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2008年3月

「千鳥ヶ淵」でお花見

 今年は、桜の開花宣言が出たと思ったら一気に満開。見頃を外したらもったいないので、週末の28日、千鳥ヶ淵に行く。 まずは、山種美術館の「桜さくらサクラ  2008」へ。
 
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石田武「千鳥ヶ淵」。山種美術館にちなんで描いたのだろう、美しい作品。山種では毎年この時期に「桜さくらサクラ」と題した展覧会を開催している。花見の名所ならでは。
 
 桜の遊歩道に出て、満開のアーチの下をそぞろ歩きながら、ときどきお堀の向こうの桜も愛でたり。なんでこんなに桜に浮かれるのかなあ。浮かれるといっても、桜の下の宴会は一度もやったことはないのだが、でも毎年ウキウキするのよね。きっと、DNAに桜の花の”彫り物”があるんだわ、と考えた。
 こうやってのんびり春が迎えられたことが、幸せ。

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歌わせたい男たち

 卒業式シーズン。袴姿の大学生が、どうしてあんなにケバイ化粧をしているのだろう? 紫に花模様のつけ爪なんかしちゃったり、髪の毛今風のボサボサアップで、アイシャドウ濃くって。ミュールを履いてるドレス姿の人もいて、ああ嫌だ。ミュールは室内履き、外で履いてもドレスコードは”軽装”扱いでしょ。みっともないったらありゃしない。ところがどっこい、都立高校でもそうなのだそうだ。今年、卒業した子の親が驚いていた。で、その話で盛り上がって、質問するのを忘れた。「『君が代』斉唱はどうだった?」って。

 都立高校の卒業式における「君が代」斉唱問題を扱った『歌わせたい男たち』を観た(紀伊國屋ホール)。初演は05年で、数々の演劇賞を受賞している。
 今年採用された音楽講師、仲ミチル(戸田恵子)は、ミスタッチとあだ名がつくぐらい、ピアノが不得意。卒業式の朝も、式で伴奏を間違えないかと緊張し、めまいを起こして保健室に。そんな様子を見て、仲の真意が「君が代」伴奏のボイコットなのではと気を揉む校長の与田是昭(大谷亮介)。今年、斉唱に不起立を表明しているのは、社会科教師の拝島則彦(近藤芳正)、ただ一人。若い英語教師、片桐学(中上雅巳)は斉唱派。養護教諭の按部真由子(小山萌子)は斉唱派だが、本音は”野次馬”といったところか。

 売れないシャンソン歌手から音楽講師に転職した、「君が代」問題に感心の薄い人物を中心に据えたのが、この芝居の素晴らしいところ。拝島もガチガチの左翼ではなく、事なかれ主義の校長や若い片桐、按部なども、自分のすぐ側にいそうな人たちで、この問題を身近に感じる。主義主張が明確だったら、たぶんこの芝居に感情移入しにくかったと思う。役者は少数精鋭でコメディタッチ、爆笑、爆笑の後に、ふっと怖さが浮かび上がる仕掛け。
 仲、拝島、校長の気持ちを思うと、涙も出て来た。
 
 シャンソンと、眼鏡の使い方が、とてもオシャレだ。戸田の歌声の余韻が残る。

 客席は教師をしている人が多かったのか、いつもの観劇とは違う雰囲気。ところで、後半ちょうど盛り上がって来た頃に、近くで携帯電話の着信音が鳴った。こういうルールは守ったほうがいいんじゃないの?

 

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運慶の大日如来像

 今日は「明日の神話」の他にも美術のニュースが。

 運慶の作とみられる「大日如来像」が、ニューヨークのオークションで、約14億円で、三越に落札されたそうだ。
http://www.asahi.com/culture/update/0319/TKY200803190004.html

三越というから、三井記念美術館ででもお目にかかれるのかと思ったら、”顧客の代行”だそうで、個人か団体かもあかせないって。是非公開してくだされ!

