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武蔵野市民文化会館改修案について(パブリックコメント)

2014.07.21提出

■武蔵野市民文化会館改修案について(パブリックコメント)

  武蔵野市でも税収が減ると見込まれている中で、公共施設の大規模な整備については、運営(経営)の適正、継続性を検討した上で、同様の機能をもつ施設の全市的な配置とその効果を考慮しながら、整備方法を選択すべきだ。
 武蔵野市民文化会館の大規模改修は、あと30年使用するためだそうだが、それは運営団体に、市がこれからの30年間にどれだけの委託料(補助金)を出し続けられるのか、ということでもある。つまり改修費45億円の他に30年分の維持費と委託費が税金から投入され続けることが、前提である。
 運営団体である武蔵野文化事業団(将来は統合も検討されているそうだが)は『武蔵野市財政援助出資団体在り方検討委員会報告書』で、「収入の約8割が指定管理委託料であり市への財政的依存度が高い状況にある」「市への財政的依存度が高い中で赤字経営となっていることから、事業費、管理費の抑制や受益者負担額の見直し等に務め、経営の健全化を進める必要がある。」と指摘されている。このような運営状態の事業を行う中核施設に、今後の事業内容や管理体制を具体的に検討しないまま45億円の大改修を行うことは、反対である。

 ここ何年か足が遠のいてしまったが、私は「アルテ友の会」会員だった時期がある。利用しやすい文化ホールが身近な地域(私の場合は徒歩圏内)にあるのは、嬉しいことだ。クラシックの演奏会のチケットは相場が高いから、利用者としては安く入手できることはありがたい。だが、ほどほどの金額というのもある。今、市民文化会館のチケットは、利用率が高い小ホールで1000円代のものも多く、相場よりかなり安い印象があり、一公演あたりどの程度金額が補填されているのか、逆に捉えれば、「安くなければチケットは売れないのか」と心配になる。
 当該団体が指定管理委託者になっている施設の利用は、市民より近隣市民の利用割合が高いそうだが(『武蔵野市財政援助出資団体在り方検討委員会報告書』)、 受益者が市民ではない場合に、チケットを安価に設定することの副次的な効果は何か。通常、文化ホールは市民の芸術活動を支えたり鑑賞の拠点になるだけでなく、経済活動を活発にする、まちづくりの資源としての役割も担っているはずだが、市民文化会館の付近には終演後に飲食を楽しめる店が少なく経済効果は薄いのではないか。
 近隣市民の利用が多く、かつリピーターが多い中で、どれだけの武蔵野市民が安価なチケットを利用しているのだろう。本来の目的を逸脱している要因はどこにあるのか。外国のアーティスト中心の公演内容は適切なのか。チケットの適性価格はいくらか。そもそも税収が減ると予想される中、今後市への財政依存はどの程度許容されるのか。さらに言えば、武蔵野市の文化施策とは何か。疑問が多い。
 今回の『改修案』には、「多くの市民に利用され、親しまれてきました」「(施設が)適切に維持管理されています」という記述がなされている一方、在り方検討委員会に指摘されているような、赤字経営体質や本来の目的から逸れてきている課題には言及していない。これでは暗に市民の意見を賛成に誘導しているようなものだ。市民にも改めて明らかにし、そこから議論するべきだ。議会や市民に問う起点が違う。

 さらに、文化施策の中核施設であっても、同じ機能の施設が市内にある、または計画されているなら、機能を振り分け再編することも視野に入れるべきである。
 武蔵野公会堂の建替予定との兼ね合いは検討したのだろうか。公会堂の立地は吉祥寺駅南口の整備も進み、利便性が高い。市民の文化振興はもちろんのこと、広く市外にもアピールすることで、すでにブランド化されている吉祥寺のイメージとともに文化都市としてのイメージ戦略もたてられるだろうし、経済効果も見込めるのではないか。主な催事が「講演会など」ではもったいない。文化施策の中核施設の役割を公会堂に移し、本格的なコンサートができる機能を設けて多少は収益があがるようにすれば、市への財政的依存度を低くすることができるのではないか。
 一方、現在の市民文化会館の場所は、市民が集う機能を組み入れながら、賃貸住宅を併設して24時間地域包括システムの拠点となるような複合施設に建て替えたほうが、施設の長期利用にこだわるよりも堅実に思える。中央地区は行政機関が集まる良質な住宅地であり、この適性を活かすべきだ。今後30年を考えると優先順位の高い施設だと思うが、いかがだろうか。
 仮に既存の市民文化会館アルテという施設がなくなったとしても、中央地区には「芸術劇場」と「かたらいの道スペース」があり、三層構造の「駅勢圏レベル」「コミュニティレベル」も満たされるはずだ。吉祥寺地区にやや比重がかかるが、文化芸術は観光資源としての側面があるので商業地の集客に活用したい。
 
