったし、『王朝の恋 描かれた伊勢物語』も面白かった。「物語」繋がりなら、千年紀にちなんで五島美術館の『源氏物語絵巻』も挙げたい。
 小さな展覧会だったが、三鷹市美術ギャラリーの『中右コレクション 幕末浮世絵展 大江戸の賑わい──北斎、広重、国貞、国芳らの世界』も印象に残っている。これを観たあとで『ひらがな日本美術史 6』を読んだら「なるほど!」とか「へえ、そうなのか」と思うことが多く、いままで自分の中でバラバラだった一つひとつの作品の知識が、浮世絵同士あるいは他の美術と、はたまた江戸の歴史に少しづつ繋がっていくような気がした。作品そのものも面白いけれど、こういうことも楽しいんだよね。 
 ちなみに、私の日本美術のお師匠さんは(勝手ながら)橋本治と赤瀬川源平だから体系だって、というわけでもない。あんまり知識先行型の鑑賞も好きじゃないし。

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 海外のものでは、『フェルメール展』の帰りに寄った『ヴィルヘルム・ハンマースホイ  静かなる詩情』が強く印象に残っている。決して華やかではない、落ち着いているようでいて、ちょっと奇妙な画風。ハンマースホイはデンマークの人だから、北欧っぽいといえば、北欧っぽいのかもしれない。初めて観た感動も加わっているのだけれど、ロイヤルコペンハーゲンの食器を見るたびにチケットに使われていた「背を向けた若い女性のいる室内」を思い出す。

 それから番外編で『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』もルネサンスを体感できた貴重な展示だった。実際に小書斎の中に入れるなんて、これはなかなか味わえるものではない。
 この『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』と『国宝 薬師寺展』は、ある意味サプライズだったので、他の展覧会とは別格なのだ。


 

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初詣

 謹賀新年

 毎年初詣は近所の神社三か所が定番。地元だから、散歩や買い物の道すがら「ちょいとお詣りしていこうか」という気になる、暮らしに溶け込んでいるところ。それからもう一か所”行ったことがない神社”にお詣りをする。こんなにアチコチ行ってそれぞれの神様がお怒りにならないかとも思うけれど、七福神だってアチコチ拝むのだから、お許しあれ。

 今年のゲスト神社(?)は、東伏見稲荷。
 バスで西武線沿線に出るときに脇の道を通るので、立派な鳥居は見知っていた。バスを降りると参道というわけでもなく、すぐに大きな鳥居があって、階段を昇ると小高い丘のうえに朱塗りの神殿がどーんと控えている。

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階段の中程にあるお狐さん。右のお狐さんは玉を、左のお狐さんは穀物倉の鍵をくわえている。お狐さんは稲荷大神のおつかいだそうだ。


 京都の伏見稲荷大社のご分霊を奉って、昭和四年に鎮座したというから今年で80年になる。神社としてはわりと新しい。というものの「東伏見」という地名も駅名もあり地元に親しまれているようで、新東京百景にもなっている。私が参拝したときは、ジャージ姿の学生達がゾロゾロと団体でお詣りしていた。早稲田大学のアメフト部みたい。そういえば近くに早大のグランドがあるからね。
 「必勝祈願」の勝ち守りというお守りもあったが、私は「健脚健康草履守」を頂いてきた。
今年も、健康でありますように。
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そんな顔、しないの

 
 某日。芝居を見た後、お腹が空いたので、お寿司屋サンに寄った。そのお店は芝居の行き帰りに何回か寄った程度で常連とはいえないけれど、「今日の白身は?」なんて訊きながら、カウンターで握ってもらっていた。
 姉が、「”漬け”ありますか」と注文すると、「今日のマグロは漬けすぎると醤油を吸いすぎるから、浅漬けでね」と板前、Aさん。「私は赤身を握って」と言うと、「やっぱり赤身がおいしいのが、ホントにおいしいマグロ。大トロは味じゃないんだよね」なんて、楽しくやっていたのだ。

 しばらくして、常連さんらしき初老の夫婦が私の右隣に座った。お店の人たちとひとしきり挨拶して、彼らも食べ始めた。大きな声で話しているから、見るともなしに、見てしまう。相手をしていたのは板前Bさん。「今日の中トロは?」と、サクにする前のブロックをわざわざ出させて見ているから、よほどの通なんだろうな、と思った。

 こうして吟味した中トロの刺身が出てくると、奥さんが、たっぷり小皿に指したお醤油の海のなかに浸し、それも一面、一面、箸で切り身を小皿に押しつけるように浸して…。
 ああ、ああ、それじゃあ、せっかくの中トロが…。
しかも、全面その”儀式”をした切り身を、旦那の小皿(醤油入り)に投げ入れるように置いたのだ。さらに、びちょびちょ。もう切り身が潰れているし…。
 それを旦那が頬張って「うまいね」。

 うわぁ。と声はあげなかったっが、視線を逸らして顔を上げると、カウンター越しにいる板前Aさんと目があった。左隣から「そんな顔、しないの」という姉の囁き声に、Aさんが笑って、私も笑った。「気持ちは同じ」。三人とも、つい、じーっと見ていたのだ。「そんな顔しないの、か」とAさんが笑いながら繰り返した。
 
 好みは人それぞれだけど、お醤油はほどほどに。通ぶるのもほどほどに。そして、何事も驚いちゃいけません。そんな顔しないの、ね。

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大琳派展~継承と変奏~

 国立博物館で行われている『大琳派展~継承と変奏~』の、会期もあと僅か(16日まで)。

 この展覧会には二度足を運んだ。展示替えがある展覧会が多いので、何回か行きたいと思っても、実際に行けることはめずらしい。でも、琳派、大好きだから頑張ったのだ。
 
 二度目に一緒に行った相棒は、光琳というと、子どものときに買った「紅白梅図屏風」の切手を思い出すのだそうだ。私にとっても、それが”初”光琳、”初”琳派。子どもだったから美術史的なことはまったく知らなかったたけれど、綺麗なデザインだと思ったものだ。
 大人になった眼で見ると、光琳はなるほど洗練されていて美しいのだけれど、でも、なんといっても宗達がいい。
今回の「風神・雷神」の、宗達、光琳、抱一、其一のそろい踏みでは、やっぱりオリジナルに軍配があがるでしょう。
 「風神・雷神」で、もうひとつ気に入ったのが、其一の襖絵。襖にしたことで、風神雷神が暴れる(?)舞台が大きくなって、動きがあった。そうなんだよね、光琳、抱一の作品は綺麗なんだけれど、おとなしくなっちゃうのだ。 
 もちろん光琳だって、抱一だって好きなんだけど。

 今回の「大琳派展」は、つくづく贅沢な展示だと思った。
  その素晴らしさは興奮してしまうのだが…、それにしても残念なのは、東京国立博物館はバリアフリー対策がゆるいというか、お客に対してホスピタリティがないというか…。いや、夏の暑いときには傘を貸し出したりしているから、気配りがないわけじゃないんだけど…。ひとりひとりの係員も感じがいいんだけど…。詳しくはまた別の機会に。


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JAZZ 6 PIANOS 2008-2009

 今更ながらだが、10月に行った「JAZZ 6 PIANOS 2008-2009」(サントリーホール)の話を。

 このライブを知ったのは、『DOWN TOWN FOLLIES Vol.5』のときに配られたチラシ。9月にレ・フレールのコンサートのチケットをとっていたので、ピアノが続くけどと思いつつ、楽しそうじゃない?とチケットを取ったライブ。
 2005年が初回だったらしい。佐山雅弘が呼びかけ人となって集まった小原孝、国府弘子、塩谷哲、島健、そして山下洋輔がピアノ6台を引きまくるのだ。
 
 クラシックのときは、後方でもなるべくセンター寄りの席を選ぶ私。でもこれはジャズピアノだから、手が見えた方が面白いと思って、ステージ脇の左サイドの座席にした。ちょっと覗き込むようになるが、これが大正解(もっといえばステージ後ろの席にしたかったんだけど、ぴあでは扱っていなかったので、まあしかたがない)。アーティストのノリが、ビンビン伝わってきて、ステージに近い席は楽しい。

 たとえばおなじみの「TAKE FIVE」、ピアノ6台での「BOLERO」。小原と国府のDUOコーナーで、「ねこのブギウギナイト」は「猫ふんじゃった」の変奏曲。山下のオリジナルで島、山下、佐山、塩谷の演奏はすごい迫力、と思ったら、トリの「Rhapsody in Blue」が、これまたスゴイんだ。
 昨年もやったという。聴き逃していたのが残念だから、これからは逃しませんように。

 今回、小原孝という人を知った。他の人はライブで聴くのがはじめてでもCDやテレビなどで予備知識があったのだけれど、この人はまるっきりはじめて。本来、JAZZミュージシャンじゃないのだそうだけれど、とっても楽しいピアノを弾く。今後要チェックの人だ。

 ライブに行くと要チェックのアーティストが増えちゃって、忙しくなる。困ったものだ。

 

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The Diver(ザ・ダイバー)

 シアター・トラムで、 野田秀樹、作・演出の『The Diver』を観た(共同脚本 コリン・ティーバン)。10月13日まで
 
 現代能楽集シリーズ第4弾だそうで、能楽の「海人」(「The Diver」は「海人」の英訳からきているようだ)、「夕顔」「葵の上」をモチーフに、現代に起きたある事件の真相を解き明かしていく。
 事件の容疑者であり、精神分析を受ける女にキャサリン・ハンター。精神分析医に野田秀樹。他に、グリン・プリチャード、ハリー・ゴストロウと英語で進められる。

 野田とハンターの身体の動きに、まず拍手。扇をピザに見立てるなど、小道具の使い方も素敵。能を意識している芝居だから、こうした表現は対比のようで面白い。 

 物語は現代の事件に「海人」と源氏物語を絡めているわけだが、源氏物語の「夕顔」と「葵の上」の両方の、都合の良い場面をくっつけた感じ。そうじゃないと現代の事件が描けないんだろうけど…。日本人の役者が、日本語で演じたら、また違った雰囲気で、しっとりした「情」とかどろどろした「怨念」が浮き上がってきたのではないだろうか、とも考える。現代の事件って、けっこう日本型なんじゃなかとも…。
 事件の真相や女の思いより、精神分析医の判断や、人を裁くことの重みが心に残った。

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BRUTUS『琳派って誰?』

 『大琳派展』にあわせた特集のBRUTUSを発売日に買った。

 宗達が好きで『大琳派展』をとっても楽しみにしているのだけれど、今号の『BRUTUS-琳派って誰?-』で読み応え、見応えがあったのが、--アメリカが発見した「RIMPA」。--という記事。フリア美術館を中心に、アメリカに渡った作品の紹介だ。残念ながら門外不出の作品が多く、大琳派展でも見られない作品ばかり。「アメリカに行きた~い」とため息が出る。「BRUTUS」の美術特集って、写真がとっても綺麗だ。
 田中一光も好きなので、「20世紀琳派、田中一光を知っていますか?」も、嬉しい記事だった。 

 発売日にいそいそと雑誌を買いに行くなんて、私としてはめずらしいこと。書店のレジで『BUTUS』を差し出すと、隣から「ありがとうございます!」と声をかけられたので軽く会釈をした。『BRUTUS-琳派って誰?-』のポスターを抱えていたから、きっとマガジンハウスの営業の人なんだろう。絶対売れるだろう号でも、一所懸命営業しているんだなあ。頑張ってください。

  

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「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

先日、東京都美術館で行われている「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」に行った。

  フェルメールの作品が、「ワイングラスを持つ娘」「小路」「ヴァージナルの前に座る若い女」「手紙を書く婦人と召使い」「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」「リュートを調弦する女」と、7 点も揃うと聞いて、楽しみにしていた展覧会。平日の夕方だったので、混雑もなく、わりとゆっくり観られた。

 もともと現存する作品数が少ない画家だから、7点も見ると、この人の作品の傾向がなるほどなあと、伝わってくる。いくら画集で”お勉強”してもピンと来ないのに。これが本物を観る楽しさなのだろう。
 光と影にも納得するが、そのことに触れている解説が多いせいもあって”物語”を意識させられる。「手紙を書く婦人と召使い」の、婦人が書いている手紙や、召使いの視線の先はもちろんのこと、「ヴァージナルの前に座る若い女」の、あの頼りない表情はなんなのだろうとか。

 ただ、あまりにも期待が大きかったせいか、昨年の国立新美術館「フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展」の「牛乳を注ぐ女」のような、ただ見ているだけで幸せ、という興奮はなかった。そんな体験なんて滅多にないし、毎回していたら疲れちゃうけど、ね。

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グーグーだって猫である

 吉祥寺のバウスシアターで、『グーグーだって猫である』を観た。
 上演時間を調べたら、あと25分ではじまる。あわてて支度して家を出たけれど、余裕でバウスについた。吉祥寺の映画館はこれができるから、好きだ。

 漫画家、麻子と猫と、アシスタントたちのお話。原作者の大島弓子の作品もいくつか読んでいるし、小泉今日子は綺麗で、上野樹里は可愛くて、しかも二人とも上手くて好きな女優さんだ。その上に、「なんてったって舞台が”我が町”吉祥寺だからね!」とワクワクしていると、なんと映画の中で、吉祥寺を案内しているのが、ロックミュージシャンのマーティ・フリードマンなので、ますます嬉しくなる。
 町の描き方は穏やかで美しく、「ここはあの角」と思いながら観るのも楽しい。町歩きでは見られない、俯瞰した吉祥寺の風景もいいものだ。

 マーティは観客にとっては町の案内人であり、後半、主人公の麻子(小泉今日子)の夢の中で、人生の分岐点での案内人にもなる。

 麻子がつぶやく

             「グーグーが長生きしますように。
                病気しませんように。
              事故にあいませんように。
           この家の生活が楽しめますように。
              そして天寿を全うしたら、
      このわたしがグーグーを送ることができますように…」 

 という思いが、心に深く伝わってきた。それは優しい人生賛歌だ。思いがけず素敵なメッセージをもらった。

 

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矢島美容室「ニホンノミカタ-ネバダカラキマシター」

 おとといテレビをつけたら、目に飛び込んで来たコーラスグループ。一瞬「スリー・ディグリーズ?」と思ったが、いやいや違う。『とんねるずのみなさんのおかげでした』のプロジェクト、「矢島美容室」というのだそうだ。

 アメリカはネバダ州出身の母マーガレットと娘のナオミ、ストロベリーが、姉妹の父親である美容師の矢島を探しに来日。とんねるずとDJ OZUMAのプロデュースで日本デビューする、というストーリー付の、とんねるずとOZUMAのユニットだ。髪型とかお化粧とか衣装が初期のスリー・ディグリーズにそっくりで、スリー・ディグリーズのメンバーの誰かはネバダ州出身なの? 彼女たちはアメリカより日本の人気が高かったというしねぇ。 歌詞は笑っちゃうけど、大まじめに誇張しながら歌い上げているので聴き入ってしまった。 
 リードボーカルは母親役の木梨憲武。いまさらとんねるずを捕まえて言うことではないけれど、歌が本当に上手いんである。歌が上手い人たちがこういうことをやるから面白いのであって、これが下手だったらインパクトはない。とんねるずが同じように紅白で問題視されたOZUMAと組んだのもシャレだしね。OZUMAはあんまり好きじゃなかったけれど、今回はウェルカムだ。いまのお笑いシーンに、こういった芸のある芸がもっと増えれば楽しいのに。CDの B面(と今は言わないか)は是非とも『天使のささやき』にしてほしい。

  
 こうして矢島美容室を知ったのが、おととい。昨日、ガムのCMに出演でいるのを発見。うわぁ、やっぱり強烈。スリー・ディグリーズのパロディがわかる年代は40~50代だろうけれど、それがわからなくってもウケルと思う。やってくれましたね、とんねるず! DVDが発売にならないかなあ。

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崖の上のポニョ

 ようやく『崖の上のポニョ』(原作・脚本・監督 宮崎駿)を観た。

 ポニョは可愛いけれど、これは宗介と、宗介のお母さんの物語。この親子がとっても素晴らしい(以下、結末がわかってしまうが、悪しからず)。

 アンデルセンの『人魚姫』は、王子と結婚できず、海の泡になってしまう。王子が人魚姫を好いているとか嫌いとかの以前に、「身分」が邪魔をする。
 ディズニーの『リトル・マーメイド』は、王子との間に愛が芽生え、結婚できる。愛こそすべて、愛があれば報われる。

 現代の人魚姫ポニョは、人間の世界の庶民の子ども、宗介を好きになり、宗介のところに来る。宗介も、ポニョが好き。『人魚姫』や『リトル・マーメイド』と決定的に違うのは、宗介が、魚の姿のポニョも、半漁人の姿のポニョも、人間のポニョも好きで、どんな姿をしていても、なんの抵抗もなく、「ポニョ」として受け入れることだ。
 これは、すごい。いままでのおとぎ話なら、たとえば魔法にかけられた王子がカエルの姿で姫に愛を告白しても、カエルの姿のままでは姫には嫌われる。『美女と野獣』でも、野獣が美女の心をほどくには時間が掛かる。けれど、宗介は「僕も好き!」で万事了解なのだ。

 後半は宗介の成長物語と位置づけられているようだが、宗介は試練を試練と思っていない。淡々と、やるべきことをやるだけだ。むしろこの一件で成長させられるのは、試練を与えたはずの海に住む人たち(とくにポニョの父)である。

 宗介の母リサは不思議なことがいろいろあっても、動じずポニョを受け入れる。リサの心の広さ、強さは感動的だ。彼女はデイケアサービスセンター「ひまわりの家」の職員で、「ひまわり」の隣の保育園に通っている宗介は、「ひまわり」の利用者のおばあさん達とも仲良しという設定。宗介の父は船乗りで留守がちだが、リサと宗介を愛しているし、宗介も父を尊敬している。このような両親と環境があって、宗介は、異形の者であるポニョのことも、当たり前のこととして「好き!」と言えるのだろう。

 母子の気負いのなさは、実はこれからの共生社会の大事なポイントでもある。リサや宗介のように先入観を持たずに他人を受け入れられる人が増えたら、こどもたちはもちろんのこと、高齢者や障碍者、いや全ての人がもう少し生きやすくなるだろうと思わずにはいられない。
 いろいろなメディアで紹介されていて主題歌も大ヒット、話題になっているエピソードもたくさんあるが、なにより奧が深い物語だった。

 作品のキャッチコピーは、「生まれてきてよかった」だ。大人に観てほしい。

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偶然の音楽

 世田ヶ谷パブリックシアター『偶然の音楽』を観た(作 ポール・オースター/翻訳 柴田元幸/構成・台本・演出 白井晃)。

 3年前の初演は見逃したので、今回はじめて観た。主人公ジム・ナッシュに仲村トオル。ジムとコンビを組む若者ジャック・ポッティに田中圭。初演は小栗旬だったそうだ。小栗も観たかったなと思うが、田中が好演していた。

 長年会っていない父の遺産が入ったのをきっかけに、ジム・ナッシュは職を捨て、旅に出た。ずいぶん前に妻が家を出て、意中の女性は他の男と結婚し、姉に預けている娘を引き取ろうとしても娘に拒まれる、というように女たちからはあてにされない。莫大の遺産をただただ浪費する旅の途中、ジムはジャックと出会う。金持ちをカモにポーカーで一儲けするジャックの話に、ジムは乗る。「どうせ失うものは何もない…」

 女から観たらダメ男のはずのジムが、仲村トオルが演じるとカッコ良くて困る。とても人生にウンザリしているようには見えず、誠実で、頼りになる、渋い男に見えてしまう。抑え気味の演技がなかなか素敵で、それが仲村トオルの資質なのだから、白井はジムをカッコイイ男にしたかったんだろう。それもまた角度を変えて見たジムの姿なんだろうが、私はもっとどうしようもないジムを観たかった。
 ポーカーの相手、富豪のウィリアム・フラワーとストーン兄弟に大森博史と小宮孝泰、その舘の召使いマークスに三上市朗と、演技巧者が揃っている。

 周りの役者を動かすことで時間の流れを表していた。石積みの場面は、『ベント』のアウシュビッツの作業を思い出させる。

 田中圭は、若さを持てあまして苛立つジャックを好演していた。田中も、初演に出た小栗も魅力的な俳優だと認めながら、世田谷パブリックシアタープロデュースなら、敢えてこれからの舞台俳優を起用してほしい。

 度々の苦言で申し訳ないが、最近の舞台の観客のマナーは目にあまる。
 この芝居も例外ではない。私は、2階席の正面ブロック最前列で観た。ご存知の方も多いだろうが、パブリックシアターの2、3階席は傾斜がきつくて、それぞれの列の前に柵を設けているのだが、田中圭のファンの後ろの女性たちは、その柵から身を乗り出したり、始終ワサワサしている。頭上に人の気配がしたり、物を落とされたら怖いじゃない?

