メルシャン軽井沢美術館

 大賀ホールで楽しいコンサートを聴いたあと、軽井沢に1泊。翌日は美術館巡り。「セゾン現代美術館」でマン・レイを観たあと、しなの鉄道の御代田へ出て、「メルシャン美術館」へ。

 開催中の美術展は『モリスの夢見た日々』。ウィリアム・モリスが手掛けたステンドグラス、テキスタイル、壁紙、家具の展示。室内装飾といえばいいのかな。モリスは、生活に根ざした装飾品が工業生産されるようになった初期の頃の人で、近代デザインの父と呼ばれている。ほぼ同時代のせいか(国は違うけど)、先日観たガレを思い出した。
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 ステンドグラスはバックライトフィルム(って仕組みはよくわからないのだけれど)で再現されたものだそうだ。天井の高い美術館で、テキスタイルや壁紙を気持ちよく観られる。ここはもともとウイスキーの蒸留所で、美術館もウイスキーの樽貯蔵庫を改修して造られたのだとか。

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敷地内にある、ウイスキーの蒸留所を見学した(無料)。貯蔵庫の壁に絡まる蔦が、夏は生い茂り日光を遮り、冬は葉が落ち、温度管理になるという。いまは、若葉が出てきたところ。
世界一小さい蒸留所ながら、国際コンペで賞をとっているのだそうだ。
試飲したモルトウイスキー「軽井沢17年」、クリアーでまろやかで、美味しゅうございました。

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裏庭の展望台から、浅間山がくっきり。素晴らしい眺めだ。
中庭はちょうど桜が満開で、こぶし、小手毬などの花々も一斉に咲いていた。白樺やから松の緑もまぶしく、しばらくベンチに腰掛けてゆったりとした時間を過ごした。

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2008 軽井沢大賀ホール春の音楽祭 宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

 軽井沢大賀ホールの「春の音楽祭」、昨年はマリンバを楽しんだが、今年はオーケストラを聴いた。

宮本文昭指揮 東京フィルハーモニー交響楽団(4月29日)

曲目は
 ・ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲
・チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」
・チャイコフスキー:交響曲第5番

 オーボエ奏者だった宮本文昭さんの指揮を期待して選んだプログラムだったが、当初予定にはなかった、チェリストのセルゲイ・スロヴァチェフスキーが東フィルと一緒に演奏するオマケ付。

 「くるみ割り人形」は、地元軽井沢ジュニアオーケストラと東フィルの混成オケ。小学生から大きくても大学一年生のこどもたちが、東フィルメンバーに混じって、よく頑張りました! ソロパートがある子もいて、大活躍。プロの演奏家になるかならないかは別にして、小さいときから音楽に親しみ楽器を奏で、こういう機会が得られるのは、とても素晴らしいことだと思う。
 私は楽器ができないのがとても残念なのだが、母がクラシック好きだった影響で、、「ウィリアム・テル序曲」や「くるみ割り人形」は、子どもの頃に小さなレコードプレーヤーに何度も何度もかけて、親しんだ曲だ。今思うと、誰の演奏のレコードだったんだろう。

 宮本氏の指揮は、その動きが面白くって! 脚も動くんですよ。登場して来たときのお辞儀が、腰が低いというかなんというか、親しみがわいたが、もっと格好つけてもいいのに。新米指揮者と謙遜していらしたが、真摯で情熱的な指揮とみた。機会があったら、また是非観たい(聴きたい)。

 オーソドックスなプログラムだが、とっても楽しかった。こどもたちの演奏を聴きながら、一人ひとりを育てるとともに、地域に文化を育む取り組みの一つなのだろうと思った。是非継続してほしい。文化は長い時間かかって根付くものだからね。この子達が大人になったときの軽井沢、どんな町になっているだろう。

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ガレとジャポニズム

 サントリー美術館『ガレとジャポニズム』に行った(5月11日まで。巡回・大阪 サントリーミュージアム<天保山>5月22日~7月13日)。

 ガレを体系的に観たのは、2005年に江戸東京博物館で行われた『エミール・ガレ展』。その人と作品の歴史に沿った展示会だった。
 今回のサントリーの展示は、ジャポニズムに焦点をあてたもの。参考作品として、「北斎漫画」や広重、宗達などの作品も展示されている。鯉やカエルのモチーフなんて、北斎漫画そのままだ。

