文化・芸術

メルシャン軽井沢美術館

 大賀ホールで楽しいコンサートを聴いたあと、軽井沢に1泊。翌日は美術館巡り。「セゾン現代美術館」でマン・レイを観たあと、しなの鉄道の御代田へ出て、「メルシャン美術館」へ。

 開催中の美術展は『モリスの夢見た日々』。ウィリアム・モリスが手掛けたステンドグラス、テキスタイル、壁紙、家具の展示。室内装飾といえばいいのかな。モリスは、生活に根ざした装飾品が工業生産されるようになった初期の頃の人で、近代デザインの父と呼ばれている。ほぼ同時代のせいか(国は違うけど)、先日観たガレを思い出した。
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 ステンドグラスはバックライトフィルム(って仕組みはよくわからないのだけれど)で再現されたものだそうだ。天井の高い美術館で、テキスタイルや壁紙を気持ちよく観られる。ここはもともとウイスキーの蒸留所で、美術館もウイスキーの樽貯蔵庫を改修して造られたのだとか。

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敷地内にある、ウイスキーの蒸留所を見学した(無料)。貯蔵庫の壁に絡まる蔦が、夏は生い茂り日光を遮り、冬は葉が落ち、温度管理になるという。いまは、若葉が出てきたところ。
世界一小さい蒸留所ながら、国際コンペで賞をとっているのだそうだ。
試飲したモルトウイスキー「軽井沢17年」、クリアーでまろやかで、美味しゅうございました。

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裏庭の展望台から、浅間山がくっきり。素晴らしい眺めだ。
中庭はちょうど桜が満開で、こぶし、小手毬などの花々も一斉に咲いていた。白樺やから松の緑もまぶしく、しばらくベンチに腰掛けてゆったりとした時間を過ごした。

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2008 軽井沢大賀ホール春の音楽祭 宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

 軽井沢大賀ホールの「春の音楽祭」、昨年はマリンバを楽しんだが、今年はオーケストラを聴いた。

宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団(4月29日)

曲目は
 ・ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲
・チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」
・チャイコフスキー:交響曲第5番

 オーボエ奏者だった宮本文昭さんの指揮を期待して選んだプログラムだったが、当初予定にはなかった、チェリストのセルゲイ・スロヴァチェフスキーが東フィルと一緒に演奏するオマケ付。

 「くるみ割り人形」は、地元軽井沢ジュニアオーケストラと東フィルの混成オケ。小学生から大きくても大学一年生のこどもたちが、東フィルメンバーに混じって、よく頑張りました! ソロパートがある子もいて、大活躍。プロの演奏家になるかならないかは別にして、小さいときから音楽に親しみ楽器を奏で、こういう機会が得られるのは、とても素晴らしいことだと思う。
 私は楽器ができないのがとても残念なのだが、母がクラシック好きだった影響で、、「ウィリアム・テル序曲」や「くるみ割り人形」は、子どもの頃に小さなレコードプレーヤーに何度も何度もかけて、親しんだ曲だ。今思うと、誰の演奏のレコードだったんだろう。

 宮本氏の指揮は、その動きが面白くって! 脚も動くんですよ。登場して来たときのお辞儀が、腰が低いというかなんというか、親しみがわいたが、もっと格好つけてもいいのに。新米指揮者と謙遜していらしたが、真摯で情熱的な指揮とみた。機会があったら、また是非観たい(聴きたい)。

 オーソドックスなプログラムだが、とっても楽しかった。こどもたちの演奏を聴きながら、一人ひとりを育てるとともに、地域に文化を育む取り組みの一つなのだろうと思った。是非継続してほしい。文化は長い時間かかって根付くものだからね。この子達が大人になったときの軽井沢、どんな町になっているだろう。

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ガレとジャポニズム

 サントリー美術館『ガレとジャポニズム』に行った(5月11日まで。巡回・大阪 サントリーミュージアム<天保山>5月22日~7月13日)。

 ガレを体系的に観たのは、2005年に江戸東京博物館で行われた『エミール・ガレ展』。その人と作品の歴史に沿った展示会だった。
 今回のサントリーの展示は、ジャポニズムに焦点をあてたもの。参考作品として、「北斎漫画」や広重、宗達などの作品も展示されている。鯉やカエルのモチーフなんて、北斎漫画そのままだ。

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花器《バッタ》1878年頃

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花器《茄子》エミール・ガレ 1900年頃

 サントリー美術館蔵の作品も多く、その多くが(菊地コレクション)という。菊地さんって、どなた? 19世紀に海外に出た日本美術が、ヨーロッパの作家に影響を与え、その作品をまた日本のコレクターが収集する。さながら、合わせ鏡に写し出された日本美術、といったところか。

 ジャポニズムも面白かったが、照明が作品の魅力を引き出していて、一つ一つの作品を眺めるだけでも満足。サントリー美術館は照明のあて方が、素敵。

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モディリアーニ展

 国立新美術館の『モディリアーニ展』を観た(6月9日まで。巡回・大阪 国立国際美術館 7月1日~9月15日)。

 細面の顔、長い首、アーモンド型の目の肖像画を得意とする、エコールド・パリを代表する画家。展覧会のフランス語の題名が、Modiliani et le Primitivismedeで、--原始美術の影響を色濃く示す初期の<カリアティット>の作品群から独自の洋式を確立した肖像画にいたるまで、幅広い作品を紹介し、プリミティヴィスム(原始主義)に根ざしたモディリアーニの芸術がいかなる変遷をとげたのかを探ります。--とのこと。
 プリミティヴィスム(原始主義)って、19世紀末に流行っていたんですよね、たしか。モディリアーニは1884-1920年の人だから、時期的にはちょうどその頃というわけか。

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<カリアティッド>1914年
 思わず、その白い肌に触れてみたくなる。ギリシャ神殿の柱の彫刻「カリアティッド」はプリミティヴィスムの影響を受けているそうだ。カルアティッドの作品群は、そのモチーフの印象なのか、彼自身の取り組みがそういう時期だったのか、エネルギッシュな印象を受けた。
 もともとモディリアーニは彫刻家を目指していたが、持病の結核のために体力がなく、彫刻を断念したのだとか。観てみたかったな、彼の彫刻。展示されている約150点の作品は、油彩、スケッチあれど、すべて絵画。
 
 そして、カリアティッドの作品群はあるものの、基本は肖像画。体系的にモディリアーニを知る上では面白い展覧会だが、後半の展示は、細い首を傾げた人物たちばかりが並んでいて、ちょっと息が詰まった。去年観た『モーリス・ユトリロ展-モンマルトルの詩情-』を思い出してしまった。息抜きに違うモチーフがほしいといっても、ない物ねだりなんだろうけどね。

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<赤毛の若い娘(ジャンヌ・エピュテルヌ)>1918年。
 これは好き。まなざしに意思がある表情だから。モデルはジャンヌと言われているが、瞳の色が違うそうだ。