 最近このようなお客が多いのは、芝居の内容はどうでもよくて好きな役者だけ観に来る人が増えた結果だと、私は思う。芝居に興味のない”お客”が増えて客席が荒れている。本当の意味での観劇人口は増えていないだろう。「偶然の音楽」でこれだもんなあ、と思うとガックリだ。制作側も、人を育てる、演劇を育てるという長いスタンスも含めて、考えてはくれないか。

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『新・水滸伝』と『青猫物語』

 久しぶりの更新になってしまった。

  この間観た芝居。

 『新・水滸伝』二十一世紀歌舞伎組(脚本・演出 横内謙介/ル・テアトル銀座)。

 猿之助の演出だから、スーパー歌舞伎と混同していたが、別のシリーズだった。一門の若手公演なのだとか。
 不正だらけの朝廷にもの申す梁山泊の郎党たちが、林中(市川右近)を中心に結束するまでの物語。お夜叉の春猿が粋でイイのだが、中国の物語に「お夜叉」という名前はないだろうと、違和感。女性の名前は、お夜叉=孫二娘、姫虎=顧大嫂、青華=扈三娘と、元の名前から変えてあるようだ。
 帰りに寄った喫茶店で、友達とパンフレットを観ていたら、ウェイトレスのお姉さんが「春猿さん、素敵ですよねえ」。友達も春猿目当て。いま、旬の人らしい。


 恋愛喜劇『青猫物語』(作 マキノノゾミ 演出 山田和也 シアタークリエ)。

 時代は昭和8年~9年、軍が台頭してきた頃。舞台は、築地小劇場の側の「青猫」というカフェ。そこに下宿している踊り子、宮下そら(黒谷友香)と、新劇劇団の脚本家八起静男(北村有起哉)のすれ違う恋を描く。黒谷は、たしかにキレイだし衣装も豪華だが、私は北村とか、新劇俳優を演じた小須田康人、劇団の”親方”近江谷太朗、青猫のマスター”ブルさん”のきたろうに目が行く。北村岳子、山下裕子と、コメディエンヌもいるしね! 
 
 芝居は楽しかったが、パルコかル テアトルあたりで観たかったなあというのが、偽らざる感想。そうしたら同じ商業演劇でも、もっとスマートな演出になったのではないか、と。

 マスターのブルさんは目が見えない。けれど、カウンターに立ってコーヒーを淹れるし、ビールも出す。店内を杖もつかずにスタスタ歩く。だから、一見の客はブルさんが見えないことは気がつかないし、常連でも忘れてしまうことがある。これが、喜劇的なすれ違いを生む鍵にもなっている。
 ブルさんの目が不自由なことは、さりげなくだが劇中で繰り返し語られる。そしてブルさんがビールの宣伝用ポスターを店の壁に上下逆さに張るのだが、そのとき私の後ろの列に座っていた人が「ポスター逆さよ、なんで? 間違えちゃったのかしら? ほら逆さま」と、連れに話しかけていた。彼女は、俳優のきたろうが間違えて逆に張っちゃったと思ったらしく、ブルさんが見えないから、ということが理解できていないようなのだ。う~ん、こういう観客相手では…。当の本人も、ちっとも楽しくないのでは?

 シアタークリエは、相変わらず観客のお喋りが聞こえる。あの人たちは芝居が好きなんじゃなくて、友達(姉妹?)と会うために劇場に来ているのだろう。パンフレットの後ろのページに「劇場からのお願いです」と注意事項を書いてあるが、茶の間のお喋りをそのまま劇場に持ち込むような人たちは、パンフレット買わないってば。椅子の背中、あるいはチケットの番号の隣に注意書きしたら、目にはいるかもしれないけれど…。

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ルオー 大回顧展

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 出光美術館『ルオー 大回顧展』に行った。
今年は没後50年であちらこちらで幾つか回顧展があるようだが、出光コレクションは400点以上、世界最大規模だそうだ。この回顧展は、--代表作の連作油彩画《受難(パッション)》、銅版画集《ミセレーレ》をはじめ、初公開を含めた約230点--を展示してあり、圧倒される。
たしか、松下電工の汐留ミュージアムもルオーのコレクションだし、キリスト教は少数派なはずなのに日本人はルオーが好き?

 画商ヴォラールとの契約で裁判になった有名な所有権問題から、300点以上の未完成の作品を焼いたといわれている。300点も未完の作品があるのも、ちょっとどうかと思うが、連作があったり、版画も手掛ける作家だったとはいえ、いったい生涯に何点描いたのだろう。

 ついつい絵の内容よりも、”量産”のほうに頭がいってしまう。油絵の量産時期にはヴォラールから厚塗りを禁止されていたようで、その反動なのか、晩年の作品の厚塗りの凄いこと、凄いこと、驚くほどだ。

 私は宗教画より、ピエロ系の題材が好きなのだけれど、重厚で個性が強いルオーの作品230点を見終わると、いささか疲れ、ロビーで皇居を眺めながら一息ついた。


 

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宝塚BOYS

 シアタークリエで『宝塚BOYS』を観た。

 戦後、宝塚に出来た男子部の実話を元にしたストーリー。現在の宝塚をみればわかることだが、結局男子部は日の目を見なかった。戦争の影を背負う若者の青春群像でもあり、戦争とショウビジネスと、何度も大きな挫折を味わうことになる彼らの、かなりシビアな物語なのだが、徐々に育まれてゆく仲間意識が昨年の初演より自然な感じで、エンディングに希望を見いだせる。
 この舞台を宝塚ファンは、どう観るのかなあ。やっぱりいまでも男子部なんて許せないのかなあ。 

 初演とメンバーが替わっている役もあるものの、私のお目当ては、星野丈治役の吉野圭吾(初演と替わらず)。歌もダンスも未経験者ばかりのなかで、星野はショウビジネスの経験者。仲良し集団化していく仲間をよそにプロ意識が高く、みんなから「妖怪」呼ばわりされる役。初演よりトゲがなくなった。が、やっぱりこの人がいないと、物語も締まらない。

 華やかなレビューの部分は吉野の独壇場。吉野がダントツなのは当たり前だし、芝居としてもそれでいいのだが、立ち姿にすごーく差が出る(なぜか若手が姿勢悪い)。葛山信吾は歌がうまく、柳家花緑のダンスも善戦している。ちなみに葛山も花緑も姿勢、いいです。 

 吉野ファンとしては満足の舞台、といいたいところだけれど、客席のマナーに悩まされた。すぐ後ろの列のオバサンたち、お茶の間でテレビ観ているのと間違えているんじゃないかと思うほど、大きい声でしゃべりまくる。なにか食べているらしく口を鳴らす音もするけど、睨んだって全然改めません! 2幕が始まる前に、会場整理の係員が客席全体に向かって私語の注意をしていたが、そんなもん、ハナから聞いていない。
 芝居を観ているときに、思わず声が出たり、連れの人と耳打ちしながら観ているのは気にしないし、むしろそれも含めて会場の雰囲気を楽しむのだが、だからといって、まったく周りを気にしないトーンの私語はいかがなものか? (はじめは反応してもいいが)ふんどし姿になるたびに声高に笑う品性も疑う。そういう人に限って、レビューの場面で乗れずに静かになっちゃうのよね。盛り上がるところが違うというか…。
 クリエに限らず、最近こういうオバサンが増殖しているように思う。劇場もけっこう注意を呼びかけているのだが、イタチごっこというか、モグラ叩きというか、キリがない。ああ…。

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Over The Rainbow……? ~アリス的不完全穴ぼこ墜落論~

 青山円形劇場で行われた、タカイズミプロジェクト Vol.1『Over The Rainbow……? ~アリス的不完全穴ぼこ墜落論~』。

 まずは、高泉淳子が演劇創作に戻ってきたことが嬉しい。ファンとしてはどんなに待ち望んでいたことか。ライヴもいいけれど、この人の歌は、役者としての彼女がいてこその、歌だと思う。

 物語は、老いたアリスが、同じく老いているであろう友人、ドロシーにあてた、長い長い近況報告。いや、近況っていえない、初恋の頃からの回想が連なる。初恋の相手は山田のぼるくんそっくり、アリスが時計を背負っていたり、と、『僕の時間の深呼吸』を彷彿させるが、あの頃より、高泉の目は大人になって、人生と折り合えるというか、老いをうまく取り込むようになったのではないか。『僕の時間の深呼吸』を今観たらメチャクチャ面白いと思うが、そこで止まらないで、成長中? 進化中? 

 洗練された表現が、小粋だ。高泉自身が持つ「芸」といったらいいのか「技」といったらいいのかが、ギッシリ詰まっていて、それに山本光洋のパントマイム、遠藤守哉の声、羽田謙治の妖しさ、等々俳優達が見せてくれる。宇野亜喜良の美術も美しい。

 物語の力を信じていないわけではない。でも、俳優の身体が動きだすと、もっと面白くなる。俳優を信じているというか、俳優に厳しいというか。歌も、小道具もとっても効いていて。
 
 リーフレットに、高泉が書いている。
「台詞だけっきゃないお芝居なんて、いったいなにが面白いっていうのよ」
 ああ、これなんだな、彼女がやりたいことは。

 Vol.1だから、続いていくんだよね。どう進化していくのか、楽しみだ。

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対決 巨匠たちの日本美術

 東京国立博物館 平成館で行われている『対決 巨匠たちの日本美術』(8月17日まで)。

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運慶 vs 快慶 /雪舟 vs 雪村 /永徳 vs 等伯 /光悦 vs 長次郎 
宗達 vs 光琳 /仁清 vs 乾山 /円空 vs 木喰 /大雅 vs 蕪村
若冲 vs 蕭白 /応挙 vs 芦雪 /歌麿 vs 写楽 /鉄斎 vs 大観

 日本美術への興味はここ数年のものなので、まだまだ知らないことばかりだけれど、これだけの人名を並べられたら、あまりに豪華で目を回しそうな勢い。
 「 ”対決”させちゃっていいんでしょうか」という組み合わせもあるし、陶芸は観てもよくわからない無粋な人間なのだけれど、一堂にこれだけ観られるのは滅多にない機会なので、いそいそと行った。

 なかでも、とっても楽しみにしていたのが、宗達。『蔦の細道図屏風』(重要文化財)の前で釘付けになる。『松図襖』 (重文)も、迫力満点。私の中ではこの勝負、「ごめんね、光琳」って感じなのだけれど、光琳だって宗達に憧れていたんだもの、わかってくれるさ。8月11日からは二人揃って『風神雷神』が出るらしい。
 光悦 vs 長次郎のコーナーに展示されていた『舟橋蒔絵硯箱 』(本阿弥光悦書・俵屋宗達画)、『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』 (本阿弥光悦書・俵屋宗達画  重文)も観たかったんだ! 秋にはこの平成棺で「大琳派展-継承と変奏-」 が開催される予定だが、すでにこの展覧会で大盤振る舞い。

 応挙vs芦雪の師弟も、面白かった。虎対決、応挙の『猛虎図屏風 』と、 芦雪の重文『芦雪』 はスケールの大きさとその動きで 芦雪に軍配を上げたいが、この絵、去年観た、金比羅さんの応挙の『虎図』を思い出す。そうなると、お師匠さんのほうが一枚上手?

 比べて面白かったのは、永徳vs等伯。というか等伯の『松林図』。狩野派をライバル視していたのに、ここに行き着いたんだなぁと。
 

 グッズ売り場にガチャガチャが並んでいた。山口晃が描く、今回対決した(させられた?)巨匠達の肖像画のカンバッヂ。回してみたら(コインが詰まって、お姉さんを呼びに行く。子ども連れでもないのに、オバサン一人でガチャガチャやって、詰まっちゃって、恥ずかしいったらありゃしない。)乾山が出てきた。残念、焼き物わからないんだよう…、と思いつつ、この人も琳派。大琳派展は見逃せませんな。

 カンバッヂの乾山さんをご披露しようと写真に撮ったがうまくいかず、代わりにこちらで。

 


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五右衛門ロック

 新宿コマ劇場で新感線『五右衛門ロック』。夏の夜空に、打ち上げ花火100連発って感じ!

 五右衛門役は古田新太だが、五右衛門は狂言回しで、物語は徐々にクガイ(北大路欣也)とカルマ(森山未來)に委ねられていく。森山未來の弾けるような動きと、静かだが存在感のある北大路が対照的な魅力になっている。

 音が割れるとか、オペラグラスを持っていけば川平慈英の小技がもっとよく見られたのに、とか、松雪泰子の声(高音)は大丈夫か? とか、思うことも少々あるが、この勢いに乗ってしまえばそんな些細なことは吹き飛び、爽快感だけ残る。
 
 森山を除けば、メインの役者達は決して若くないのだが、舞台を縦横無尽に走る、走る。北大路の殺陣はさすがだ。
 そして、なんといっても、古田新太なのである。この人、テレビに出てくるときはカッコよくもなんともないのだが、舞台で大見得切ると、なんでこんなに華があるんでしょうね。

 カーテンコールは客席総立ち。大盛り上がり。コンサートと違って長丁場なのに、このパワーはどこから湧いてくるのか?

 ちなみにコマ劇場は今年末で閉館。私は、コマに馴染みはないので感慨はないけれど、近くにいた60歳前後のオバサン二人連れが、「いままでコマ劇場で観た芝居のなかで一番面白かった!」と興奮しながら話していた。北大路のファンなのかしら? たしかにコマと新感線ってあっている。劇場に合わせて作った部分もあるんだろうけど、相性の良い劇場ってあるじゃない?
 
いや、ほんとうに。新感線ならではの夏祭りでした。 

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ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ ブランデンブルグ協奏曲全曲演奏会

 武蔵野市民文化会館 小ホールで、 ゲヴァントハウス・バッハオーケストラのブランデンブルグ協奏曲を聴いた(7月11日)。

 「ブランデンブルグ協奏曲」は、母が好きだった曲。
 そして、このホールも、母のお供でよく来たホール。母の若い頃は音楽ホールといえば東京文化会館だったようだが、晩年は都心まで行くのが億劫になったらしく、家からほど近いこのホールに足を運ぶようになった。室内楽が好きだったから、小ホールの利用が多かった。

 私自身は最近、ベートーベンやブラームスの交響曲を聴いていたのだが、これぐらいの編成の曲も素敵ね。なぜか母は交響曲を好んで聴きはしなかった。マーラーやワーグナーみたいな、壮大な音楽も、好まなかった。今になって思えば、大指揮者時代だったから、大袈裟に感じられて、そこが好きじゃなかったのも…。

 ブランデンブルグ協奏曲は、華やかで、優しい。
この夜は全曲演奏で、曲順は、1番、5番、4、3、6、2番。番号順に奏ったらどうだろうと思いつつ、そういえば、ウチにあるサイトウキネン・チェンバープレイヤーズのものも5、4、6、2、3、1と順が違う。ランダムに並び替えるそういう慣習なの?

 オケを率いるクリスティアン・フンケのヴァイオリンが、軽やかで、しなやかで、とにかく巧い。息子のマティアス・フンケ(ヴァイオリン)、ラルフ・ゲッツのホルンも素晴らしいし、とにかく一人ひとりが巧いんだと思う。バッハの地元の、250年の歴史を誇るオーケストラ、とは、こういうことなんだと、納得。
 近くに座っていたおばあさんが連れの方に「わたしたちはこの演奏が聴けて幸せ」と何度も繰り返していたが、私も。とっても幸せだった。

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フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重

東京国立博物館、表慶館で行われている日仏交流150 周年記念 オルセー美術館コレクション特別展『フランスが夢見た日本―陶器に写した北斎、広重』(8月3日まで)。

19世紀にフランスでジャポニスムが流行った頃、テーブルウェア(食器)にも、日本の浮世絵の図柄が使われた。その作品の展示。二つの窯元、ルソーとランベールのテーブルウエアと、本絵の浮世絵を対比してある。
 セルヴィス・ルソー(ルソー・セット)は下絵を転写する方法、セルヴィス・ランベール(ランベール・セット)は手書きだそうだ。

 ルソー・セットは北斎漫画の中の図案を組み合わせたものの展示が多いのだが、その組み合わせが突飛と思えるものもあって…。

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ランベール・セットは、こんな感じ(ポストカード)。<深皿 海に亀図>。元の絵は、河鍋暁齊<『暁齊楽図』 乾の巻 海に亀>。現存する数が少ないランベール・セットは、日本初公開だそうだ。

長方形のところを円形に、そしてお皿に映えるように、うまーくアレンジしている。綺麗ね。
ジャポニズムって意識しなくても、じゅうぶん惹きつけられる人がいたんじゃないだろうか。
でも、これで実際に食事をしたいかと言えば、私はNon! 飾り皿として、眺めたい。

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混じりあうこと、消えること

 先週のダンダンブエノと同じく、好きな演出家が注目の作家の本を演出する舞台(作風はまったく違うけど)。作家は前田司郎、演出家は白井晃。

 舞台は、幼児・児童用遊具がある公園のセット。形は違うものの、ベンチの後ろにある街灯の柱から、ふと別役実作品を連想した。別役作品の多くに、街灯(電信柱)が登場するのだ。
  「混じりあうこと、消えること」もまた不条理劇。

 葬儀に参列した男(國村隼)がその公園に立ち寄ると、そこに住んでいるらしい若い男(橋爪遼)とその母親らしき女(南果歩)に出会う。そして女の娘(初音映利子)、どうやら4人とも家族、いや疑似家族になっていくようだ。
 頼りない父親、家族をつなぎとめたい母親、凶暴な娘、おとなしそうな雰囲気なのに母親からエロいといわれる息子、そしてここは水の底なのだと…。生(性)に対する想いと、死の影と。あるいはオイディプスの姿がちらちらみえるような、親離れ・子離れの物語ともとれ…。
 
 全体像が見えてくると、「なるほどね」と思うものの、定型化した家族の役割そのままで(とくに母親)、「男の人から見た母親像ってけっきょくコレかあ」とも思ってしまう。

 國村、南の上手さはもちろんのこと、橋爪も若いのに飄々としていて巧い。初音は伸びやかな印象を受けた。

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西の魔女が死んだ

 木梨香歩の『西の魔女が死んだ』の映画化。好きな物語だったので、映画にも行った。

 中学に入学してまもなくの5月、不登校になった少女まいは、母方の祖母に預けられる。大好きなおばあちゃんはイギリス人。野菜やハーブを育て、鶏を飼ってと、絵に描いたようなイングリッシュカントリーの暮らしをしている。まいは、おばあちゃんから、魔女になるためのレッスンを受ける。