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明日の神話

 岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」の恒久設置場所が、渋谷駅のJR線と京王井の頭線の間の連絡通路に決まったそうだ。よかった、よかった。
http://www.taro-okamoto.or.jp/asunoshinwa.html

私の行動範囲でもある。展示されたら迫力あるだろうなあ。
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1日30万人が行き交う場所なのだとか。あそこなら、老若男女、アートに興味がない人にも、日頃「原爆」にピンと来ない人にも、日本人だけじゃなく世界各国の人たちにも、観てもらえる。唯一の被爆国の首都である東京に、原爆を意識する場所があってしかるべきだと思うのだ。
 

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音楽を紡ぐトライアングル。

 東京フィルの第751回サントリー定期シリーズを聴いた(3月8日 サントリーホール)。
「音楽を紡ぐトライアングル」というテーマのプログラムで、クララ・シューマン、シューマン、ブラームスの作品。クララとシューマンは夫婦で、夫妻はブラームスと親好が厚く、ブラームスを世に送り出した人たち。シューマン亡き後、ブラームスはクララを支えた。
 クララは、当時有名なピアニストで、結婚してからも演奏を続けシューマンを支え、彼が亡くなったあとも8人の子どもを育てるためにフル活動したのだそうだ。シューマンが若く亡くなったことは大変だったろうけれど、その前だって、8人(!)も子どもを出産しながら(もちろん育てるわけで)演奏活動をするのは、並の苦労じゃなかっただろう、とクララに感情移入してしまう。ゴシップ的な要素はともかく、理解者の一人や二人いなきゃ、やっていかれませんって。

クララ・シューマン/ピアノ三重奏曲第1楽章
シューマン/交響曲第4番
ブラームス/交響曲第4番

 クララのピアノ三重奏曲でピアノも披露したダン・エッテンガーは、踊る指揮者。式台の上から上半身を乗り出したりして、若さ溢れる勢いだ。体格いいし、正面のチェロの人、怖くないですか? 正面の席はマエストロの表情が楽しかっただろう。

 今回のプログラムを選んだのは、ブラームスの交響曲第4番を聴きたかったから。もっともブラームスらしい交響曲と言われていて、この曲にトライアングルが使われていて、テーマと通じる。
 ブラームスといえば「ハンガリア舞曲」をまず連想しちゃう私にとっては、交響曲はちょっと重たいイメージ。回を重ねていけば、ベートーベンの交響曲のように親しみがわくかな? 今後もいろんなコンサートで、聴いてみたい。  

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ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展

森アーツギャラリーセンターで『ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 ~ピカソ、シャガール、ウォーホル~』を観た。

 その前に、馴染みのレストランでゆっくりランチ。ワインももちろん、飲む。ランチなのでグラスにしましたが。
 ワイン、大好き。好みはハッキリしている。でも、銘柄は詳しく覚えていない。
 はじめて行くレストランだったら、前に飲んで美味しかったワインのエチケットを持っていって相談したり、予算のページのワインリストを見ながら、好みの味を話して選ぶ。このとき話しが弾めば、相性が良いレストランだ。
 馴染みのレストランならこちらの予算と好みをすでにわかっているから(いつもと違うときは予約の電話で伝えて)、ソムリエがあらかじめ用意してくれているもののなかから、お料理に合わせて選ぶ。
 いずれにしてもソムリエに相談するのがベストチョイス。お勧めの中にはサプライズもあって、楽しい。
 
 その銘柄を覚えられない私でも、さすがにシャトー・ムートンの名は”知識”として知っている(でも残念ながらロスシルドは飲んだことありませんが)。印象深いのはあのエチケット。

 というわけで、「ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展 」。我ながらミーハーですが。そうか日本では、アサヒビールが輸入元なのね、と思いつつ。なんかイメージ違うなあ。 ピカソ、シャガール、ウォーホルとあるが、カディンスキーとか、ローラサン、キース・ヘリングなどもあって、気に入ったのは58年のダリの羊。会場の途中にボトルのタワーが展示されていて、原画とは又違うエチケットの表情を楽しめた。美味しいワインとアートの融合。贅沢でした。
 でもなんでこの展覧会、「エチケット」じゃなくて、「ワインラベル」ってタイトルに使っているんでしょうね? フランスワインならやっぱりエチケットでしょう?