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花器《バッタ》1878年頃

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花器《茄子》エミール・ガレ 1900年頃

 サントリー美術館蔵の作品も多く、その多くが(菊地コレクション)という。菊地さんって、どなた? 19世紀に海外に出た日本美術が、ヨーロッパの作家に影響を与え、その作品をまた日本のコレクターが収集する。さながら、合わせ鏡に写し出された日本美術、といったところか。

 ジャポニズムも面白かったが、照明が作品の魅力を引き出していて、一つ一つの作品を眺めるだけでも満足。サントリー美術館は照明のあて方が、素敵。

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モディリアーニ展

 国立新美術館の『モディリアーニ展』を観た(6月9日まで。巡回・大阪 国立国際美術館 7月1日~9月15日)。

 細面の顔、長い首、アーモンド型の目の肖像画を得意とする、エコールド・パリを代表する画家。展覧会のフランス語の題名が、Modiliani et le Primitivismedeで、--原始美術の影響を色濃く示す初期の<カリアティット>の作品群から独自の洋式を確立した肖像画にいたるまで、幅広い作品を紹介し、プリミティヴィスム(原始主義)に根ざしたモディリアーニの芸術がいかなる変遷をとげたのかを探ります。--とのこと。
 プリミティヴィスム(原始主義)って、19世紀末に流行っていたんですよね、たしか。モディリアーニは1884-1920年の人だから、時期的にはちょうどその頃というわけか。

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<カリアティッド>1914年
 思わず、その白い肌に触れてみたくなる。ギリシャ神殿の柱の彫刻「カリアティッド」はプリミティヴィスムの影響を受けているそうだ。カルアティッドの作品群は、そのモチーフの印象なのか、彼自身の取り組みがそういう時期だったのか、エネルギッシュな印象を受けた。
 もともとモディリアーニは彫刻家を目指していたが、持病の結核のために体力がなく、彫刻を断念したのだとか。観てみたかったな、彼の彫刻。展示されている約150点の作品は、油彩、スケッチあれど、すべて絵画。
 
 そして、カリアティッドの作品群はあるものの、基本は肖像画。体系的にモディリアーニを知る上では面白い展覧会だが、後半の展示は、細い首を傾げた人物たちばかりが並んでいて、ちょっと息が詰まった。去年観た『モーリス・ユトリロ展-モンマルトルの詩情-』を思い出してしまった。息抜きに違うモチーフがほしいといっても、ない物ねだりなんだろうけどね。

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<赤毛の若い娘(ジャンヌ・エピュテルヌ)>1918年。
 これは好き。まなざしに意思がある表情だから。モデルはジャンヌと言われているが、瞳の色が違うそうだ。

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ラ・マンチャの男

 帝国劇場で、『ラ・マンチャの男』を観た(脚本デール・ワッサーマン/演出・主演 松本幸四郎 30日まで)。
 『ラ・マンチャの男』と言えば松本幸四郎。この公演期間中に1100回を達成するそうだが、はじめて観た。
 
 従者を連れたセルバンテスという詩人が、教会を侮辱した罪で牢獄に入れられる。囚人達は”新入り”の(模擬)裁判をやろうと言う。そこで、セルバンテスは即興劇による申し開きを行う。その即興劇が「ドン・キホーテ」の物語。

 孝四郎の父、白鸚がアメリカで観た『ラ・マンチャの男』を気に入って、東宝に上演を働きかけたのだそうだ。演出補に長女の松本紀保、マドンナのアルドンサに次女の松たか子。家族でガッチリと固め、まだ早いだろうに、世代交代の準備も整っている感じ。セルバンテス演じる、キホーテ=田舎郷士キハーナが老人の設定だし、40年も演じているからなのか、幸四郎は力むことなく演じているように見えるのに対して、松はあばずれだけれど実は清らかな役を魅力的に、エネルギッシュに演じて舞台を引っ張っている。この人、どんどん上手くなったなあと思う。

 帝劇のミュージカルにしてはめずらしく、休憩なしの約2時間。スピーディな演出もよかった。

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新宿御苑(4月)

 アレコレ考えが纏まらないときには、森林浴に限る。というわけで、新宿御苑を散歩。

 新宿御苑は、庭園型の公園。白金の自然教育園や井の頭公園の林のほうが、”森林”浴にふさわしいが新宿に出たついでだし、明るい気分になりたいし。イギリス風景式庭園で遠くを見渡すと、いつも晴れやかな気分になるのだ。気持ちが大きくなると言うか。