 まいの家は都会のマンション。不登校の原因は学校にあるのだが、家庭も、父は単身赴任、母も仕事で忙しい。一方、おばあちゃんの家は”オールドファション”。畑にいる虫に驚き、鶏小屋の卵を取るのにも苦労しながら、だんだんと作業のコツを覚えていく。
 魔女になるためのレッスンは、自分で自分を律して生活を組み立てていくこと。いまの都会の生活では、畑や鶏は無理にしても、生活を組み立てるために、基本の家事労働を知っておくことはとっても大事。
 ジャムを食べたかったら買ってくればいい。でも自分でつくるのもなかなか美味しいんだよ。そしてお鍋をかき回しているときの幸福感。おばあちゃんの家事はたしかに古いやり方だけれど、生活の知恵がいっぱいだ。大人が子ども用にお膳立てした「職業体験イベント」や「食育」よりよっぽど有効に、リアルな生活のなかで、労働を体験し、食事の知識が身につき、そして、そこから死や生も学ぶ…。いまのこどもたちに足りないものは、このリアルな体験なんだろうと思う。いや、子どもにかぎらず、すでに大人が体験していないんだよね。

 おばあちゃん役のサチ・パーカー、まい役の高橋真悠が、ともに素晴らしい。優しいだけじゃなく、ちょっとほろ苦い物語で、嬉しい場面につけ、悲しい場面につけ、静かに涙がこぼれ落ちる。自然あふれる映像も美しい。

聴覚障碍のためのバリアフリー上映館有り
http://nishimajo.com/i_index.html

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ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 J・ブラームス:交響曲全曲演奏会<第2日>

 武蔵野市民文化会館(ATRE) 大ホールで、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 J・ブラームス:交響曲全曲演奏会<第2日>を聴いた(7月1日)。

 ブラームスの第4、第2。前日が3番、1番のプログラムだったが、両日は聴けず残念。指揮は、ラファエル・フルューベック・デ・ブルゴス。パワフルというか、通の人がよくいう”よく鳴る”オーケストラで、盛り上がった。
 アンコールのハンガリア舞曲も楽しかったけれど、ホントは交響曲第2番第4楽章の余韻を味わっていたかった。

 余韻といえば、この日のプログラム(誰でも渡される配布物)に、
*拍手は作品ごとにお願いいたします。また、音楽が完全に終わり切るまでお控えくださいますよう、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
 という注意書きがあるのにも関わらず、曲が終わったか終わらないかのうちに拍手と「ブラボー」。ここに限らず、最近はどこのホールでも、フライング気味の「ブラボーおじさん」がいて、興ざめだ。本人は得意なんでしょうけど、演奏をちゃんと聴いているのかなあって、思ってしまいますよ。

 えーと、気を取り直して。

 1日目も聴きたかったなあと思いつつ、頭の中でハンガリアンダンスが鳴りながら家路へ。この曲、調子がいいし、子どものころに馴染んだ曲なので、2番より印象が強くなっちゃうのだ。

 最近、日本人の演奏を聴くことが多かったけれど、たまには海外のオーケストラもいいものだ。ARTEは海外の招聘が多い。来週も、バッハのブランデンブルグをARTE(小ホール)で聴く予定。

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ハイ! ミラクルズ

 ダンダンブエノ『ハイ! ミラクルズ』を観た(作・演出補 福原充則/演出 近藤芳正/6月27日 青山円形劇場)

 新聞配達員の柏木(近藤芳正)、菊池(光石研)、コンビニやレンタルビデオショップの店員にバカにされる、さえない40代。久米(山西)という新人のなにげない言動で、いままでやり過ごしていた日常に気づかされ、どうにかしたいと思いつつ、しかしそこから抜け出せないでいる。彼らの雇い主、新聞の営業所を経営している薫(前田健)と弟の純(酒井敏也)。薫は、自分の優越感を満たすために柏木たちに、少しだけ自分たちより不幸でいてほしいと願っている。
 仕事明けにすれ違う、柏木たちの憧れ”おつかれさま”(南野陽子)は、実はちいさなパン工場の夜勤のパート勤め。”おつかれさま”の同僚、朝子(峯村リエ)と励まし合いながら仕事をこなしている…。ある日、柏木たちはお疲れさま=道子と朝子と話すことができ、さて、そこからどんな奇蹟が起こるのか!
 
歌って踊って(歌も踊りもソコソコ70点の出来というのが、情けなくも、Good!)、コメディにして、でも予定調和で終わらないセンスが好き。

 脚本の福原は75年生まれ。そうか、若い世代には40代がこんなふうに見えるのねぇ(ちなみに私も同年代)。今の40代といえば、若いときにバブルを経験した世代。「なのになんでそんな仕事してるの? バブルに乗り遅れちゃったの? サエネー大人。俺たちの世代のフリーターやニートより、もっとかっこ悪いじゃん」とでもいいたげな、コンビニ店員やビデオショップ店員、それに薫は、共演者の中で唯一の30代、前田健が演じている。そんな姉の確執もよくわからない前途洋々の?高校生が酒井。前田や酒井が演じる10代、20代の若者を、その年齢に近い役者がやっていたら、観客としてはやっぱりシンドイかも。

 「”普通のパートのオバサン”って、オバサンだけでも嫌なのに、”普通の”とか、”パートの”ってつくのは嫌だわ」と言う朝子に、「じゃあ、”異常な正社員のオジサン”がいいの?」と切り返す道子。いやー、その通り! なりたい自分を捨てきれずに、なんとか現実と折り合いを付けようとする、可愛い顔して醒めている道子に、南野陽子はぴったりだった。

 ダンダンブエノは3回目。去年の脚本の本谷有希子もそうだったが、(自分では選ばない)若い脚本家の作品に会えるのも、私にとっては、ダンダンブエノの魅力になっている。あらかじめ、あらすじや出演者をチェックして、というより、主宰の近藤が選ぶ本とキャストを楽しみにしている、という観劇の仕方。今回は大好きな峯村リエが出ていたし、大満足!!
 

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ザ・マジックアワー

 『ザ・マジックアワー』を観た。三谷作品の中で最高傑作と三谷幸喜監督がいっていたが、私も三谷”映画”作品の中で、一番好きかも。全編、映画への愛が溢れている。とくに、スタッフの仕事がわかるのも、面白い。その映画スタッフを梶原善や阿南健治がやっているから、ますます私のツボにはまる。

 主役の佐藤浩市や深津絵里も素敵だけど、脇までしっかり芸達者な役者を揃えたコメディ。
それから、もうひとつ…。

一日の黄昏時を、映画用語でマジックアワーというそうだ。一番撮影にいい時間帯なのだとか。この映画には、新興勢力に脅かされているギャングのボスとか、ボスの愛人に手を出してばれちゃった礼儀正しいチンピラとか、行き場のない踊り子とか、いい歳をして売れない俳優とか、文字通り人生の黄昏時を迎えている老優とか、いろんな人のやり直しが利かなそうな”黄昏時”が出てくるのだが、それもまた見方を変えれば一番いい時を迎えているんだよ、と、言われているような、「一服しようか」と声をかけられているみたいな、俺たちには明日があると元気づけられる映画。閉塞的と言われる今の世の中でも、こういう物の見方ができると、一息つけるよね。 

笑って、笑って、でも上品で、映画礼讃、人生賛歌に溢れている、とっても素敵な映画でした。

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それにしても、三谷監督、よくメディアにでてるなあと思いつつ、買ってしまった「BRUTAUS」。

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今日の勝負曲!

 大事な打ち合わせやプレゼンがあるとき、元気が出るお気に入りの「勝負曲」を聴いて出かける。

今日は、小規模ながら大事なプレゼン。勝負曲はウルフルズの「ガッツだぜ!!」が勝負曲、それが入った『ベストやねん』が勝負CD。ベタな選曲ですが。

久しぶりで緊張したけど、ガッツ出た!

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DOWN TOWN FOLLIES Vol.5

  ミュージカル・レビュー『DOWN TOWN FOLLIES Vol.5』を、下北タウンホールで観た。

 歌とダンスと、コメディ! 今年もたっぷり楽しませてくれました。
 島田歌穂、玉野和紀、北村岳子、吉野圭吾がレギュラーメンバーだったのが、昨年は北村がいなくて、島田、玉野、吉野の番外編だった。今年は吉野に代わって平澤智。”新人”とはいえ、吉野より年上で、ダンスやミュージカルのファンにはお馴染みの平澤。四人の息もピッタリ。外観が揃っているということでは、玉野との背丈のバランスもいい。

 フランク・シナトラへの追悼があったり、モンティ・パイソンの考察があったり、島田と北村の、お馴染みの二人マリリン・モンローとか、歌謡漫才とか。新しいところでは「ブルー・ウーマン・グループ」。もちろん玉野を中心にタップやバレエなどのダンスシーン。担当の吉野がいないので、エロティックな演出はどうするのかなと思っていたけど、手法を替えて平澤がに担当。

 ドレスを着たときの、島田や北村の鍛えられた背中が美しい。テレビを中心に人気がある若い女優さんでも、立ち姿が美しくない人がいるが、是非とも見習ってほしいよね。
 玉野も平澤もどこかエレガントな雰囲気があって、コミカルになればなるほど、エレガントな要素は必要なんだろう。

 今年は年齢層が高いということもウリにしたようだが、ふと、コミカルでエレガントなこういうショーって、「この年代より下の人たちが演るのかな?」と、こういう路線が好きなだけに、ちょっと心配になった。

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ナンシー関 大ハンコ展

 渋谷に出たので、PARCO FACTORYで開催されている『ナンシー関 大ハンコ展』(6月15日まで)を見ようとしたら、予想以上の長蛇の列で諦めた。一つ一つの作品が小さいので流れが悪いんだろうけれど、階段まで使って列がずーっと。大多数が若者。

 いや~、驚いた。亡くなってから6年経つので、二十歳ぐらいの人はあんまり覚えてないんじゃないかと思っていたのだが、この人気。彼女に代わる人がいなくて、むしろ存在感を増したと言われているようだが、なぜいま若者にナンシー関? 

 しかし、この企画に渋谷パルコという会場がとっても似合っている。というか、私の中では、「ほかにどこかありますか?」という感じ。PARCOもナンシー関も、ともに80年代カルチャーだから。来週、いけるかな~。

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プッチーニ生誕150周年 ガラコンサート 「アジア三大テノール×歌姫」特別演奏会

 5月28日、サントリーホールで東京フィルの『プッチーニ生誕150周年 ガラ・コンサート「アジア三大テノール×歌姫」特別演奏会』を聴いた。ソプラノの”歌姫”腰越満美を聴きたくてチケットをとった。一年ほど前に、レ・フレール目当てに行った紀尾井ホールの『冒険する舞曲』 というコンサートで、ブギウギを聴いて、いいなあと思ったのだ。
 アジア三大テノールは、日本の福井敬、中国のシュー・チャン、韓国のハ・ソクベ。指揮は、声楽出身の、見せて聴かせるダン・エッテンガー。それにスペシャルゲストとして脳科学者の茂木健一郎氏。

プログラムは、
ヴェルディ/歌劇『運命の力』序曲
プッチーニ/歌劇『ラ・ボエーム』より “冷たい手を”
プッチーニ/交響的奇想曲
プッチーニ/歌劇『トスカ』より
   “妙なる調和” “この世に君の美しい瞳ほど”
   “歌に生き、恋に生き” “星は光りぬ”

ワーグナー/楽劇『トリスタンとイゾルデ』より
   “前奏曲と愛の死”
プッチーニ/歌劇『マノン・レスコー』より “なんとすばらしい美人”
ヴェルディ/歌劇『群盗』序曲
プッチーニ/歌劇『蝶々夫人』より
   “愛の二重唱「夕暮れは迫り」”   “ある晴れた日に”
プッチーニ/歌劇『トゥーランドット』より “誰も寝てはならぬ”

 プッチーニ生誕150年を記念するコンサートだが、オーケストラの演奏は同時代のヴェルディ、ワーグナーの作品もあり、とくにヴェルディの歌劇『群盗』序曲を初めて聴いて、ほほぅと感動! 
 さすが三大テノールと呼ばれるだけあって素晴らしい歌声だが、なかでもハ・ソクベの声に感動! 腰越満美は、前回聴いたときはちょっとコミカルな雰囲気だったが(ブギウギだったからね)、今回はしっとりと。どちらも素敵、ということは幅の広い人なんだなあ。
 それから、”スペシャル・ゲスト”とはいうけれど、お話しにインタビューに大活躍の茂木さん! 実質的な司会だった。ステージ上の全員がとても楽しそうで、客席も大いに盛り上がった。
 
 アンコールは、三大テノールで「フニクラフニクラ」! 
 
  一緒に行った人が、「東フィルのコンサートは演出も楽しい」と話していた。私も同感。今回はガラコンサートだから、いつにも増してだった。

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英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展

 真夏のように暑かった日。午前中に都心で用事を済ませ、どこか美術展でも観て帰ろうかと、思い頭に浮かんだのが、上野の、芸大のバウハウス+都美術館のパリの100年展コースと、森ビルのターナー賞。いつもの私なら上野コースを選ぶのだが現代美術の展覧会をすぐに思い出すことはめずらしいので、それじゃあ行ってみようと、ターナー賞の歩み展を観た。

 現代美術ってよくわからない。先に発想ありき? 奇抜な発想が、現代美術なのかなあ? 軽井沢の『セゾン美術館』に行ったときも、マン・レイの作品は面白いと思ったものの…。
 といいつつ、なんとなく気になるのだ。

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 イギリスで1984年に始まったターナー賞。展覧会のタイトルが、現代史ではなく「現在史」になっているのは、現代美術の先端を行っているということか。現代美術の時間的な定義って曖昧だものね。
授賞式がテレビ中継される、国民的行事なんだそうだ。後半から映像作品が出てくるのは時代性? それとも…。
 トニー・クラッグのウエディングが楽しく、グレイソン・ペリーの一連の壺の作品が興味深かった。

 展覧会を観た後、森タワーの展望台に寄る。展望台、リニューアル中だそうだ。
 入るとすぐに、東京タワーの赤と増上寺の緑が目に飛び込んで来る。スタッフのお姉さんが「カメラか携帯電話をお持ちでしたら、東京タワーをバックに写真をお撮りしまーす」とサービスしていた。どんなに超高層ビルが建とうとも、やっぱり東京の絶景スポットは東京タワーなんだよね。

 国会議事堂と皇居の森も美しい。皇居、赤坂御所、上野恩賜恩賜公園、浜離宮、自然教育園、有栖川公園、明治神宮から代々木公園、新宿御苑と、まとまった緑が見えるところのほとんどが、皇室に所縁のある場所。乱立する超高層ビルを、それらの公園でどうにか食い止めているように見える。

 超高層ビルが、なぜこんなに東京に必要なのか、わからない。人口が減るって騒いでいるときに、建設業者や不動産会社は、未来のことなんて総合的に考えてないでしょ。
 四川の大地震があったばかりなので災害についても考えてしまう。たとえビルが地震で残ったとしても電気や水道がストップしたら、超高層ビルに住む人はどうやって援助を求めるのだろう。たまにレストランで食事をしたり、ホテルに泊まるのは楽しいけれど、建ちすぎちゃって、そういう魅力も半減だ。
 同じようなビルが建ち、同じようなテナントが入り、超高層ビルの使い捨て、ひいては東京の使い捨てになりませんように…。
 
 

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吉祥寺美術館 浜口陽三記念室


 2002年にオープンした吉祥寺美術館。吉祥寺に美術館ができると聞いたときには正直言ってピンと来なかったが、5年目ぐらいから行くようになった。
 企画展を観たあと、必ず立ち寄るのが「浜口陽三記念室」と「萩原英雄記念室」。二人とも武蔵野に縁がある版画家で、市に作品が寄贈されたのだとか。テーマを掲げて、ときどき作品を入れ替えている。実は、企画展は好みではないものもあるのだが、そんなときでも、この二人の「記念室」を観ると満足する。

 ここで改めて観るようになって、浜口陽三の作品が好きになった。纏まったコレクションが観られるのがいい。

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「蝶」

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「赤い皿」

 小さな美術館でも、常設展の魅力ってあるんだな、と思う。

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五味太郎作品展 絵本の時間 

 武蔵野市立吉祥寺美術館で、『五味太郎作品展 絵本の時間』を観た(6月11日まで)。

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 五味太郎の絵本は、絵も、色遣いも、言葉のリズムも好きだが、テーマへの視点が大好き。たとえば、桃太郎と鬼がいくつもの”合戦”の後仲良くなる 『ももたろう』とか、動物とうんちの絵を描いた 『みんな うんち』とか(いずれも前期に展示)。 『みんな うんち』は、人間の排泄も描いているから、読むと人間が動物の一種であること、排泄は大切なことを楽しく学習することになる。なんてたって絵本を読む年頃の男子は、うんちにとっても興味を持つし、目のに付けどころがさすが、元男子、なのだ。ちなみに1945年生まれと言うから、御年63歳。

 展示している原画は作品の一部だが、絵本が置いてあるので、お話しが読める。絵本以外にもデザインを手掛けた商品の展示や、創作過程を映したビデオも楽しめた。
 後期展示にもいかなくちゃ! 
 

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中右コレクション 幕末浮世絵展

 三鷹市美術ギャラリーで『中右コレクション 幕末浮世絵展 大江戸の賑わい──北斎、広重、国貞、国芳らの世界』を観た(6月8日まで)。

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 広重の「東海道五拾三次之内 蒲原」や葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」といった有名な絵もあるが、幕末に絞ってあとはノンジャンルの約150点。役者絵や美人画、開国の様子等々、当時の庶民の生活が垣間見えて、こういう切り口も楽しいものだ。 
 このコレクションを所有している中右英氏(国際浮世絵学会常任理事)、ご自身は洋画家だそうだ。

 チケットに使われているのは、「北亜墨利加洲華盛頓 副将「アハタムス」像」という大判錦絵。ペリーの副官だったアダムスのことで、デフォルメされ鬼の形相というかなんというか、面白い顔になっているが、この絵のとなりに穏やかな顔のアダムスの錦絵があって、こういう展示の仕方もいいな。他の風刺画もけっこうユーモラスで、いまより大らかな気風だったのかも、と思う。

 役者絵の歌舞伎役者はみな、同じ名を襲名している現代の役者さんに心なしか似ている。襲名とは、そういうものかと面白い。ナマズを描いた地震の絵があって、これがとっても気に入ったのだが、画像が紹介できなくて残念。

 作品の説明も丁寧で、でも多すぎず、観る側の想像をほどよく刺激する程度。美術展に行くとときどき気になる、空間と作品の関係という点でも、この美術館にこの展示はいい相性だった。
  

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正福寺と八国山

 ゴールデンウィークのある日、所沢にお出掛け。西武新宿線で、「東村山」を通る。帰りに”ぶらり途中下車の旅”。お目当ては、東京都唯一の建造物の国宝、正福寺の地蔵堂だ。

 駅前を再開発しているからなのだろうけれど、都内唯一の国宝建造物がある所にしては、宣伝も、目立つ案内図もなく、駅にフツーの地図が地味にあるだけ。途中不安になって、お総菜屋さんの店員さんに尋ねたら「知りません」。きっと地元の人じゃないのね。そのうち割烹着を着ているお婆さんとすれ違ったので尋ねたら、快く教えてくれた。この方は地元の人なのね。

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かなり近くなってから、みつけた案内図。

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金剛山 正福寺。鎌倉の建長寺派に属する臨済宗のお寺だそうだ。門の向かいに消防団分団の施設があって、さすが! 火事に一番気ををつけないとね、と納得する。

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地蔵堂は、円覚寺舎利殿とともに代表的な禅宗様建築。室町時代の1407年に建立されたそうな。

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この日は見られなかったが、お堂の中には沢山の小さなお地蔵さまが奉られているんだって。江戸時代、願い事がある人が奉られているお地蔵さまを借りていき、願い事が叶って、借りたお地蔵さまを返しに来るときに、新しいお地蔵さまを一体一緒に持ってきて奉納したのだそうだ。それが増えていって、千体地蔵と呼ばれるようになったなんて、善男善女の素朴で健やかな信仰なんだろう。

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境内にあった井戸。そういえば、道沿いの民家でも井戸のポンプを見かけた。

正福寺から、北山公園に出ようと思って、迷って少し遠回りをしてしまう。先ほど出会った案内図に西武遊園地の観覧車が描かれていたが、ほんとよく見える。減農薬農法の看板を掲げている畑で仕事をしていたおじさんに「すみません。北山公園ってどこですか?」と尋ねると、「すぐだよ。八国山の麓だから」と教えてくれた。ありがとう!