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春琴

 サイモン・マクバーニー演出の『春琴』。大評判のようで、私が観た5日の昼の回は立ち見もびっしり、不思議な熱気に包まれていた。

 谷崎潤一郎の小説「春琴抄」に評論「陰翳礼讃」を散りばめ、現代でコーティングしたといったらいいのか? 
 冒頭、老人=ヨシ笈田が語りはじめる現代は、「春琴抄」「陰翳礼讃」という近代へ観客を誘うが、立石涼子がラジオ番組で朗読する設定がすぐに、俗っぽい現代に引き戻す。「春琴抄」自体が、私(高田忠篤)という人物が琴と佐助の墓参りをするところから始まる入れ子構造になっていて、近代の物語の中にも、「現在」と「過去」が存在する。「陰翳礼讃」は、恐らく「春琴抄」の「私」が生きているのと同時代であり(両作品とも昭和8年発表)、現代は、老人=笈田と、ナレーター=立石の視点があるのだ。立石の朗読は素晴らしいのだが、途中で(ラストも)「春琴抄」の世界に浸っていたら、急に現代へ乱暴に引き戻された。それが狙いなのだろうが、幕が下りれば観客は嫌でも現代の現実へ引き戻されるのだ。時空を飛び越えるアイデアもいいが、もう少し整理して、「春琴抄」と「陰翳礼讃」の余韻を残した方が、現代とのコントラストがより鮮明に浮かび上がるのではないか?

 「闇」を扱いながら、視覚的な芝居だ。光と影(照明)が美しく、畳、竿、着物、人形と、日本の美がうまく使われている。3階席の中央ブロックで遠目だったのだが、畳や竿の舞台効果を楽しむにはよい席だった。日本的な様式美の中で残念だったのが帯。早変わりしなければならないし、芝居の途中で着崩れたらいけないので付け帯びなんだろうが、帯を結んだら、その所作が美しいだろうなあ、と思う。歌舞伎の引き抜きの技法も使われていて、衣装替えも見どころではあるが…。

 春琴の幼少期、娘時代を市松人形、若い時分は宮本裕子による人形振りで表している。深津絵里が声を演じ、女盛りの終盤で深津自身に入れ替わる。人形と、人形ぶりは「操る」という意味で効果的だ。人形は、着物の下はアタマだけだったり、人形と遣い手の手が入れ替わったり。人形振りは、宮本の動きに拍手。佐助もチョウソンハ、瑞木健太郎、ヨシ笈田が交代で演じる。

 「闇」を扱って、聴覚にも訴える芝居だ。深津絵里の高く響き渡る声。「佐助、佐助」と繰り返されるヒステリックな命令口調が悲鳴にも聞こえて、耳を離れない。高石涼子の落ち着いた朗読。「春琴抄」の独特な文体は映像に映し出されるが、耳からも入ってきて、味わいを深くする。
 味線の師弟の話だから三味線(木條秀太郎)はもちろん、鼓(麻生花帆)、謡。それから、晩年の佐助を演じるヨシ笈田の、台詞回し。朗読と私の語り以外には、総じて役者の台詞は短い。繰り返される台詞も多く、耳からのインパクトも強い。

 目と耳に、とても美しい芝居だ。 

 と、またここで冒頭の、構成の疑問に戻る。立石の朗読は是非ともほしいが、”立石さん”の恋の話を挿入することはなかろう。ラジオというメディアも「現代」というより「近代」だから、冒頭、老人が二作品が大ヒットした時代を語るところでラジオをかければ、「近代」の中で朗読は成立するはず。説明しすぎないこともまた、「陰翳礼讃」だろうと思う。