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苑内は、まだ桜の季節。しだれの八重や山桜が盛りを迎えていた。

 
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 千駄ヶ谷門近くのツツジ山。ツツジと桜の両方が楽しめた。
桜が咲くと、次々と花の季節になっていくね。
ハナミズキも今が見頃。楓や銀杏の初々しい新緑もまぶしかった。

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フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ

『東山魁夷展』を観た後、新緑が瑞々しい北の丸公園を散歩しながら千鳥ヶ淵のイタリア文化会館へ。ロビーで行われている『フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの小書斎 ・ストゥディオーロ』を観た。3月の下旬、千鳥ヶ淵にお花見に来たときに前を通ったら、玄関の柱に、鷲鼻の男性と、たぶん彼の妻なのではないかと思われる女性の肖像があって、「なんのイベントだろう?」と思ったのだった。
 その日は寄らなかったけど、なんだか気になって、イタリア文化会館のサイトを観たら、ウルビーノ公国の君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公(1422-1482)がグッビオのドゥカーレ宮殿の中に造らせたストゥディオーロ(小書斎)の複製を展示してあるという。それは、見逃したら後悔する!というわけで、ギリギリセーフで観た(20日まで)。
http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/webform/SchedaEvento.aspx?id=249

 ストゥディオーロの壁は、遠近法を用いただまし絵の寄木細工。描かれているものは、剣や屋鎧の武具、太鼓やリュート、ハープ、オルガンなどの楽器、書物、書見台、球体のオブジェや分度器、コンパス等、ルネサンスの文化とはこういうものか、と感動。ちなみにイタリア文化会館玄関の柱の肖像画の男性がフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公で、女性は奥方。
 
 イタリアの地元の職人達が5年以上の歳月をかけて、複製を完成させたのだそうだ。世界初公開って、イタリアの人より、日本人が先に観せてもらって申し訳ない。
 国立西洋美術館の『ウルビーノのヴィーナス』と連動したイベントだったようだ。美術のお勉強的には重要なんだろうけど、ヴィーナス(裸婦)あんまり興味ないしなあ、と思っていて、まだ観ていなかったのだけれど…。行ってみたら、このストゥディオーロのようにルネサンスを目の当たりにできるかしら?
 
 

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生誕100年 東山魁夷展

 国立近代美術館の『生誕100年 東山魁夷展』 に行った。

 

 東山魁夷は90歳まで生きた人で、作品数も多い。主に自然を描く人で、「道」とか「緑響く」に代表される、緑や青色のイメージが強い。唐招提寺の襖絵を描いた人。そんな予備知識だった。

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「冬華」
北欧を旅したときの風景を描いたもので、樹の上で輝くものは、月ではなく太陽なのだとか。インターネットに載せると、なんとなく青味と赤味を帯びるが、もっと白黒の濃淡で、きりりとした冷たい空気が感じられたのだけれど。


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「窓」
自然をモチーフにした作品が多いと思っていたが、建物や窓の風景も多いのだそうだ。
ヨーロッパの町並なので洋風のイメージを受けるんだろうが、日本画と西洋美術の違いってどこにあるのだろうと思う。画材の違い以外、互いに良い意味でなんでも有りなのかな。すみませんね、素人の疑問で。

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「行く秋」
緑の自然もいいけれど、これも美しい。この落ち葉の上を歩くとき、足裏に伝わる感触まで見えてきそうな1枚。

 惜しいのは、スペースが狭いこと。東山魁夷の絵は、大きい作品が多いし、今回は出展数も多い。後ろにさがって観たいと思うと、向かいの展示を鑑賞している人の邪魔になってしまう。人気の画家だから会期中盤の平日でもけっこう混んでいる。近代美術館には悪いけれど、六本木の国立新美術館でゆったり観たかったなあ。

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ダウトDOUBT−疑いをめぐる寓話−

吉祥寺シアターにて、文学座アトリエの会 『ダウトDOUBT−疑いをめぐる寓話−』を観た。
(脚本 ジョン・パトリック・シャンリィ/演出 望月純吉 4月22日まで)

 スリリングな舞台。初演は2004年、その後2005年にトニー賞最優秀作品賞とピュリッツァー賞を受賞したそうだ。

1964年のニューヨーク、ブロンクスにあるミッション系の高校。厳格な校長シスター・アロイシス(寺田路恵)が、体育の教師であるフリン神父(清水明彦)と、転校してきたばかりの学校初の黒人男子生徒の関係に疑いを抱く。校長は、その生徒の担任教師のシスター・ジェームス(渋谷はるか)と生徒の母親(山本道子)に疑いを打ち明け、対処しようとする。