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正福寺の近くの案内図を観て気がついたのだが、八国山は『となりのトトロ』に出てくる七国山のモデル! 「ああそうか、この辺りがトトロの舞台なんだ!」と嬉しくなる。宮崎アニメの中で一番好きなので。そういえば、『トトロ』20周年なんだよね。線路沿いに戻ると小学校があって、これはきっとサツキちゃんが通った学校のモデル。その裏を出れば、北山公園。北山公園は、菖蒲の名所らしいが、まだ時期が早かった。

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北山公園から観た八国山の緑。ほんのちょっとの寄りのつもりが、国宝はもちろん、思いがけない自然にも出会えて大感激の東村山散歩。東京にも、まだまだいいところがたくさんあるね。

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国宝 源氏物語絵巻

 ゴールデンウィークのある日、上野毛の五島美術館に行った。「春の優品展」が行われていたが、お目当ては毎年ゴールデンウィーク期間中に公開している『国宝 源氏物語絵巻』。

五島美術館が所蔵しているのは蜂須賀家本のうち、「鈴虫」2場面、「夕霧」、「御法」の三帖分。元々は、「詞書(ことばかき)」と「絵」を交互に並べている絵巻だったが、保存上の問題から昭和7年に、詞書と絵を切り離して額装したのだそうだ。

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「御法」(部分)
病身の紫の上が、明石の中宮と源氏に別れを告げる場面。

それぞれの場面のオリジナルの横に、復元模写した絵が展示してある。
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「御法」復元模写 加藤純子
顔料を分析して色を出したそうで、こんなに鮮やかだったんですねぇ。

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「鈴虫 二」復元模写 加藤純子
描かれている男達はいずれも高貴な身分だし、プライベートな場面だからかもしれないが、男性の装束がみんな藍色だったとは。若干透けて見える下の着物が、家臣は赤みがかっているくらいで。もっと身分の差で、色が分けられていると思っていた。
 そんなに混んでいなかったので、それぞの場面の新旧の絵を思う存分見比べた。

 今年は源氏物語1000年紀なのだとか。横浜市美術館でもちなんだ展示を行うそうでチラシが置いてあったが、あの美術館に源氏、似合うかしら? 絵巻や浮世絵などは、あまり大きな空間で見たくない私。興ざめするのだ。逆に、「東山魁夷展」みたいに狭いのも困るけど。作品と展示室の空間との関係って(動員数も読まなきゃいけないけど)、すっごく大事だと思う。
 五島美術館は、ゆったりと時が流れる。庭園も、新緑が美しかった。
 


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メルシャン軽井沢美術館

 大賀ホールで楽しいコンサートを聴いたあと、軽井沢に1泊。翌日は美術館巡り。「セゾン現代美術館」でマン・レイを観たあと、しなの鉄道の御代田へ出て、「メルシャン美術館」へ。

 開催中の美術展は『モリスの夢見た日々』。ウィリアム・モリスが手掛けたステンドグラス、テキスタイル、壁紙、家具の展示。室内装飾といえばいいのかな。モリスは、生活に根ざした装飾品が工業生産されるようになった初期の頃の人で、近代デザインの父と呼ばれている。ほぼ同時代のせいか(国は違うけど)、先日観たガレを思い出した。
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 ステンドグラスはバックライトフィルム(って仕組みはよくわからないのだけれど)で再現されたものだそうだ。天井の高い美術館で、テキスタイルや壁紙を気持ちよく観られる。ここはもともとウイスキーの蒸留所で、美術館もウイスキーの樽貯蔵庫を改修して造られたのだとか。

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敷地内にある、ウイスキーの蒸留所を見学した(無料)。貯蔵庫の壁に絡まる蔦が、夏は生い茂り日光を遮り、冬は葉が落ち、温度管理になるという。いまは、若葉が出てきたところ。
世界一小さい蒸留所ながら、国際コンペで賞をとっているのだそうだ。
試飲したモルトウイスキー「軽井沢17年」、クリアーでまろやかで、美味しゅうございました。

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裏庭の展望台から、浅間山がくっきり。素晴らしい眺めだ。
中庭はちょうど桜が満開で、こぶし、小手毬などの花々も一斉に咲いていた。白樺やから松の緑もまぶしく、しばらくベンチに腰掛けてゆったりとした時間を過ごした。



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2008 軽井沢大賀ホール春の音楽祭 宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

 軽井沢大賀ホールの「春の音楽祭」、昨年はマリンバを楽しんだが、今年はオーケストラを聴いた。

宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団(4月29日)

曲目は
 ・ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲
・チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」
・チャイコフスキー:交響曲第5番

 オーボエ奏者だった宮本文昭さんの指揮を期待して選んだプログラムだったが、当初予定にはなかった、チェリストのセルゲイ・スロヴァチェフスキーが東フィルと一緒に演奏するオマケ付。

 「くるみ割り人形」は、地元軽井沢ジュニアオーケストラと東フィルの混成オケ。小学生から大きくても大学一年生のこどもたちが、東フィルメンバーに混じって、よく頑張りました! ソロパートがある子もいて、大活躍。プロの演奏家になるかならないかは別にして、小さいときから音楽に親しみ楽器を奏で、こういう機会が得られるのは、とても素晴らしいことだと思う。
 私は楽器ができないのがとても残念なのだが、母がクラシック好きだった影響で、、「ウィリアム・テル序曲」や「くるみ割り人形」は、子どもの頃に小さなレコードプレーヤーに何度も何度もかけて、親しんだ曲だ。今思うと、誰の演奏のレコードだったんだろう。

 宮本氏の指揮は、その動きが面白くって! 脚も動くんですよ。登場して来たときのお辞儀が、腰が低いというかなんというか、親しみがわいたが、もっと格好つけてもいいのに。新米指揮者と謙遜していらしたが、真摯で情熱的な指揮とみた。機会があったら、また是非観たい(聴きたい)。

 オーソドックスなプログラムだが、とっても楽しかった。こどもたちの演奏を聴きながら、一人ひとりを育てるとともに、地域に文化を育む取り組みの一つなのだろうと思った。是非継続してほしい。文化は長い時間かかって根付くものだからね。この子達が大人になったときの軽井沢、どんな町になっているだろう。

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ガレとジャポニズム

 サントリー美術館『ガレとジャポニズム』に行った(5月11日まで。巡回・大阪 サントリーミュージアム<天保山>5月22日~7月13日)。

 ガレを体系的に観たのは、2005年に江戸東京博物館で行われた『エミール・ガレ展』。その人と作品の歴史に沿った展示会だった。
 今回のサントリーの展示は、ジャポニズムに焦点をあてたもの。参考作品として、「北斎漫画」や広重、宗達などの作品も展示されている。鯉やカエルのモチーフなんて、北斎漫画そのままだ。

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花器《バッタ》1878年頃

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花器《茄子》エミール・ガレ 1900年頃

 サントリー美術館蔵の作品も多く、その多くが(菊地コレクション)という。菊地さんって、どなた? 19世紀に海外に出た日本美術が、ヨーロッパの作家に影響を与え、その作品をまた日本のコレクターが収集する。さながら、合わせ鏡に写し出された日本美術、といったところか。

 ジャポニズムも面白かったが、照明が作品の魅力を引き出していて、一つ一つの作品を眺めるだけでも満足。サントリー美術館は照明のあて方が、素敵。

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モディリアーニ展

 国立新美術館の『モディリアーニ展』を観た(6月9日まで。巡回・大阪 国立国際美術館 7月1日~9月15日)。

 細面の顔、長い首、アーモンド型の目の肖像画を得意とする、エコールド・パリを代表する画家。展覧会のフランス語の題名が、Modiliani et le Primitivismedeで、--原始美術の影響を色濃く示す初期の<カリアティット>の作品群から独自の洋式を確立した肖像画にいたるまで、幅広い作品を紹介し、プリミティヴィスム(原始主義)に根ざしたモディリアーニの芸術がいかなる変遷をとげたのかを探ります。--とのこと。
 プリミティヴィスム(原始主義)って、19世紀末に流行っていたんですよね、たしか。モディリアーニは1884-1920年の人だから、時期的にはちょうどその頃というわけか。

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<カリアティッド>1914年
 思わず、その白い肌に触れてみたくなる。ギリシャ神殿の柱の彫刻「カリアティッド」はプリミティヴィスムの影響を受けているそうだ。カルアティッドの作品群は、そのモチーフの印象なのか、彼自身の取り組みがそういう時期だったのか、エネルギッシュな印象を受けた。
 もともとモディリアーニは彫刻家を目指していたが、持病の結核のために体力がなく、彫刻を断念したのだとか。観てみたかったな、彼の彫刻。展示されている約150点の作品は、油彩、スケッチあれど、すべて絵画。
 
 そして、カリアティッドの作品群はあるものの、基本は肖像画。体系的にモディリアーニを知る上では面白い展覧会だが、後半の展示は、細い首を傾げた人物たちばかりが並んでいて、ちょっと息が詰まった。去年観た『モーリス・ユトリロ展-モンマルトルの詩情-』を思い出してしまった。息抜きに違うモチーフがほしいといっても、ない物ねだりなんだろうけどね。

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<赤毛の若い娘(ジャンヌ・エピュテルヌ)>1918年。
 これは好き。まなざしに意思がある表情だから。モデルはジャンヌと言われているが、瞳の色が違うそうだ。

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ラ・マンチャの男

 帝国劇場で、『ラ・マンチャの男』を観た(脚本デール・ワッサーマン/演出・主演 松本幸四郎 30日まで)。
 『ラ・マンチャの男』と言えば松本幸四郎。この公演期間中に1100回を達成するそうだが、はじめて観た。
 
 従者を連れたセルバンテスという詩人が、教会を侮辱した罪で牢獄に入れられる。囚人達は”新入り”の(模擬)裁判をやろうと言う。そこで、セルバンテスは即興劇による申し開きを行う。その即興劇が「ドン・キホーテ」の物語。

 孝四郎の父、白鸚がアメリカで観た『ラ・マンチャの男』を気に入って、東宝に上演を働きかけたのだそうだ。演出補に長女の松本紀保、マドンナのアルドンサに次女の松たか子。家族でガッチリと固め、まだ早いだろうに、世代交代の準備も整っている感じ。セルバンテス演じる、キホーテ=田舎郷士キハーナが老人の設定だし、40年も演じているからなのか、幸四郎は力むことなく演じているように見えるのに対して、松はあばずれだけれど実は清らかな役を魅力的に、エネルギッシュに演じて舞台を引っ張っている。この人、どんどん上手くなったなあと思う。

 帝劇のミュージカルにしてはめずらしく、休憩なしの約2時間。スピーディな演出もよかった。

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フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ

『東山魁夷展』を観た後、新緑が瑞々しい北の丸公園を散歩しながら千鳥ヶ淵のイタリア文化会館へ。ロビーで行われている『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』を観た。3月の下旬、千鳥ヶ淵にお花見に来たときに前を通ったら、玄関の柱に、鷲鼻の男性と、たぶん彼の妻なのではないかと思われる女性の肖像があって、「なんのイベントだろう?」と思ったのだった。
 その日は寄らなかったけど、なんだか気になって、イタリア文化会館のサイトを観たら、ウルビーノ公国の君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公(1422-1482)がグッビオのドゥカーレ宮殿の中に造らせたストゥディオーロ(小書斎)の複製を展示してあるという。それは、見逃したら後悔する!というわけで、ギリギリセーフで観た(20日まで)。
http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/webform/SchedaEvento.aspx?id=249

 ストゥディオーロの壁は、遠近法を用いただまし絵の寄木細工。描かれているものは、剣や屋鎧の武具、太鼓やリュート、ハープ、オルガンなどの楽器、書物、書見台、球体のオブジェや分度器、コンパス等、ルネサンスの文化とはこういうものか、と感動。ちなみにイタリア文化会館玄関の柱の肖像画の男性がフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公で、女性は奥方。
 
 イタリアの地元の職人達が5年以上の歳月をかけて、複製を完成させたのだそうだ。世界初公開って、イタリアの人より、日本人が先に観せてもらって申し訳ない。
 国立西洋美術館の『ウルビーノのヴィーナス』と連動したイベントだったようだ。美術のお勉強的には重要なんだろうけど、ヴィーナス(裸婦)あんまり興味ないしなあ、と思っていて、まだ観ていなかったのだけれど…。行ってみたら、このストゥディオーロのようにルネサンスを目の当たりにできるかしら?
 
 

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生誕100年 東山魁夷展

 国立近代美術館の『生誕100年 東山魁夷展』 に行った。

 

 東山魁夷は90歳まで生きた人で、作品数も多い。主に自然を描く人で、「道」とか「緑響く」に代表される、緑や青色のイメージが強い。唐招提寺の襖絵を描いた人。そんな予備知識だった。

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「冬華」
北欧を旅したときの風景を描いたもので、樹の上で輝くものは、月ではなく太陽なのだとか。インターネットに載せると、なんとなく青味と赤味を帯びるが、もっと白黒の濃淡で、きりりとした冷たい空気が感じられたのだけれど。


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「窓」
自然をモチーフにした作品が多いと思っていたが、建物や窓の風景も多いのだそうだ。
ヨーロッパの町並なので洋風のイメージを受けるんだろうが、日本画と西洋美術の違いってどこにあるのだろうと思う。画材の違い以外、互いに良い意味でなんでも有りなのかな。すみませんね、素人の疑問で。

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「行く秋」
緑の自然もいいけれど、これも美しい。この落ち葉の上を歩くとき、足裏に伝わる感触まで見えてきそうな1枚。

 惜しいのは、スペースが狭いこと。東山魁夷の絵は、大きい作品が多いし、今回は出展数も多い。後ろにさがって観たいと思うと、向かいの展示を鑑賞している人の邪魔になってしまう。人気の画家だから会期中盤の平日でもけっこう混んでいる。近代美術館には悪いけれど、六本木の国立新美術館でゆったり観たかったなあ。

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ダウトDOUBT−疑いをめぐる寓話−

吉祥寺シアターにて、文学座アトリエの会 『ダウトDOUBT−疑いをめぐる寓話−』を観た。
(脚本 ジョン・パトリック・シャンリィ/演出 望月純吉 4月22日まで)

 スリリングな舞台。初演は2004年、その後2005年にトニー賞最優秀作品賞とピュリッツァー賞を受賞したそうだ。

1964年のニューヨーク、ブロンクスにあるミッション系の高校。厳格な校長シスター・アロイシス(寺田路恵)が、体育の教師であるフリン神父(清水明彦)と、転校してきたばかりの学校初の黒人男子生徒の関係に疑いを抱く。校長は、その生徒の担任教師のシスター・ジェームス(渋谷はるか)と生徒の母親(山本道子)に疑いを打ち明け、対処しようとする。

 たしかにフリン神父は疑わしい言動があるのだが、校長もあまりに杓子定規で、校長とフリン神父は普段から意見が対立しがちだったり、学校という組織の中では校長が上司だが、教会の組織ではフリン神父のほうが位が高いという捻れの関係など、いろいろな要素が提示される。おまけに、世の中では正しいことがいつも良きことではないという教訓まで出てきて、フリン神父の疑いは最後まで残ったまま…。

 最初は新人教師のシスター・ジェームスの視点に寄り添い観ていたのだが、クライマックスでは、自分自身がフリン神父と校長の間で揺れ動いた。これは、観ている人間が試されますな。

 疑惑が晴れないことで、新たな疑惑が生まれる。フリン神父が白だったらアレで、黒だったらコレと、疑いの連鎖を体験しながら劇場を出た。

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どん底

 シアタ-コクーン『どん底』(原作 マクシム・ゴーリキー/上演台本・演出ケラリーノ・サンドロヴィッチ 4月27日まで)を観た。
 去年のナイロン100℃の公演『犬は鎖につなぐべからず』は、岸田國士戯曲集。岸田は演出を手掛けた『どん底』の初日に亡くなったそうだが、明るい『どん底』を目指していたそうで、KERAはその影響を受けているという。
 人間関係が描かれているポップな『どん底』。

 舞台は、どん底の暮らしをしている人間が集まる木賃宿。イカサマ賭博師サーチン(大森博史)、錠前屋クレーシチ(大鷹明良)と、瀕死の床についている妻アンナ(池谷のぶえ)。恋愛小説を読みふける娼婦ナースチャ(松永玲子)、と男爵と名乗る男(三上市朗)。なぜか陽気な帽子屋(マギー)。アル中の元役者(山崎一)、靴屋(富川一人)に万頭売りの女(犬山イヌコ)。腐った万頭を売られたとイチャモンを付けに来たのがきっかけで、ここに出入りするようになった兄と呼ばれる男(あさひ7オユキ)と弟と呼ばれる男(黒田大輔)。この宿には泥棒(江口洋介)まで寝泊まりしているが、巡査(皆川猿時)も度々顔を出す。この巡査、大家の妻とその妹のオジにして、万頭屋に惚れている。大家(若松武史)が強突張りだと言ったところで、彼の生活も木賃宿よりはマシな程度。おまけに妻のワシリーサ(荻野目慶子)は泥棒ペペールと恋仲で、ところがペペールはワシリーサに飽きてきて、彼女の妹のナターシャ(緒川たまき)に鞍替えしたいと思案中。
 と、なかなか複雑な人間関係が展開中の木賃宿に、ある日巡礼の老人ルカー(段田安則)がやってくる。彼が宿の客になったことで空気が変わる。彼を、希望の使者とみるか、疫病神と捉えるかは難しいところなのだが、それでも老人はこの宿の一員として生活を共にするのだ。

 KERAはこの人間関係の輪の中に入らない衛生局を名乗る男セルゲイ(大河内浩)という登場人物を創った。衛生局を名乗る男は老人と違い、まったくの闖入者。「世間」なんだろう。マスコミ批判、とも、とれなくもない。
 というか、マスコミ批判だろう、これは。
 一人ひとりにスポットを当てるとお涙頂戴になるが、関係性を重視したことによって、世の中が見えてくる。大枠としての関係性と、セルゲイ。--削るべき要素はすぐにわかったんです。ゴーリキーが当時、社会運動としてこの作品を書いた主義主張、台詞がそのまま社会に対する告発になっている部分です。--とパンフレットにあるが、なんのなんの、いまの世の中をもっとクールに批判するおもしろい仕掛けを創った。

 段田、若松、犬山、などなど、いまさら誉めるのがかえって失礼な芸達者な役者が揃っている中、マギーがいい雰囲気を醸し出していた。いままでそんなふうに思って観ていなかったので、今後注目。緒川のナターシャは脚が綺麗、これで彼女のその後の運命が察せられるほど。小柄なワシリーサだが、荻野目は貫禄十分。
 時々自動が音楽に参加している。最後の合奏&合唱は出演者全員。段田のフルートは初めて観た(聞いた)。パーカッションの若松サン、乗ってましたネ。

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国宝 薬師寺展

 東京国立博物館「平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展」(6月8日まで)、大興奮、大感動である。

 聖観音菩薩立像、慈恩大師像、八幡三神坐像、吉祥天像と国宝が惜しみなく展示されているのも素晴らしいが、展示の仕方もまた素晴らしい。今回は彫刻の周りを回って360度、全方向から眺められる。

 特に、日光・月光菩薩立像(国宝)に、釘付けになってしまった。スロープを上がっていくと向かって左に月光菩薩が見えて来て、右手に日光菩薩。やや高いところから正面の全体のお姿を眺めて、そこから下って、見上げるように二尊の周りを回る。
子どもの頃お詣りして好きだなと思ったのだが、こんな至近距離から拝見できるなんて。奈良の薬師寺に奉られているときは背中に金色に光り輝く光背があるし、正面からだってこんなに近づけないもの。

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月光菩薩

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日光菩薩 

 こんなことを言うのは不謹慎なのかもしれないが、ちょっと腰を傾けたポーズといい、手指の表情といい、肌の色艶といい、惚れ惚れするほどセクシーな、お姿だ(私、仏教への信仰心は希薄なのだが、二尊を敬う気持ちはある)。若干日光菩薩のほうがふくよかだ。あまりに美しいので、ずっと眺めていたい。この幸福感をどう表現したらいいのだろう。これが、信仰心に繋がっていくものなの?