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ラ・マンチャの男

 帝国劇場で、『ラ・マンチャの男』を観た(脚本デール・ワッサーマン/演出・主演 松本幸四郎 30日まで)。
 『ラ・マンチャの男』と言えば松本幸四郎。この公演期間中に1100回を達成するそうだが、はじめて観た。
 
 従者を連れたセルバンテスという詩人が、教会を侮辱した罪で牢獄に入れられる。囚人達は”新入り”の(模擬)裁判をやろうと言う。そこで、セルバンテスは即興劇による申し開きを行う。その即興劇が「ドン・キホーテ」の物語。

 孝四郎の父、白鸚がアメリカで観た『ラ・マンチャの男』を気に入って、東宝に上演を働きかけたのだそうだ。演出補に長女の松本紀保、マドンナのアルドンサに次女の松たか子。家族でガッチリと固め、まだ早いだろうに、世代交代の準備も整っている感じ。セルバンテス演じる、キホーテ=田舎郷士キハーナが老人の設定だし、40年も演じているからなのか、幸四郎は力むことなく演じているように見えるのに対して、松はあばずれだけれど実は清らかな役を魅力的に、エネルギッシュに演じて舞台を引っ張っている。この人、どんどん上手くなったなあと思う。

 帝劇のミュージカルにしてはめずらしく、休憩なしの約2時間。スピーディな演出もよかった。

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フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ

『東山魁夷展』を観た後、新緑が瑞々しい北の丸公園を散歩しながら千鳥ヶ淵のイタリア文化会館へ。ロビーで行われている『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』を観た。3月の下旬、千鳥ヶ淵にお花見に来たときに前を通ったら、玄関の柱に、鷲鼻の男性と、たぶん彼の妻なのではないかと思われる女性の肖像があって、「なんのイベントだろう?」と思ったのだった。
 その日は寄らなかったけど、なんだか気になって、イタリア文化会館のサイトを観たら、ウルビーノ公国の君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公(1422-1482)がグッビオのドゥカーレ宮殿の中に造らせたストゥディオーロ(小書斎)の複製を展示してあるという。それは、見逃したら後悔する!というわけで、ギリギリセーフで観た(20日まで)。
http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/webform/SchedaEvento.aspx?id=249

 ストゥディオーロの壁は、遠近法を用いただまし絵の寄木細工。描かれているものは、剣や屋鎧の武具、太鼓やリュート、ハープ、オルガンなどの楽器、書物、書見台、球体のオブジェや分度器、コンパス等、ルネサンスの文化とはこういうものか、と感動。ちなみにイタリア文化会館玄関の柱の肖像画の男性がフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公で、女性は奥方。
 
 イタリアの地元の職人達が5年以上の歳月をかけて、複製を完成させたのだそうだ。世界初公開って、イタリアの人より、日本人が先に観せてもらって申し訳ない。
 国立西洋美術館の『ウルビーノのヴィーナス』と連動したイベントだったようだ。美術のお勉強的には重要なんだろうけど、ヴィーナス(裸婦)あんまり興味ないしなあ、と思っていて、まだ観ていなかったのだけれど…。行ってみたら、このストゥディオーロのようにルネサンスを目の当たりにできるかしら?
 
 

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生誕100年 東山魁夷展

 国立近代美術館の『生誕100年 東山魁夷展』 に行った。

 

 東山魁夷は90歳まで生きた人で、作品数も多い。主に自然を描く人で、「道」とか「緑響く」に代表される、緑や青色のイメージが強い。唐招提寺の襖絵を描いた人。そんな予備知識だった。

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「冬華」
北欧を旅したときの風景を描いたもので、樹の上で輝くものは、月ではなく太陽なのだとか。インターネットに載せると、なんとなく青味と赤味を帯びるが、もっと白黒の濃淡で、きりりとした冷たい空気が感じられたのだけれど。


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「窓」
自然をモチーフにした作品が多いと思っていたが、建物や窓の風景も多いのだそうだ。
ヨーロッパの町並なので洋風のイメージを受けるんだろうが、日本画と西洋美術の違いってどこにあるのだろうと思う。画材の違い以外、互いに良い意味でなんでも有りなのかな。すみませんね、素人の疑問で。

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「行く秋」
緑の自然もいいけれど、これも美しい。この落ち葉の上を歩くとき、足裏に伝わる感触まで見えてきそうな1枚。

 惜しいのは、スペースが狭いこと。東山魁夷の絵は、大きい作品が多いし、今回は出展数も多い。後ろにさがって観たいと思うと、向かいの展示を鑑賞している人の邪魔になってしまう。人気の画家だから会期中盤の平日でもけっこう混んでいる。近代美術館には悪いけれど、六本木の国立新美術館でゆったり観たかったなあ。

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ダウトDOUBT−疑いをめぐる寓話−

吉祥寺シアターにて、文学座アトリエの会 『ダウトDOUBT−疑いをめぐる寓話−』を観た。
(脚本 ジョン・パトリック・シャンリィ/演出 望月純吉 4月22日まで)

 スリリングな舞台。初演は2004年、その後2005年にトニー賞最優秀作品賞とピュリッツァー賞を受賞したそうだ。

1964年のニューヨーク、ブロンクスにあるミッション系の高校。厳格な校長シスター・アロイシス(寺田路恵)が、体育の教師であるフリン神父(清水明彦)と、転校してきたばかりの学校初の黒人男子生徒の関係に疑いを抱く。校長は、その生徒の担任教師のシスター・ジェームス(渋谷はるか)と生徒の母親(山本道子)に疑いを打ち明け、対処しようとする。

 たしかにフリン神父は疑わしい言動があるのだが、校長もあまりに杓子定規で、校長とフリン神父は普段から意見が対立しがちだったり、学校という組織の中では校長が上司だが、教会の組織ではフリン神父のほうが位が高いという捻れの関係など、いろいろな要素が提示される。おまけに、世の中では正しいことがいつも良きことではないという教訓まで出てきて、フリン神父の疑いは最後まで残ったまま…。

 最初は新人教師のシスター・ジェームスの視点に寄り添い観ていたのだが、クライマックスでは、自分自身がフリン神父と校長の間で揺れ動いた。これは、観ている人間が試されますな。

 疑惑が晴れないことで、新たな疑惑が生まれる。フリン神父が白だったらアレで、黒だったらコレと、疑いの連鎖を体験しながら劇場を出た。

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どん底

 シアタ-コクーン『どん底』(原作 マクシム・ゴーリキー/上演台本・演出ケラリーノ・サンドロヴィッチ 4月27日まで)を観た。
 去年のナイロン100℃の公演『犬は鎖につなぐべからず』は、岸田國士戯曲集。岸田は演出を手掛けた『どん底』の初日に亡くなったそうだが、明るい『どん底』を目指していたそうで、KERAはその影響を受けているという。
 人間関係が描かれているポップな『どん底』。