 上記は再編の一案にすぎず、なにがなんでも福祉の複合施設を建設しろと言っているわけではない。もちろん今後30年の武蔵野市にとって何が重要施策かという検討は必要だが、文化施策を特に軽んじているわけではない。
 施設の大規模な整備が必要になった場合、現在の事業の適性と今後の継続性を十分に検討して、さらに市全域レベルでの施設の再編を視野に入れながら運営を見直し、当該施設の大規模整備を決定する。その結果既存施設を利用しなくなった場合は、将来に亘って必要とされる施策に利用することを検討すべきだ、ということである。
 残念ながら、今回の『改修案』は、その検討過程と結論が記載されておらず、「大規模改修ありき」のように見えるが、このような工程を経なければ、今後の他の公共施設の設置、再編も有意義なものにはならないだろう。
 すでに検討済ならその内容を『改修案』と同様に武蔵野市のサイト上でも公開し、改めて市民に改修の是非を問い、もしまだならこの機会に十分に検討していただきたい。 

映画『風立ちぬ』

 観てから少し時間が経ってしまったが、映画『風立ちぬ』。

 宮崎駿監督引退宣言も受けて、いろいろ話題になったが、私は好かった。
 声高に反戦を唱えてはいないが、だからこそ徐々に時代に飲み込まれていく人たちと、技術者の性(サガ)を考えさせられた。以下、一部に焦点をあてた感想(ネタバレあり)。

 印象に残ったのは、サナトリウム。
 主人公、堀越二郎の恋人 菜穗子は、結核を治したい一心で山の病院にいくが、そこは治療のための病院ではなかった。菜穗子の父親はそれを知っていて、入院を勧めず自宅療養させていたのだろうし、二郎もまたそれを知っているからこそ病院を抜けてきた菜穗子を手許に置いたのだ。
 医学生だから医学を信じたい二郎の妹、加代は、兄に説教するが、彼女もまた兄と菜穗子の気持ちは痛いほどわかる。離れに住まわせる黒川夫妻もわかっていた。

 治らない病気、とわかったときに、人はどう生きるか。周りはどう支援するのか。
 不幸な時代に、重い病気を抱えて生きるとは、どういうことか。

 それから、煙草。
 喫煙シーンが多いとか、結核の妻が寝ている横で煙草を吸うとは、と言った批判があるようだ。日本喫煙学会からもクレームがきたとか。まあ学会としては指摘したいんだろうと思う。その批判を知ってから映画を観たからだろうか、煙草のシーンが気になった。本筋はそこではないのだが。  

 私は煙草を吸わないし、煙草の煙は嫌いだが、喫煙シーンへの批判に違和感を覚える。

 20代の友人と話したときに、煙草に対する認識が違ったことを思い出した。彼らは、喫茶店に入ればテーブルの上に当然のように灰皿が置いてある風景を知らない。職場でも、上司の灰皿の始末が女性社員の仕事の一つだった。

 もちろん、随分長いこと、煙草の害については言われてきているが、昭和40年、50年代ぐらいまでは、成人男性のほとんどは煙草を大人の嗜みのように吸っていたのではないか? たぶん、昭和初期も煙草を吸うことは男の嗜みだったのではないだろうか。( と思って後で調べてみたら、やはりそうだった。JT全国喫煙者率調査」。男性の7、8割が喫煙者だ。)

 元号が変わる頃から徐々に分煙、禁煙の動きが出てきたが、実際に社会が喫煙に厳しくなったのはこの10年ぐらいで、平成14年(2002年)に、日本で初めて千代田区が路上喫煙禁止条例を制定している。その後、これに倣う自治体が多く出たが、この時期多機能トイレ(だれでもトイレ)には「禁煙」の張り紙が増えた。外で吸えないから、トイレで隠れて吸うのだ。誰にも見つからずに済む多機能トイレは格好の場所だっただろう。多機能トイレでは、本来必要なユーザーが使えない、待ち時間が長い、吸い殻が汚いなどの問題が起きていた。

  路上喫煙禁止条例は喫煙マナーについてのルールで、健康に関する事柄は、平成15年(2003年)にWHOが「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」を採択し、翌年日本も署名、条約は2007年に発効している。