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展覧会のトリを飾る「吉祥天画像」。思っていたより小さい絵だったが、これも至近距離で細部まで見られた。

 他にも重文クラスのものもたくさんあって、こんなに持ってきちゃったら奈良の薬師寺さん、寂しくないかなあと心配してしまうが、東博で薬師寺展を開いてくださり、ありがとうございます。
 会場を一回りした後、名残惜しくて日光菩薩、月光菩薩を、もう一度拝見した。
 
 この展覧会、また行きたい。また、二尊にお会いしたい。

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博物館でお花見を

 「博物館でお花見を」というコピーに誘われて、東京国立博物館でお花見!
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 4月6日まで庭園開放と、本館(平常展)で桜にちなんだ作品を展示している(春の庭園開放は4月20日まで)。東博の庭園、一度入ってみたかったんだ。写真のお茶室は春草蘆(シュンソウロ)、江戸時代、河村瑞賢が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所だそうだ。その後大阪、横浜の三渓園、埼玉県所沢市にある柳瀬荘と転々と移築され、昭和34年にここに移されたのだとか。アチコチ旅して、いやー、ご苦労様でした。

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 エドヒガンシダレ。
 大賑わいの上野公園から道路一本隔てて、庭園の趣を楽しむ大人の花見。ヤマザクラ、オオシマサクラ、カンザン、ロトウザクラ、ミカドヨシノ等々、それぞれに風情がある。本館や平成館の窓から、舞う花びらを眺めるのもステキ。
 前庭の桜も美しく、普段は行かない表慶館の裏手や黒門の方まで散歩をしたら、もう柳が芽吹いていて、新緑がまぶしかった。

 本館の展示は、とくに桜をあしらった作品にサクラマークがついている。
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国宝室は狩野長信「花下蓬莱図屏風」(部分)
 他に、勝川春潮の「飛鳥山花見」とか、歌川国貞「北廓月の夜桜」等々32点。刀の鍔(ツバ)「枝桜透鍔」は、超モダン。刀の鍔(ツバ)に桜?と思ったが、刀もサクラも武士の魂でしたね。

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 サクラマークではないけれど、順路の最初にあった「伝源頼朝坐像(でんみなもとのよりともざぞう)」 。横から見るとお腹が少々でているけど、正面からは実にシャープな姿。

 

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「千鳥ヶ淵」でお花見

 今年は、桜の開花宣言が出たと思ったら一気に満開。見頃を外したらもったいないので、週末の28日、千鳥ヶ淵に行く。 まずは、山種美術館の「桜さくらサクラ  2008」へ。
 
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石田武「千鳥ヶ淵」。山種美術館にちなんで描いたのだろう、美しい作品。山種では毎年この時期に「桜さくらサクラ」と題した展覧会を開催している。花見の名所ならでは。
 
 桜の遊歩道に出て、満開のアーチの下をそぞろ歩きながら、ときどきお堀の向こうの桜も愛でたり。なんでこんなに桜に浮かれるのかなあ。浮かれるといっても、桜の下の宴会は一度もやったことはないのだが、でも毎年ウキウキするのよね。きっと、DNAに桜の花の”彫り物”があるんだわ、と考えた。
 こうやってのんびり春が迎えられたことが、幸せ。

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歌わせたい男たち

 卒業式シーズン。袴姿の大学生が、どうしてあんなにケバイ化粧をしているのだろう? 紫に花模様のつけ爪なんかしちゃったり、髪の毛今風のボサボサアップで、アイシャドウ濃くって。ミュールを履いてるドレス姿の人もいて、ああ嫌だ。ミュールは室内履き、外で履いてもドレスコードは”軽装”扱いでしょ。みっともないったらありゃしない。ところがどっこい、都立高校でもそうなのだそうだ。今年、卒業した子の親が驚いていた。で、その話で盛り上がって、質問するのを忘れた。「『君が代』斉唱はどうだった?」って。

 都立高校の卒業式における「君が代」斉唱問題を扱った『歌わせたい男たち』を観た(紀伊國屋ホール)。初演は05年で、数々の演劇賞を受賞している。
 今年採用された音楽講師、仲ミチル(戸田恵子)は、ミスタッチとあだ名がつくぐらい、ピアノが不得意。卒業式の朝も、式で伴奏を間違えないかと緊張し、めまいを起こして保健室に。そんな様子を見て、仲の真意が「君が代」伴奏のボイコットなのではと気を揉む校長の与田是昭(大谷亮介)。今年、斉唱に不起立を表明しているのは、社会科教師の拝島則彦(近藤芳正)、ただ一人。若い英語教師、片桐学(中上雅巳)は斉唱派。養護教諭の按部真由子(小山萌子)は斉唱派だが、本音は”野次馬”といったところか。

 売れないシャンソン歌手から音楽講師に転職した、「君が代」問題に感心の薄い人物を中心に据えたのが、この芝居の素晴らしいところ。拝島もガチガチの左翼ではなく、事なかれ主義の校長や若い片桐、按部なども、自分のすぐ側にいそうな人たちで、この問題を身近に感じる。主義主張が明確だったら、たぶんこの芝居に感情移入しにくかったと思う。役者は少数精鋭でコメディタッチ、爆笑、爆笑の後に、ふっと怖さが浮かび上がる仕掛け。
 仲、拝島、校長の気持ちを思うと、涙も出て来た。
 
 シャンソンと、眼鏡の使い方が、とてもオシャレだ。戸田の歌声の余韻が残る。

 客席は教師をしている人が多かったのか、いつもの観劇とは違う雰囲気。ところで、後半ちょうど盛り上がって来た頃に、近くで携帯電話の着信音が鳴った。こういうルールは守ったほうがいいんじゃないの?

 

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運慶の大日如来像

 今日は「明日の神話」の他にも美術のニュースが。

 運慶の作とみられる「大日如来像」が、ニューヨークのオークションで、約14億円で、三越に落札されたそうだ。
http://www.asahi.com/culture/update/0319/TKY200803190004.html

三越というから、三井記念美術館ででもお目にかかれるのかと思ったら、”顧客の代行”だそうで、個人か団体かもあかせないって。是非公開してくだされ!

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明日の神話

 岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」の恒久設置場所が、渋谷駅のJR線と京王井の頭線の間の連絡通路に決まったそうだ。よかった、よかった。
http://www.taro-okamoto.or.jp/asunoshinwa.html

私の行動範囲でもある。展示されたら迫力あるだろうなあ。
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1日30万人が行き交う場所なのだとか。あそこなら、老若男女、アートに興味がない人にも、日頃「原爆」にピンと来ない人にも、日本人だけじゃなく世界各国の人たちにも、観てもらえる。唯一の被爆国の首都である東京に、原爆を意識する場所があってしかるべきだと思うのだ。
 

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音楽を紡ぐトライアングル。

 東京フィルの第751回サントリー定期シリーズを聴いた(3月8日 サントリーホール)。
「音楽を紡ぐトライアングル」というテーマのプログラムで、クララ・シューマン、シューマン、ブラームスの作品。クララとシューマンは夫婦で、夫妻はブラームスと親好が厚く、ブラームスを世に送り出した人たち。シューマン亡き後、ブラームスはクララを支えた。
 クララは、当時有名なピアニストで、結婚してからも演奏を続けシューマンを支え、彼が亡くなったあとも8人の子どもを育てるためにフル活動したのだそうだ。シューマンが若く亡くなったことは大変だったろうけれど、その前だって、8人(!)も子どもを出産しながら(もちろん育てるわけで)演奏活動をするのは、並の苦労じゃなかっただろう、とクララに感情移入してしまう。ゴシップ的な要素はともかく、理解者の一人や二人いなきゃ、やっていかれませんって。

クララ・シューマン/ピアノ三重奏曲第1楽章
シューマン/交響曲第4番
ブラームス/交響曲第4番

 クララのピアノ三重奏曲でピアノも披露したダン・エッテンガーは、踊る指揮者。式台の上から上半身を乗り出したりして、若さ溢れる勢いだ。体格いいし、正面のチェロの人、怖くないですか? 正面の席はマエストロの表情が楽しかっただろう。

 今回のプログラムを選んだのは、ブラームスの交響曲第4番を聴きたかったから。もっともブラームスらしい交響曲と言われていて、この曲にトライアングルが使われていて、テーマと通じる。
 ブラームスといえば「ハンガリア舞曲」をまず連想しちゃう私にとっては、交響曲はちょっと重たいイメージ。回を重ねていけば、ベートーベンの交響曲のように親しみがわくかな? 今後もいろんなコンサートで、聴いてみたい。  

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ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展

森アーツギャラリーセンターで『ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 ~ピカソ、シャガール、ウォーホル~』を観た。

 その前に、馴染みのレストランでゆっくりランチ。ワインももちろん、飲む。ランチなのでグラスにしましたが。
 ワイン、大好き。好みはハッキリしている。でも、銘柄は詳しく覚えていない。
 はじめて行くレストランだったら、前に飲んで美味しかったワインのエチケットを持っていって相談したり、予算のページのワインリストを見ながら、好みの味を話して選ぶ。このとき話しが弾めば、相性が良いレストランだ。
 馴染みのレストランならこちらの予算と好みをすでにわかっているから(いつもと違うときは予約の電話で伝えて)、ソムリエがあらかじめ用意してくれているもののなかから、お料理に合わせて選ぶ。
 いずれにしてもソムリエに相談するのがベストチョイス。お勧めの中にはサプライズもあって、楽しい。
 
 その銘柄を覚えられない私でも、さすがにシャトー・ムートンの名は”知識”として知っている(でも残念ながらロスシルドは飲んだことありませんが)。印象深いのはあのエチケット。

 というわけで、「ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 」。我ながらミーハーですが。そうか日本では、アサヒビールが輸入元なのね、と思いつつ。なんかイメージ違うなあ。 ピカソ、シャガール、ウォーホルとあるが、カディンスキーとか、ローラサン、キース・ヘリングなどもあって、気に入ったのは58年のダリの羊。会場の途中にボトルのタワーが展示されていて、原画とは又違うエチケットの表情を楽しめた。美味しいワインとアートの融合。贅沢でした。
 でもなんでこの展覧会、「エチケット」じゃなくて、「ワインラベル」ってタイトルに使っているんでしょうね? フランスワインならやっぱりエチケットでしょう?


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春琴

 サイモン・マクバーニー演出の『春琴』。大評判のようで、私が観た5日の昼の回は立ち見もびっしり、不思議な熱気に包まれていた。

 谷崎潤一郎の小説「春琴抄」に評論「陰翳礼讃」を散りばめ、現代でコーティングしたといったらいいのか? 
 冒頭、老人=ヨシ笈田が語りはじめる現代は、「春琴抄」「陰翳礼讃」という近代へ観客を誘うが、立石涼子がラジオ番組で朗読する設定がすぐに、俗っぽい現代に引き戻す。「春琴抄」自体が、私(高田忠篤)という人物が琴と佐助の墓参りをするところから始まる入れ子構造になっていて、近代の物語の中にも、「現在」と「過去」が存在する。「陰翳礼讃」は、恐らく「春琴抄」の「私」が生きているのと同時代であり(両作品とも昭和8年発表)、現代は、老人=笈田と、ナレーター=立石の視点があるのだ。立石の朗読は素晴らしいのだが、途中で(ラストも)「春琴抄」の世界に浸っていたら、急に現代へ乱暴に引き戻された。それが狙いなのだろうが、幕が下りれば観客は嫌でも現代の現実へ引き戻されるのだ。時空を飛び越えるアイデアもいいが、もう少し整理して、「春琴抄」と「陰翳礼讃」の余韻を残した方が、現代とのコントラストがより鮮明に浮かび上がるのではないか?

 「闇」を扱いながら、視覚的な芝居だ。光と影(照明)が美しく、畳、竿、着物、人形と、日本の美がうまく使われている。3階席の中央ブロックで遠目だったのだが、畳や竿の舞台効果を楽しむにはよい席だった。日本的な様式美の中で残念だったのが帯。早変わりしなければならないし、芝居の途中で着崩れたらいけないので付け帯びなんだろうが、帯を結んだら、その所作が美しいだろうなあ、と思う。歌舞伎の引き抜きの技法も使われていて、衣装替えも見どころではあるが…。

 春琴の幼少期、娘時代を市松人形、若い時分は宮本裕子による人形振りで表している。深津絵里が声を演じ、女盛りの終盤で深津自身に入れ替わる。人形と、人形ぶりは「操る」という意味で効果的だ。人形は、着物の下はアタマだけだったり、人形と遣い手の手が入れ替わったり。人形振りは、宮本の動きに拍手。佐助もチョウソンハ、瑞木健太郎、ヨシ笈田が交代で演じる。

 「闇」を扱って、聴覚にも訴える芝居だ。深津絵里の高く響き渡る声。「佐助、佐助」と繰り返されるヒステリックな命令口調が悲鳴にも聞こえて、耳を離れない。高石涼子の落ち着いた朗読。「春琴抄」の独特な文体は映像に映し出されるが、耳からも入ってきて、味わいを深くする。
 味線の師弟の話だから三味線(木條秀太郎)はもちろん、鼓(麻生花帆)、謡。それから、晩年の佐助を演じるヨシ笈田の、台詞回し。朗読と私の語り以外には、総じて役者の台詞は短い。繰り返される台詞も多く、耳からのインパクトも強い。

 目と耳に、とても美しい芝居だ。 

 と、またここで冒頭の、構成の疑問に戻る。立石の朗読は是非ともほしいが、”立石さん”の恋の話を挿入することはなかろう。ラジオというメディアも「現代」というより「近代」だから、冒頭、老人が二作品が大ヒットした時代を語るところでラジオをかければ、「近代」の中で朗読は成立するはず。説明しすぎないこともまた、「陰翳礼讃」だろうと思う。

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屋上庭園/動員挿話

  新国立劇場で、『屋上庭園/動員挿話』を観た。
  作・岸田國士 演出・屋上庭園=宮田慶子 動員挿話=深津篤史

 「屋上庭園」と「動員挿話」は独立した話で、それぞれ演出も違うが、小林隆と七瀬なつみ、山路和弘と神野三鈴が、同じ組み合わせで、それぞれの芝居の夫婦を演じる。「屋上庭園」では裕福な夫婦だった小林&七瀬が「動員挿話」では馬丁の夫婦、「屋上庭園」では貧しい夫婦を演じた山路&神野が「動員挿話」では陸軍少佐とその妻、という具合で、これが一つの見どころとなっている。舞台美術も同じだ。
 2005年の舞台の再演だそうだが、残念ながら初演を観ていない。

 「屋上庭園」は、日本橋の三越と思われるデパートの屋上で、学生時代の友人が偶然再会するストーリー。小説家を志しながら今は失業中の並木(山路)と、裕福な家柄ではあるけれど闘病中の三輪(小林)。並木は、貧富の差に愕然としながら富める者に対し悪態をついてみても、人の良い(そして病気を抱えている)三輪の前では脆さが出てしまう。彼らの5年後、三輪はまだ生きているのだろうか。
 と書くと男同士の話のようだが、「世間」とか「階級」あるいは「貧富」といったものをいろいろ考えさせられる。二人とも妻を連れていて、夫婦の絆もみえてくる。神野演じる並木の妻の健気さにぐっと来た。

 「屋上庭園」が日常の静かな芝居なのに対して、「動員挿話」は骨太の作品。
 日露戦争に出征する陸軍少佐宇治(山路)が、馬丁の友吉(小林)に一緒に戦地に赴くように説得する。友吉の女房数代(七瀬)は、夫を戦争へ行かせまいと猛反対。友吉は、世間や主人夫妻への義理と、妻の間で往生するが…。
 友吉自身は職業軍人ではないが、少佐の馬丁であり、馬が陸軍に欠かせなかった時代のこと。宇治が、愛馬の世話をしている友吉を連れていきたいのは無理ならぬこと。非常時の戦地で、慣れない馬丁で、馬の世話が出来なかったら大変だ。職業上の必要性が絡んでいるから、友吉の立場はややこしくなる。男として「戦争に行かない」という世間への義理の悪さと、満足している職業を失う怖さと。
 女房の数代は、そんなことは知ったこっちゃない。生きてさえいれば、なんとかなる。二人が離れることなんか、考えられない。そういわれると、友吉だって、男として悪い気はしない。戦地に行くのも、行かないのも、どちらも男としての迷い。優柔不断な男を演じる小林がいい。七瀬の数代は勝ち気で、圧倒される演技。女学校を出ていて学がある設定のようだが、賢いというより、今度こそ幸せになろうと思ったワケのある女の一念のようだ。
 それから神野の、奥様。出征に反対する数代を「うらやましい」というが、本音だろう。黒板に書かれた日の丸を消していくと、手が赤く染まる、あの演出は見事だが、でも彼女にどうすることができただろう。せめて友吉夫婦を自由にしてやろうと思うのに、数代に気持ちが伝わらない哀しさ。奥様と数代の心が通じ合えば、と思わずにいられない。
 
 パンフレットに新国立劇場 演劇芸術監督の鵜山仁が「セリフの合間から匂い立つ、この人間臭はいったい何だ。」と書いているが、登場人物は実に人間臭く、それを演じる俳優たちも明治の生身の人間を演じて違和感がない。上手く言えないのだが、俳優の身体性とでもいうのか…。

 「屋上庭園」に出てきた、世間とか職業、階級、貧富、夫婦、女性の地位などのモチーフが「動員挿話」にも使われていて、「屋上庭園」を観ていろいろ考えさせられるからこそ、「動員挿話」に感情移入できたとも言える。まったく違うようでいて、共通点が多い。二本上演のもともとの意図も、そこにあるのだろう。

久しぶりに、ずっしりとした芝居らしい芝居を観た。(3月9日まで)

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エリザベス ゴールデン・エイジ

 『エリザベス ゴールデン・エイジ』(イギリス・フランス/監督:シェーカル・カプール)を観た。

 前作『エリザベス』が10年前になるとは、時間が経つのが速くて驚くが、続編も面白い。
 今回はエリザベス一世が、スコットランド女王メアリーを処刑し、スペイン無敵艦隊を破り、ゴールデン・エイジに入るところまでを描いている。カソリックとプロテスタントの争いがなければエリザベス一世は即位しなかっただろうが、メアリーのことも、スペインとの戦争も、ずーっとこの対立が尾を引いている。その中で、ゴールデンエイジを築くまでになるのだから(家臣もよかったんだろうが)、よっぽど聡明な人だったんだろうなと思わずにいられない。
 スペイン無敵艦隊を迎え撃つ場面が見どころ。女王も鎧を身につけ、イングランド軍の前で演説するのだが、このとき馬が止まらないのはどうして? 全軍の兵士に女王の話が聞こえるように、馬が動いていたの? 風に馬が興奮していた? 戦いに臨んで凛としている女王の姿に圧倒される。

実際のエリザベス一世が40~50代の頃。画面の中のケイト・ブランシェットはやや若い感じだが、威厳もありながら美しく、女王の孤独が伝わってくる。フランシス・ウォルシンガム卿(ジェフリー・ラッシュ)、寵臣はウォルター・ローリー卿(クライヴ・オーウェン)。お気に入りの侍女ベス(アビー・コーニッシュ)。

 前作にもまして、衣裳と美術が目を楽しませてくれた。衣擦れの音もいいのよね。

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ジャックとその主人

 吉祥寺シアターで『ジャックとその主人』を観た。串田和美と白井晃のプロジェクト第二弾だ。第一弾は昨年シアタートラムで行われた『ヒステリア』は、フロイトのお話で面白かった。

 今回の作者、ミラン・クンデラはチェコソロヴァキア生まれ。79年にチェコソロヴァキア国籍を剥奪され、81年にフランス市民権を取得したそうだ。この『ジャックとその主人』は、ディドロの長編小説『運命論者ジャックとその主人』の翻案だそうだ。と言われても、知らないんだ『運命論者ジャックとその主人』、ディドロって『百科全書』の人でしょう?