 舞台は、どん底の暮らしをしている人間が集まる木賃宿。イカサマ賭博師サーチン(大森博史)、錠前屋クレーシチ(大鷹明良)と、瀕死の床についている妻アンナ(池谷のぶえ)。恋愛小説を読みふける娼婦ナースチャ(松永玲子)、と男爵と名乗る男(三上市朗)。なぜか陽気な帽子屋(マギー)。アル中の元役者(山崎一)、靴屋(富川一人)に万頭売りの女(犬山イヌコ)。腐った万頭を売られたとイチャモンを付けに来たのがきっかけで、ここに出入りするようになった兄と呼ばれる男(あさひ7オユキ)と弟と呼ばれる男(黒田大輔)。この宿には泥棒(江口洋介)まで寝泊まりしているが、巡査(皆川猿時)も度々顔を出す。この巡査、大家の妻とその妹のオジにして、万頭屋に惚れている。大家(若松武史)が強突張りだと言ったところで、彼の生活も木賃宿よりはマシな程度。おまけに妻のワシリーサ(荻野目慶子)は泥棒ペペールと恋仲で、ところがペペールはワシリーサに飽きてきて、彼女の妹のナターシャ(緒川たまき)に鞍替えしたいと思案中。
 と、なかなか複雑な人間関係が展開中の木賃宿に、ある日巡礼の老人ルカー(段田安則)がやってくる。彼が宿の客になったことで空気が変わる。彼を、希望の使者とみるか、疫病神と捉えるかは難しいところなのだが、それでも老人はこの宿の一員として生活を共にするのだ。

 KERAはこの人間関係の輪の中に入らない衛生局を名乗る男セルゲイ(大河内浩)という登場人物を創った。衛生局を名乗る男は老人と違い、まったくの闖入者。「世間」なんだろう。マスコミ批判、とも、とれなくもない。
 というか、マスコミ批判だろう、これは。
 一人ひとりにスポットを当てるとお涙頂戴になるが、関係性を重視したことによって、世の中が見えてくる。大枠としての関係性と、セルゲイ。--削るべき要素はすぐにわかったんです。ゴーリキーが当時、社会運動としてこの作品を書いた主義主張、台詞がそのまま社会に対する告発になっている部分です。--とパンフレットにあるが、なんのなんの、いまの世の中をもっとクールに批判するおもしろい仕掛けを創った。

 段田、若松、犬山、などなど、いまさら誉めるのがかえって失礼な芸達者な役者が揃っている中、マギーがいい雰囲気を醸し出していた。いままでそんなふうに思って観ていなかったので、今後注目。緒川のナターシャは脚が綺麗、これで彼女のその後の運命が察せられるほど。小柄なワシリーサだが、荻野目は貫禄十分。
 時々自動が音楽に参加している。最後の合奏&合唱は出演者全員。段田のフルートは初めて観た(聞いた)。パーカッションの若松サン、乗ってましたネ。

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国宝 薬師寺展

 東京国立博物館「平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展」(6月8日まで)、大興奮、大感動である。

 聖観音菩薩立像、慈恩大師像、八幡三神坐像、吉祥天像と国宝が惜しみなく展示されているのも素晴らしいが、展示の仕方もまた素晴らしい。今回は彫刻の周りを回って360度、全方向から眺められる。

 特に、日光・月光菩薩立像(国宝)に、釘付けになってしまった。スロープを上がっていくと向かって左に月光菩薩が見えて来て、右手に日光菩薩。やや高いところから正面の全体のお姿を眺めて、そこから下って、見上げるように二尊の周りを回る。
子どもの頃お詣りして好きだなと思ったのだが、こんな至近距離から拝見できるなんて。奈良の薬師寺に奉られているときは背中に金色に光り輝く光背があるし、正面からだってこんなに近づけないもの。

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月光菩薩

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日光菩薩 

 こんなことを言うのは不謹慎なのかもしれないが、ちょっと腰を傾けたポーズといい、手指の表情といい、肌の色艶といい、惚れ惚れするほどセクシーな、お姿だ(私、仏教への信仰心は希薄なのだが、二尊を敬う気持ちはある)。若干日光菩薩のほうがふくよかだ。あまりに美しいので、ずっと眺めていたい。この幸福感をどう表現したらいいのだろう。これが、信仰心に繋がっていくものなの?

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展覧会のトリを飾る「吉祥天画像」。思っていたより小さい絵だったが、これも至近距離で細部まで見られた。

 他にも重文クラスのものもたくさんあって、こんなに持ってきちゃったら奈良の薬師寺さん、寂しくないかなあと心配してしまうが、東博で薬師寺展を開いてくださり、ありがとうございます。
 会場を一回りした後、名残惜しくて日光菩薩、月光菩薩を、もう一度拝見した。
 
 この展覧会、また行きたい。また、二尊にお会いしたい。

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博物館でお花見を

 「博物館でお花見を」というコピーに誘われて、東京国立博物館でお花見!
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 4月6日まで庭園開放と、本館(平常展)で桜にちなんだ作品を展示している(春の庭園開放は4月20日まで)。東博の庭園、一度入ってみたかったんだ。写真のお茶室は春草蘆(シュンソウロ)、江戸時代、河村瑞賢が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所だそうだ。その後大阪、横浜の三渓園、埼玉県所沢市にある柳瀬荘と転々と移築され、昭和34年にここに移されたのだとか。アチコチ旅して、いやー、ご苦労様でした。

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 エドヒガンシダレ。
 大賑わいの上野公園から道路一本隔てて、庭園の趣を楽しむ大人の花見。ヤマザクラ、オオシマサクラ、カンザン、ロトウザクラ、ミカドヨシノ等々、それぞれに風情がある。本館や平成館の窓から、舞う花びらを眺めるのもステキ。
 前庭の桜も美しく、普段は行かない表慶館の裏手や黒門の方まで散歩をしたら、もう柳が芽吹いていて、新緑がまぶしかった。

 本館の展示は、とくに桜をあしらった作品にサクラマークがついている。
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国宝室は狩野長信「花下蓬莱図屏風」(部分)
 他に、勝川春潮の「飛鳥山花見」とか、歌川国貞「北廓月の夜桜」等々32点。刀の鍔(ツバ)「枝桜透鍔」は、超モダン。刀の鍔(ツバ)に桜?と思ったが、刀もサクラも武士の魂でしたね。

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 サクラマークではないけれど、順路の最初にあった「伝源頼朝坐像(でんみなもとのよりともざぞう)」 。横から見るとお腹が少々でているけど、正面からは実にシャープな姿。

 

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「千鳥ヶ淵」でお花見

 今年は、桜の開花宣言が出たと思ったら一気に満開。見頃を外したらもったいないので、週末の28日、千鳥ヶ淵に行く。 まずは、山種美術館の「桜さくらサクラ  2008」へ。
 
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石田武「千鳥ヶ淵」。山種美術館にちなんで描いたのだろう、美しい作品。山種では毎年この時期に「桜さくらサクラ」と題した展覧会を開催している。花見の名所ならでは。
 