 
 話がそれたが、喫煙の習慣が社会的に当たり前のようにあったのだ。実在の堀越二郎は煙草を吸わない人だったそうだが、時代を表現する上で、喫煙者にしたのではないか。 
 

 地域包括ケアに関わる看護師と、こんな話をしたことがある。介助が必要な障害者が煙草を吸いたいといったらどうするか?
 その看護師はケアの観点から吸わせないと。私は、本人が煙草の害について承知なら判断は本人に任せるべき。看護師の顔がこわばった。
 その人にとっては数少ない楽しみの一つであり、リラックス方法なのだ。煙草を吸うことによって喘息の発作とか、なにかの症状がすぐ誘発されるのではないなら、喫煙のプラス面も考慮されるべきなのではないか? だって彼は判断能力がある大人なのだから。
 実際、知り合いに、美味しそうに煙草を吸う車いすユーザーがいる。チェーンスモーカーではない。ときどきほしくなるという。煙草を吸うことでリラックスできるのなら、それでいいではないか。

  健康志向を否定しているわけではない。できれば煙草は吸わないほうがいいと思う。
 だが、融通が効かない健康志向は、人に幸せをもたらさない。

 二郎が煙草を吸いたいからと、菜穗子の手を離そうとするシーン。菜穗子は横で吸っていいから手を離さないで、という。今の幸福感を手放したくないのだ。死期が近いのだから、それもいいではないか。

 
 今もまた窮屈な時代なのだと思う。生きづらさを抱えた人にはなおさら。

 それから。二郎の声の庵野秀明が話題になっていたが、上司の黒川を演じた西村雅彦声のが声がよかった。直属の上司で最大の理解者が、声も含めて、あのキャラクターで描かれていて、ほっとできたというべきか。

本屋図鑑(夏葉社)

 地域の施設で、高齢者向けの文章教室の講師をしています。
ミニディサービスと呼ばれる講座の一つです。

 課題を宿題にして、次回作品(エッセイ)を提出してもらいます。それを添削したものを、その次の回に返却。ご本人が読み上げながら、講評や感想を話し合います。隔週の講座なので課題を出してから講評まで約1か月かかります。
 
 その講座で、必ず一編(一冊)、エッセイを紹介しています。プロのさまざまな文章に触れる機会を多くして参考にしてもらうため、という理由の他に、受講者さんたちが自分からはあまり手に取らないだろう作品を選んで、おもしろがってもらう意図があります。そして、作品を書いて来なかった人にも発言のチャンスがあり、積極的に講座に参加できるように。

 さて、本日(2013年9月3日)に紹介した本は、『本屋図鑑』(本屋図鑑編集部 夏葉社)夏葉社代表 島田純一郎著「本屋のこれから 本屋と旅する男 『本屋図鑑』裏話-8-[最終回]」(PRESIDENT Online スペシャル )でした。

 
 文章教室の受講者さんたちは、本が好きです。『本屋図鑑』には、地元の本屋ブックスルーエと、受講者のA氏が大好きな丸善も紹介されていました。こんなに本が好きな、本屋が好きな青年がいることに感心し、話が弾みました。

 

軽井沢からの手紙

  軽井沢のホテルから、こんな手紙が届いた。    


 Karuizawa

  私は、3月11日以前の計画通りに行くよ。

  東日本大震災で、被災された方々は過酷な生活をしいられている。原発の問題もある。
 そして、日本中が大変なことになっている。

  今日、被災地に送る支援物資をひと箱詰めた。

追悼の呼びかけ

  東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
   ―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
                          最初の呼びかけ人・内山 節


   日時  2011年(平成23年)4月24日日曜日
 
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。また
12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。

方法  ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、・・・・方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。
国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。


 東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。
 その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。
 古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。
 この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
 この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
 亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。ここからはじめませんか。

(内山先生は哲学者で、私は大学院で教えていただいています)

“これも自分と認めざるを得ない”展

 猛暑真っ最中の頃、21_21 DESIGN SIGHTで行われている「佐藤雅彦ディレクション“これも自分と認めざるを得ない”展」を観た(11月3日まで)。 電通にいらしたころから佐藤雅彦さんファンで、勝手に佐藤先生と呼ばせてもらっている。好きな番組はNHK教育テレビの「ピタゴラスイッチ」と答える。