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屋上庭園/動員挿話

  新国立劇場で、『屋上庭園/動員挿話』を観た。
  作・岸田國士 演出・屋上庭園=宮田慶子 動員挿話=深津篤史

 「屋上庭園」と「動員挿話」は独立した話で、それぞれ演出も違うが、小林隆と七瀬なつみ、山路和弘と神野三鈴が、同じ組み合わせで、それぞれの芝居の夫婦を演じる。「屋上庭園」では裕福な夫婦だった小林&七瀬が「動員挿話」では馬丁の夫婦、「屋上庭園」では貧しい夫婦を演じた山路&神野が「動員挿話」では陸軍少佐とその妻、という具合で、これが一つの見どころとなっている。舞台美術も同じだ。
 2005年の舞台の再演だそうだが、残念ながら初演を観ていない。

 「屋上庭園」は、日本橋の三越と思われるデパートの屋上で、学生時代の友人が偶然再会するストーリー。小説家を志しながら今は失業中の並木(山路)と、裕福な家柄ではあるけれど闘病中の三輪(小林)。並木は、貧富の差に愕然としながら富める者に対し悪態をついてみても、人の良い(そして病気を抱えている)三輪の前では脆さが出てしまう。彼らの5年後、三輪はまだ生きているのだろうか。
 と書くと男同士の話のようだが、「世間」とか「階級」あるいは「貧富」といったものをいろいろ考えさせられる。二人とも妻を連れていて、夫婦の絆もみえてくる。神野演じる並木の妻の健気さにぐっと来た。

 「屋上庭園」が日常の静かな芝居なのに対して、「動員挿話」は骨太の作品。
 日露戦争に出征する陸軍少佐宇治(山路)が、馬丁の友吉(小林)に一緒に戦地に赴くように説得する。友吉の女房数代(七瀬)は、夫を戦争へ行かせまいと猛反対。友吉は、世間や主人夫妻への義理と、妻の間で往生するが…。
 友吉自身は職業軍人ではないが、少佐の馬丁であり、馬が陸軍に欠かせなかった時代のこと。宇治が、愛馬の世話をしている友吉を連れていきたいのは無理ならぬこと。非常時の戦地で、慣れない馬丁で、馬の世話が出来なかったら大変だ。職業上の必要性が絡んでいるから、友吉の立場はややこしくなる。男として「戦争に行かない」という世間への義理の悪さと、満足している職業を失う怖さと。
 女房の数代は、そんなことは知ったこっちゃない。生きてさえいれば、なんとかなる。二人が離れることなんか、考えられない。そういわれると、友吉だって、男として悪い気はしない。戦地に行くのも、行かないのも、どちらも男としての迷い。優柔不断な男を演じる小林がいい。七瀬の数代は勝ち気で、圧倒される演技。女学校を出ていて学がある設定のようだが、賢いというより、今度こそ幸せになろうと思ったワケのある女の一念のようだ。
 それから神野の、奥様。出征に反対する数代を「うらやましい」というが、本音だろう。黒板に書かれた日の丸を消していくと、手が赤く染まる、あの演出は見事だが、でも彼女にどうすることができただろう。せめて友吉夫婦を自由にしてやろうと思うのに、数代に気持ちが伝わらない哀しさ。奥様と数代の心が通じ合えば、と思わずにいられない。
 
 パンフレットに新国立劇場 演劇芸術監督の鵜山仁が「セリフの合間から匂い立つ、この人間臭はいったい何だ。」と書いているが、登場人物は実に人間臭く、それを演じる俳優たちも明治の生身の人間を演じて違和感がない。上手く言えないのだが、俳優の身体性とでもいうのか…。

