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丸の内界隈(2009.12)

 勤めていたときの、上司や先輩とランチ。懐かしい丸ビルへ行く。懐かしいと言っても、私が通っていた頃は、ふるーい丸ビルで、丸の内も静かなオフィス街だった。

JR東京駅を降りると、中央郵便局の変わり果てた姿が…。
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あーあ。この街やこの建物に馴染んだ者の感慨とは、またちょっと違った腹立たしさを覚える。「これ以上高いビル建てたって、人口減っていくのにどうするの?」というのが、私の持論。
 時計の針がはずされた中央郵便局を見て、「郵政改革ってなんだったんだろう」とも思う。

ま、それはさておき。
丸の内は銀杏の並木が色づいて、ビルを背景に、黄色い葉が日の光りに照らされて輝いていた。葉と黒い幹のコントラストも美しい。
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ふと、東山魁夷の「行く秋」を思い出す。
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丸ビルのクリスマスツリー。
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 最近読んだ『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』(秋尾沙戸子・著 新潮社)の、「GHQのクリスマス」の章に、こんな話があった。GHQは信教の自由と政教分離を謳って、国家神道を廃止させた。
--「神道指令」からわずか九日、この年一番立派なデコレーションは、マッカーサーのいた第一生命ビル正面玄関であった。
 (中略) しかしこうした動きは、GHQの公式宣言と実際の行為との矛盾を如実に現していた。クリスマスの飾りつけや讃美歌の斉唱や礼拝などの行事は、アメリカ社会におけるキリスト教と国家との親密な関係を堅持していたからである。
 GHQの CI E宗教課には当初、戸惑う日本側から多くの質問が出された。後にGHQではクリスマスは、「宗教的でなく季節的なものだ」と位置づけた。よって、釈迦の誕生日である四月八日に特別な花を使って学校を飾ることもできるし、新年の飾りとしてしめ縄を張ることも、民間の慣習とみなすほどに世俗化しているという見方を示したのである。こうしてe日本人の間ではクリスマスツリーは単なる季節の風物詩として刷り込まれていった。--

 そうか、そうやってクリスマスが根付き、商業主義的な色合いが濃くなっていったのか、と納得した。だが、当時はGHQ仕込みといえども、きれいなクリスマスデコレーションは復興の「希望の光」的な役割も果たしたのではないかと、丸ビルのクリスマスツリーを見ながら思う。日本人の多くがキリスト教を信仰したわけではないが、ある種宗教的なメッセージは感じたのではないかと。 (ちなみに『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』は素晴らしい労作だ。)
 丸ビルからお堀端沿いに歩けば、日比谷の第一生命ビルはすぐそこだ。

 この日はお堀沿いではなく、途中のオブジェをひやかしたり、三菱1号館の中庭(?)に立ち寄ったりしながら、高級ブランド街と化した仲通りをぶらぶら歩いた。
 すると、なんとまあ、江戸の丸の内界隈の古地図が展示してあるではありませんか! 「こんなところに古地図があったっけ?」と言いながら、みんなで覗いてあれやこれや。
 さすが丸の内だけあって、親藩というのか、「○○松平家」が多かったが、松平家にも格があって、葵の御紋が付いているところと、他の紋所の松平家がある。へぇ。
 これ、歴史に詳しい人ならおもしろいんだろうな。私は、へぇ、へえ、感心するわりには中途半端なのだが、今度古地図を探してみよう。

三菱1号館や古地図の写真を撮るのを忘れ、残念。また行ったときに……。

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