 桜の遊歩道に出て、満開のアーチの下をそぞろ歩きながら、ときどきお堀の向こうの桜も愛でたり。なんでこんなに桜に浮かれるのかなあ。浮かれるといっても、桜の下の宴会は一度もやったことはないのだが、でも毎年ウキウキするのよね。きっと、DNAに桜の花の”彫り物”があるんだわ、と考えた。
 こうやってのんびり春が迎えられたことが、幸せ。

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歌わせたい男たち

 卒業式シーズン。袴姿の大学生が、どうしてあんなにケバイ化粧をしているのだろう? 紫に花模様のつけ爪なんかしちゃったり、髪の毛今風のボサボサアップで、アイシャドウ濃くって。ミュールを履いてるドレス姿の人もいて、ああ嫌だ。ミュールは室内履き、外で履いてもドレスコードは”軽装”扱いでしょ。みっともないったらありゃしない。ところがどっこい、都立高校でもそうなのだそうだ。今年、卒業した子の親が驚いていた。で、その話で盛り上がって、質問するのを忘れた。「『君が代』斉唱はどうだった?」って。

 都立高校の卒業式における「君が代」斉唱問題を扱った『歌わせたい男たち』を観た(紀伊國屋ホール)。初演は05年で、数々の演劇賞を受賞している。
 今年採用された音楽講師、仲ミチル(戸田恵子)は、ミスタッチとあだ名がつくぐらい、ピアノが不得意。卒業式の朝も、式で伴奏を間違えないかと緊張し、めまいを起こして保健室に。そんな様子を見て、仲の真意が「君が代」伴奏のボイコットなのではと気を揉む校長の与田是昭(大谷亮介)。今年、斉唱に不起立を表明しているのは、社会科教師の拝島則彦(近藤芳正)、ただ一人。若い英語教師、片桐学(中上雅巳)は斉唱派。養護教諭の按部真由子(小山萌子)は斉唱派だが、本音は”野次馬”といったところか。

 売れないシャンソン歌手から音楽講師に転職した、「君が代」問題に感心の薄い人物を中心に据えたのが、この芝居の素晴らしいところ。拝島もガチガチの左翼ではなく、事なかれ主義の校長や若い片桐、按部なども、自分のすぐ側にいそうな人たちで、この問題を身近に感じる。主義主張が明確だったら、たぶんこの芝居に感情移入しにくかったと思う。役者は少数精鋭でコメディタッチ、爆笑、爆笑の後に、ふっと怖さが浮かび上がる仕掛け。
 仲、拝島、校長の気持ちを思うと、涙も出て来た。
 
 シャンソンと、眼鏡の使い方が、とてもオシャレだ。戸田の歌声の余韻が残る。

 客席は教師をしている人が多かったのか、いつもの観劇とは違う雰囲気。ところで、後半ちょうど盛り上がって来た頃に、近くで携帯電話の着信音が鳴った。こういうルールは守ったほうがいいんじゃないの?

 

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運慶の大日如来像

 今日は「明日の神話」の他にも美術のニュースが。

 運慶の作とみられる「大日如来像」が、ニューヨークのオークションで、約14億円で、三越に落札されたそうだ。
http://www.asahi.com/culture/update/0319/TKY200803190004.html

三越というから、三井記念美術館ででもお目にかかれるのかと思ったら、”顧客の代行”だそうで、個人か団体かもあかせないって。是非公開してくだされ!

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明日の神話

 岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」の恒久設置場所が、渋谷駅のJR線と京王井の頭線の間の連絡通路に決まったそうだ。よかった、よかった。
http://www.taro-okamoto.or.jp/asunoshinwa.html

私の行動範囲でもある。展示されたら迫力あるだろうなあ。
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1日30万人が行き交う場所なのだとか。あそこなら、老若男女、アートに興味がない人にも、日頃「原爆」にピンと来ない人にも、日本人だけじゃなく世界各国の人たちにも、観てもらえる。唯一の被爆国の首都である東京に、原爆を意識する場所があってしかるべきだと思うのだ。
 

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音楽を紡ぐトライアングル。

 東京フィルの第751回サントリー定期シリーズを聴いた(3月8日 サントリーホール)。
「音楽を紡ぐトライアングル」というテーマのプログラムで、クララ・シューマン、シューマン、ブラームスの作品。クララとシューマンは夫婦で、夫妻はブラームスと親好が厚く、ブラームスを世に送り出した人たち。シューマン亡き後、ブラームスはクララを支えた。
 クララは、当時有名なピアニストで、結婚してからも演奏を続けシューマンを支え、彼が亡くなったあとも8人の子どもを育てるためにフル活動したのだそうだ。シューマンが若く亡くなったことは大変だったろうけれど、その前だって、8人(!)も子どもを出産しながら(もちろん育てるわけで)演奏活動をするのは、並の苦労じゃなかっただろう、とクララに感情移入してしまう。ゴシップ的な要素はともかく、理解者の一人や二人いなきゃ、やっていかれませんって。

クララ・シューマン/ピアノ三重奏曲第1楽章
シューマン/交響曲第4番
ブラームス/交響曲第4番

 クララのピアノ三重奏曲でピアノも披露したダン・エッテンガーは、踊る指揮者。式台の上から上半身を乗り出したりして、若さ溢れる勢いだ。体格いいし、正面のチェロの人、怖くないですか? 正面の席はマエストロの表情が楽しかっただろう。

 今回のプログラムを選んだのは、ブラームスの交響曲第4番を聴きたかったから。もっともブラームスらしい交響曲と言われていて、この曲にトライアングルが使われていて、テーマと通じる。
 ブラームスといえば「ハンガリア舞曲」をまず連想しちゃう私にとっては、交響曲はちょっと重たいイメージ。回を重ねていけば、ベートーベンの交響曲のように親しみがわくかな? 今後もいろんなコンサートで、聴いてみたい。  

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ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展

森アーツギャラリーセンターで『ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 ~ピカソ、シャガール、ウォーホル~』を観た。

 その前に、馴染みのレストランでゆっくりランチ。ワインももちろん、飲む。ランチなのでグラスにしましたが。
 ワイン、大好き。好みはハッキリしている。でも、銘柄は詳しく覚えていない。
 はじめて行くレストランだったら、前に飲んで美味しかったワインのエチケットを持っていって相談したり、予算のページのワインリストを見ながら、好みの味を話して選ぶ。このとき話しが弾めば、相性が良いレストランだ。
 馴染みのレストランならこちらの予算と好みをすでにわかっているから(いつもと違うときは予約の電話で伝えて)、ソムリエがあらかじめ用意してくれているもののなかから、お料理に合わせて選ぶ。
 いずれにしてもソムリエに相談するのがベストチョイス。お勧めの中にはサプライズもあって、楽しい。
 
 その銘柄を覚えられない私でも、さすがにシャトー・ムートンの名は”知識”として知っている(でも残念ながらロスシルドは飲んだことありませんが)。印象深いのはあのエチケット。

 というわけで、「ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 」。我ながらミーハーですが。そうか日本では、アサヒビールが輸入元なのね、と思いつつ。なんかイメージ違うなあ。 ピカソ、シャガール、ウォーホルとあるが、カディンスキーとか、ローラサン、キース・ヘリングなどもあって、気に入ったのは58年のダリの羊。会場の途中にボトルのタワーが展示されていて、原画とは又違うエチケットの表情を楽しめた。美味しいワインとアートの融合。贅沢でした。
 でもなんでこの展覧会、「エチケット」じゃなくて、「ワインラベル」ってタイトルに使っているんでしょうね? フランスワインならやっぱりエチケットでしょう?