 「屋上庭園」に出てきた、世間とか職業、階級、貧富、夫婦、女性の地位などのモチーフが「動員挿話」にも使われていて、「屋上庭園」を観ていろいろ考えさせられるからこそ、「動員挿話」に感情移入できたとも言える。まったく違うようでいて、共通点が多い。二本上演のもともとの意図も、そこにあるのだろう。

久しぶりに、ずっしりとした芝居らしい芝居を観た。(3月9日まで)

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エリザベス ゴールデン・エイジ

 『エリザベス ゴールデン・エイジ』(イギリス・フランス/監督:シェーカル・カプール)を観た。

 前作『エリザベス』が10年前になるとは、時間が経つのが速くて驚くが、続編も面白い。
 今回はエリザベス一世が、スコットランド女王メアリーを処刑し、スペイン無敵艦隊を破り、ゴールデン・エイジに入るところまでを描いている。カソリックとプロテスタントの争いがなければエリザベス一世は即位しなかっただろうが、メアリーのことも、スペインとの戦争も、ずーっとこの対立が尾を引いている。その中で、ゴールデンエイジを築くまでになるのだから(家臣もよかったんだろうが)、よっぽど聡明な人だったんだろうなと思わずにいられない。
 スペイン無敵艦隊を迎え撃つ場面が見どころ。女王も鎧を身につけ、イングランド軍の前で演説するのだが、このとき馬が止まらないのはどうして? 全軍の兵士に女王の話が聞こえるように、馬が動いていたの? 風に馬が興奮していた? 戦いに臨んで凛としている女王の姿に圧倒される。

実際のエリザベス一世が40~50代の頃。画面の中のケイト・ブランシェットはやや若い感じだが、威厳もありながら美しく、女王の孤独が伝わってくる。フランシス・ウォルシンガム卿(ジェフリー・ラッシュ)、寵臣はウォルター・ローリー卿(クライヴ・オーウェン)。お気に入りの侍女ベス(アビー・コーニッシュ)。

 前作にもまして、衣裳と美術が目を楽しませてくれた。衣擦れの音もいいのよね。

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ジャックとその主人

 吉祥寺シアターで『ジャックとその主人』を観た。串田和美と白井晃のプロジェクト第二弾だ。第一弾は昨年シアタートラムで行われた『ヒステリア』は、フロイトのお話で面白かった。

 今回の作者、ミラン・クンデラはチェコソロヴァキア生まれ。79年にチェコソロヴァキア国籍を剥奪され、81年にフランス市民権を取得したそうだ。この『ジャックとその主人』は、ディドロの長編小説『運命論者ジャックとその主人』の翻案だそうだ。と言われても、知らないんだ『運命論者ジャックとその主人』、ディドロって『百科全書』の人でしょう?

 ジャック(串田和美)とその主人である貴族(白井晃)が、旅をしている。不安と退屈を紛らわすために、互いの”昔の恋”の話をしはじめる。泊まった宿屋の女将(宮島知栄)からも、”恋”の話を聴かされる。ジャックと主人と女将のそれぞれが語る恋は、それぞれの立場は違うが、どこか似ていて…。

 舞台の中にもう一つ舞台が出てきて、彼らの恋愛話が語られる。話の中の登場人物は白塗りで18世紀風の衣裳。ジャックと主人は現代風な(あまりさえない)衣裳で、恋の話と旅の途中を行ったり来たり。
 戯曲の、入れ子構造とか、相似形のエピソードがリフレインしたり、演劇人にとっては、面白い戯曲なんだろう。運命は「そういうことはすべて天にかかれているんだって」といいつつ、自分たちの運命を握っている神様を「ヘボ作家」と呼んだりしているし。しかし説明的になってしまったようだ。哲学的な部分は削り、”色事”に徹した方が却って”運命”が見えてくるのではないか?

 吉祥寺シアター3月2日まで。まつもと市民芸術館3月6日~9日。

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