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吉祥寺 秋祭り 2010 2日目

  秋祭り二日目。図書館に行くとき、東急百貨店の大正通側でちょうど御輿の出発に出会った。せっかくだから、ついていくことにした。

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 賑やかなものについていきたくなる。小さい頃、ちんどん屋さんが好きでねえ。小学校に上がるころには見かけることもなくなったのだけれど、思えばあの幼児期のちんどん屋好きが、私の歌舞音曲好きの原点なのかもしれない。お祭りっていろんなことを思い出すなあ。

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<五日市通り親交会 八枝神社神輿>八枝神社は五日市街道沿いにある小さなお宮。
あっ、コンビニのおじさん発見! 担ぎ手さんたちとすれちがうと、汗とシップの匂いがする。

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 今日も駅前の平和通りで、各町会御輿のお披露目が行われた。これは大正祭礼委員会の御輿。町会ごとに、担ぎ方もかけ声も違うようだが、見ている私は縦揺れだけでバリエーションはない。

叔母との旅

 シス・カンパニー『叔母との旅』を観た(原作 グレアム・グリーン/劇化 ジャイルズ・ハヴァガル/翻訳 小田島恒志/演出 松村 武/於 青山円形劇場)。

 グレアム・グリーンといえば『第三の男』の作者で、『ハバナの男』をワクワクして読んだのを思い出す。そこまでは思い出すんだけれど、細部の記憶は怪しい。でも『叔母との旅』と聞いて、なんだか懐かしい気持ちになった。それに出演者が、段田安則、浅野和之、高橋克実と、芝居巧者が揃っていて、もうこれは行くしかないでしょう。若い鈴木浩介が、この三人にどう絡んでいくのかも興味があった。友達に言わせると「全員地味」なんだが、それはテレビしか観ない人の意見だ。

 銀行を早期退職したヘンリーは平凡な生活を送っていたが、母の葬儀で、50数年ぶりに叔母のオーガスタと会う。独身でまじめなヘンリーだが、叔母は自由奔放に生きてきたらしい。そんな叔母に誘われて、ロンドン、ブライトン、パリ、イタリア、イスタンブール。一度はロンドンに戻るものの、また叔母に呼ばれてアルゼンチンからパラグアイへと旅をする。ユーモアと皮肉、人間洞察も深い。
 
 円形劇場をそのまま円形に使って装置もほとんどないのに、空間も人物もめまぐるしく変わる。出演者は男優だけだが、老若男女様々な役を持ち回りで演じる。役者達はスーツ姿で、一部と二部にシャツが変わるものの、役柄による衣装替えはない。さぞ難しいだろうと思うが、うまいんだ、これが。
 とくに主人公のヘンリーは4人が入れ替わり立ち替わり演じるのだが、台詞のタイミングはもちろん、入れ替わるところの体の動きが美しい。ダンサーで振り付け師の小野寺修二に動きをつけてもらったのだそうだ。

 見応えのある舞台だった。最近は、年間ベストテンを考えるほど本数を観ていないが、今年のベストワンかもしれない。役者ってすごいなと思わせてくれた舞台だ。
ちなみに、パンフレットに94年に「演劇集団 円」が上演したとある。細部は思い出せないが、そうか観ている。だから懐かしかったのだと納得。

 帰り道、一緒に観た友人が「平凡な生活から違う人生に飛び込めたヘンリーがうらやましい」と言っていた。いやいや、幾つになっても人生はわからないよ。予想がつかない展開が待っているかも。

吉祥寺 秋祭り 2010

 今年の吉祥寺秋祭りは9月11、12日。やっと少し涼しくなったと思いきや、今日は真夏の暑さだった。

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 武蔵野八幡神輿を中心に、各商店会の御輿が十基、吉祥寺の街を練り歩く。
 今日は駅前で木遣りを聴いたり、御輿の競い合いを観たり。担ぐわけでもないのに、あのかけ声を聞くと自然に体が縦に揺れる。
 沿道を歩いていたら、いつも健康診断をしてもらうドクターを見かけた。法被を羽織っていたから関係者ですね。先生、お祭り好きなんですか? それとも救急隊として控えているのかな? 次にクリニックに行ったときに聞いてみようかと思うが、日常的に通っているわけじゃないので忘れちゃうな。見物客の中にも何人か知っている顔を見つけた。やっぱり地元。沿道は、押すな押すなの賑わいだ。

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 順序が逆になったけれど、八幡様にもお詣りをした。今日の主役ですから、御輿見物だけでは失礼というもの。
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 この1年の間に吉祥寺の街は随分変わった。これから来る大手企業も”地元意識”を大事にしてね、どうぞよろしく、と思う今年の秋祭り。頑張れ、吉祥寺!

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