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障害理解を促すには…

  とあるアンケートに答えていたら、「障害理解を促すにはどうしたらよいと思いますか」という自由筆記の設問があった。もう、ずっと問われている課題だが、ずっと問われているということは決め手がないのだろう。

  2014年10月25日付日経新聞夕刊には「相次ぐ視覚障害者への暴力『歩きスマホ』で衝突も」という記事が掲載されていた。全盲の女子生徒が蹴られたり、盲導犬が刺されたりというすでに知っている事例の他に、――スーパーでベンチに座っていた全盲の女性が、脚が引っかかったという男に顔を殴られ、重傷を負った――という事例が載っていた。歩いていたときのトラブルより、もっと酷いではないか?
 
 こんな話をきくと、2020年の東京オリンピックに向けておもてなしだのユニバーサルデザインを整備などと流暢なことを言ってられず、待ったナシの状態なのだと思う。高齢化もどんどん進んでいるし。

 前出の記事に、――筑波大学の徳田克巳教授(障害理解論)は「障害への無関心や無理解がトラブルにつながっている。子供のころからの教育が重要だ。なぜ盲導犬や点字ブロックが必要なのか、障害者の日常生活を学べば、互いに違いを認め合い多様性を尊重できるようになるのではないか」と話している――とある。

  それはそうなのだが、私は、前提が大事なのだと思う。アンケートにも書いたが、日本社会に、障害者の権利条約やWHOで採用されている、国際的な社会モデルの障害概念が根付かないと、障害理解は難しい。

  「障害」の表記を「障碍」にするか「障がい」に開くかという議論を、まだしている自治体や福祉団体がある。もしかしたら障害者も、まだ「障害」に抵抗を持っているのかもしれない。「障害」は差別だとするその理由は、「社会に害をもたらす者」(社会にとって不利益な存在)の意味に取れる、ということだ。長い歴史の中では、そういう存在だとされてきた。まだそういう見方は根強いだろうし、社会がそう見ていれば、当事者も自分たちのことをそう考えざるを得ない。
 だが、国際社会で採用している社会モデルは、障害を、個人+社会環境に起因するものと捉えて、障害者は社会との関わりの中でなんらかの障害(困難)を持つ者と考えられている。そして社会モデルでは、いつでも誰でも人は障害を抱えることがあるとしている。幼少期や高齢期のことを考えれば理解できるだろう。高齢期が長くなるということは、障害を持つ時期が長いということだ。困難ということで妊娠、病気や怪我をした期間も入る。

 つまり、社会モデルは、社会(周囲)もちょっと考えてみる必要がある、と言っているのだ。駅のバリアフリー化は社会モデル。不便な人がいるんだから、もっと多くの人が使いやすいようにしましょう、ということでハードが整えられた。いま運用面(ソフト)が旧来の価値観のままで、つまり一人ひとりに社会モデルが浸透していない。

 たとえば白杖や点字ブロックのルールを学ぶときに、その前提に、「社会の環境が少し変われば社会全体として困難を抱える人が少なくなる=自分も相手も住みやすい社会になる」と考えるのか、「その人に個人的な温情として配慮する」と考えるのかでは大きな違いがある。単なる温情、親切心だったら「余裕がないから配慮できません!」、それで終わりだ。
 日本社会は、障害は個人に起因するという個人(医療)モデルが根強い。
 社会モデルをまず基本概念として啓発して「個々の場面でどんなことが困難なのか」を教えなければ、期待する障害理解は得られないだろう。 

盲導犬

 埼玉県で盲導犬が刺された事件がニュースになりました。(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140828/k10014148751000.html)

犯人の捜索が続いていますが、この事件に伴い、盲導犬は危険なときでも鳴き声を我慢させる訓練をしているとか、重労働なので寿命が短い等、マスメディアやネットで動物虐待にもとられる誤った話が流れているそうです。
 実際には鳴き声を我慢させる訓練はしていない、寿命は普通の犬と比べても短くないとのこと。

この事件と盲導犬への誤った認識について、関係団体がコメントを出しています。

東日本盲導犬協会 朝日新聞投稿記事「盲導犬が傷つけられた」事件について
http://www.guide-dog.jp/2014/09/朝日新聞投稿記事「盲導犬が傷つけられた」事件/

日本盲導犬使用者の会 盲導犬を傷つける卑劣な行為を受けての緊急声明
http://guidedog-jp.net

秋葉原のエスカレーター事故

 昨年JR秋葉原のエスカレーターの手すりに指を挟まれ9人が重軽傷を負った事故の原因が発表されました。

 (毎日新聞http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140128-00000036-mai-soci)

 利用客の手荷物の木製板が、ステップに押し上げられて、ベルトを破損したことのこと。

 平たく言うと、木製板が手すりの下部にはまっちゃってベルトが壊れた、ということでしょう。手荷物の取り扱いは慎重に。
 そんなにベルト側によって乗っていたというのも、片側乗りの習慣からではないでしょうか。
 片側乗り、本気で考え直しましょうよ。