 ジャック(串田和美)とその主人である貴族(白井晃)が、旅をしている。不安と退屈を紛らわすために、互いの”昔の恋”の話をしはじめる。泊まった宿屋の女将(宮島知栄)からも、”恋”の話を聴かされる。ジャックと主人と女将のそれぞれが語る恋は、それぞれの立場は違うが、どこか似ていて…。

 舞台の中にもう一つ舞台が出てきて、彼らの恋愛話が語られる。話の中の登場人物は白塗りで18世紀風の衣裳。ジャックと主人は現代風な(あまりさえない)衣裳で、恋の話と旅の途中を行ったり来たり。
 戯曲の、入れ子構造とか、相似形のエピソードがリフレインしたり、演劇人にとっては、面白い戯曲なんだろう。運命は「そういうことはすべて天にかかれているんだって」といいつつ、自分たちの運命を握っている神様を「ヘボ作家」と呼んだりしているし。しかし説明的になってしまったようだ。哲学的な部分は削り、”色事”に徹した方が却って”運命”が見えてくるのではないか?

 吉祥寺シアター3月2日まで。まつもと市民芸術館3月6日~9日。

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北斎の「冨嶽三十六景」

 日本橋の三越本店、三越ギャラリーで行われている「北斎 富士を描く展 冨嶽三十六景と冨嶽百景」に行ってきた(2月19日~3月2日)。

 「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴(赤富士)」はお馴染みだし、何点かずつは目にしたことがあるのだが、全作品揃って観る機会がなかった冨嶽三十六景。この展覧会では、冨嶽三十六景全作品と、半紙本『冨嶽百景』(三冊)を一挙公開だそうで、名所絵が好きな私にとっては、「是非とも行かねば!」だったのだ。
  
 1月に江戸東京博物館で観た「北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-」展とは、どうも相性が悪かったのだが、今回はバッチリ。好きな”富嶽”に絞られていて、解説もシンプルだし、お客さんの入りも多からず少なからずで楽しめた。デパートのギャラリーだからといって、あなどるなかれ。
 昨年山形美術館で展示された企画で、東京、滋賀(佐川美術館08年7月19日~8月24日)、名古屋(松坂屋美術館08年10月25日~11月16日)と巡回予定。

 「冨嶽三十六景」は、実際には三十六景+十景+変わり刷り四図の50点。「富嶽百景」は図版を一つ一つ額装した102点に、初編、二編、三編の原本の155点。三十六景と百景はそれぞれ別のコレクターだそうだが、快く観せてくれて、ありがとう。嬉しいのなんの。

「三十六景」は裏打ちや洗浄、紙継ぎなどの補修跡がほとんどないのだとか!

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<神奈川県沖裏>
よく見ると右下の端に朱色の印があるのだが、林忠正という明治初期にパリで活躍したの画商の印だそうだ。”ジャポニズム”を紹介した人といえばいいのかな。この一枚も海外流出組だった?

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<尾州不二見原>
改まった晴れの場面ばかりではなく、こうやって日常の仕事の桶の中に富士山が見えるっていうのがいいねぇ。
この桶職人のオジサンは「今日も富士が拝めて縁起がいいや」なんて振り返ったりするんだろうか。
所は尾張の国らしいが、東海・関東の人にとっては富士山はありがたい山で日本のシンボルみたいなもの。でも、日常の風景でもあり親しみもある。その意識は、超高層ビルが建って富士山を見る機会が減った現在の東京でもそんなに変わらないが、東海・関東以外の人にとっては、富士山ってどんな存在なんだろう。

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<甲州三島越>
松の巨木が、近くに見える富士山を二つに割っちゃってますが。変わり刷りがあった作品。朱系の茶色や緑が入ると、また趣が全然違う。

 赤い山肌を、冨士講の人たちが登っていく<諸人登山>は、はじめて見た。富士を眺めるのではなく、三十六景(四十六景)中、唯一富士山中の風景だとか。私は眺める富士のほうがいいなあ。

 『富士百景』は墨刷りで地味ながら、素晴らしい保存状態で堪能。百景といいながら百二景で、なんでキリの良い百にしなかったのかなと思いながら観た最後の一枚、<大尾一筆の不二>。一筆でシンプルに、かつ雄大で。
「三十六景」から続く富士の連作、北斎も満足のいくものだったのだろう。

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人間合格

 新宿南口・紀伊國屋サザンシアターこまつ座の「人間合格」を観た(2月10日~3月16日まで)。
 
 太宰治の評伝劇。「人間失格」「晩年」や「走れメロス」など、太宰の作品が随所に盛り込まれている。
 津軽の地主の六男に生まれた津島修治=太宰(岡本健一)。生みの母から離されて、乳母や叔母に育てられ、家の中では居場所がない。家父長制度に疑問を感じ憤ってみても、農村の疲弊に心を痛めても、一歩外に出ると地主のお坊ちゃま。
 東京帝国大学に入学し、佐藤浩蔵(山西惇)、山田定一(甲本雅裕)という友を得て、世直しの理想に燃えるが…。
 他に、世間と上手く付き合う大人を代表して中北さん(辻萬長)、男性陣4人は、キャラクターがハッキリ書き分けられている。太宰と絡む女達に田根楽子、馬渕英俚可。 岡本健一の太宰は、全然ニヒルじゃないし、無頼とか退廃というより、ナイーブだからこそ時代の波に揉まれて苦悩した青年といった感じ。社会に抗ったり、志を貫くのはどれだけ大変なことか…。(しかし、甘いんだけれど…)。そして、友情。

 私ははじめて観たのだが、20年前の戯曲で、今回で5演目だそうだ。井上ひさしがパンフレットの前口上に--「現在のお客さま」が、この戯曲を受け入れてくださるかどうか。--と書いているが、岡本の起用で今日的な太宰になったのではないだろうか。

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ロートレック展 パリ・美しき時代を生きて

 サントリー美術館で開催されている「ロートレック展 パリ・美しき時代を生きて」(3月9日まで)に行った。
 
  オルセー美術館のコレクションから7点の油彩画と16点の素描が出品されたのと、晩年の作品をクローズアップしているのが展示の特色。

 面白かったのは、ダンスホールやカフェを描いた作品の、モデルとなった芸人たちが実際にどんな人たちだったかわかったこと。スカートを翻すダンスで人気だった「ロイ・ファラー嬢」や、人気歌手のイヴェット・ギルベールなどの資料がたくさん。ロイ・ファラー嬢のスカートの動きは決して誇張ではなく、本物のイヴェット・ギルベールは意外と美人だった。あんなふうに描かれては、スターのギルベールは怒るだろう。せっかく隠しておいた舞台裏を描いちゃって。でも、「イヴェット・ギルベール、ポスターの原案」は好き。しばらくポスターを部屋に飾っていたことがある。

 ギルベールには意地悪だったロートレックの視線も、娼婦たちには優しい。 
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「赤毛女の<身づくろい>」
 身づくろいといいながら、手を止めて溜息でもついているんだろうか。美しい赤毛を引き立てる薄い青が、寂しげな雰囲気を醸し出している。

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「ひとり」も大好きな作品。疲れ果てて、ぐったりとベッドに身体を沈めているけれど、右脚の腿に乗せた手が、自分自身の温もりや呼吸を感じているはず。悲しいとか、気怠いとか、そんな一言では言い表せない、生きることのやりきれなさと、まだ生きていることの安堵感と…。彼女の姿はロートレックの心情と、鏡合わせなんじゃないだろうか。彼女の身体の薄さが、なんとも言えない。

 いい構成の美術展だったが、会場の区切り方が悪くて、人が溜まってしまうところがある。たとえば、<
最晩年の日々の解説パネルの掲示場所が悪くて人の流れを邪魔している。ロートレックに広い会場は似合わないと思ったのだろうけれど。

 キャッチが「六本木ムーランルージュ」。たしかに六本木という街は歓楽街ではあるけれど、サントリー美術館ならびに東京ミッドタウンというところはたいへんお行儀がよろしく、ロートレックが好んで出入りするだろうか。

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ルノワール+ルノワール

Bunkamuraザ・ミュージアムの「ルノワール+ルノワール展」(5月6日まで)。

 印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと、次男で映画監督のジャン・ルノワールの日本初共演だそうだ。父の絵画をべースに、父の影響を受けた息子の映画シーンをスクリーンに映して見せる趣向。この企画は一昨年のパリ、シネマ テーク フランセーズで開催され好評を博し、ルノワール監督の映画の再ブームを起こしたのだとか。
 日本人にとっても父のルノワールは馴染み深い印象派の画家。では息子のルノワールはどうだろう?と思ったものの、映画に疎い私でも、聞いたことがある題名がずらり、見たことがあるシーンもあって、ああ、この映画の監督が、ルノワールの息子だったのね、と再認識する次第。

 同じBunkamuraのル・シネマではルノワール監督の映画が上映されている(ルノワール+ルノワール展開催記念「ジャンルノワール 映画の世界」。会場は他に東京日仏学院、東京国立近代美術館フィルムセンター)。なるほど、この手があったんですね。Bunkamuraは芸術の複合施設だから、絵画と映画を連動させるのは、わけない話で。

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「ガブリエルとジャン」 
 ガブリエルはオーギュストの妻(ジャンの母)アリーヌ・シャリゴの従姉妹に当たる人で、ジャンの子守役だった。ジャンはオーギュストが53歳のときの子どもで、兄で俳優のピエールとは9歳違い。陶芸家の弟クロードとは7つ違い。弟はもちろん、彼も、兄も、父からすれば年を取ってからの子どもで、もうすでに父は著名な画家だった。そんな父から影響を受けないわけはない。オーギュストは、子どもが生まれてから家族の肖像をよく描くようになったという。東京都美術館で観た「アリーヌ・シャリゴの肖像」も、この展覧会で観られる。長男出産の後だとか。年が離れた妻も子どもも愛おしく、大切だったのだろうな。

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「田舎のダンス」。モデルの女性は、婚約中のアリーヌ・シャリゴ。
 肝心の父と子の作品の共演というテーマはさておき、実は、今回の展覧会でとくに観たかった作品。子どもの頃、家族と行った「ルノワール展」で観た記憶がある。たしか「都会のダンス」と並んでいたのだ。どこの美術館だったのかも忘れてしまったのだが、この「田舎のダンス」は鮮明に覚えている。「女の人の表情がとっても楽しそうだったから」というのは少々後付の理由のような気もするが、一番最初の”大人”の美術展の記憶で、印象に残った作品だった。10歳ぐらいだったのかなあ。
 
 というわけで個人的な家族の想い出も蘇って、私にとっては楽しい美術展だった。この日は予定があわなくてル・シネマに行けなかったが、美術展の出口に立つ頃にはルノワール監督の映画が観たくなっていた。

 

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図書館の問題

図書館に寄ったら、玄関に盗難防止装置のゲート(CDショップなどでよくみかけるもの)が設置されていた。つい10日ぐらい前に行ったときはついていなかったんだけどね。
 カウンターで応対してくれた職員に「とうとうゲートが付いちゃうんですね」と言ったら、「そうなんです。3月から稼動するんですよ。あんまり盗難が多くて、やむに止まれず」。二人して溜息をついた。昨年の今頃、監視カメラがついた。それでも盗難は、減らなかったということだろう。

 心ない人たちのために規制や監視が強化されていくのは嫌だが、仕方がないか、とも思う。

 自治体の図書館運営も、考え直したほうがいい。なぜ、図書館は無料なのか。いくらかの受益者負担があってもいいではないか。年会費制とか、カード発行時に幾らとか、延滞金を徴収するとか。もちろん免除規定があっていいが、わずかでも費用を負担して「自分たちの図書館」という意識を共有したほうがいいのではないだろうか?

 教育機関だから無料であるという理屈は、どうなんだろう。原則無料のはずの美術館も博物館も有料だ。図書館と博物館はどう違うのか? 「本を読む機会はすべての人に与えられなければならない」そうだが、たとえば、年会費1000円を徴収したところで、図書館を利用する本が好きな人が(当然図書館を利用しない本好きもいる)、図書館に足を運ばなくなるとは考えにくい。大都市のいくつかの自治体が歩調をあわせて同時に踏み切れば、有料化もあり得るのではないだろうか。

自治体の図書館でもベストセラーにリクエストが集中し、1年待ち、2年待ちも珍しくないそうだ。そんなことも含めて、図書館の状況を貸本屋のようだと批判する人もいる。
 今日借りてきたのは絶版になっている本。最近は絶版本が多いから、書店で新品をみつけたくても苦労する。あと5年ぐらいしたら、地域の図書館には「当時のベストセラー本」しかなくて、新刊書店でも「当時のベストセラー本」が文庫になっていて、という時代になるかもしれない。ベストセラーにならなかった本は、どこで探せばいいのか? 古本屋か? もしかしたらそんな現象は、もうはじまっているのかもしれない。

 図書館の問題は、実は図書館の問題ではなく、「本」を巡る問題なんだろう。もっといえば、長いこと、自分たちの文化や社会を大切にしてこなかったツケだ。そんなこと、現場の人はとっくにわかっているんだろうな。

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顔魂~KAODAMA~

 森アーツセンターギャラリーで開催されている『顔魂~KAODAMA~ 石井竜也展覧会/TATUYA ISHII EXHIBITION 2008』に行ってきた。

 3年前(?)「国境なきアーティストたち」の活動家・エクトル・シエラ氏から絵付け前の達磨を手渡されたことから「顔魂」の制作がはじまったのだとか。
 石井竜也は、それ以前から「顔」に興味を持っていたんだと思う。米米クラブのジェームス小野田のメイクが、そうだろう。人の顔にアートを描けば小野田のメイク、オブジェにすれば「顔魂」というわけだ。ファンにとっては、唐突に出てきたものではなく、ずっと繋がっていると理解する。

  森アーツセンターギャラリーには、約70点の「顔魂」が展示されていて、壮観。太陽のような顔、人間を思わせる顔、猪や鳥を思わせる顔、穏やかな仏像のような顔と様々。土着の、というか原始的宗教のイメージもある。
 中には薬師寺に奉納された作品もあって、その縁なのか(薬師寺でコンサートをしてるし)、4月11日に行われる「国宝 薬師寺展 開催記念トークショー」に、石井が出演するそうだ。

 ひとつひとつの作品の表情もさることながら、纏まって展示されることでのパワーを感じ、繋がっていくことを意識した作品展だった。

 

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北斎漫画

 江戸東京博物館で催されていた『北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-』(1月27日終了)を観たついでによった、『北斎漫画』展(江戸東京博物館常設展示室。2月11日まで)が、思いがけず楽しめた。
 
 「北斎漫画」は、版元の永楽屋東四郎より刊行した画集で、全15編。一編目は55歳のとき、60歳のときの10編で一応完結したものの、13、14、15編はなんと没後に刊行されたという。60年以上に渡る、人気作品だったのね。
 漫画というと、なんとなくユーモラスなイメージを抱くが、 人物画、動植物、風俗、建物、妖怪と、いろんな図柄があるから「漫画」だそうで。言われてみれば、なるほど精密な植物画やことわざを題材にした教訓的な絵もたくさんあるが、ユーモラスな面相や、太った人、痩せた人なんていうユーモラスでヘンテコな図のほうに目がいく。教養人や絵を習う人はいざ知らず、当時の庶民には、こういうほうが受けたんじゃないかなあ。

いっぱいあって、ひとつひとつ丁寧に観ていると目が回りそうだ。ふと、近所のお蕎麦屋さんの壁にある絵は、もしや「北斎漫画」の一つなのでは?と思いあたった。数ある図の中から、同じ仕草は探し出せなかったのだけれど…。

 版元の永楽屋の名が入っているものや、『冨嶽百景』の裏側に彫った版木も展示されていた。展示されている図版は、これらの版木から摺りなおされたものなのだそうだ。再利用とは、倹約しましたね。さしずめ江戸のエコライフ?

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やっぱりおかしい「北斎漫画」。こういうの必ずやってみるヤツって、いまでもいるよね。とくに小学生男子!


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横山大観「生々流転」と「焚火」「夜桜」

国立新美術館の『没後50年 横山大観―新たなる伝説へ』に行った。

 ほぼ制作年代順に展示されていて、「代表作 ずらり。」という通り、これもあれも教科書(?)で観た作品ばかり。見応えのある大観展だが、中でも今回の目玉は40メートル(全編)の「生々流転」だろう。広い会場なので混雑もそんなに気にならずに観ていたのが、絵巻物の「生々流転」の前に来ると、会場整理のお兄さんが呼びかけても、人がまったく流れず…。
 「生々流転」の展示の横の壁にあった、作品の見どころを解説したパネルを読んで予備知識を得ながら、比較的空くのを待つ。このパネルがまたえらくあっさりしたパネルで、すぐ読み終わっちゃうのだ。解説しすぎるよりいいけれど。

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「生々流転」(部分)
 生々流転という言葉は「万物は永遠に生死を繰り返し、絶えず移り変わってゆくこと」(広辞苑)で、この絵は一滴の雫がやがて川となり大海に注ぎ、最後は龍となって天に昇る、水の一生でそれを表現しているのだそうだ。なんで水が龍になるんだろうと思うが(仏教になにか故事があるのか?)、最後に黒い雲の中に龍が現れるのだ。「ほほう」と思って観ていたら、オジサン二人組が、覗き込みながら「龍、どこかわからないね」と話している。そりゃあ、せっかくだから教えて差し上げようと思ったら、もういない。すごい早足で通り過ぎてしまったのね。それじゃあ龍も見えないだろう。人混みに疲れてしまったのかしらん?