 たしかにフリン神父は疑わしい言動があるのだが、校長もあまりに杓子定規で、校長とフリン神父は普段から意見が対立しがちだったり、学校という組織の中では校長が上司だが、教会の組織ではフリン神父のほうが位が高いという捻れの関係など、いろいろな要素が提示される。おまけに、世の中では正しいことがいつも良きことではないという教訓まで出てきて、フリン神父の疑いは最後まで残ったまま…。

 最初は新人教師のシスター・ジェームスの視点に寄り添い観ていたのだが、クライマックスでは、自分自身がフリン神父と校長の間で揺れ動いた。これは、観ている人間が試されますな。

 疑惑が晴れないことで、新たな疑惑が生まれる。フリン神父が白だったらアレで、黒だったらコレと、疑いの連鎖を体験しながら劇場を出た。

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どん底

 シアタ-コクーン『どん底』(原作 マクシム・ゴーリキー/上演台本・演出ケラリーノ・サンドロヴィッチ 4月27日まで)を観た。
 去年のナイロン100℃の公演『犬は鎖につなぐべからず』は、岸田國士戯曲集。岸田は演出を手掛けた『どん底』の初日に亡くなったそうだが、明るい『どん底』を目指していたそうで、KERAはその影響を受けているという。
 人間関係が描かれているポップな『どん底』。

 舞台は、どん底の暮らしをしている人間が集まる木賃宿。イカサマ賭博師サーチン(大森博史)、錠前屋クレーシチ(大鷹明良)と、瀕死の床についている妻アンナ(池谷のぶえ)。恋愛小説を読みふける娼婦ナースチャ(松永玲子)、と男爵と名乗る男(三上市朗)。なぜか陽気な帽子屋(マギー)。アル中の元役者(山崎一)、靴屋(富川一人)に万頭売りの女(犬山イヌコ)。腐った万頭を売られたとイチャモンを付けに来たのがきっかけで、ここに出入りするようになった兄と呼ばれる男(あさひ7オユキ)と弟と呼ばれる男(黒田大輔)。この宿には泥棒(江口洋介)まで寝泊まりしているが、巡査(皆川猿時)も度々顔を出す。この巡査、大家の妻とその妹のオジにして、万頭屋に惚れている。大家(若松武史)が強突張りだと言ったところで、彼の生活も木賃宿よりはマシな程度。おまけに妻のワシリーサ(荻野目慶子)は泥棒ペペールと恋仲で、ところがペペールはワシリーサに飽きてきて、彼女の妹のナターシャ(緒川たまき)に鞍替えしたいと思案中。
 と、なかなか複雑な人間関係が展開中の木賃宿に、ある日巡礼の老人ルカー(段田安則)がやってくる。彼が宿の客になったことで空気が変わる。彼を、希望の使者とみるか、疫病神と捉えるかは難しいところなのだが、それでも老人はこの宿の一員として生活を共にするのだ。

 KERAはこの人間関係の輪の中に入らない衛生局を名乗る男セルゲイ(大河内浩)という登場人物を創った。衛生局を名乗る男は老人と違い、まったくの闖入者。「世間」なんだろう。マスコミ批判、とも、とれなくもない。
 というか、マスコミ批判だろう、これは。
 一人ひとりにスポットを当てるとお涙頂戴になるが、関係性を重視したことによって、世の中が見えてくる。大枠としての関係性と、セルゲイ。--削るべき要素はすぐにわかったんです。ゴーリキーが当時、社会運動としてこの作品を書いた主義主張、台詞がそのまま社会に対する告発になっている部分です。--とパンフレットにあるが、なんのなんの、いまの世の中をもっとクールに批判するおもしろい仕掛けを創った。

 段田、若松、犬山、などなど、いまさら誉めるのがかえって失礼な芸達者な役者が揃っている中、マギーがいい雰囲気を醸し出していた。いままでそんなふうに思って観ていなかったので、今後注目。緒川のナターシャは脚が綺麗、これで彼女のその後の運命が察せられるほど。小柄なワシリーサだが、荻野目は貫禄十分。
 時々自動が音楽に参加している。最後の合奏&合唱は出演者全員。段田のフルートは初めて観た(聞いた)。パーカッションの若松サン、乗ってましたネ。

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