 
 破損とまではいわないまでも、エスカレーターのベルトに掴まるのが、嫌なときがあります。大抵は、汚れているときなのですが、たまに不安定なベルト(横に微かに動く)だったり、速度が微妙に、ホントに微妙にステップとあっていないことも。
 秋葉原の事故は偶発的なものですが、こちらは定期点検を入念にお願いしたいものです。


避けにくい歩きスマホ

 先日エスカレーター「手すりにつかまろうキャンペーン」の話を書きましたが、今、駅や鉄道車内よく目にする(耳にする)のは、歩きながらのスマートフォンや携帯電話を禁止する呼びかけです。
 携帯電話の通信会社も呼びかけているし、新聞やテレビニュースでも取り上げられていますので、もうご存知だと思います。 NHKとは、『あまちゃん』で青春時代の春子を演じた有村架純を起用してスポットを流していますね。(公共広告機構との共同キャンペーン 
 今年の5月に、JR四ッ谷駅で小学生の男子が歩きながらケータイを操作していてホームに転落した事故から、本格的な啓発活動が行われるようになったようです。
    

 
Photo_2

 これは、副都心線渋谷駅から田園都市線方向に繋がる地下道に貼ってあった、東急電鉄のポスター。

 愛知工科大学 小塚一宏教授の実験では、歩きスマホでツイッターを操作しながら横断歩道を渡ったときの視野は、手ぶらで歩いたときと比較して、前方が1/5、左右は1/10未満に狭くなるそうです(日経新聞2013.09.17夕刊)。
 また、スマホと携帯電話では、スマホのほうが視界がせまくなるとのこと。
 (http://www.news-postseven.com/archives/20130620_195464.html

 50代半ばになった知人が、「最近人を避けて歩くことが下手になった。若いときは平気だったのに歳をとったのかな」と言っていました。
 歳をとっただけが原因ではないはず。増えた歩きスマホは、急に速度が落ちたり、止まったり予測不能だがら、本人の視野が狭いだけでなく、周りも避けにくいのです。駅のホームや階段はもちろんのこと、道でも危ないと思うことがしばしば。  

 ところで、とある講演で、こんな話を聞きました。
--駅のホームでスマートフォンを見ていた人(A)と、白杖を使っていた視覚障害者(B)がぶつかり、Aのスマホが線路に落ちて壊れた。AはBにスマホを弁償してくれと要求した。--

 講演者はそれ以上詳しくは触れず困ったものだという文脈だったのですが、単純に考えると、スマホを見ていたAと、白杖を使っていたBでは、 Aは注意を怠り、Bは注意していたということになります(白杖の機能は、1.歩行面(路面)の情報収集  2.障害物からの防御  3.存在を周囲に知らせる)。 Aはなにを思って、Bに弁償を要求したのでしょう。


 

「原発導入のシナリオ」

 東京電力というのも不思議な会社だが、東電への追及が及び腰だったり、いまの電力供給体制への批判、原発反対の意見をマスメディアがなぜ報道しないのか?
 
 スポンサー(お得意さん)だから、という話がある。これはチェルノブイリ事故のときにも噂された。

 テレビは製作現場でも、受信でも電力を沢山消費するから、という説にも頷く。NHKが教育とBS2だったかの深夜帯を放送中止にしたとき、「深夜に節電しても意味がない」という意見を聞いたが、あれはあれでテレビ漬けの日常に慣れてしまった人に考えてもらう意味はあるはずだ。昔は、夜中の12時でテレビ放送終了だった。若者はラジオの深夜放送を夢中になって聴いた。テレビの終夜放送がはじまったのは87年からだという。

 電気がなければテレビ屋さんたちは、商売あがったりだ。
 
   
 ネットで見た 「NHK現代史スクープドキュメント (1994年3月16日放送) 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略
国際関係、米ソ冷戦の中で、原発導入が進められていくドキュメンタリー。そのような経緯を辿ったのはおおよそ見当が付くが、キーパーソンだったのが、読売新聞、日本テレビ放送網の正力松太郎だった。読売新聞は日本初の新聞、日本テレビは日本初の民放テレビだ。いまでいう メディア・ミックスって世論をひっくり返し、正力自身が政界に出る。

 腑に落ちた。日本のマスメディアは原発推進とともにあるのだ。

 94年になぜこの番組がつくられたのか、当時どんな社会情勢だったのか調べてみると、直接的な原発事故(放射能の問題)はみあたらず、やはり91年12月のソ連崩壊で冷戦終結したことを受けてスクープがあったためらしい。
 NHKもいい仕事をしたものだと感心する。
 しかし、現在ネットの「NHKアーカイブズ」には、この放送の文字データはあるが、肝心の映像はない。

 日本のマスメディアはジャーナリズムとは別もの。
 
 そろそろテレビは消したほうがよさそうだ。