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『化粧する脳』茂木健一郎  

 先日、証明写真を撮りに、地元の写真館に行った。昔、証明写真はちいさなカメラ屋さんで撮ってもらったが、いまはそのカメラ屋さんはない。あるのは写真館か、街角のセルフサービスのブース。自分一人で撮るのは嫌だったので、「おおげさな」と思いつつ写真館に行った。
 卒業記念の前撮り、はたまた時季外れの七五三の記念写真の撮影に混じって、証明写真のお客が入る。変な感じだ。「就活セット10枚焼き増し」というパックがあった。私が学生時代に就職活動(就活とは絶対に言わない時代。それだけで落ちそうだと今でも思う)をした頃は、やっと大卒女子を採用する一般企業が出てきた頃で、「就職したいなら短期大学か専門学校へ進学しなさい」と言われたものだ。景気は悪くなかったが、大卒女子の就職は狭き門だった。でも、私も周りの友達も、写真を10枚も使わなかった。その後の再就職のときも。いまがそれだけ不景気なのだろうし、機械的に弾かれないからかえって的が絞りにくいこともあるんだろう。
 ”就活”でない私は「証明写真2枚付き」を選んで、カメラウーマンのお姉さんの前に座った。「はい、少しほほえんで」「はい、口角をあげて」。若干の修正付きで仕上がってきた写真は、自分の顔としては「まあ、こんなものでしょう」で、母に似ていた。
 
 4年前に病気をして、その薬の副作用がいろいろあった。自分の顔の印象が短期間で変わるというのは嫌なものだ。お医者さんは治療が終われば元に戻ると言ったが、復活には時間がかかった。自分の印象では8割方戻ったが、2割は戻らなかった。それでも、こうして写真を撮ると母に似ている。昔から、私は母親似だと言われていたし、少々早く老けたということか。「眉が薄くなって」と嘆いたら、友人Aさんに「私なんて若いときから薄い」と一笑に付された。
 そういえば、友人Bちゃんが結婚式のときに新婦としてのお化粧をしてもらうのが嫌だったと言ったのを思い出した。「とくに眉を整えられるのは、自分じゃないみたい」。彼女はキリリとした眉をしていた。ウエディングドレスだったからキリリとした眉でも似合ったのにね。
 元気な女性は眉がキリリが基本だ。ほら、イモトだって、あんなに太い眉が似合っているのは、すばらしい珍獣ハンターだからではないか。病気が治っても、病人くさい顔では、社会復帰のハードルは高い。また、病人くさい顔では、人は話をまともに聞いてくれない。外見がオバサンくさい(生活くさい)とバカにされる、あれと同じ。人前で話しをしたときの写真を見て、自分がどのように見えるのかも、意識した。一過性ならまだいいが、写真に残るし、いまではビデオもあるから”印象”というのはコワイ。リピートされる第一印象。

 若い頃から、綺麗になりたいという 願望は人並みにあるものの、同時に面倒くささも感じている。油断すると日焼けがやけどになるからスキンケアには少々気を付けてはいるが、メイクアップは身だしなみ程度。もちろん私にだって勝負化粧をする日もあるが、健康に見えることが基本。

  昔は、卒業を控えた高校の女子に、新社会人の身だしなみなとして、メイクアップの仕方を教える講習があったと聞く。いまでも女子校の中には、マナー講座としてメイクアップを教える学校があるそうだ。私自身はそんな講座とはまったく縁がなかったが、お化粧=大人の女性の身だしなみという概念は、すり込まれていたと思う。大学に入ったころから、お化粧をはじめた。

 テレビで、インタビューを受けていた市川海老蔵が、インタビュアー の女性アナウンサーに向かって「雑な化粧ですね」と言っていた。見ていた私は唐突に「雑な化粧」という言葉が出て「へ?」と思ったが、お年頃の女性アナはひるみもせずに「そうですか。いつもより念入りにしてきたつもりなんですけど」と答えた。
 それ以来、鏡に向かって化粧をしているときに、「雑な化粧」という言葉がたまに浮かぶ。私のメイクは、たぶん雑。
 デスクワークならお化粧もそんなに崩れないだろうし、化粧直しもいつでもできるだろうから、いつも綺麗でいられるだろうが、外出先ではそうそうお化粧はなおせない。ガーデニングの仕事をしているCさん。庭仕事をした後は汗でお化粧が崩れているが、汗を拭きながら笑っている顔に、赤い口紅が映えて魅力的だ。
 相棒Kちゃんは仕事帰りに貧血だと思われて、電車で席を譲られたそうだ。「大丈夫といっても、譲ってくれた。どうしてだろうって考えたら、お化粧直しをしなかったから、口紅も頬紅も落ちていたんだね」。大人の女性はお化粧をするものと相場が決まっているから、色味のない顔=具合悪い人という先入観が働いたのではないだろうか。それ以来「口紅と頬紅はちゃんとすることにした」そうだ。

 ある日、Dさんが大きなマスクをしていたので、「風邪?」と訊いたら「きょう、お化粧してないの」という。目鼻立ちがしっかりしていて可愛い人だ。たしかに彼女はきちんとお化粧をしているほうだけれど、化粧直しはあんまりしないようで、素顔に近い顔も何度となく見ている。その日は午後からパーソナルカラー診断を受ける予定で「お化粧をしないできてください」と言われたのだとか。「スッピンでも十分綺麗なのに!」と言ったら「やっぱり気になる」と。「プール行くようになったら、すっぴんも気にならないわよ」。
 ウチから10分もしないプールに通うとき、水中歩行なので顔を水につけるわけではないが、私はほとんどスッピンだ。行き帰りに日焼け止めを塗るのは、お化粧といわないだろう。でも、たぶん、プールが駅前にあったら、10分の距離でもお化粧するかも。家族とプール以外で、スッピンの顔を一番みせているのは、宅急便のおにいさんだ。
 といってもそれは、全部私のオフの時間。Dさんとあったのは彼女の仕事場で、他の人もたくさんいたから、彼女が意識したものもわからないではない。
 誰に訊いたか忘れたが、在宅で仕事をしている人でも、お化粧をしてからその日の仕事をはじめる人がいるそうだ。たしかにウチが仕事場の場合、気持ちの切り替えが難しい。お化粧をするとシャキッとするのだろう。
 
 オン・オフの切り替え装置としての化粧。
 そして、身だしなみとして位置づけられている以上、女性は化粧をしたほうが、社会参加しやすい。周りもスムーズに受け入れてくれる。社会参加のパスポート、とでもいおうか。
 「就活」の証明写真にだって薄化粧は欠かせない。女性のほうが見た目で判断されやすい、そのハンディを克服しますよ、といわんばかりに、どこでも証明写真のサンプルは女性だった。

 講師をしている文章講座(高齢者のミニデイサービス)には、いろんな受講者さんがいる。中には、大病をされた方や、いまも病気とつきあっている人も。でも、女性はみんなお化粧をしている。「いつまでも美しくありたい」など、人それぞれ理由はあるだろうが、まずは身だしなみとして。世間と隔離された病人、老人ではなく、文章教室に通うことで地域交流している、社会的な人間であることの証しなのだと、私は思う。

 そんな、まとまりのつかないことを思いながら、茂木健一郎『化粧する脳』(集英社新書)を読んだ。 

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