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 ちょっとユーモラスで好きだった「焚火」。
三幅の掛け軸。焚火をしているのは、寒山、拾得。唐の僧だが、寒山は文殊菩薩の、拾得は普賢菩薩の化身とも言われるそうで、文殊、普賢に例えられるとはよほど賢かったのだろう。変わったお坊さんだったらしいが…。なんだか笑っているようにも見えるが、二人で何を話しているのか。よくみると拾得(?)は裸足。

そして昨年大倉集古館で観た「夜桜」の屏風。今回はこれまた色鮮やかな「紅葉」と並べて展示されていて、豪華絢爛とはこのことだ。並べることによって生まれるインパクトを楽しんだ。
 「秋色」は、その影響が理解できるように尾形光琳の「槇楓図」と並んでいる。富士を描いた絵も多数。一緒に行った人が「大観といえば富士山」と言っていたが、言い得て妙だ。新鮮な富士山と、手慣れた感じの富士山と。

 3月3日までの期間中入れ替えがあって、「焚火」も、「夜桜」「紅葉」も11日まで。
しかし、「新たなる伝説」って、なあに?
 

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チェーホフ短編集--マイケル・フレイン翻案『くしゃみ』より--

 去年観た、井上ひさしの『ロマンス』は、チェーホフの評伝劇だった。チェーホフは、人を幸せにする”笑い”を好んだ、という井上の解釈。その印象が残っていて、チェーホフの喜劇を是非観てみたいと思っていたら、「子供のためのシェイクスピア」シリーズの演出をしている山崎清介が、短編集をやるという。出演者も、伊沢磨紀、佐藤誓、山口雅義をはじめとする「子供のためのシェイクスピア」のカンパニーでお馴染みの面々。それなら、是非観なくっちゃ!(あうるすぽっと 2月3日まで)

 原作はアントン・チェーホフだが、一旦英語に翻案したものを、小田島恒志が翻訳している。翻案はマイケル・フレイン、『ノイゼズ・オフ』や『コペンハーゲン』の作者だ。--現在、イギリスで上演されているチェーホフの舞台のほとんどはフレイン訳(パンフレット)--とある。小田島はイギリスでフレイン訳のチェーホフを観たとき、明るくて面白かった、と話している。登場人物たちの混乱が喜劇になる、『ノイゼズ・オフ』の作者なら、なるほどね。

 今回上演されたものは「ドラマ」「外国もの」「熊」「タバコのの害悪について」「白鳥の歌」「プロポーズ」の6話。一つ一つが独立した話ではあるが、旅役者の一座が上演するという大枠をつくって、繋がりを持たせた演出。
 この旅役者の一座、昨年の夏にこのカンパニーが上演した『夏の夜の夢』の、アテネの公爵シーシュスとアマゾンの女王ヒポリタの結婚を祝う職人たちだ。「ボトムさんへ」なんていう暖簾まである懲りよう(笑)。あの一件で芝居に目覚めてしまったのか、彼らの住む土地を奪われてしまって(「三人姉妹」?「桜の園」?)旅の一座(シェイクスピア劇では良く出てくる)になったのか? はともかく、職人たちは、愚かで愛らしい”人間”の代表だ。6話を繋ぐだけでなく、シェイクスピアとチェーホフを繋ぐ役目もこの職人たちに託したわけだ。

 私の好みは作家志望の女が有名作家のところに押しかける「ドラマ」、粗野な借金取りと未亡人の口論が決闘話になってしまう「熊」、講演をしているうちに愚痴を話してしまう「タバコの害悪について」。井上ひさしが言う「人を幸せにする笑い」というより、人間の本質を浮き彫りにするシニカルな笑いだ。朗らかというより皮肉屋の笑い。それは、フレイン訳を通したからか、チェーホフのカラーなのか、私たち観客にはわからない。
 抑制した演技の先の笑いを狙ったのか、やや悲劇的な印象も受けるのだが、旅の一座に仕立てた職人たちが、けっこう利口になっていて哀愁を帯びている、その影響もあるのだろう。彼らが”愛すべきおばかさん”のままだったら、優しい笑いが生まれたと思う。あるいは子供のためのシェイクスピアのイエローヘルメッツを、そのまま出してしまったほうが、もっと突き放した笑いになっていたかも。
 観る側もチェーホフの笑いには、慣れていないところがあるしな。 

 チェーホフも、シリーズとして続けるらしい。次回は来年『ワーニャ伯父さん』だとか。チェーホフもシェイクスピアも、全作品制覇を期待しています。どうぞよろしく、山崎さん!
 
 ところで、「あうるすぽっと」。約300席ながら割とゆったりしていて観やすい劇場なのだが、エレベーターが混み合って不便。同じビルに入っている他施設を利用する人とかち合うのは仕方がないが、帰りに階段を誘導するなら、階段のドアをストッパーで押さえたり、係りの人を立たせるなど、きちんとした誘導をすべきだ。

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等伯の松林図屏風

 お正月に東京国立博物館平成館の「宮廷のみやび」展を観た後、本館にも寄った。お正月の国立博物館は、なんてたって「博物館に初もうで」という素晴らしいキャッチコピー。
 新春特別展示「子年に長寿を祝う」は、子年にちなんだ展示。「鼠草紙」は、サントリー美術館の「鳥獣戯画がやってきた!」にも出展されていたなあと思いつつ、早足で回って、お目当ては国宝室。

 長谷川等伯の、国宝「松林図屏風」。(リンクした国立博物館のサイトで画像をご覧ください)

 国立博物館の解説は--草稿ともいわれるが,靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を,粗速の筆で大胆に描きながら,観る者にとって禅の境地とも、わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をなし得た。--とあるが、なにげない風情にはとうてい見えない。禅の境地?悟りきってはいない感じ。前方の松葉の描き方なんて、力強いとか、迷いがないというより、荒々しく、怒りをぶつけているようだ。
 ここは、丘陵地の松林なのか? 霧(靄)がでているけれど、奥深い山にしては、松の並びに起伏がないし…。

 淋しげで、お正月に飾る、いわゆるおめでたい松の絵ではないなあ、なんて思いながら観ていた。
 
  一昨日(1月27日)のNHK「新・日曜美術館」でこの絵が取り上げられていた。
 狩野派との対立。狩野派の陰謀だという噂もあるという、跡継ぎの長男・久蔵の死後に描かれたというナレーションに、そうか、だからかと、合点がいった。「わび」の境地ではない。静寂の中に怒りが込められている、と思っていいよね。

 パティシエの辻口博啓さんにとっての「この一枚」。これは、海から見た能登の海岸の松林だと言う辻口さんが、番組で、実際に舟に乗って観るのだが、まさにその風景だった。これには驚いた。
 能登(石川県七尾市)の出身で、長谷川等伯と同郷なのだそうだ。都で成功することを心に誓い七尾から水路を使い京に上った等伯が、そのときに観た風景だろうと、辻口さんは推理する。長男を亡くした後に、原点回帰の意味を込めて描かれたと。
 
 この絵から秘められた決意みたいなものは感じなかったが、辻口さんが語る熱い物語のほうが、国立博物館の解説より、私の受けた印象に近い。
 その時々の心の持ちようによっても、絵の印象は変わる。この「松林図屏風」のように、制作経緯などに不明な点が多い作品なら、なおさら。次回、「松林図屏風」に再会するとき、私はどんな印象を持つだろう。それも、また、楽しみ。

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国宝 雪松図と近世絵画

 三井記念美術館のサイトに--「お正月は、「国宝 雪松図」で始まります。凛と立つ松と、光を浴びて輝く雪の結晶、冴え渡った空気とが、とりわけこの時期にはあらたまった気分を呼び起こします。当館では、この円山応挙の最高傑作を鑑賞することが、新春の日本橋の風物詩となるよう、毎年「雪松図」を中心とした展覧会を定例化しておりますが、今回は第2回目となります」--とあって、あれぇ、去年は見逃していたのだ。今年の会期も、1月31日まで。これは行かねば!

 入館時間が16時30分のところ、16時20分にチケットを買う。「当館17時までですが、よろしいですか」というご案内。そういえば前に来たときも閉館ギリギリで、そう言われたような気がする。でもいいのだ、今日は「雪松図」一点狙いだから。

 一点狙いとはいえ、「三井」に来たのだもの。まずはこれから。

「駿河町越後屋正月風景図」鳥居清長
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そして、目当ての「国宝 雪松図屏風」(右隻)円山応挙
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 展示されている第四展示室に入ろうとする時点で、正面奥から気品溢れる存在感か伝わってくる。例によって、近くで観て、遠くから眺めて、行ったり来たり。右隻は力強い老木、左隻は柔らかい曲線の若木。--凛と立つ松と、光を浴びて輝く雪の結晶、冴え渡った空気--都は、まさにその通りで、枝に積もった雪が落ちる音まで聞こえてきそうだ。どこか優しい印象を受けるのは、光、金泥の使い方?
 
大作の屏風絵のあとは、可愛く、ちょっとユーモラスな作品で心和む。
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 「東都手遊図」源琦
 北三井家六代高祐が、27歳離れた弟の誕生祝いに注文したものだそうだ。

最後の展示室「特集陳列 初公開・松坂三井家新規寄託品展」の中に、酒井抱一の仏画が。
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今年に入って行った『宮廷のみやび』でも『王朝の恋』でも、抱一の屏風を気に入っていたのだけど、この人の仏画は見たことあったかな? もともと「仏画はねえ(あんまり興味がない)」の私だから、「ふーん、こういう観音様を描くんだぁ(やっぱり屏風絵のほうがステキ)」と思って観ていたら、隣にいたおじいさんが「抱一にしては力がない。なんか違う」とつぶやいていた。観る人が観ると、そうなんですね、やっぱり。
 河鍋暁斎の「観音像」のほうが動きがあって、実にカッコイイ。行動派の観音様!

 絵画に集中したら時間に余裕があったので、もう一度 「国宝 雪松図屏風」を観て、帰った。 

 

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王朝の恋 描かれた伊勢物語

 出光美術館『王朝の恋 -描かれた伊勢物語-』を観た(2月17日まで)。

 お正月からバレンタインディの時期にかけての企画が『王朝の恋』とは、考えましたな、出光美術館!

 平安時代の恋愛短編集物語(歌つき)だが、江戸時代に流行して、「伊勢物語」を題材にした絵画も盛んに描かれたのだとか。そのせいか、展示作品のほとんどが江戸時代のもの。俵屋宗達(工房、伝を含む)の「伊勢物語図色紙」をはじめ、琳派の作品が多い。

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俵屋宗達「伊勢物語図色紙 大淀」

 なぜ「伊勢物語」と呼ばれるのか諸説あるようだが、男(在原業平)と伊勢神宮の斎宮(神にお仕えする、未婚の皇女)が恋に堕ちる話があって、そこから「伊勢物語」と呼ばれるという説がある。大淀は、兼平が伊勢から旅立った港の名。
 これは実話なんだそうだ。神に仕える斎宮は、人間の男となんか契ってはいけないので、当時の大スキャンダルだったとか。つまり、インパクトが強い段(話)から書名を付けた? 
 「伊勢物語」は、兼平の話が多く、藤原高子との恋愛(芥川)も伝えられているが、アブナイ恋に燃える人だったんでしょうね。
 
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「兼平東下り図」 鈴木守一 
 高子との駆け落ちに失敗した兼平が、京に居にくくなって旅に出るのが「東下り」。平安時代の人にとっては東に”下った”のでしょうけれど、下らないと富士山は観られないのですよ。江戸時代の江戸っ子の間では富士講も流行って、富士信仰が浸透していたらしいから、この画題は人気があったんだろうなあ。

「東下り」の「八ツ橋」にちなんで、酒井抱一の「八ツ橋図屏風(右隻)」。
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 「伊勢物語絵巻」(鎌倉時代 泉市久保惣記念美術館蔵・重要文化財)は2月5日から17日までの特別展。観たいなあ。また行けるかなぁ。


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好みの座席(クラシックコンサート)

  1月某日。予約していたコンサートのチケットを、引き取りに窓口に行く。待っている間、後ろに並んだ女性に「あ、同じプログラムね」と声をかけられた。ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラの「ブランデンブルグ協奏曲 全曲演奏会」。それから「どこが取れました?」と座席の話など(座席を選べた)。クラシック・ファンは、自分の好きな座席にこだわりがあるようで。

「枠のなか、取れました?」
「枠?」
 彼女の分析だと、○列×番~△列□番(センター付近)は、ホールの会員になっても、このチケットセンターでは取れないのだそうだ。
「ああ、大手のチケットサービスに割り振っているのかもしれませんね」と言うと、残念そうな表情になった。
 ファンにとっては、どのチケットサービスを使うかも、かなり問題。限られたなかでも、席が選べるのはいいことだけど…。

私は、楽器をやっている人のように特別耳がいいわけでもないし、いろんなコンサートに数多く足を運びたいとなると予算との関係もあるし、基本的には壁の側とか最前列じゃなかったら「まあヨシとしましょう」というタイプ。
 それでも、オーケストラだったら、ピアノだったらと楽器や編成にもよるけど、数回通ううちに、ホールによって好きな座席が出来てくる。 オーケストラの定期演奏会の年間指定席のシステムは、ホールを知っている人にとって、その人だけの「特等席」を選んでいるのだと思うとスゴイ。ファンにとっては「そんなの当たり前」なのかもしれないが、自分に好みの座席が出来ると、なるほどなあと思うのだ。
 
 その人とは「ホールでお目にかかりましょう」と言って別れた。当日、ライヴの神様が降りてきますように。

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Leapingbow 2008 Cool Groovin in Aoyama Round Theater

 中西俊博の、エレクトリックバンド、Cool Groovin’。 昨年もこの時期に青山円形劇場で聴いたからこのバンドを聴くのは二回目。
 ”ダンサブルなクラブサウンドからアイリッシュまで”というが、ホントに中西は幅広い活動をしているんだなあと、改めて思う。私にとって、中西は『ア・ラ・カルト』の音楽の人。人気があったので、その前から知ってはいましたが、最初はJAZZの人というイメージだった。それがテレビドラマの音楽も作れば、アイリッシュをはじめとする民族音楽系も、クラブミュージックもぜーんぶ取り込んで、コンピュータも駆使して、もはやジャンルはありませんなぁ。二部の冒頭で、音をつくる様子を見せてくれて、面白かった。コンピュータで編集するんだけれど、取る音は、レンガをすり合わせたり、ワインのコルクをキッチンのボウルの中で回した音だったりと、案外昔なじみのものが多い。

 中西以外は若いアーティストで、ギターの円山天使、フィドルのmaikoをはじめ、メンバーと中西との掛け合いが楽しい。胸を借りて、というより、「オレ(ワタシ)の音を聴いてくれ!」って感じ。去年はフィドル(中西を除く。ヴァイオリンとは言わないのね)が8丁、今年は5丁、でもパワーアップしていたような。ピアノの清水絵理子がすっごくパワフルなので驚いていたら、中西が「女の子だけどピアノの演奏は男」と紹介していた。いやー、この人もっと聴きたい。
 帰宅後、中西のホームページを見たら、中西も、ピアノの清水絵理子も、ウチの近くのライヴハウス(それぞれ違う所だけど)に出る予定があった。気軽に行ってみようかな。

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土門拳写真展 日本のこころ

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 武蔵野市立吉祥寺美術館で、土門拳の写真展をやっている(12月16日~2月11日)。日頃あまり写真展を観ない私でも、土門拳の名前は知っていたので行ってみた。

 私が行ったのは後期になってからで、いわゆる有名文化人を撮った「風貌」、「古寺巡礼」、「筑豊のこどもたち」「こどもたち 傑作選」「傑作選(二)」「女優と文化財」と、テーマが盛りだくさん。前期・後期に分けてもこうなってしまうなら、活動のすべてを一気に紹介するんじゃなくて、テーマをもう少し絞って、また来年は別のテーマの展示を、というわけにはいかなかったのかな?

 心惹かれたのは、「古寺巡礼」の作品群。作品が大きくて、迫ってくる力強さを感じる反面、写真の仏像たちに囲まれて気持ちが落ち着くような。千手観音の手、菩薩の顔…。もう少し空間がゆったりしていたら、自分自身と対峙できたかもしれない。

 チケットに使われているのは「こどもたち」。傑作選の中では「帆かけ舟」。雑誌のグラビアページだったという「女優と文化財」はご愛敬だが、浜美枝の美しさが飛び抜けて今日的であることに、感心する。

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陽明文庫創立70周年記念特別展 宮廷のみやび 近衞家1000年の名宝

 東京国立博物館平成館で『陽明文庫創立70周年記念特別展 宮廷のみやび 近衞家1000年の名宝』を観た。お正月にふさわしく日本の歴史を恭しく拝見。
 書が多いからよけいそういう印象を持つのかもしれないが、豪華絢爛ではなく、あくまで上品に華やいで、という印象で、やっぱり武家じゃなく、お公家さんなのね。
 この展覧会、「見たことがありますか? 道長自筆の日記。」というコピーで宣伝されていて、その国宝「御堂関白記」は順路のかなり早い段階でお目にかかれる。でも、見ても、読めない哀しさよ。解説に従って見て、「そうなんだあ」と思うのが関の山。
国宝 「倭漢抄 下巻」は見ているだけでも美しいが…。
 
 しかし歴史的資料としても有名なものばかり。平安時代の書をこんなによい状態で閲覧できるなんて、なんて素晴らしいんでしょう!と感心しているうちに、以前NHKの『プロフェッショナル』で見た、文化財修理技術者の鈴木裕さんの仕事を思い出した。

数々の表具裂、官服裂も見どころのひとつ。
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官服裂 紺地龍八宝鶴鹿模様 中国・清時代のもの。

 覚えたのは21代当主、家熙の名前。博学だったそうな。書画の才能もあり、多くの作品を残している。10歳のときに描いたという「鍾馗図」がユーモラスで、どんな方だったのだろうと思いを巡らせた。
 
 御所人形や雛道具も愛らしかったが、「四季花鳥図屏風」に惹かれた。
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 四季花鳥図屏風(右) 酒井抱一
  
 2月24日(日)まで。

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東京フィルハーモニー交響楽団 New Year Concert 2008

 2008年の聴き初めは、1月2日の『東京フィルハーモニー交響楽団 New Year Concert 2008--どこかで出会った、あのメロディ--』(オーチャードホール)。
 去年聴いた東フィルのNew Year Concertが心地よかったし、ソリストがバイオリンの古澤巌だったので、今年も楽しみにしていた。指揮は金聖響。この人も若手の人気者ね。

第1部
ワーグナー/歌劇「ローエングリン」“第3幕への前奏曲”
プッチーニ/歌劇「トゥーランドット」“誰も寝てはならぬ”
ウェーバー/舞踏への勧誘
ハチャトゥリアン/組曲「ガイーヌ」“剣の舞”
ファリャ/組曲「恋は魔術師」“火祭りの踊り”
外山雄三/管弦楽のためのラプソディ
       (手まり歌~ソーラン節~炭坑節~串本節~信濃追分~八木節)

 ワーグナーは重いと思いこんで”聴かず嫌い”をしていたけれど、華やかで素敵だった「ローエングリン」の序曲。今年はワーグナーも聴いてみよう。まだまだクラシック初心者なので、アレもコレも聴きたくて大変!