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春琴

 サイモン・マクバーニー演出の『春琴』。大評判のようで、私が観た5日の昼の回は立ち見もびっしり、不思議な熱気に包まれていた。

 谷崎潤一郎の小説「春琴抄」に評論「陰翳礼讃」を散りばめ、現代でコーティングしたといったらいいのか? 
 冒頭、老人=ヨシ笈田が語りはじめる現代は、「春琴抄」「陰翳礼讃」という近代へ観客を誘うが、立石涼子がラジオ番組で朗読する設定がすぐに、俗っぽい現代に引き戻す。「春琴抄」自体が、私(高田忠篤)という人物が琴と佐助の墓参りをするところから始まる入れ子構造になっていて、近代の物語の中にも、「現在」と「過去」が存在する。「陰翳礼讃」は、恐らく「春琴抄」の「私」が生きているのと同時代であり(両作品とも昭和8年発表)、現代は、老人=笈田と、ナレーター=立石の視点があるのだ。立石の朗読は素晴らしいのだが、途中で(ラストも)「春琴抄」の世界に浸っていたら、急に現代へ乱暴に引き戻された。それが狙いなのだろうが、幕が下りれば観客は嫌でも現代の現実へ引き戻されるのだ。時空を飛び越えるアイデアもいいが、もう少し整理して、「春琴抄」と「陰翳礼讃」の余韻を残した方が、現代とのコントラストがより鮮明に浮かび上がるのではないか?

 「闇」を扱いながら、視覚的な芝居だ。光と影(照明)が美しく、畳、竿、着物、人形と、日本の美がうまく使われている。3階席の中央ブロックで遠目だったのだが、畳や竿の舞台効果を楽しむにはよい席だった。日本的な様式美の中で残念だったのが帯。早変わりしなければならないし、芝居の途中で着崩れたらいけないので付け帯びなんだろうが、帯を結んだら、その所作が美しいだろうなあ、と思う。歌舞伎の引き抜きの技法も使われていて、衣装替えも見どころではあるが…。

 春琴の幼少期、娘時代を市松人形、若い時分は宮本裕子による人形振りで表している。深津絵里が声を演じ、女盛りの終盤で深津自身に入れ替わる。人形と、人形ぶりは「操る」という意味で効果的だ。人形は、着物の下はアタマだけだったり、人形と遣い手の手が入れ替わったり。人形振りは、宮本の動きに拍手。佐助もチョウソンハ、瑞木健太郎、ヨシ笈田が交代で演じる。

 「闇」を扱って、聴覚にも訴える芝居だ。深津絵里の高く響き渡る声。「佐助、佐助」と繰り返されるヒステリックな命令口調が悲鳴にも聞こえて、耳を離れない。高石涼子の落ち着いた朗読。「春琴抄」の独特な文体は映像に映し出されるが、耳からも入ってきて、味わいを深くする。
 味線の師弟の話だから三味線(木條秀太郎)はもちろん、鼓(麻生花帆)、謡。それから、晩年の佐助を演じるヨシ笈田の、台詞回し。朗読と私の語り以外には、総じて役者の台詞は短い。繰り返される台詞も多く、耳からのインパクトも強い。

 目と耳に、とても美しい芝居だ。 

 と、またここで冒頭の、構成の疑問に戻る。立石の朗読は是非ともほしいが、”立石さん”の恋の話を挿入することはなかろう。ラジオというメディアも「現代」というより「近代」だから、冒頭、老人が二作品が大ヒットした時代を語るところでラジオをかければ、「近代」の中で朗読は成立するはず。説明しすぎないこともまた、「陰翳礼讃」だろうと思う。

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屋上庭園/動員挿話

  新国立劇場で、『屋上庭園/動員挿話』を観た。
  作・岸田國士 演出・屋上庭園=宮田慶子 動員挿話=深津篤史

 「屋上庭園」と「動員挿話」は独立した話で、それぞれ演出も違うが、小林隆と七瀬なつみ、山路和弘と神野三鈴が、同じ組み合わせで、それぞれの芝居の夫婦を演じる。「屋上庭園」では裕福な夫婦だった小林&七瀬が「動員挿話」では馬丁の夫婦、「屋上庭園」では貧しい夫婦を演じた山路&神野が「動員挿話」では陸軍少佐とその妻、という具合で、これが一つの見どころとなっている。舞台美術も同じだ。
 2005年の舞台の再演だそうだが、残念ながら初演を観ていない。

 「屋上庭園」は、日本橋の三越と思われるデパートの屋上で、学生時代の友人が偶然再会するストーリー。小説家を志しながら今は失業中の並木(山路)と、裕福な家柄ではあるけれど闘病中の三輪(小林)。並木は、貧富の差に愕然としながら富める者に対し悪態をついてみても、人の良い(そして病気を抱えている)三輪の前では脆さが出てしまう。彼らの5年後、三輪はまだ生きているのだろうか。
 と書くと男同士の話のようだが、「世間」とか「階級」あるいは「貧富」といったものをいろいろ考えさせられる。二人とも妻を連れていて、夫婦の絆もみえてくる。神野演じる並木の妻の健気さにぐっと来た。

 「屋上庭園」が日常の静かな芝居なのに対して、「動員挿話」は骨太の作品。
 日露戦争に出征する陸軍少佐宇治(山路)が、馬丁の友吉(小林)に一緒に戦地に赴くように説得する。友吉の女房数代(七瀬)は、夫を戦争へ行かせまいと猛反対。友吉は、世間や主人夫妻への義理と、妻の間で往生するが…。
 友吉自身は職業軍人ではないが、少佐の馬丁であり、馬が陸軍に欠かせなかった時代のこと。宇治が、愛馬の世話をしている友吉を連れていきたいのは無理ならぬこと。非常時の戦地で、慣れない馬丁で、馬の世話が出来なかったら大変だ。職業上の必要性が絡んでいるから、友吉の立場はややこしくなる。男として「戦争に行かない」という世間への義理の悪さと、満足している職業を失う怖さと。
 女房の数代は、そんなことは知ったこっちゃない。生きてさえいれば、なんとかなる。二人が離れることなんか、考えられない。そういわれると、友吉だって、男として悪い気はしない。戦地に行くのも、行かないのも、どちらも男としての迷い。優柔不断な男を演じる小林がいい。七瀬の数代は勝ち気で、圧倒される演技。女学校を出ていて学がある設定のようだが、賢いというより、今度こそ幸せになろうと思ったワケのある女の一念のようだ。
 それから神野の、奥様。出征に反対する数代を「うらやましい」というが、本音だろう。黒板に書かれた日の丸を消していくと、手が赤く染まる、あの演出は見事だが、でも彼女にどうすることができただろう。せめて友吉夫婦を自由にしてやろうと思うのに、数代に気持ちが伝わらない哀しさ。奥様と数代の心が通じ合えば、と思わずにいられない。
 
 パンフレットに新国立劇場 演劇芸術監督の鵜山仁が「セリフの合間から匂い立つ、この人間臭はいったい何だ。」と書いているが、登場人物は実に人間臭く、それを演じる俳優たちも明治の生身の人間を演じて違和感がない。上手く言えないのだが、俳優の身体性とでもいうのか…。

 「屋上庭園」に出てきた、世間とか職業、階級、貧富、夫婦、女性の地位などのモチーフが「動員挿話」にも使われていて、「屋上庭園」を観ていろいろ考えさせられるからこそ、「動員挿話」に感情移入できたとも言える。まったく違うようでいて、共通点が多い。二本上演のもともとの意図も、そこにあるのだろう。

久しぶりに、ずっしりとした芝居らしい芝居を観た。(3月9日まで)

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エリザベス ゴールデン・エイジ

 『エリザベス ゴールデン・エイジ』(イギリス・フランス/監督:シェーカル・カプール)を観た。

 前作『エリザベス』が10年前になるとは、時間が経つのが速くて驚くが、続編も面白い。
 今回はエリザベス一世が、スコットランド女王メアリーを処刑し、スペイン無敵艦隊を破り、ゴールデン・エイジに入るところまでを描いている。カソリックとプロテスタントの争いがなければエリザベス一世は即位しなかっただろうが、メアリーのことも、スペインとの戦争も、ずーっとこの対立が尾を引いている。その中で、ゴールデンエイジを築くまでになるのだから(家臣もよかったんだろうが)、よっぽど聡明な人だったんだろうなと思わずにいられない。
 スペイン無敵艦隊を迎え撃つ場面が見どころ。女王も鎧を身につけ、イングランド軍の前で演説するのだが、このとき馬が止まらないのはどうして? 全軍の兵士に女王の話が聞こえるように、馬が動いていたの? 風に馬が興奮していた? 戦いに臨んで凛としている女王の姿に圧倒される。

実際のエリザベス一世が40~50代の頃。画面の中のケイト・ブランシェットはやや若い感じだが、威厳もありながら美しく、女王の孤独が伝わってくる。フランシス・ウォルシンガム卿(ジェフリー・ラッシュ)、寵臣はウォルター・ローリー卿(クライヴ・オーウェン)。お気に入りの侍女ベス(アビー・コーニッシュ)。

 前作にもまして、衣裳と美術が目を楽しませてくれた。衣擦れの音もいいのよね。

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ジャックとその主人

 吉祥寺シアターで『ジャックとその主人』を観た。串田和美と白井晃のプロジェクト第二弾だ。第一弾は昨年シアタートラムで行われた『ヒステリア』は、フロイトのお話で面白かった。

 今回の作者、ミラン・クンデラはチェコソロヴァキア生まれ。79年にチェコソロヴァキア国籍を剥奪され、81年にフランス市民権を取得したそうだ。この『ジャックとその主人』は、ディドロの長編小説『運命論者ジャックとその主人』の翻案だそうだ。と言われても、知らないんだ『運命論者ジャックとその主人』、ディドロって『百科全書』の人でしょう?

 ジャック(串田和美)とその主人である貴族(白井晃)が、旅をしている。不安と退屈を紛らわすために、互いの”昔の恋”の話をしはじめる。泊まった宿屋の女将(宮島知栄)からも、”恋”の話を聴かされる。ジャックと主人と女将のそれぞれが語る恋は、それぞれの立場は違うが、どこか似ていて…。

 舞台の中にもう一つ舞台が出てきて、彼らの恋愛話が語られる。話の中の登場人物は白塗りで18世紀風の衣裳。ジャックと主人は現代風な(あまりさえない)衣裳で、恋の話と旅の途中を行ったり来たり。
 戯曲の、入れ子構造とか、相似形のエピソードがリフレインしたり、演劇人にとっては、面白い戯曲なんだろう。運命は「そういうことはすべて天にかかれているんだって」といいつつ、自分たちの運命を握っている神様を「ヘボ作家」と呼んだりしているし。しかし説明的になってしまったようだ。哲学的な部分は削り、”色事”に徹した方が却って”運命”が見えてくるのではないか?

 吉祥寺シアター3月2日まで。まつもと市民芸術館3月6日~9日。

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北斎の「冨嶽三十六景」

 日本橋の三越本店、三越ギャラリーで行われている「北斎 富士を描く展 冨嶽三十六景と冨嶽百景」に行ってきた(2月19日~3月2日)。

 「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴(赤富士)」はお馴染みだし、何点かずつは目にしたことがあるのだが、全作品揃って観る機会がなかった冨嶽三十六景。この展覧会では、冨嶽三十六景全作品と、半紙本『冨嶽百景』(三冊)を一挙公開だそうで、名所絵が好きな私にとっては、「是非とも行かねば!」だったのだ。
  
 1月に江戸東京博物館で観た「北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-」展とは、どうも相性が悪かったのだが、今回はバッチリ。好きな”富嶽”に絞られていて、解説もシンプルだし、お客さんの入りも多からず少なからずで楽しめた。デパートのギャラリーだからといって、あなどるなかれ。
 昨年山形美術館で展示された企画で、東京、滋賀(佐川美術館08年7月19日~8月24日)、名古屋(松坂屋美術館08年10月25日~11月16日)と巡回予定。

 「冨嶽三十六景」は、実際には三十六景+十景+変わり刷り四図の50点。「富嶽百景」は図版を一つ一つ額装した102点に、初編、二編、三編の原本の155点。三十六景と百景はそれぞれ別のコレクターだそうだが、快く観せてくれて、ありがとう。嬉しいのなんの。

「三十六景」は裏打ちや洗浄、紙継ぎなどの補修跡がほとんどないのだとか!

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<神奈川県沖裏>
よく見ると右下の端に朱色の印があるのだが、林忠正という明治初期にパリで活躍したの画商の印だそうだ。”ジャポニズム”を紹介した人といえばいいのかな。この一枚も海外流出組だった?