第2部
モンティ/チャルダッシュ
ベートーヴェン/ロマンス
古澤巌(寺田志保編)/愛しみのワルツ
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン
ラヴェル/ボレロ

 古澤巌は第2部の「チャルダッシュ」から「ツィゴイネルワイゼン」まで、期待通りのフィドルを聴かせてくれた。20年前のクラシックコンサートでは、「チャルダシュ」が弾けなかった(演目に出せなかった)と言う話が印象的だった。「C調(=軽薄)な曲という理由で」と言っていたが、格式の高いクラシックに、民族性(ロマ)が強すぎるってことだったんだろう。20年前でもそうだったんだぁと、ちょっと驚く。
   
 ラストは、去年も「ボレロ」だった。「ボレロ」って、なんでこんなに盛り上がるんだろう。

 そしてお年玉プレゼントの、「ラデツキ-行進曲」。抽選に当たった人が、マエストロに助けられながら指揮を振る。

 2年続けて聴いた東フィルのNew Year Concert。華やかで楽しくて、一年のエンタテインメントの幕開けに最適。毎年恒例にしようか、と一緒に行ったKちゃんに提案したら、「ラデツキーの指揮の練習をしておこう!」と張り切っていた。

 

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恐れを知らぬ川上音二郎一座

 年をまたいでしまったが、07年の観納めはシアタークリエのこけら落とし『恐れを知らぬ川上音二郎一座』(作・演出 三谷幸喜 12月27日)。チケットがとりにくい三谷作品で(私は、三谷氏が東京サンシャインボーイズを率いて、下北沢の駅前劇場で演っている頃から見始めたが、人気が出てきたらチケットが取れなくて、見逃した作品数知れず)一年の最後を締めくくれるなんて、なんてラッキーなんでしょ。

 こけら落としにふさわしい題材だ。

 日本で最初にアメリカ巡業をした劇団、川上音二郎一座の物語。アメリカに来たはいいが、悪徳マネージャーに資金を奪われ、やっとの思いでついたボストンで一日だけ貸してくれる劇場が見つかった。その、ボストンが舞台。あまりにヒドイ巡業だと役者達がストライキを起こす中、座長の川上音二郎は、翻案『ベニスの商人』を上演することを思いつく。さてこの興行、うまくいきますかどうかは、芝居を観てのお楽しみ…。

 川上音二郎にユースケ・サンタマリア、妻で日本最初の女優と言われる貞に常磐貴子。シアタークリエは商業演劇を打つ小屋で、三谷は初・商業演劇なのだそうだ。主役の二人の起用はネームバリューがあるってことなんだろう。本は宛書きなので、ユースケの熱いイメージ(人のいいところが前面に出てきてしまい、やや強引さに欠けるが)、常磐の優しくおっとりしたイメージ(なにより美しいし!)が活かされている。 
ただ、芝居の冒頭、弁士の堺正章が「ユースケはようやく昨日台詞を覚えました」と言っていたのは、あながち冗談ではないだろう。ユースケは初舞台、常磐も舞台経験が少ないという。上手い下手は置いておいて、二人とも映像の人なのだ。自分にスポットが当たっていないときに、芝居をしていない。流儀というか、身体性が違うから、役者も大変だ。

 主役の二人が不慣れな分、他の役を芝居巧者でガッチリ固めた。戸田恵子、堺雅人、浅野和之、今井朋彦、堀内敬子、阿南健治、小林隆、瀬戸カトリーヌ、新納慎也、小原雅人と嬉しい名前が並ぶ。「おお!」と唸る俳優ばかりだ。堺正章は言うまでもなく器用な大物だし、ミュージカル俳優の新納慎也も三谷作品に馴染んでいる。
 戸田恵子、堺雅人が物語をしっかり運んで、他の役者が個人技を存分に披露している。中でも素晴らしかったのは、女形の蔵人を演じた浅野和之。芸が細かい! 大道具の熊吉役の阿南健治も飛んだり跳ねたりの大活躍。そして、津軽弁を披露した堀内敬子! 金太郎姿も可愛らしい。
 
 お腹を抱えて笑ったのだから、それで満足すればいいのだが、やはり気になるのは「商業演劇」という括り。三谷作品の場合、いままでのPARCO劇場やセゾン劇場でのプロデュース公演とどこが違うんだろう? 三谷の作品というだけでチケット完売間違いなしだろうに、ねぇ? ましてや舞台好きにはたまらない、映像でも人気がある役者が揃っているのに、なぜ? 

 

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松田理奈&松本和将 デュオ・リサイタル

 トッパンホールは都心にあるわりには駅から遠くて(ホントはそんなに遠くないのだろうが、繁華街じゃないから遠く感じる)敬遠しがちなのだが、松本クンを聴きたくて『松田理奈&松本和将 デュオ・リサイタル』に行く。なにせ、11月のサロンコンサートを逃しているから。思えば、去年のクリスマス時期に、東京文化会館小ホールでのソロリサイタルを聴いてファンになった。まだ1年、松本ファン初心者であるが、今回はクラシック好きの先輩と一緒。「松本和将、素晴らしいです!」と誘った。

 曲目は、

ドヴォルジャーク:4つのロマンティックな小品より 第1曲
パラディス/ドゥシュキン:シチリアーノ
シューベルト:即興曲 Op.90-2 変ホ長調/即興曲 Op.90-4 変イ長調(ピアノ・ソロ)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

グリーグ:叙情小曲集より(ピアノ・ソロ)
 アリエッタ Op.12‐1 / アルバムのページ Op.12‐7
 郷愁 Op.57‐6 / 家路 Op.62‐6 / 春に寄す Op.43‐6
 トロルドハウゲンの婚礼の日 Op.65‐6
サラサーテ:カルメン幻想曲 Op.25

アンコール
カッチーニ:アヴェ・マリア
マスネ:タイスの瞑想曲

 趙静(チェロ)とのデュオのときは、二人とも丁々発止、情熱的なデュオだったけれど、松田理奈はまだ初々しく、松本クンが気遣って見守っている感じ。でも、頑張りました。ラストのカルメン幻想曲の途中から、松田さんは感極まった様子。せっかく赤い綺麗なドレスを着ているのにスカートをぎゅっと握って、話をするのも愛らしかった。若い才能の成長に立ち会えた、ライヴならではの幸福感を味わう。

 松本クンのソロは、優しく柔らかくて、パワフルな演奏。柔らかな印象と、パワフルな印象が並び立つのはどうしてだろう。シューベルトの即興曲をもう一度聴きたい。
 一緒に行った先輩も、「素晴らしいわねえ」と満足していた。誘ったかいがあるというものだ。またお誘いしますね!

 今年のクラシックライヴは、これで聴き納め。

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ムンク展

 西洋美術館で行われている『ムンク展』に行ってきた。私の周りは、『フィラデルフィア美術館展』や「牛乳を注ぐ女」は観たけど、「ムンク展はいいや」という人が多い。実は私も、ムンクといえば「叫び」と「不安」という先入観があったのだが、リニューアルした出光美術館で、ルオーとムンクの併設展示コーナーを観たとき以来、「そういえばムンクをちゃんと観たことないなあ」と思っていたのだった。

 「ちゃんと」というのは、その人の作品を数多くとか、体系だって、という意味なのだが、1993年に「ムンク展」を開催した縁でオスロ市立ムンク美術館から年に3枚借り受けているそうなのだけれど、日本美術に強い出光美術館でムンクっていうのも、私にとっては意外だったので、その時のインパクトが強かったのかもしれない。自画像もいいなと思った。

 なので、その後、こんなに早く「ちゃんと」観る機会があるなら、「行かねば!」なのだった。
  
 西洋美術館の解説によると、--(ムンクは)最も中心的な諸作品に〈生命のフリーズ〉という名をつけました。それは、個々の作品をひとつずつ独立した作品として鑑賞するのではなく、全体としてひとつの作品として見る必要があると考えたからでした。しかし、彼が〈生命のフリーズ〉という壮大なプロジェクトによって達成しようとしていたことは、「愛」「死」「不安」といった主題からの切り口だけでは捉えきれないものです。--
 そして--ムンクの作品における「装飾」という問題に光を当てる世界でも初めての試み--だそうだ。

 一連の作品群として観ると見方も変わってくる…、というほどには至らなかった。やっぱりどこか「不安」(「叫び」は今回出展されていない)なのである。
 こども部屋の装飾に男女の姿を描いて、注文主からキャンセルされたというエピソードは面白いが…。

 イメージはなかなか覆らないなあと思いながら展示室を歩いていたのだが、最後の<労働者フリーズ>「オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト」に、おぉ! 画像がアップできなくて残念だが、逞しく生きる姿が描かれていた。「そうそう、人生『不安』だけではないのだ」と(的外れな解釈かもしれないが)、一人納得したのである。


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モーツァルト!

 ミュージカル『モーツァルト!』を観た。モーツァルト役はダブルキャストだが、中川晃教のファンの私は、迷わずアッキーの日に行く。

 一昨年の『モーツァルト!』よりも、こなれているというか、より感情豊なモーツァルトになっていた。一部の若い頃は元気で時として不作法にも見えるが、自分の才能を信じて恐れを知らないヴォルフガング。二部になると、権力に抗い新しい音楽を創る半面、世間の荒波に揉まれ、自分の影(アマデ)に怯えていく。とくにこの後半が深みを増した。アッキーといえば歌い上げる美声に圧倒されるのだが、今年は歌い上げるだけでなく、声の強弱の付け方がとても上手くなった。歌うようにしゃべり、しゃべるように歌いはじめて、観客を引き込む。「僕こそ音楽」「残酷な人生」「影を逃れて」に、酔いしれる。そしてコンスタンツェとの絡みも成長したところ。

 コンスタンツェは一昨年の東京公演は西田ひかると木村佳乃で、二人ともどこか凛としたところのある女優さんだった。今回のhiroは、怠惰で蓮っ葉な半面、一途な感じも出ていて、本来この役はそうなんだろうと思わせる。これで歌が上手かったらいいのだが、hiroの声では、このミュージカルの歌は荷が重そうだ。
 東宝は、舞台の歌がしっかり歌える人材を、きちんと育てたほうがいいのではないか?

 涼風真世の男爵夫人は、包み込むような母性があり、「星から降る金」は聴かせる。シカネーダーの吉野圭吾は相変わらず身のこなしが華麗。大司教の山口祐一郎は馬車の場面の悪ふざけは似合わない。ほどほどにしておいたほうが、大司教の権威が保たれるのでは? 父親役の市村正親、姉のナンネール役の高橋由美子は安定している。

 当日券で入った某日昼の回に、高校生の演劇鑑賞会と一緒になった。始まる前はお喋りが煩かったので、どうなることかと思ったが、幕が開くと私語は慎み、拍手も大きくて楽しんでいる様子。終わったときには「上手いねえ」「面白かったねえ」「30分ぐらいしか経ってないみたい。夢中で観ちゃった」と口々に話していた。「ほらね、アッキーはいいでしょう?」と話しかけたくなったが、 そうか、『モーツァルト!』は、父親や世間(大司教)を超えようと葛藤したり、自分の分身と対峙する成長物語だから、高校生の共感を呼ぶのだろう。

 再演を重ねた『モーツァルト!』には、主役の若い二人がミュージカルスターとして育っていくのを観る楽しみもある。ヴォルフガングとして成長していた中川晃教。となると、「私はアッキー派!」などといっても、井上芳雄のヴォルフガングを観てみたくなった。

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ア・ラ・カルト 役者と音楽家のいるレストラン

 今年も『ア・ラ・カルト』の季節がやって来た(演出 吉澤耕一/構成 白井晃/台本 高泉淳子/音楽監督 中西俊博/於 青山円形劇場)。19年前、この『ア・ラ・カルト』がはじまったときに、「日本で一番オシャレで素敵なクリスマスシーズンのお芝居だ」と思った。19年の間には若干のスタイル変更があり、パワーアップしながら、日本で一番オシャレで素敵なクリスマスシーズンのお芝居であり続けている。 

 青山の路地にあるらしい小さなレストラン。オーナー役白井晃の、早口な口上で幕が開く。この決まり文句の挨拶を聞くと、ワクワクするのだ。
 タカハシくんとノリコさんコメディは、その年の話題を織り込みながら。恋人未満のカップルの話は、その年のビジターが、高泉演じるキャリアウーマンの相手になる。今年のビジターは筒井道隆で、以前に白井や高泉、陰山泰とも共演している。いや、この芝居(「料理と恋はまず初めて見なけりゃわからない」)の筒井は、ほのぼのとしていたんだけれど…。
 なんてったって「Show Time」での筒井が傑作。いや、傑作なのは、白井のペギーさんであり、陰山のアントニオであり、高泉率いるジャクソンズなのだが、筒井一人素のままってところがなんともおかしい。筒井だって、フラワーボーイズやジャクソンズのメンバーとして扮装はしているんだが、強烈なキャラクターの中に入って、観客が想像する「筒井クン」のまま、照れながら頑張っている。二部冒頭の「マダムとクリスマス」でも(このコーナーはビジター紹介なのだが)、高泉のマダムに突っ込まれるたびに助け船を求めるように白井のほうを見るし、最後のハンドベルも緊張している様子。素直というのか無器用というのか、これがキャラクターだったら「恐るべし!」なのだけれど、このズレがおかしくて、でもどこか爽やかだし、照れてる様子が可愛いしで、大爆笑。今年のビジタ-が筒井道隆だと聞いたとき、正直言って、器用な人でもないし、歌や楽器をしているとも聞いたことがなかったから、大丈夫なのかと心配したけれど、いやー、白井たちの狙い通りだったんでしょうね。

 遊◎機械/全自動シアターの頃から、白井、高泉はもちろん陰山、そして演出の吉澤もそうなのだろう、この人達はキワドイことをやっても、決して下品にも嫌味にもならない。親しみやすさと上品さをほどよく持っているところが、ミソ。
 「カエルの王子はアイゼンヒッティル王がお好き」は、高泉が出た『テンゲルグリム』繋がりだろう。そして「ラストダンス」、この老夫婦の物語は毎年観ているのに、涙を誘う。そして陰山演じるギャルソンが煙草をくゆらすシーン。絶品だ。
 
 今年の『ア・ラ・カルト』を観た後に、『高泉淳子 仕事録』(河出書房新社)を読んだ。「ラストダンス」の構想が固まったことで『ア・ラ・カルト』という作品がまとまり、出来たという。ああ、やっぱりそうなのか。これがあることで、作品として安定しているし、なにより人生の賛歌になっている。
 今年一年いろいろあったけれど、お腹の底から笑って、ほろっと泣いて、来年もいい年になりますように、と劇場をあとにするのだ。抜けてしまった年もあるが、こんなに長く見続けていると、自分の人生と重ねあわせてしまう。
 
 --『ア・ラ・カルト』も一九年目を迎えます。今は、この作業がなによりも楽しい。本を書いているときも、ステージに上がっているときも、至福の時です。この作品には私の好きなものがすべて入っている。(中略)三年続くことが夢だったのに、なんと、一九年。何年続くかわからないけれど、形を変えても、『ア・ラ・カルト』はやっていきたいですね--(『高泉淳子 仕事録』より)。嬉しい。


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欲望という名の電車

 東京グローブ座で観た『欲望という名の電車』は、改めて、こういう物語だったのか、と唸った(作 テネシー・ウィリアムズ/翻訳 小田島恒志/演出 鈴木勝秀 )。

 元教師のブランチ(篠井英介)は、妹のステラ(小島聖)を頼って、ニューオリンズのフレンチクォーターへやってくる。姉妹は、南部の大農園ベル・リーブで育った上流階級の出身。だが、ステラは家を飛び出し、一緒になったスタンリー(北村有起哉)はポーランド系の粗野な男。大農園を手放し、落ちぶれてアルコール漬けにも拘わらず、上品ぶっているステラの態度が、スタンリーは我慢できない。そんな中で、スタンリーの友人ミッチ(伊達暁)は、ブランチに好意を寄せ、ブランチもまたミッチの愛情に応えようとするが…。
というストーリー。

 ブランチの物語かと思っていたが、今回の舞台はちょっと違う。まず、フレンチクォーターの人々の貧しいけれど本音で生きている姿が、よく描けている。そこに女形の、つまり様式美の篠井英介が入ることで、ブランチがよそ者であることが際立ち、決定的に生活能力がないことがわかる。
 ミッチはかなりカッコイイ、男らしい男だが、彼は母の介護を負っている。大家夫婦も生活が垣間見える。小島のステラは明るく、辛抱強さも身につけた女性。
 そして、なによりスタンリーだ。粗野で下品な男として描かれるのが定番だったが、北村のスタンリーは、自分の生活を守ろうと必死だ。上流階級の出身にも拘わらず、惚れて自分についてきてくれた可愛いステラ。地主のお嬢さんだったとは聞いてはいたが、姉の出現によって、それが本当のことだとわかる。上品ぶっている姉の影響で、「ステラもこの貧乏暮らしに嫌気がさすんじゃないか、自分から離れてしまうのではないか」という不安を、北村から感じるのだ。面と向かって自分をバカにするのも腹立たしいが、家庭を壊されてはたまらない。だからこそ、ブランチの仮面を剥ごうとするのだろう。
 腕っ節が強い大男ではない、北村のスタンリーに拍手! スタンリーやステラの思いも、実によく表れていた芝居だった。

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フィラデルフィア美術館展 印象派と20世紀の美術

 東京都美術館で開催されている『フィラデルフィア美術館展 印象派と20世紀の美術』を観た。

 印象派以降、でも現代美術の「これ、なあに?」的な不可解さはなく、わかりやすく、馴染みやすい美術展。

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印象派と言えば、ピエール=オーギュスト・ルノワール。「ルグラン嬢の肖像」は可愛いし、「大きな浴女」もルノワールらしいと思うけれど、私は「アリーヌ・ジャルコの肖像 (ルノワール夫人)」が好き。優しく穏やかな愛情を感じるのだ。

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 キュビズムの中では、やっぱりピカソ。「三人の音楽師」。

 『モリゾ展』を観た後だったので、アメリカの女流画家、メアリー・カサットやジョージア・オーキフの作品にも惹かれたけれど。

 『フィラデルフィア美術館展』に行った知り合いが、「都美術館ってあんなに狭かったっけ?」と言う。今回は彫刻も出品されていたし、ちょうど日本人のツボにはまる「印象派以降」だから混んでいるしね。新しい六本木の美術館と比べたら上野は狭いけれど、都美術館は人を呼べる、企画力がある美術館だと思う(12月24日まで)。


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MOTION DISPLAY &. PEDAL CAR 展

 東京駅から皇居に向かって、「行幸通り」という道がある。この道の地下の、通路の両脇にウインドウがあって「行幸地下ギャラリー」となっている。
 新丸ビルに向かって歩いていたら、こんなイベントが!

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『T.KITAHARA COLLECTION in Marunouchi MOTION DISPLAY &. PEDAL CAR 展~ウインドーを飾った夢のディスプレイ、子供達だけの憧れの乗り物~』..
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 ”子供達だけの憧れの乗り物”は、ゴーカートみたいに乗れる玩具のクルマなのだが、それよりなにより、カラクリ好きの私は、モーションディスプレイに釘付けになった。


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お馴染みのアリスとか、

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ダイヤモンドを精製している技師たち。

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こちらはダイヤモンドの鑑定士たち。
動くと、より可愛い。

こんなところで北原コレクションに会えるとは。事前に知らなかっただけに、うれしいサプライズ。贈り物をもらった気分になった。クリスマスの時期にぴったりでした(1月14日まで)。

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開館記念特別展 鳥獣戯画がやってきた!―国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌

 
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 サントリー美術館の「開館記念特別展 鳥獣戯画がやってきた!―国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌」に、行ってきた。
 
 東京ミッドタウン1Fの床に貼られていた、「鳥獣戯画がやってきた!」への道案内。

 はじめて知ったのだが、高山寺所蔵の「鳥獣戯画」は、現在甲巻・乙巻・丙巻・丁巻の四巻があるそうだ。
といっても、制作年代も画風もそれぞれ違って、お馴染みの、ウサギやカエルやキツネが出てくる甲巻が、いわば”元祖”らしい。時代を経て4巻の編成になったそうだ。この展覧会では、甲、乙、丙、丁、すべてを展示してある。 
 

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 また、「鳥獣戯画」の 模本も展示されていてオリジナルと比べたり、オリジナルが後世に切り貼りされ、編集されている箇所の指摘などもあったり、鳥獣戯画の系譜として「放屁合戦絵巻」や「鼠草子絵巻」が展示されている。


 でも、なんといっても甲巻が抜きん出てい