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<尾州不二見原>
改まった晴れの場面ばかりではなく、こうやって日常の仕事の桶の中に富士山が見えるっていうのがいいねぇ。
この桶職人のオジサンは「今日も富士が拝めて縁起がいいや」なんて振り返ったりするんだろうか。
所は尾張の国らしいが、東海・関東の人にとっては富士山はありがたい山で日本のシンボルみたいなもの。でも、日常の風景でもあり親しみもある。その意識は、超高層ビルが建って富士山を見る機会が減った現在の東京でもそんなに変わらないが、東海・関東以外の人にとっては、富士山ってどんな存在なんだろう。

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<甲州三島越>
松の巨木が、近くに見える富士山を二つに割っちゃってますが。変わり刷りがあった作品。朱系の茶色や緑が入ると、また趣が全然違う。

 赤い山肌を、冨士講の人たちが登っていく<諸人登山>は、はじめて見た。富士を眺めるのではなく、三十六景(四十六景)中、唯一富士山中の風景だとか。私は眺める富士のほうがいいなあ。

 『富士百景』は墨刷りで地味ながら、素晴らしい保存状態で堪能。百景といいながら百二景で、なんでキリの良い百にしなかったのかなと思いながら観た最後の一枚、<大尾一筆の不二>。一筆でシンプルに、かつ雄大で。
「三十六景」から続く富士の連作、北斎も満足のいくものだったのだろう。

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人間合格

 新宿南口・紀伊國屋サザンシアターこまつ座の「人間合格」を観た(2月10日~3月16日まで)。
 
 太宰治の評伝劇。「人間失格」「晩年」や「走れメロス」など、太宰の作品が随所に盛り込まれている。
 津軽の地主の六男に生まれた津島修治=太宰(岡本健一)。生みの母から離されて、乳母や叔母に育てられ、家の中では居場所がない。家父長制度に疑問を感じ憤ってみても、農村の疲弊に心を痛めても、一歩外に出ると地主のお坊ちゃま。
 東京帝国大学に入学し、佐藤浩蔵(山西惇)、山田定一(甲本雅裕)という友を得て、世直しの理想に燃えるが…。
 他に、世間と上手く付き合う大人を代表して中北さん(辻萬長)、男性陣4人は、キャラクターがハッキリ書き分けられている。太宰と絡む女達に田根楽子、馬渕英俚可。 岡本健一の太宰は、全然ニヒルじゃないし、無頼とか退廃というより、ナイーブだからこそ時代の波に揉まれて苦悩した青年といった感じ。社会に抗ったり、志を貫くのはどれだけ大変なことか…。(しかし、甘いんだけれど…)。そして、友情。

 私ははじめて観たのだが、20年前の戯曲で、今回で5演目だそうだ。井上ひさしがパンフレットの前口上に--「現在のお客さま」が、この戯曲を受け入れてくださるかどうか。--と書いているが、岡本の起用で今日的な太宰になったのではないだろうか。

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ロートレック展 パリ・美しき時代を生きて

 サントリー美術館で開催されている「ロートレック展 パリ・美しき時代を生きて」(3月9日まで)に行った。
 
  オルセー美術館のコレクションから7点の油彩画と16点の素描が出品されたのと、晩年の作品をクローズアップしているのが展示の特色。

 面白かったのは、ダンスホールやカフェを描いた作品の、モデルとなった芸人たちが実際にどんな人たちだったかわかったこと。スカートを翻すダンスで人気だった「ロイ・ファラー嬢」や、人気歌手のイヴェット・ギルベールなどの資料がたくさん。ロイ・ファラー嬢のスカートの動きは決して誇張ではなく、本物のイヴェット・ギルベールは意外と美人だった。あんなふうに描かれては、スターのギルベールは怒るだろう。せっかく隠しておいた舞台裏を描いちゃって。でも、「イヴェット・ギルベール、ポスターの原案」は好き。しばらくポスターを部屋に飾っていたことがある。

 ギルベールには意地悪だったロートレックの視線も、娼婦たちには優しい。 
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「赤毛女の<身づくろい>」
 身づくろいといいながら、手を止めて溜息でもついているんだろうか。美しい赤毛を引き立てる薄い青が、寂しげな雰囲気を醸し出している。

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「ひとり」も大好きな作品。疲れ果てて、ぐったりとベッドに身体を沈めているけれど、右脚の腿に乗せた手が、自分自身の温もりや呼吸を感じているはず。悲しいとか、気怠いとか、そんな一言では言い表せない、生きることのやりきれなさと、まだ生きていることの安堵感と…。彼女の姿はロートレックの心情と、鏡合わせなんじゃないだろうか。彼女の身体の薄さが、なんとも言えない。

 いい構成の美術展だったが、会場の区切り方が悪くて、人が溜まってしまうところがある。たとえば、<
最晩年の日々の解説パネルの掲示場所が悪くて人の流れを邪魔している。ロートレックに広い会場は似合わないと思ったのだろうけれど。

 キャッチが「六本木ムーランルージュ」。たしかに六本木という街は歓楽街ではあるけれど、サントリー美術館ならびに東京ミッドタウンというところはたいへんお行儀がよろしく、ロートレックが好んで出入りするだろうか。

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ルノワール+ルノワール

Bunkamuraザ・ミュージアムの「ルノワール+ルノワール展」(5月6日まで)。

 印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと、次男で映画監督のジャン・ルノワールの日本初共演だそうだ。父の絵画をべースに、父の影響を受けた息子の映画シーンをスクリーンに映して見せる趣向。この企画は一昨年のパリ、シネマ テーク フランセーズで開催され好評を博し、ルノワール監督の映画の再ブームを起こしたのだとか。
 日本人にとっても父のルノワールは馴染み深い印象派の画家。では息子のルノワールはどうだろう?と思ったものの、映画に疎い私でも、聞いたことがある題名がずらり、見たことがあるシーンもあって、ああ、この映画の監督が、ルノワールの息子だったのね、と再認識する次第。

 同じBunkamuraのル・シネマではルノワール監督の映画が上映されている(ルノワール+ルノワール展開催記念「ジャンルノワール 映画の世界」。会場は他に東京日仏学院、東京国立近代美術館フィルムセンター)。なるほど、この手があったんですね。Bunkamuraは芸術の複合施設だから、絵画と映画を連動させるのは、わけない話で。

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「ガブリエルとジャン」 
 ガブリエルはオーギュストの妻(ジャンの母)アリーヌ・シャリゴの従姉妹に当たる人で、ジャンの子守役だった。ジャンはオーギュストが53歳のときの子どもで、兄で俳優のピエールとは9歳違い。陶芸家の弟クロードとは7つ違い。弟はもちろん、彼も、兄も、父からすれば年を取ってからの子どもで、もうすでに父は著名な画家だった。そんな父から影響を受けないわけはない。オーギュストは、子どもが生まれてから家族の肖像をよく描くようになったという。東京都美術館で観た「アリーヌ・シャリゴの肖像」も、この展覧会で観られる。長男出産の後だとか。年が離れた妻も子どもも愛おしく、大切だったのだろうな。

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「田舎のダンス」。モデルの女性は、婚約中のアリーヌ・シャリゴ。
 肝心の父と子の作品の共演というテーマはさておき、実は、今回の展覧会でとくに観たかった作品。子どもの頃、家族と行った「ルノワール展」で観た記憶がある。たしか「都会のダンス」と並んでいたのだ。どこの美術館だったのかも忘れてしまったのだが、この「田舎のダンス」は鮮明に覚えている。「女の人の表情がとっても楽しそうだったから」というのは少々後付の理由のような気もするが、一番最初の”大人”の美術展の記憶で、印象に残った作品だった。10歳ぐらいだったのかなあ。
 
 というわけで個人的な家族の想い出も蘇って、私にとっては楽しい美術展だった。この日は予定があわなくてル・シネマに行けなかったが、美術展の出口に立つ頃にはルノワール監督の映画が観たくなっていた。

 

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図書館の問題

図書館に寄ったら、玄関に盗難防止装置のゲート(CDショップなどでよくみかけるもの)が設置されていた。つい10日ぐらい前に行ったときはついていなかったんだけどね。
 カウンターで応対してくれた職員に「とうとうゲートが付いちゃうんですね」と言ったら、「そうなんです。3月から稼動するんですよ。あんまり盗難が多くて、やむに止まれず」。二人して溜息をついた。昨年の今頃、監視カメラがついた。それでも盗難は、減らなかったということだろう。

 心ない人たちのために規制や監視が強化されていくのは嫌だが、仕方がないか、とも思う。

 自治体の図書館運営も、考え直したほうがいい。なぜ、図書館は無料なのか。いくらかの受益者負担があってもいいではないか。年会費制とか、カード発行時に幾らとか、延滞金を徴収するとか。もちろん免除規定があっていいが、わずかでも費用を負担して「自分たちの図書館」という意識を共有したほうがいいのではないだろうか?

 教育機関だから無料であるという理屈は、どうなんだろう。原則無料のはずの美術館も博物館も有料だ。図書館と博物館はどう違うのか? 「本を読む機会はすべての人に与えられなければならない」そうだが、たとえば、年会費1000円を徴収したところで、図書館を利用する本が好きな人が(当然図書館を利用しない本好きもいる)、図書館に足を運ばなくなるとは考えにくい。大都市のいくつかの自治体が歩調をあわせて同時に踏み切れば、有料化もあり得るのではないだろうか。

自治体の図書館でもベストセラーにリクエストが集中し、1年待ち、2年待ちも珍しくないそうだ。そんなことも含めて、図書館の状況を貸本屋のようだと批判する人もいる。
 今日借りてきたのは絶版になっている本。最近は絶版本が多いから、書店で新品をみつけたくても苦労する。あと5年ぐらいしたら、地域の図書館には「当時のベストセラー本」しかなくて、新刊書店でも「当時のベストセラー本」が文庫になっていて、という時代になるかもしれない。ベストセラーにならなかった本は、どこで探せばいいのか? 古本屋か? もしかしたらそんな現象は、もうはじまっているのかもしれない。

 図書館の問題は、実は図書館の問題ではなく、「本」を巡る問題なんだろう。もっといえば、長いこと、自分たちの文化や社会を大切にしてこなかったツケだ。そんなこと、現場の人はとっくにわかっているんだろうな。

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顔魂~KAODAMA~

 森アーツセンターギャラリーで開催されている『顔魂~KAODAMA~ 石井竜也展覧会/TATUYA ISHII EXHIBITION 2008』に行ってきた。

 3年前(?)「国境なきアーティストたち」の活動家・エクトル・シエラ氏から絵付け前の達磨を手渡されたことから「顔魂」の制作がはじまったのだとか。
 石井竜也は、それ以前から「顔」に興味を持っていたんだと思う。米米クラブのジェームス小野田のメイクが、そうだろう。人の顔にアートを描けば小野田のメイク、オブジェにすれば「顔魂」というわけだ。ファンにとっては、唐突に出てきたものではなく、ずっと繋がっていると理解する。

  森アーツセンターギャラリーには、約70点の「顔魂」が展示されていて、壮観。太陽のような顔、人間を思わせる顔、猪や鳥を思わせる顔、穏やかな仏像のような顔と様々。土着の、というか原始的宗教のイメージもある。
 中には薬師寺に奉納された作品もあって、その縁なのか(薬師寺でコンサートをしてるし)、4月11日に行われる「国宝 薬師寺展 開催記念トークショー」に、石井が出演するそうだ。

 ひとつひとつの作品の表情もさることながら、纏まって展示されることでのパワーを感じ、繋がっていくことを意識した作品展だった。

 

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北斎漫画

 江戸東京博物館で催されていた『北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師-』(1月27日終了)を観たついでによった、『北斎漫画』展(江戸東京博物館常設展示室。2月11日まで)が、思いがけず楽しめた。
 
 「北斎漫画」は、版元の永楽屋東四郎より刊行した画集で、全15編。一編目は55歳のとき、60歳のときの10編で一応完結したものの、13、14、15編はなんと没後に刊行されたという。60年以上に渡る、人気作品だったのね。
 漫画というと、なんとなくユーモラスなイメージを抱くが、 人物画、動植物、風俗、建物、妖怪と、いろんな図柄があるから「漫画」だそうで。言われてみれば、なるほど精密な植物画やことわざを題材にした教訓的な絵もたくさんあるが、ユーモラスな面相や、太った人、痩せた人なんていうユーモラスでヘンテコな図のほうに目がいく。教養人や絵を習う人はいざ知らず、当時の庶民には、こういうほうが受けたんじゃないかなあ。

いっぱいあって、ひとつひとつ丁寧に観ていると目が回りそうだ。ふと、近所のお蕎麦屋さんの壁にある絵は、もしや「北斎漫画」の一つなのでは?と思いあたった。数ある図の中から、同じ仕草は探し出せなかったのだけれど…。

 版元の永楽屋の名が入っているものや、『冨嶽百景』の裏側に彫った版木も展示されていた。展示されている図版は、これらの版木から摺りなおされたものなのだそうだ。再利用とは、倹約しましたね。さしずめ江戸のエコライフ?

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やっぱりおかしい「北斎漫画」。こういうの必ずやってみるヤツって、いまでもいるよね。とくに小学生男子!


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横山大観「生々流転」と「焚火」「夜桜」

国立新美術館の『没後50年 横山大観―新たなる伝説へ』に行った。

 ほぼ制作年代順に展示されていて、「代表作 ずらり。」という通り、これもあれも教科書(?)で観た作品ばかり。見応えのある大観展だが、中でも今回の目玉は40メートル(全編)の「生々流転」だろう。広い会場なので混雑もそんなに気にならずに観ていたのが、絵巻物の「生々流転」の前に来ると、会場整理のお兄さんが呼びかけても、人がまったく流れず…。
 「生々流転」の展示の横の壁にあった、作品の見どころを解説したパネルを読んで予備知識を得ながら、比較的空くのを待つ。このパネルがまたえらくあっさりしたパネルで、すぐ読み終わっちゃうのだ。解説しすぎるよりいいけれど。